7章 魔法使いの現実

魔法使いの現実(1)


 七月七日。

 宇利崎製作所での逆算から二日後の朝。

 夏輝は自室のベッドに横になったまま、鈍く疼く頭痛を持てあましながらも、事件の推理に没頭していた。


 推理……といっても、何が進展しているわけでもない。


 一昨日の事情聴取の傍聴が終わった後に、そして昨日も、まだ見ていなかった一連の告発状事件の現場を可能な限り回ってみたが、有力な手がかりは得られなかった。


 OLが投身自殺をしたというオフィスビルに始まり、土砂崩れの跡、火事のあった居酒屋のテナントビル。そしてトラックが突っ込んだ峠道。それから、あの電線の断線現場。

 オフィスビルは事件後にいく度も清掃が入っていた。

 土砂崩れの現場は紫の拳で崩壊していて論外。

 テナントビルは改築工事中であり、痕跡どころか事件当時の原型すら留めていなかった。

 そして峠道や断線現場も、痕跡という点では大差なかった。


 だから、現在していることは手持ちの情報や資料を検め直し、組み立てて、何か見落としはないかと考察しているだけに過ぎない。


 要するに、行き詰まってしまっているのだ。


「雨……やみませんねぇ」


 ポツリと呟いたのは紫堂紫。

 子犬のように窓枠に両手と顎を乗せて、外の雨模様を眺めがら、くわえたビーフジャーキーをピコピコと揺らしている。


「……確かに雨やまねえけど。それより、おたくはいつまでここにいるんだ?」


 持ち込んだPCを操作しながらの黎斗に、紫は心外そうに振り返る。


「いつまでも何も、わたしはお嬢様の護衛として正式に配属されているのですよ。すでに隣の二○二に引っ越してきているのだ!」


 ふふん♪ ──と、なぜか得意気に笑う。


「なら自分の部屋に帰れよ」

「バカなこと言うでねーです。夏輝お嬢様を、あなたのような見た目だけ小綺麗な駄犬とひとつ屋根の下なんて容認できません。男女七歳にして同衾せずですよ」

「見た目だけは小綺麗な駄犬……て、おたくのほうだろ」

「あら、ヤダようこの子ったら♪ お姉さんを褒めても何にも出ませんよう♪ 仕方ないからお肉あげますね、お肉」


 はい、あーん♪ と、上機嫌で照れまくりながらビーフジャーキーを差し出してくる紫。

 黎斗としては褒めたのではなく貶したつもりだったので、なんとも微妙な表情でそれをくわえる。


「……えーと、まあ、ありがとう」

「いーえーどういたしまして。ところで、もう七月七日ですけど、今日には死ぬかもしれないってのに余裕綽々ですね解体魔君」


 ズバッと痛い核心を突く紫の問い。

 黎斗はビーフジャーキーをくわえたまま、しばしの硬直。

 やがて、ゆっくりと干し肉を咀嚼して飲み込むと、心の底から追い詰められた悲愴な面持ちでぼやく。


「……んなことは、言われんでもわかってる」

「あらら、泰然自若としてるから以外に豪傑なのかと思ったら、見た目通りに繊細なアリスちゃんでしたか……」

「……うるせえな。もし犯人の魔法使いが殺しに現れるってんなら好都合だろ! 逆に返り討ちにしてやればいいんだ!」

「この魔法使いさんは直接じゃなくて未来予測の搦め手からくるんでしょうに。突然ここに隕石メテオドカーンとか来られたらどう返り討つんです?」


 紫のたとえは突飛だが、実際問題は変わらない。

 未来予知、あるいは予測によって、対象が死に到る運命へと誘導される。この事件の犯人が恐ろしいのはそこなのだ。


 でも──と、紫は再び視線を窓の外へと滑らせる。


「何となく、平気なんじゃないかな……とか、思いませんか?」

「は?」

「いえ、だから、多分、七月八日に解体魔が人殺しをする未来は、もう変わってるような気がするんですよ」


 のほほんと提議された推論に、当の黎斗は「はあ?」といぶかしげに眉根を寄せる。


「だって、そもそもあなた、誰かを殺す予定があるんですか?」

「いや、そんなこと言い出したら、はじめからそんな予定はねえよ!」

「でも、なのに告発状もらったわけですよね?」

「だから、それは……」

「この犯人は、未来の罪を阻むことが目的で、そのために告発状送ってくるわけですよね? それで悔い改めたら、殺さないわけですよね? なら、こうしてわたしたちと一緒にいる解体魔君は、もう大丈夫なんじゃないですか? だって、あなたがアホなことしそうになったら、わたしたちが止めますもん…………まあ、犯人がどんな未来を予測したのかわかんない以上は、何とも言えませんけどねえ」

「おたくはオレを励ましたいのか、それともイジメたいのか」


 そんなある意味ほのぼのとしたやり取りも、鬱屈した停滞感を払うまでには行かず──。


 再びの静寂。

 雨の音と、黎斗がPCをいじる音だけが、室内に流れている。


「なあ……」


 ふと、沈黙を破ったのは黎斗の呼びかけ。


「おたくの恩人の魔法使いは、本当に今回の件と無関係なのか?」


 ややためらいがちに、というよりは、遠慮がちに囁かれた問いに、夏輝はガバッと勢い良く身を起こす。

 その剣幕に、黎斗は少したじろぎながら、


「あ、いや……だってさ、これだけ行き詰まってんだからさ、可能性は、どんなに低くてもよ、一応……」

「言ったはずですよ。本物の〝魔法使い〟は、こんなバカげたことに関わりはしません。こんな血生臭い暗黒なことになんて、関わるわけがないんです! だって、あの人は……!」


 そうやって、夏輝が反論に声を荒げた時だった。


 部屋の隅、据え置きの電話機が着信を告げた。


 引きこもった夏輝の部屋で、唯一残っていた通信器機。

 三ヶ月前の一件を期に、外部との連絡手段を破棄した夏輝が、ただひとつ破棄できなかった一縷の糸。

 無機質で耳障りな電子音はひとしきり鳴り響いたあと、やがていつものように、留守電機能に切り替わる。

 案内音声が家人の留守を告げた後に流れた発信音。


 そして──。


『留守にしてなどいないだろう? そこにいるのは先刻承知しているぞ夏輝ちゃん』


 スピーカーから流れてきたのは、穏やかな声だった。


『ボクからの電話にまで居留守を決め込むとはヒドいね。キミが困っていると聞いて、わざわざ七面倒くさい手続きを経て電話したんだけど、キミはいつからそんな不義理者に堕落したんだい? それとも、未だに落ち込んでいるとでもいうのかな? だとしたら、実に情け無いことだね』


 穏やかな声でゆるりと紡がれるそれは、慰めや気遣いではなく明らかな叱責である。

 突然の長口上に黎斗と紫は茫然と。

 そんなふたりをよそに、ハッキリと強い驚愕に駆られた夏輝は、その驚愕のままに両の眼を見開いて固まっている。


 夏輝にとって、その声は特別だった。


 静かに穏やかに、どんな時でも泰然と構える声音。

 七年前から変わらない。

 なつかしく、そして、ずっと焦がれ続けていた声。


弓彦ゆみひこ……?」


 ポツリと、夏輝は弱々しくもその名を呟いた。


『もとより世界は人間ひとりが背負い込めるほどチッポケなものではないんだよ? それを無理に抱え込んで偉そうに落ち込むなんて愚の骨頂もはなはだしいことだ。それはあまりにも愚かに過ぎると、ボクはかつて〝魔法使い〟であった頃から繰り返し示していたつもりだけどね』


 電話ごしに響く声に、糾弾とも取れるその言に、けれども夏輝はたまらない安堵と親愛を抱いて、ふらふらと引き寄せられて行く。


「……あぁ……弓彦、……弓彦の……声だ……」


 夏輝は、まるで迷子の子供がようやく母親に巡り会えたかのように、電話機の前にペタンと座り込み、そこから流れる愛しい声にすがりついた。


『さあ、いい加減に応答をしてくれないか? ボクはキミと話がしたいんだよ夏輝ちゃん』


 相変わらず、静かで穏やかな呼びかけに、うつむいた夏輝の頬を、涙が一条、こぼれて落ちた。



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