魔法使いの後悔(5)


              ※


 雨の勢いはどんどん強くなっている。

 窓の外、ただでさえ暗い夜空は雨雲に覆われてなお暗澹あんたんと。

 遠く雷鳴すら響かせている悪天候は、まるで今の自分の心を反映しているようだと、彼は深い溜め息を吐いた。


 とある町工場の作業場内。


 部分的に点けた照明の灯りに身を寄せている九名の男女と、やや距離を置いてたたずむ彼と。みんな年齢も格好もバラバラだが、同じ目的のもとに集まっている。いちおうは、同志ということになるのか。


 彼らの他には、たとえば作業員などの姿は全くない。

 そもそも生産ラインが機能している気配すらない。それは当然だ。ここはもうずっと前に閉鎖された廃工場なのだ。

 不況のあおりか、このような廃棄施設は市内にいくつか点在している。

 そんな場所に夜な夜な集合している彼らの目的が真っ当であるはずもなく、だから同志というより、共犯者というのが正確である。


 いずれにしても、自分がその中に数えられているのが耐えがたく、彼はひとり窓ぎわで歯がみしつつ、一味の者たちを遠間に睨んでいた。


 ここにいる者たちの目的は、身もフタもなく言えば〝金〟である。

 借金に追われてどうしようもない者から、単に目先の金が欲しい者まで、ともかく真っ当に地道に稼ぐことではどうにもならないと思った者たちが、非合法にでもまとまった金銭を得ようと身を寄せたわけなのだが。


(だからって、銀行強盗なんか成功するわけがないじゃないか……)


 彼はウンザリと、心の底からウンザリと肩を落とす。

 そう、あきれたことに、彼らは銀行機関を襲撃して金を奪おうとしているのである。


 キッカケは、集まった者の中に元暴力団関係者がおり、人数分の銃器を用意できると言い始めたことだった。そこからあれよとあれよというまに話が動き、ついに明日決行となり、こうして集合した次第。


 缶ビールを片手に襲撃計画を打ち合わせている一団。

 文字通りに、酔っている。

 酒にだけではない。絵空事のような計画と、絵空事のような成功に、絵空事のままに酔い痴れている。


 結局、ここにいる者は誰ひとりとして、現実など見ていないのだ。


 もとが場末の飲み屋で落ちぶれていた者たちで、結束も思慮も欠けているとは思っていたが、ここまで愚かな者たちだったとは思わなかった。


 内心で唾棄だきしながら、しかし、その唾棄すべき者たちとともに、こうしてここにいる自分もまた同類なのだろう。

 渡された拳銃。無骨で重いその鉄の感触に、彼は思う。


(何やってんだろうな……俺は)


 途中、いく度も抜けようと思ったのに、バカなことをしているのだと自覚していたのに、周りに流されるまま──。

 気がつけばここまできてしまっていた。

 今さら、やめたいなんて意見が通る状況でもない。


「なあ、みんな……」


 それでも、ほんのわずかな希望にすがりつく思いで、彼は他の者たちに呼びかけた。


「やっぱり、この計画、うまくいかないんじゃないかな……」


 彼の提議に、他の者たちはいかにも〝またか〟という様子で顔を見合わせる。

 ここまできて何を言うのかと、もう後戻りはできないのだと、どうせ金がなければ負債に潰されるのだと、もうやるしかないのだと、みなが口々にそれぞれに決行の意志を揺るぎなく語る。


 だが、それでも彼はなおも食い下がる。


「いや、わかるけどさ、でも、この計画ってさ……やっぱ、バレてんじゃないか?」


 彼の言葉に、一同はみんな、机に置かれたノートPCに目を向ける。

 情報収集などのために持ち込んだそれは、共犯者のひとりの私物。そのメールアドレスに妙なメールが届いたのは一週間ほど前のこと。


〝……2016年7月5日の殺人を、〝魔法使い〟は赦さない……〟


 送信元は見知らぬアドレス。聞けば、それは今、一部で流行っている都市伝説のようなものだという。だからこそ、ただのイタズラだとみんなは言う。そもそも、彼らがやろうとしているのは銀行強盗であり、殺人ではないのだと。


 だが、強盗の課程で殺人が起きないと言いきれるのか?

 計画の決行日と同日を指摘した文面に、彼は正直、恐怖を覚えていた。


「なあ、やっぱりやめようぜ。こんなのは、成功するわけがないって」


 再度の説得に、一同はやはり変わらずにウンザリと。

 これみよがしな溜め息は、あの元暴力団の男。流れでいつの間にかリーダーのようになっている、言い出しっぺの男。名前はカキモト。


 カキモト……下の名は何と言うのだったか?


 思えば、どんな字を書くのかすら知らない。

 本当に自分たちは薄っぺらな関係なのだと、つくづく彼が思い知った時だった。


 ひときわ激しく轟いた雷鳴と雷光。近場に落雷でもあったのだろう。


 直後、照明が消えた。


「あ? 停電かよ」


 誰かが呻いたその時、窓からの再度の雷光が室内を明滅させる。

 悲鳴は、遅れて響いた雷鳴にかき消された。


 誰かが、いる!


 作業場の中央、いつの間に入ってきたのか? 自分たちではない誰かが、確かに立っていた。

 レインコートをまとい、フードを目深にかぶった、何者かが!?


「何だテメェは!」


 カキモトの怒声。

 稲光の中、その何者かは大きく右手を振り上げる。


「妙なマネすんじゃねえ!」


 カキモトが手にした拳銃を構える。

 室内が再び闇に落ちてすぐ、傍らで悲鳴が上がった。

 途端、銃声と、銃火による明滅が断片的に場内を照らし出す。


 パニックを起こした誰かが発砲したのか?


 ヘタり込んだ彼の視界。

 稲光と、銃火と、瞬間的で断続的な明滅に彩られた闇の中、次々と誰かが倒れてはのたうつ、影絵のごとき地獄絵図。


 暗闇で闇雲に撃ち合う愚行。

 同士撃ちが起きているのか、みんなが次々倒れていく。


「バカ野郎! やたらに撃つんじゃねえ!」


 カキモトの怒声は、なお激しく轟いた雷鳴にかき消された。

 雷光にまばゆく照らし出された場内。

 血を流し倒れた八名の男女と、ヘタり込む彼と、銃を構えて立つカキモト。そして、そのカキモトと正対してたたずむ、レインコートの闖入者ちんにゅうしゃ


「テメェ、何なんだ!?」


 怒りと驚愕きょうがくに震えるカキモトの誰何すいかに、レインコートはふわりと裾を揺らす。


『……〝魔法使イ〟……』


 無機質な名乗り。

 不気味にヒビ割れたその声は、壊れたスピーカーがこぼすノイズのように濁っていた。


「ざけるなッ!」


 返答とともに轟く銃声。

 飛来する銃弾に、だが、レインコートの人物は微かにも慌てることはなく、まるでこの時、この位置で、どう動けば良いのかをかのように、発砲に先んじてほんの少しだけ上体を横にズラしていた。


 それはほんのわずかでありながら、弾道の回避として充分にして最小。


 標的を失った銃弾は、工場機械の鉄芯で、数度、跳ね返る。

 跳弾の果て、弾丸は驚くべきことに射手であるカキモト自身の眉間を撃ち抜いた。


 声もなくくずおれる元ヤクザの遺体を見下ろして、レインコートは静かに告げる。


『……コレハ起コルベクシテ起キタ因果。ソシテ、避ケ得タ応報。悔イ改メレバ、アナタタチノ未来ガ途絶エルコトハナカッタ……』


 軋むように濁った声音でつむがれた断罪の宣告。

 そしてレインコートの魔法使いは、最後に残った彼へと向き直る。


(……ああ、だから、こんなバカな計画なんて、やめておけばよかったんだよ……)


 短い悲鳴とともに込み上げた慚愧ざんきの念。

 恐怖と後悔の中で、彼はきつく目を閉じた。


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