魔法使いの現実(3)


               ※


 夏輝たちが去った後──。


 真っ白な牢獄の中央で、羽瀬川弓彦は静かに目を閉じる。

 無音不動の拘束がもたらす心身へのストレスは、常人ならば三日で精神に異常をきたすほどのものらしい。

 それでなくとも、長時間同じ姿勢を強いられれば、衰弱や血流不全をもたらし、さらには身体障害を生じさせることになる。

 三年の拘束期間の中で、だから本来ならば弓彦は、当に四肢が壊死していてもおかしくはないのだが、実際のところ彼は筋肉の衰弱すら生じさせてはいない。

 重力制御の異能を駆使し、拘束されたままに血流や筋組織に適度な負荷を与え続けているためだ。


 その気になれば、彼は全身の拘束を撥ね飛ばし、脱走することだってわけはない。


 だが、彼はそれをしようとはしない。する理由もない。


 自由を奪われ、孤独に拘束されているこの状況は、あるいは彼にとって、罰としてゆるいものであるのかもしれないが、それでも、くだされた裁きに殉ずると決めた彼は、ずっとこの白い牢獄に座したまま──。


「少し、意外ではあるね」


 朗々と響いた呟きは、ガラス越しにたたずむ加々見松雪。

 夏輝たちを送り出した後、ひとり取って返してきたのだろう。そんな松雪に、弓彦は目を閉じたまま苦笑を返す。


「いいんですか加々見先生。ひとりでボクに会うのは規約違反では?」

「何を今さらだな。そんなことよりも、私はてっきりキミが直接加勢に出向くのではと期待……もとい、危惧していたのだが」

「それこそ今さらですね。ボクが出向くまでもない。後は夏輝ちゃんに任せておけば万事万端大丈夫。ボクは最初から言っているでしょう。この事件は、夏輝ちゃんにしか解決できない。……だいたい、頼んでも外出許可なんて出してくれないでしょう?」

「だから、キミが自発的に加勢に出るのを期待していたのだ。我々は我々なりに動いてはみたのだが、結局、キミを当てにする以上の手が見つからなかったからね」

「買いかぶり過ぎだ。アナタもわかっているでしょう? ボクではこの事件の犯人には勝てない。敵うべくもない。他の者よりも少しだけ命乞いのチャンスがもらえるかもしれないが……それだけだね。何度も言うけど、夏輝ちゃん以外の誰にも無理だ。回り始めた時の歯車に対抗できるのは、因果の逆回転だけなんです」


 それだけは確かな真実であると、弓彦は静かに、だが、力強く断言する。


「……それより、あの女みたいな少年──解体魔とかいうあの子、あれは……あれは何者なんだい?」

「ふむ、有栖川黎斗。十四才、日本人――というのは、我が学院が引き取る際に後づけたプロフィールだ。本来の国籍と年齢は不明。アムステルダム経由で売買されたようなので、イタリアかオランダか、いずれそのあたりの生まれだろうね。キミもよく知るに飼われていた実験体さ。彼が今もなお五体満足でいるのは幸運だよ」


 大部分を端折った松雪の説明は、端折るべくしてそうしたのだと容易に窺える不穏な内容。

 ならば、弓彦もさして疑問を挟むことはなく納得する。


「なるほど、ボクの同類か。あの見てくれなら、さぞ可愛がられたんだろうね」

「……まあ、今さらキミが憤っても仕方ない。外道には、外道に相応しい審判がすでに下っている」


 松雪のつまらなそうな説明に、弓彦はなお輪をかけて不快でつまらなそうに──。

 それでも、そこから感じたほんの少しの得心に口の端をゆるめる。


「……日常的に拘束され、虐げられて……だからか、ボクの拘束具をやけに鋭く睨んでいたのは…………何にせよ、あの少年の才能は、相当にヤバいよ……」


 笑みが消え、無表情に抑揚なく告げた弓彦。

 対する松雪は、ただ口の端を微かに釣り上げる。


「だから何だね? 私にとって、解体魔は救うべき患者でしかない。〝魔法使い〟がそうであるようにね」


 朗々と言いきる松雪に、弓彦は楽しげに喉を震わせて、


「ならば先生、ひとつ、見舞いの品が欲しいんだけど……」


 尊大な要求は、やはり、笑顔と声音だけは爽やかに申し出たのだった。


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