6章 魔法使いの選択

魔法使いの選択(1)


 また、悪夢を見た。

 最悪の目覚め。

 目覚めはいつだって最悪なのだが、その中でも今日のこれは最悪も最悪だった。


 かつて、大切な親友と過ごしていた日々の回想夢。


 見開いた視界がぼやけて霞んでいるのは、寝起きのためだけではないのだろう。目尻にこぼれた汗ではない雫の感触に、込み上げた自責を自嘲でぬり潰す。


 ふと、吹き抜ける涼しげな風の感触。

 いつもなら、こもった熱気に茹で起こされているところなのに。

 爽やかな涼と、ささやかな疑念に追い立てられて、朝凪あさなぎ夏輝なつきはゆっくりと身を起こした。


 いつもの自室、いつものベッド……なのだが、今日は窓もカーテンも開け放たれて、外の空気が微風となって室内を流れている。

 ただ、差し込む陽射しが朝のまばゆさではなく、夕暮れの茜に染まっているのが少し違和感があった。


「やっと起きたな」


 あきれの色濃い黎斗れいとの声。


「…………? もしかして、わたしは丸一昼夜寝ていたのですか?」


 疑念のままに、夏輝は己のこめかみから垂れた横髪を手櫛で梳く。

 その伸び具合などの諸々の痕跡から、警察署を出てから二十四時間と約三十分という時間経過を逆算して、少し驚いた。


(……それだけ、疲れていたということでしょうか……)


 夏輝はやれやれと吐息をこぼしつつ、そこでようやく、周囲の異変に気づく。

 室内が清掃されているのはもちろんだが、そんなことよりも、重要な異変がある。

 フローリングの床に胡座をかいている小柄な背中、有栖川ありすがわ黎斗の存在。

 ……は、別に良いのだが、その周囲のあり様が問題だ。


 開け放たれた無数の段ボールと、山と積まれた様々な書物。そして、黎斗の前に鎮座しているデスクトップPCと、それに付随する無線ルーターやらの通信機材。


「アリスちゃん、いつの間にこんな、人の部屋を秘密基地みたいに……」

「んー……学院に連絡して持ってこさせた。せっかく光回線も通ってるしな……。つーか、おたく、今時PCもケータイも持ってないって、どこの原始人だよ」

「失礼ですね。スマートフォンぐらい持っていましたよ。…………ただ、捨てただけです」

「いや、捨てんなよ」


 黎斗の真剣ツッコミを流しつつ、夏輝は積まれている本を適当に取ってみる。

 分厚いものから、薄めだが重厚な装丁のものなど、いずれも小難しそうな学術書ばかり。


「波動力学? こっちは不確定性原理……素粒子に、光子と、並列性? キュービット……ランダムウォーク? …………量子力学でもはじめるのですか?」


 正直、夏輝には意味すらわからないタイトルや記述ばかりだったが、アインシュタインやシュレディンガーの本があったので、なんとなくその辺かと思ったのだ。


「いや、昨日、松雪のノッポが『量子コンピュータぐらい分解できなきゃ解体魔の名が廃るね』とか言いやがったから、調べてみたんだけど」

「量子コンピュータ……って、まだ実用化されてないでしょう」

「なんだよなぁ。しかも、実現したってビルみたいにでかくなるみたいだし。あの変態教師、適当なこと吐きやがって……」


 腹立たしげにぼやきながらも、黎斗はPCを操る手を休める気配はない。


「さっきから、何を調べているんですか?」


 量子コンピュータは諦めたのだろうに──と、黎斗の背後から画面を覗き込む夏輝。

 液晶画面に映り出ている複数のウインドウ。

 横書きに連なるテキストデータと、いくつかの添付画像は、どうやら事件情報をデータ化したもののようだ。


「例の、告発状絡みの事件データですか?」

「ああ。……つっても、ニュースサイトやらの報道記事とか、ネットの噂話なんかを素人検証でまとめた程度だけど……」


 思案げな黎斗の傍ら、夏輝も画面の事件データに目を通す。


〝2016年5月26日……市内某ビル。屋上から女性が投身自殺。この女性は同ビル内オフィスの社員であり、数週間前から恋人との不和で悩んでいたという。現に死ぬ二日前に関係は破局しており、自殺の原因もそこにあると見られているが、遺書などもなく、詳細は不明。……(中略)……女性の遺留品の内、携帯電話には『2016年5月27日の殺人を、魔法使いは赦さない』という脅迫めいたメールが残っており……(以下略)……〟


〝2016年6月7日……市内某所。三日間降り続いた豪雨で地盤がゆるみ、崩れた土砂により家屋一棟が全壊。この家屋は空き家となっており住人はいなかったが、崩れた当時、男性一名が家屋内に居合わせており、土砂に巻き込まれて圧死。被害者は遺留品から朝沼あさぬま明雄あきお(三十二歳・住所不定・無職)と判明。同所に無断で寝泊まりしていたものと思われる……(中略)……被害者は多量のアルコールを摂取しており、現場の瓦礫からも飲酒の痕跡が見つかっている。この酒類は事故当日に近所の酒店で被害者本人が購入したものであることが判明しており……(以下略)……〟


〝2016年6月18日……隣市の繁華街にある居酒屋。ガス設備の不良により出火し、逃げ遅れた従業員二名と酔客十二名が重軽傷、三名が死亡。同店舗は非常口や防火扉などの防災設備が店の備品や資材によって塞がっており、これが避難行動を阻害したことが問題となっている……(中略)……死亡した三名の内、店舗のトイレ内にて煙に巻かれて窒息死していた人物については、個室の扉が開かなくなったために逃げ遅れたのが原因と見られており、それが扉の不具合なのか、人為的なものなのかは捜査中であり……(以下略)……〟


〝2016年6月20日……市内某峠道。トラックが路壁に突っ込み、運転手が死亡。事故の原因は、道路上方に架かっていた交通標識の枠材が破損、運悪く運転席に飛び込み、被害者の喉を直撃したことによる窒息死。目撃者によると、この枠材はトラックが通る寸前に、まるで待ち構えたかのようなタイミングで転落し、運転席にその突端を向けてブラ下がったとのことで、一種オカルトめいた怪事件としても一部で騒がれている……(以下略)……〟


〝2016年7月2日……ビル新設工事現場。朝五時頃、建設中のビル上階に積まれていた鉄骨材が……(中略)……なお、現場に置かれていた重機や資材をふくめ、細工や工作を施した形跡は見つかっていないが、被害者と対面していた第三者の足跡が発見されており、重要参考人として行方を追っている。足跡の形状は二十九センチサイズのスニーカー。歩幅は鉄骨材の散乱のせいで一定しておらず、割り出された身長は百五十~百八十センチ台と安定せず。

 追記。この足跡は今まさに鉄骨材の降り注いでいる危険状態の中を歩き去っている〟


 以上が大体の記述内容だった。

 それらをザッと読み終えた夏輝は「ふぅ……」と、ひと息。


「…………あの鉄骨の件も、報道されていたのですか?」

「いや、あれはロクに情報なくてさ。左近からの受け売り。何か、その件以降は報道規制敷かれてるみたいだけど……。警察が事件として認識したってことなのかもな」

「だとしても、警察の規制にしては極端ですね」


 鉄骨落下の件自体がロクに報道されていないのだ。

 情報を制限どころか、遮断しているレベルである。ならばこれは警察ではなく別スジからの規制なのだろうか?


「……九条先生……」

「ん? 何かわかったのか?」


 ぽつりと呟いた夏輝に、傍らの黎斗が期待も強く問い質してくる。

 夏輝は否定を返した。


「さあ、書かれている以上のことは特に」


 これらは例の〝告発状〟が関わっていると言われている事件の中で、ひとまずその可能性が高いと見られる五件。内容は、左近勇馬に教えてもらったものをもう少し詳細にした……という感じだった。


 データによれば、いずれの場合も事前に〝告発状〟を受け取っており、指定された日付の前日に死亡した形になっている。


 二件目の土砂崩れは、遺留品に封筒入りのメモがあった。配送業者を介していないらしく、消印等がないため、受け取った日付は不明らしい。

 居酒屋の火災については、被害者自身が周囲に対し、妙なメールを受けたと公言していたという。

 トラック事故に関しても同様に、こちらは所持していた携帯電話に現に告発メールが残っていた。


「おたくの逆算でも、何もわからないのか?」

「文章を介した情報だけじゃあ無理です。わたしの能力は、あくまで五感で感じ取った痕跡情報から課程を逆算するものらしいですから……」


 急かしてくる黎斗をあしらいつつ、それでも一応、考えられる範囲で考察してみる。


 精神的に追い詰めて自殺を誘発というのは、手段としてあり得なくはない。


 金のない住所不定者に、金を渡して酒を飲ませ、泥酔させて逃げられないようにするというのも、まあ、あり得るかもしれない。


 居酒屋にて、酔った被害者をトイレに誘導し閉じ込めて、火災に巻き込ませる。


 看板の枠材に細工をし、トラックを迎撃する。


 いずれの推論も、単体だけを見るならばどうということはない。

 警察の調査を欺く工作の可否という問題はあるものの、事件そのものに不可能性はないだろう。


 そもそも全て偶然の事故とするなら、何らおかしな点はない。そこに魔法使いの告発状が絡んでいるのが問題なのだ。


 死亡した全員がそろって告発状を受け取っており、しかも、死亡の翌日の罪を告発する内容なのだから、偶然とは考えにくい。


 では、これらが世間で言うように、同一犯の予告殺人だとすると……その犯行手段が大きな問題となる。

 すなわち、死の決め手となる要因。


(それが起こるとわかっていなければ、不可能だ……)


 土砂崩れにせよ火災にせよ、事前にいつどこで起こるのかを承知でなければ殺人計画として成り立たない。トラックの通過に合わせ、最良の速度と角度で枠材を落とせなければ意味がない。

 最後の鉄骨落下にいたっては、単に落下を予測しただけでは犯人自身も潰されて死ぬのが普通である。


 いつ、どのタイミングで、どこがどのようになるのか、微にして細に知り得ていなければ成り立たない。

 それでいて、警察の調査では人為的細工は発見されていない。

 計画的犯行として見るなら、あまりにも不確定要素が多すぎる。しかし、偶然というには作為的に過ぎる。


 未来予測者が起こしている事件。

 世間がそう囁く気持ちもわからなくはない。


 昨日の羽間里の言を信じるなら、警察はそんな荒唐無稽な理論など当然のごとく一蹴しているようだ。


 それが普通だと思うし、それならばそれで良いと思う。


 犯人が未来予測を装っているにせよ、偶然からそう見えているだけにせよ、警察は真っ当に事件を検分し、証拠を集め、やがて犯人を突きとめて解決するのだろう。


 繰り返すが、そうなるのなら、それで良いのだ。


 良くないのは、この事件の犯人が、本当に未来が読める異能者であった場合だ。


 夏輝は知っている。

 この世には、そのような特異な才能をもった者たちがいるということを、思い知っている。


 もとより例の告発状さえ絡んでいなければ、接点も何もない死亡事案。あの軽薄な鑑識青年によれば、これらの現場にはすべて、被害者以外の第三者が居合わせていた痕跡があるという。


 それこそが犯人──〝魔法使い〟を騙る人物なのだろうか?


 夏輝は、渦巻く疑念の中心で苦悩する。

 もし、これらが人為的な殺人事件であり、その犯人が未来を読み取ってことに及んでいるのなら…………それは、非常に


 だからこそ、自身でもそう思うからこそ、昨日の喫茶店では極力興味のないそぶりで突っぱねた。


 こうして臨んでしまえば、確かめずにはいられなくなるとわかっていたからだ。


(……それこそ、ただの欺瞞ぎまんだ……)


 夏輝は不安と焦燥に駆られながら、それを払拭するように画面の資料を再度睨みつける。

 現場の画像写真もいくつかあるが、もとより事後のものばかりで得られる情報は少なく、やはり夏輝の中に想起されるものはない。


「現場を直接確認してみれば……」


 いや、事件直後ならまだしも、今さら手がかりになるほどの痕跡が残っている可能性は低いだろう。

 しかし、他に有用な情報があるわけでもない。


 昨日の断線現場なら、あるいは手がかりが残っているだろうか?


 せっかく黎斗が配慮してくれたのを無下にするようだが、調べる価値はあるかもしれない。


「あとは、例の告発状も物的手掛かりですね。それにメールやメッセージになっているものは送信元がどこなのか調べられれば…………」


 ふと、黎斗が微妙な面持ちで見つめてきているのに気づいた夏輝。


「どうしたんですか? アリスちゃん」


「……だから、アリスちゃんじゃねえよ」


 不満げに否定してから、口ごもること数秒。


「いや……何かおたく、急に協力的というか、やる気になってるみてえだからさ」

「……別に、そういうわけではありません」


 黎斗の指摘に、夏輝は溜め息まじりに返す。

 やる気になっているわけではない。

 今だって、こんな血生臭い死亡事案の記事なんて見たくもない。

 けれどこうなっては……一連の事件から異能の影を払拭しないことには、夏輝自身が立ち行かないのだ。


 それに──と、夏輝は視界の端に黎斗の顔を睨んで唇を噛む。


 少なからず身近に関わってしまった誰かを失うのは、もう絶対にイヤなのだ。


 込み上げたそれは感情というよりも衝動に近く、あるいは強迫観念にも似た抑えがたいもの。

 結局、夏輝は異能がどうとか、探偵ごっこや事件がどうとかではなく、ただ、ひたすらに三ヶ月前の過ちを繰り返したくないだけなのかもしれない。だからこそ、この事件にちらつく〝魔法使い〟の影を無視しきれないのだろう。

 夏輝は自覚とともに、ゆるりと深呼吸して胸のざわめきを静めつつ。


「……仕方ないでしょう。泣いて頼まれたら無下にもできません」

「な、泣いてねぇよ!」

「どっちでもいいです。九条先生はあの調子だし、確かに見捨てるわけにも行かないし、一応、できる範囲で協力はします。けど、わたしとしては警察に事情を話して保護を願うのが、最善だと思いますよ」

「ハッ、それは無理。自演のイタズラだと思われて門前払いだったよ」


 一応、相談はしてみたらしい。

 フダつきの解体魔は信用ゼロということだ。

 今となっては侵入騒ぎまで起こしているのでなおだろう。


 それでも、椰子木刑事ならば味方してくれるかもしれないが──。

 実際のところ、世界一優秀を自負する日本の警察機構も、こと保護という観点においては当てにならない。民間の警護を雇うか、天鈴学院に閉じこもっている方がマシだろう。


 とはいえ、当の黎斗は座して待つという気は皆無の様子。そもそも現状では何が安全なのかの基準すら曖昧なのも事実だ。


 菜那静は夏輝の復帰を優先しているようだし、解体魔の安否など、もとより度外視しているだろう。

 九条家の連中が、身内と他人で明確にして徹底した価値観の線引きをしていることを、夏輝はイヤというほど承知している。


 やはり、事件について調べる以外に道は残されていないのか──。


「……いや、違いますね」


 微かに囁いたそれは、深いあきれと自嘲。

 脳裡に並べ立てた理屈は、どれもが言い訳じみたものばかり。

 何だかんだと言おうが、真っ当に判断すれば、学院か警察に保護させるのが最善に決まっている。


 なのに積極的にそうしないのは、多分、再び誰かと関わってしまった今の夏輝は、のだ。


 ハッキリ怖いと言い換えても良い。

 傍らに誰かがいるという感覚。

 それは、夏輝にとってあまりにも甘やかな安らぎで、だからこそ無意識にそれを求め、すがっているのだろう。

 現に夏輝は引きこもっていながらも、電話が鳴るたび期待に一喜一憂していた。


 つまり、結局のところは──だ。


「ただ、わたしが弱いだけです」


 ポツリとこぼした嘆息。


「ハ? どした?」

「別に。ところで、そもそもあなたが受け取った告発状は、どんな風に送られてきたんですか?」

「ああ、あれは普通に学院宛で匿名郵送されてきた。監視カメラには配達員と職員しか映ってなかったし、松雪の言うこと信じるなら、映像に細工された形跡はなかったってさ」


 それでは配送ルートから犯人をたどるのは難しいか?

 一応、黎斗から告発状を借りて検めたが、特に逆算できる痕跡も残っていない。


「他の告発状……オレ以外のヤツが受け取ったメールとか、左近が執拗に追跡かけたみたいだけど、ダミーやバックドアばかりで、どうにも決め手にならねえみたいだな」

「バックドア?」

「あー……まあ、他人のPCとかハッキングして、それを介して色々やるみたいな感じ。けどま、この件の場合は他人のアドレス吸い出して流用って方が正確だな」


 要するに他人の個人データを盗んで使っているということだ。


「あの左近てのはさ、もとは科捜研だか科警研だかのホープで、色んなとこからの出世エリートな人事を蹴って、今年度から四面月しもつき署の鑑識にきた変わり者でな。ほめたくねえけど科学捜査にかけては一流ってヤツらしい。その左近が調べて手がかりがねえんだ。犯人は、絶対に何か妙な能力使ってやがんだよ。それがインチキにせよ、本物にせよな」


 昨日、羽間里が〝うちの鑑識は優秀だ〟と自慢していたのが思い出される。あの時はどこか皮肉めいていたが、優秀であるのは事実なようだ。


「エリートコースを蹴って……ですか」


 何げなく反芻した夏輝に、黎斗は茶化しの笑みで頷く。


「ま、要は、おたくがこの街にいるからじゃねえの?」

「はい?」

「言ってたじゃん。アイツ、おたくのファンだって。ま、赴任してみれば肝心の探偵少女はヒキコモリになってんだから、萎えるよな」

「その名で呼ぶと蹴りますよ」

「痛ッ! もう蹴ってんだろ! ……て、何だ? メール?」


 蹴られた後頭部をさすりながら、黎斗はポケットから携帯電話を取り出して、受信メールを検める。

 直後、その表情が何とも微妙な様子で固まった。


「ハッ、見ろよこれ、〝魔法使い〟からだってよ」


 画面を差し出して示す黎斗。

 見れば、メールの送信者が確かに〝Wizard〟となっている。


「え? これ……犯人から……ということですか?」

「さあな、開いてみなけりゃわかんねえ」


 黎斗は応じるや否や内容を展開する。

 表示されたのは短くも簡潔な一文。


〝……四面月市6―21―20 宇利崎製作所……〟


 所番地を示すそれ以外は、添付データもなにもない。


「この住所は、市境の下町あたりだな。……よし!」


 パンッと、膝を叩いて立ち上がった黎斗。


「ものは試しだ。いってみる」

「な、ちょっと待ってください! 罠だったらどうするんですか! あなたは狙われているかもしれないんですよ!」


 夏輝の制止に、黎斗はそれこそ百も承知だと不敵に笑う。


「だからって、ジッとしててもどうにもならねえだろ? 確かに罠かもしれない。でもさ、逆に罠だと思わせてここに閉じこもらせようってことかもしれないぜ。深読みしたら、それこそキリがねえ」


 だったら、せっかくの手がかりを逃す手はない。

 言い切る黎斗だが、その口の端が微かに震えているのは、やはり覚悟というよりも開き直ったヤケクソの度合いが強いのだろう。


 夏輝は深い呼気をこぼして、立ち上がる。


「いいから落ち着いて。行くのならわたしも一緒に行きます。けど、ものにはやり方というのがあるんです。何も考えずに突き進むのは、ただのバカですよ」


 夏輝は据え置きの自宅電話から、短縮ダイヤルで九条の直接回線へと連絡した。


「……朝凪夏輝です。今から伝えるメールアドレスと、場所について、すぐに確認をお願いします。はい、わたしも現場に向かうつもりです。アパートまで迎えを寄越してください」


 必要事項を簡潔に済ませて通話を切れば、黎斗はやや面食らった様子で茫然と。

 そんな解体魔を、夏輝はキッと双眸を細めて見下ろした。


「言っておきますが……わたしはもう、身近な誰かを失うのは御免なんです。無謀な暴走を繰り返すつもりなら、手脚を蹴り折って学院に送り返しますからね」


 わかりましたか?


 ──と、氷点下な笑みで質され、黎斗は引きつった笑みで首肯を返したのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る