魔法使いの現実(2)


 朝凪夏輝は天鈴学院の存在を知っていた。

 知っていたからこそ、先入観から監獄か研究所のようなイメージを持っていた。


 理由は単純にして明確。

 ここには、捕らえられた〝魔法使い〟が監禁されているからだ。


 ここでいう〝魔法使い〟とは、世間を騒がせている告発状の魔法使いではない。

 七年前、異能に惑う夏輝を導いた者。

 社会の影から善をなし、迷い苦しむ人々を救い続けていた異能の青年。


 本物の〝魔法使い〟……羽瀬川はせがわ弓彦ゆみひこのことである。


 加々見松雪に案内されるまま、何重ものセキュリティーが施された先にあるエレベーターに乗り込んだ夏輝たち。


「灯台もと暗し……ていうか、学院にいたのかよ魔法使い」

「キミが捜している魔法使いとは別人だと思うがね」


 呻く黎斗に、松雪は苦笑を返す。

 いったい何階へと向かっているのか? 表示はおろか操作器機すらないエレベーター内は、ただ漠然と下っているとしかわからない。それすらも錯覚だと言われれば、自信が持てぬ曖昧なもの。


「網膜認証にワンタイムパスばっかりか……」


 口の端を歪める黎斗に、松雪はいつになく冷然と首肯する。


「ついでにこのエレベーターは複数人のキー保持者が同時に起動認証した時のみ稼働する……まあ核ミサイルの発射ボタンと同様だね。そもそも網膜パターンを入手しなければアプローチすらできない。解体するだけ無駄なシステムだ。知ったところで解体魔では侵入不可能だからこそ、こうして同行を許しているのだよ」


 エレベーターが停止し、真っ白なフロアへと到着。

 壁も床も全てが白く無機質な、それでいて狭い、人がふたりも並べばもう余裕がなくなるような不穏な廊下。


「さあ、行きたまえ。私と紫君はここで待とう。久々の再会を邪魔するのも気が引けるからね」


 松雪は淡々と告げながら、当然のように夏輝に続こうとしていた紫の首根っこをつかんで引き留める。


「うあー、何でですかッ? 離れたら護れませんよぉ!」

「我慢したまえ。空気を読むのも近衛の務めだ。それにね、例え近くにいても護れやしないよ。彼がその気になれば、こんな施設はあっという間に光の粒だ」

「そ、そんな勇者王みたいなヤツのところ、なおさらお嬢様ひとりで行かせられませーんーッ!!」


 暴れる紫を、器用に片手でつかみ上げて無力化する松雪。身長差のせいで、完全に大人と子供である。


「やれやれ、忙しない子だ。大丈夫だよ。彼が夏輝君を傷つけることはないし、ひとりで行くわけでもないさ。では、頼んだよ有栖川君」


 黎斗の肩をポンと叩く松雪。

 唐突なことに、任された当人は「は? オレ?」と困惑気味に。


「オレは、ついてっていいのかよ?」

「構わないよ。キミは〝魔法使い〟に会いたかったのだろう? ……それに言ったはずだ。キミは彼女の目付役だと」


 後半は耳を寄せてひそかに囁かれた。

 黎斗は釈然としないままに、だが、確かに同行を望みこそすれ、断る理由はない。


「しゃーねーな。じゃあ、いこうぜ……って、オイ? 聞いてるか?」


 黎斗の呼びかけに、だが、夏輝は茫然と立ち尽くしたまま。

 このフロアにきてから彼女はまるで放心状態である。

 否、思えばここにくる前から──そもそもが、あの電話を受けてからずっとこの調子だった。


「オイ? しっかりしろよ!」

「え……あ、すみません。行きましょう」


 ようやく反応を返した夏輝は力なく歩み出た。


「夏輝お嬢様ーッ! ヤバいと思ったら迷わずアリスマンを盾にしてくださいねーッ!」


 物騒な助言を背に受けつつ、無機質なまでに清潔な純白の廊下を進んで行く。


 この先の牢獄に、弓彦はもう三年間、服役している。

 服役──そう、羽瀬川弓彦は罪を犯して服役しているのだ。

 罪状は、法に照らし合わせるならば傷害致死と器物損壊か?

 三年前に遭遇した、ある爆破事件。

 自作の爆薬で周囲を巻き込んでの自殺を図ろうとした人物が起こしたその一件で、起爆された爆風と熱を抑え込み封じようとした際に、弓彦はとっさの状況から異能の制御を誤ってしまい、爆風もろともに犯人を圧殺してしまったのだ。


 それは正当なる防衛であり、緊急なる避難であったろうと思う。

 実際、弓彦がいなければ、爆発で多くの命が損なわれていただろう。

 だが、弓彦はそれを過剰防衛だと断じた。

 異能の制御を誤ったのは事実であり、同じく助けられたはずの犯人を死なせたのも事実であるとし、弓彦は自ら出頭した。


 持って生まれたからには全てが才能。


 才能はどう使うかであり、だからこそ、その結果には責任を取らなければならない。


 才能の行使にはルールが必要。まして、それが強大な才能であるならなおのこと。

 だからこそ彼は、〝魔法〟を否定しながらも〝魔法使い〟を名乗り、自らの異能を魔法というルールに則って行使してきた。


 ひとつ、魔法は秘匿されなければならない。

 ひとつ、魔法は利己のために用いてはならない。

 ひとつ、魔法は命を傷つけるために用いてはならない。


 それが彼の定義するルールであり、それを守り抜くのが〝魔法使い〟。

 弓彦はそのルールを破ってしまったたために、今、こうして服役している。場所が刑務所ではないのは、弓彦が真っ当な刑に処されているわけではないからだ。


 彼の異能は、その原理がどうであれ、文字通りに規格外のもの。


 罪がどうとかいう以前に、危険人物として幽閉されているのが実際であるが、それを弓彦当人が、犯した罪への罰として受け入れている形なのである。


 事情を知る菜那静の計らいから、こうして九条家の息がかかった天鈴学院に拘束されているが、そこには単純な同情などはない。

 前述に同じ、ひとえに羽瀬川弓彦の持って生まれた強大な異能力を危険視するがゆえ。


 重力制御――弓彦の能力を端的に言えばそうなるのだろう。


 重力を自在に操るということが、この物質世界でいったいどれほどのことを成し得るのか? 科学にそれほど聡くない夏輝でさえ、戦慄を覚える異能である。

 松雪曰く、理屈も原理も現時点では解明できていないというそれは、使い方ひとつで神にも悪魔にもなれるもの。冗談でも比喩でもなく、それを成し得る異能力。


 だから夏輝は、心から思うのだ。


 そんな恐ろしい異能を持って生まれたのが、あの羽瀬川弓彦で本当に良かったと──。


 もし、それが別の誰かであったなら……たとえば、自分のような愚か者であったならば、大袈裟ではなく、世界はとんでもない危機に陥っていたに違いない。


「……それでもね、ボクは力の使い方を誤って人を殺した愚か者には違いないんだよ」


 静かで穏やかな声が、廊下の先からハッキリと届く。

 まるで夏輝の内心を読み取ったかのごときその声は、廊下の突き当たり。左側面に設えれられた牢獄から響いてきた。


 狭い廊下に反して、だだっ広く天井の高い純白の独房。

 その中央に置かれた、電気椅子のごとき大仰な固定座椅子に〝魔法使い〟こと羽瀬川弓彦は拘束されていた。


 周囲の色と同系色の拘束衣と、真っ黒なベルトで椅子に縛りつけられた痛ましい姿。にもかかわらず、こちらを見つめるその表情は涼やかに笑っている。


「相変わらず謙遜が過ぎるね夏輝ちゃん。またボクのことを過剰に持ち上げて自嘲しているのかとアタリをつけてみたけど……その顔は、どうやら図星だったな」


 まったく困った子だと、弓彦は笑声をこぼす。

 相変わらずの優しげな笑顔。

 なつかしい、本当に少しも変わらないその笑顔に、夏輝は思わず近寄ろうとして、見えない壁に阻まれる。

 牢獄を仕切る、透明な特殊ガラスの防壁。

 厚さ十五ミリの石英ガラスを十層に重ねたものらしいが、それを聞いた黎斗は大袈裟だと笑っていた。聞けば、スペースシャトルの窓でさえこの半分以下の備えだという。


 確かに大袈裟な話だか、夏輝がそう思う理由は多分、黎斗とは違う。

 防壁なんていらないのだ。拘束だって必要ない。

 弓彦は、そんな危険な人物ではない。

 それでも人を殺してしまったのだから、それを償うのは当然であると、自ら縛についた弓彦。


 ──比べて、夏輝はどうだろう。


 探偵少女だのと持て囃されるままに、公然と事件を解き明かし、得意気に推理を誇った果てに、親友を失った。

 今さらながらに、改めて思い知る。

 やはり夏輝には、〝魔法使い〟に憧れる資格などありはしないのだ。 

 呑み込んだ後悔は胸奥に苦々しく詰まる。

 そんな彼女のあり様に、捕らわれた〝魔法使い〟は吐息をもらした。


「ふーん。ずいぶんと、らしくない姿だね。キミはもっと颯爽と、軽やかな女の子だったはずだが…………」


 優しい問いかけは、だからこそ夏輝には鋭く刺さる。


「ボクは、自分の愚かさを償うためにこうして罰を受けている。だから、キミがどうしてそんなに悲しそうに沈んでいるのかを知らない。しかし、憶測はできる。意固地で真っ直ぐなキミのことだ。また、何でもかでもひとりで抱えて、重くて身動き取れなくなっているのだろう? まったく、幼稚が過ぎるね」


 穏やかな笑顔と声音で投げつけられた辛辣な叱責。

 辛辣だけれど、それこそが羽瀬川弓彦。

 親愛なる〝魔法使い〟。

 夏輝は思わず甘えてすがりつきたいと思いながら、けれど、そう思いきることもできずに、ただ息を呑んだ。

 三ヶ月前、異能を才能として使いこなせず、親友を失ってしまった……その愚行。

 改めて想起された過去の痛みに、哀れなほど惑い震えて──。

 そんな夏輝の為体ていたらくに、控えていた黎斗が業を煮やして進み出る。


「おたくが〝魔法使い〟なんだな?」

「正確には、〝魔法使いだった者〟だよ。今は違う。そういうキミは誰だ?」

「有栖川黎斗……〝解体魔〟だ」


 小さな体躯を滑稽なまでに威張って名乗る黎斗に、だが、弓彦は笑い飛ばすどころか真剣に引き締めた表情で首肯を返す。


「解体魔? 何やら悪者っぽい名前だね……けど、夏輝ちゃんの味方ならば善玉か」

「あ? 何でオレがコイツの味方だよ……!」

「違うのかい? 震える彼女をかばって歩み出たから、味方にしか見えなかったけれど?」

「ち、違う! オレはただ、コイツがラチあかなかったから……! とにかく、いいからこれを見ろ!」


 黎斗が取り出したのは、例の告発状。

 その文面を遠目に読み取り、弓彦は「ふーん」と思案げに頷いた。


「……良くわからないけど、魔法使いからの脅迫状というか、告発状なのかな?」


 ずっとここに監禁されている弓彦は、前言の通り世俗のことなど知らぬのだろう。首をかしげるその様子は、だが、黎斗にとってはトボケているようにしか見えなかった。


「おたくがバラまいてるんじゃないのか?」

「知らないよ。ボクには何のことだかわからないし、興味もないね。けれどまあ、キミが説明したいんなら聞いてあげてもいいよ。ボクは見ての通りに寛大だからね。さあ、簡潔に的確に迅速に説明してみなさい」


 上から目線もはなはだしい催促に、黎斗の額に青筋が浮かぶ。

 さらなる剣幕で食ってかかろうとして、傍らの夏輝に肩をつかまれた。見れば、彼女は心配そうに表情を陰らせている。


「どうしたのですかアリスちゃん、そんな、喧嘩を売るみたいに……」

「はあ? 何だそれ!? どうみてもこっちが売られてんだろうが! だいたいアレのどこが思慮深くて聡明で気高いんだよ! 単に傲岸で不遜なだけじゃねえか!」


 咆える黎斗に、だが、応じたのは夏輝ではなく弓彦だった。


「おお、確かに。今の評価は簡潔で的確だね。その調子で迅速に説明してくれないかな。それとも夏輝ちゃんが説明してくれるのかい?」


 ガラスの向こうからニコニコと促してくる。

 夏輝の方はそれをまともに見返すこともできぬまま、相変わらずのうつむき加減で、乱れる動悸を抑えようと呼吸を深く繰り返すだけ。


「だから、おたくは何でそんなテンパッてんだよ……」

「……うぅ、うるさいですね……」


 らしくないほど力ない反論を返しつつ、夏輝はもう一度、ひときわ大きく深呼吸を挟んで、


「……あの……、じゃあ……わたしから、説明します」


 視線を落としたまま、一連の事件について時系列順に語りはじめた。

 ある女性の飛び降り自殺を皮切りとした、告発状にまつわる死亡事案。

 そして、廃工場でおきた異常な銃撃事件──。


「……魔法使いを名乗る者が起こしている、まるで未来の罪を告発するような事件ね。それで、元〝魔法使い〟の僕に容疑がかかっているわけか。相変わらず世俗の思考は短絡的で進歩がないな。普通に考えて、犯人がバカ正直に署名残して行くかい? ああ、犯人が自己顕示欲に駆られたバカならあり得るのかな? どちらにしろ愚かな話だよ」


 ひと通りの説明を聞き終えた弓彦はそうぼやいた後、考え込むように静かに目を閉じた。

 当然ながら弓彦はずっとここに拘束されており、一連の事件に直接関わってはいないはずである。

 彼の異能ならば、その気になればいくらでも脱獄できるのだろうが、それには通常、破壊を伴う。この施設にそんな痕跡は残っていない。

 それは確認するまでもなく、夏輝の逆算が何よりも雄弁に教えてくれている。

 だが、傍らの黎斗は疑惑の眼差しも色濃く吐き捨てる。


「自己顕示欲に駆られたバカ……って、普通に本人も該当してんじゃねえか」

「松雪さんたちに聞いているとは思うが、ボクはここに拘束されて以来、外出はしていない。それに、該当するかどうかで言えばキミだって同じだろう解体魔」


 目を閉じたままの弓彦の返答に、黎斗は「フン」と笑声を短く。


「外に出なくたって、間接的になら関われるかもしれないだろ?」

「つまり、誰かを介したりとか、電脳的に工作するとかかな?」

「実際、告発状のほとんどは電信だ。少なくとも、それなりの電脳知識がないとできねえ犯行だ」

「なるほど。この部屋のどこかに電子器機を隠したり、協力者に持ち込ませているということか? しかし、それは無茶だよ解体魔。この場所の大袈裟なセキュリティーはキミもわかっただろう」

「……だから、そこを今考えてんだよ!」

「そうか、ならたっぷり考えるんだね。試行錯誤は進歩の糧だ。しかし、ボクは犯人ではないので考えるだけ徒労だぞ。そもそもだ。仮にボクが犯人だとして、動機は何だと言うんだい?」

「そんなの知るかよ! それこそおたくが、正義の味方気取りで悪党をやっつけて回ってるとかじゃねえのか?」

「……なるほど、ある意味では説得力のある動機なのかもしれないな。しかし、キミは決定的に誤解しているよ。今のボクはもちろんのこと、かつてのボクだって、正義などという胡乱うろんなファンタジーに傾倒したことはないんだ。いいかい? これは重要なことだから心に刻んでくれよ解体魔」


 そこで言葉を句切った弓彦は、大きく深呼吸してから、ことさらゆっくりと言い聞かせてきた。


「……〝魔法使い〟は、〝魔法使い〟だ。正義の味方なんかじゃない」


 断言する弓彦に、対する黎斗は眉をひそめる。


「何だそれ? 現におたくは三年前まで異能で人助けしてたんだろ?」

「そう、単なる人助けだ。街のゴミを拾ったり、募金を集めたりするのと同じだよ」

「同じじゃねえだろ? そういうのは……」

「同じだよ。誰にでもできる、ごく普通の善意の延長線だ。ただ、ボクには持って生まれた特殊な才能があったから、他の人では届かないところまで手が届いた。だ。それはもう歴然と純粋にだし、でなければいけない」

「……意味わかんねえ」

「わからないかい? なら、考えが足りないんだよ。例えば……色々と解体できる才能があったとしてだ。それを活かして解体業者や、爆弾処理なんかを担うのはいい。しかし、鍵を壊して警察の資料室に不法侵入したりとか、得意気に人のバイクを解体したりするのは間違いだってことだ」

「…………おたく、やっぱり外とつながってんじゃねえのか?」

「おやおや、バッチリ心当たりがあるようだね。今のは単純な洞察の範囲だよ。〝初歩的なことだよワトソン君〟ってのと同じさ。特に、キミは言動がバカほど素直だからわかりやすい」


 微笑んでなじってくる元〝魔法使い〟。本当に、笑顔と声音だけは穏やかで爽やかなものだからタチが悪い。


「まず、キミは誇らしげに〝解体魔〟などと名乗ったね。そういう技を持っていて、かつ、それを知らしめたい傾向があるんだろう。つまり、自己顕示欲に駆られたバカだね。

 そんなキミが魔法使いを捜しているという。手段を選ばず様々に侵入し、手がかりがなければ八つ当たりもするだろう。

 そういう推論で、当たりをつけたんだ。

 ハズレていたとしても、ボクにリスクはないし、キミの印象からは能力を一切悪用していないなんてことはないと思った。だったら、さっきの内容でも充分に意味深長に受け取って、勝手に気圧されてくれるだろう……要するに、つくづくバカの思考は読みやすいのさ」


 スラスラと並べ立てられた論旨は、流暢すぎて、納得するよりも煙に巻かれて遠回しにバカにされているようだ。

 ……というか、ハッキリとバカだと言及している。


「……くっ、それにしたって、何で侵入したのが警察の資料室で、解体したのがバイクだってとこまでわかるんだよ」


「ああ、実は今のは全部、事前に松雪先生から聞いていたんだよ。こんなバカな詐術にバカみたいに引っかかってちゃあ駄目だよ。このバカめ」


 穏やかに微笑みながらの罵倒。

 いい加減に怒鳴り返そうとした黎斗の出端を挫いて、弓彦は突然に真顔で咳払いを挟んだ。


「まあ、冗談はこれくらいにしてだ…………どんな力でも、持って生まれたなら全てが才能だ。しかし、だからといって好き勝手に乱用していいというものじゃない。腕力に優れているからといって、誰でも好きに殴って良いなどという理屈は通らない。才能はどう使うかが重要であり、それが全てだ。なのに、それを選ばれた正義の力だなどと履き違えて、手を伸ばしてはいけないところにまで触れるのは、絶対に赦されないんだよ」


 そう、絶対に赦されない。

 ライターを使おうが放火能力パイロキネシスを使おうが、火事を起こせば同じく放火犯罪。異能であろうが何であろうが、人を傷つけたなら傷害であり、命を奪えば殺人である。

 だからこそ、羽瀬川弓彦はこうしてここに捕らわれている。

 彼は一連の告発状の犯人ではない。それは当の昔からわかっていたことなのだ。


 羽瀬川弓彦は―――本物の〝魔法使い〟はそんなことはしない。


 項垂れた夏輝。

 そんな彼女の内心の困惑を察しているのかいないのか、弓彦の方は改めて黎斗に向き直る。


「繰り返すが、ボクは断じて犯人ではない。そもそも、キミの推理は根本から迷走しているんだよ解体魔。仮にボクが犯人だとしよう。さらにここから密かに抜け出す手段もあるとする。……で、ボクはどうやって一連の事件を実行したというんだい?」

「それは、おたくの異能力でどうにでもなるだろうが」

「なるほど、確かに重力を自在に操れれば、人をビルから落とすのも、土砂崩れも、火事場に閉じ込めるのも、看板を狙って落とすのも、不可能ではないね。

 告発状は単なる擬装……全ては未来を読む異能者の仕業に見せかけた犯行となるわけか。

 動機はキミが言うように、ボクがボクなりに悪党と見なした者を退治して、正義を示すこと。……まあスジが通っていなくはないけれど、肝心のここから出入りする手段がない以上どうにもならないね」

「う……だから……それは今考えてんだってば!」

「考えるだけ徒労だと言っている。この施設のセキュリティは厳重だ。出入りは元より外部との連絡もふくめて、知られずに密かになど不可能だ。学院ぐるみで犯行に関与しているというなら別だけどね」


 そこまでいくと、弓彦が犯人であることを暴くための推理ではなく、弓彦が犯人であることを前提にした邪推からのこじつけだ。

 反論につまる黎斗に、弓彦はなお穏やかに笑う。


「何にせよ、〝魔法使い〟に影響を受けた外部の第三者が、自発的にことを起こした可能性は高いだろうね」


 それは結局のところ、ここにきたのは徒労であり、事件の推理は振り出しに戻るということだ。

 歯噛みする黎斗。

 その横で夏輝はうつむいたまま──。


「……その第三者に、心当たりはあるのですか?」


 ポツリと力なく呟いた問い。それを耳聡くも聴き取った弓彦は、わずかに目を細めた。


「無い……ことは無いな」

「マジかよ! もったいつけないで教えやがれ!」

「はやるな解体魔。それをキミたちに教える前に、ひとつだけ答えてもらいたい。なぜ、犯人である魔法使いを捜しているのか、その理由はいったい何なのかな?」

「あ? 決まってるだろ? 異能の殺人犯だぜ。とっ捕まえなきゃヤバいじゃないか。だいたい、オレだって狙われてんだよ!」


 バカなことを訊くなと怒鳴り返す黎斗に、だが、弓彦は黙したまま。

 数秒の沈黙。

 まるでさらなる答えを待つかのようなその沈黙に、焦れた黎斗が再度声を荒げようとしたところで、弓彦は溜め息を吐いた。


「……仕方無いな」


 首肯するその視線は、はじめから黎斗ではなく、夏輝へと向けられている。


〝なぜ、告発状の犯人を捜すのか?〟


 今の問いは、夏輝に――夏輝だけに向けられたものなのだ。夏輝はそれを理解していて、それでも答えることができなかった。

 弓彦はゆるりと視線を黎斗に滑らせて言う。


「この事件の犯人は、

「は? 未来予測者じゃない? じゃあ、いったい……」

「キミたちは、この二日間、各事件現場を確認して回ったそうだね。オフィスビル、土砂崩れ跡、火災現場、そして峠道。電線の断線現場も今日いったらしいね…………だが、なぜそこまでなんだい? なぜ鉄骨落下の現場だけ飛ばしているんだ?」

「……それは、あそこはこの女が当日に直接確認してるから……」


 黎斗の歯切れの悪い反論に、弓彦は困ったように苦笑う。


「もう一度、鉄骨落下の現場を調べ直すんだ。そうすればわかる。本来、こんなのは夏輝ちゃんならすぐに解いていたはずの事件さ。警察には難しいかもしれないが、夏輝ちゃんなら別だ。もう一度、今度は成り行きではなく、嫌々ではなく、しっかりと、解き明かす目的で読み取るんだ。そうすれば簡単に落着する」


 いいかい? 夏輝ちゃん――。


 静かな呼びかけに、ビクリと顔を上げた夏輝。

 弓彦は、相変わらず穏やかで優しい眼差しを向けたまま。


「……キミの今の在り方がどうであれ、こうして関わってしまったんだ。途中で投げ出すような無様なマネはいけないよ。例えどうすれば良いのか決めかねていてもだ。やったことの責任は、取らなければいけない。それは〝魔法使い〟である前に〝人〟としてわきまえるべき当然の道理なのだからね」


「…………はい」


 真剣に戒めてくる忠告に、夏輝は、らしくないほどしおらしく頷いた。

 そのまま、彼女は込み上げた何かを呑み込むように顔を上げて、けれど、弓彦の方を見ようとはしないままに踵を返した。


 決意も新たに、エレベーターへと向かう夏輝。

 黎斗も後に続こうとして──。

 けれど、歩を止めて牢獄の囚人を睨みつけた。


 閉じ込められ拘束された、元〝魔法使い〟。


「おたくは、ずっとそうしていて、不自由じゃないのか?」

「さあね……まあ、自由ではないな。しかし、ボクは罰を受けているのだから仕方ないだろう。それがどうかしたのかい?」

「……別に、ただ、オレには耐えられそうにないと思っただけだ」


 嫌悪もあらわに吐き捨てて、黎斗は早足に立ち去っていった。



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