魔法使いの後悔(3)


              ※


 電線の事故について、警察署に出頭した夏輝と黎斗。

 本日二度目の取調室にてふたりを待ち構えていたのは、極限の脱力にさいなまれた椰子木やしき刑事の渋面であった。


「……まあ、その、アレだ、オメエらはオレに怨みでもあんのか?」


 感情のこもらぬ問いも、短期間にこれだけ厄ネタを持ち込まれれば無理もない。

 とはいえ、事態のほとんどは黎斗の単独犯であり、夏輝は純粋に巻き込まれているだけなのだから、責められるのは心外だった。


「まあまあセンパイ。とりあえず、この件に関して彼女たちは被害者のようですし、僕が軽く調書だけ取っておきますよ。センパイは休むなり動くなりしててください」


 対照的なまでにニコニコと楽しげな羽間里はまざと刑事。

 椰子木はただでさえ厳つい顔を険悪な怒気に染めて反論する。


「オイ、何だそりゃ? 仮にも人ひとり死んでるんだ。そんな適当で済ませられるか」

「センパイ、まさか彼女たちを疑ってるんですか?」

「疑ってねえよ。だが、信用もしてねえな。どっちにしろ、詳しく聴取するのは捜査の足がかりとして当然だろうが」

「……はあ、本当に、強面のクセに純心ってのもなあ」

「ああ? どういう意味だ」

「センパイは頼りになるけど面倒くさいヤツだという意味ですが」

「あのな……」

「いいですから、任せてくださいと言っているんです椰子木


 笑顔のままに、語気だけをわずかに強めた羽間里。

 口調や声音を変えたわけではないが、どこか有無を言わせぬ威圧感をもって響いた。

 対する椰子木は、後輩の柔らかな眼差しを睨み返しつつも、


「了解したよ、羽間里殿」


 やり場のない不満を呑み込むように力なくうなずいて、取調室を出ていった。

 気を取り直して席に着く羽間里に、夏輝は怪訝けげんな視線を向ける。


「……警視?」


 思わず問い質せば、羽間里はニッコリと眼鏡を光らせて首肯する。


「はい、いちおう警視ですよ。まだなったばかりですけど」

「じゃあ、あなたの方が上司なのですか?」

「はい、椰子木さんはセンパイですが、僕の部下です。これでもキャリアなんで」


 国家Ⅰ種採用者、幹部候補のエリート。

 道理であの椰子木刑事が逆らわないはずである。椰子木は無頼に見えて、ルールには厳正な男なのだ。だからこそ、ルールを曲げる菜那静と衝突している。

 腰の低い態度のせいで誤魔化されていたが、考えてみれば、天下の九条家の応対に、ヒラの刑事が出てくるわけもなかったのだ。


「ああ見えて、センパイも準キャリアですけどね。ま、ともかく本題に入りましょうか。えーと、そもそもは朝凪さんが絡まれていたのを、有栖川君が助けに入ったという形なのかな?」

「いや、ちが……」

「その通りです」


 訂正しようとした黎斗に、机の下で蹴りを入れる夏輝。

 羽間里は察しているのかいないのか、笑顔を微塵も揺らさぬまま聴取を続ける。


 やがて宣言通り、形ばかりの調書ができあがったところで「まあ、こんなもので結構です」と、終了を告げた。


「何かあったら、また話を聞かせてもらうかもしれませんが。まあ何もないでしょう。どう見ても不幸な事故ですし。死んでしまった少年は運がなかったですね」


 書類をファイルにじつつ、いたんでいるのか小馬鹿にしているのか微妙な面持ちの羽間里。


 どう見ても事故──それが警察の見解。

 それとも、はぐらかしているだけなのか?


「まだ半日も経っていないのに、もうあれが人為的な断線ではないと調べ終わったのですか?」

「細かい調査や分析はまだですが、通常は物理的損傷がない限り、電線が切れるなんてあり得ませんね。ですから、人為的な断線という可能性は高いと思いますよ」


 こともなげに肯定する羽間里。 


「ただ、人為的であろうとなかろうと、あの場に貴方や被害者の少年が居合わせたのは偶然でしょう。それとも、貴方たちがあの時あの場所に訪れることを必然として予測できた者がいるとでもいうんですか?」


「魔法使い」


 吐き捨てるような指摘は、椅子にふんぞり返った黎斗のもの。


「魔法使いの告発状は、おたくらだって知ってんだろ? 予知能力者……とか、他にも何かの異能者が犯人だったら、事故とは言い切れねえんじゃないか?」

「魔法使いに異能者ね……やれやれ」


 羽間里は険しく眉根を寄せて、溜め息をこぼす。


「面白いですね、物語にでもするといいです。が、警察はそういうロマン思考では動かないんですよ。ま、貴方がたのように、特殊な技能者や特異体質者が犯人というのなら、まだしも現実的ですが……」


 わざと反応をうかがうかのように、挑発的な視線を向けてくる。


「いずれにせよ、今のところは被害者が告発状を受け取っていた事実もない。断線そのものが意図的であるとしても、それによって特定個人を狙う方法がない限り、本件は事故ないし未必の故意ってやつですよ」


 羽間里の冷静な笑顔に、黎斗は面白くなさそうにそっぽを向いた。


 ……そんなやり取りをジッと眺めていた夏輝だが、


「わたしたち自身が誘導したのかもしれませんよ」


 微かな溜め息とともに、半ば惰性的に指摘した。

 犯人が夏輝たちならば、少年があの場に居合わせた必然性は跳ね上がる。タイミング良く断線したのも、夏輝たちが仕掛けたものなら、狙って合わせたのかもしれない。

 少なくとも、予知だの魔法だのが介在する必要もない。


「だとしたら、それこそ我々にはお手上げです。天下の九条家の御令嬢を逮捕するなんて、できやしませんから」


 柔らかな笑顔で辛辣しんらつに皮肉る羽間里に、夏輝が言葉を詰まらせたのは、単純な不愉快ではない複雑な想いから。

 そんな葛藤など、それこそ構う義理もないとばかりに羽間里は席を立った。


「いずれにせよ、断線に人為的な細工が見つからない以上は、机上の空論も甚だしいことです。原因は我が四面月しもつき署の優秀なる鑑識班が調べていますから、何かあればすぐに判明しますよ」

「……………この人ですか?」


 ポケットから左近さこんの名刺を取り出して示した夏輝。

 単に名前が思い出せなかっただけなのだが、羽間里は少し驚いた様子で眉をひそめた。


「おや、お知り合いでしたか? さすがに手回しがいい」

「ヒドい邪推です。別に捜査情報を流させたりはしてませんよ……というより、向こうが勝手に近づいてきたんです」

「探偵少女のファンなんだとさ」


 横合いから茶化してくる黎斗。

 そのすねを再度蹴り込もうとした夏輝だが、ふと、羽間里の乾いた笑声に気を取られる。


 短く乾いた、くだらない子供のイタズラに失笑するような響き。


「そういえば貴方、以前は大層な御活躍だったそうですね。残念ながら、僕は先月配属なので、良く知らないんですよ」


 中指で眼鏡を押し上げつつ、ことさらにニッコリと笑みを浮かべ直す。


「さてと、それでは御協力ありがとうございました。お帰りはこちらで車を用意しますよ」


 そこには言外に〝余計な寄り道しないで真っ直ぐ帰れよ〟という冷ややかな警告が込められているようだ。

 要するに、この若い警視もまた立場ゆえに夏輝を立てているが、本心は椰子木と同意見なのだろう。


「心配しなくても、探偵ゴッコはもうやめました」


「……それはそれは、御賢明で何よりです」


 夏輝の応答に、受ける羽間里は白々しく頷いた。

 彼は前言の通りにふたりを車寄せへと先導する。やはり、確実に帰るまで監視するということなのだろう。

 背後からにこやかに睨まれながら、玄関ロビーを出た夏輝と黎斗。

 そんなふたりを待ち構えるように、車寄せに待機していたのは黒ぬりのVIP車輌だった。

 羽間里がわざわざハイヤーを呼んだ──わけではなく、車の脇にたたずんでいるのは見慣れた九条家の黒服ふたり。


「お迎えに上がりました。夏輝お嬢様」


 相変わらず慇懃いんぎんで丁重な一礼。

 ずいぶんとタイミングの良い登場だと顔をしかめる夏輝に、黒服が携帯電話を差し出してくる。すでに通話状態になっているそれを受け取って耳に当てれば、案の定、九条菜那静の冷ややかな笑声が聞こえてきた。


『御機嫌よう御嬢さん』


「先生……わたしたちって、どのへんまで動向を監視されているのですか?」


『そんな無粋なことはしていないわよ。ただ、今回のは貴方たちが目立ち過ぎ。SNSだのでさんざん騒がれているわよ。高圧電流で死んだコゾーもそうだけど、何より、金髪ロリータが巨乳のポニーテール美人を御姫様抱っこで駆け抜けていった……なんて、実際に目撃したら、わたくしでも喝采かっさいしているわ』


 台詞のコミカルさに全くそぐわぬ冷淡な声音。

 目立つ行動が気に入らないなど、こちらこそ心外だと、夏輝は口の端を歪める。そもそも、けしかけたのは菜那静の方ではないか。


 だが、夏輝がそう反論する前に、菜那静が注釈を加えた。


『勘違いしていそうね。わたくしは、危険なマネをするなとイサめているのです。無意味な荒事に興じるために、貴方に足技を仕込んだわけではないのよ』


 見透かされた忠告は、フテ腐れかけた夏輝の胸に刺さる。

 確かに、夏輝は憂さ晴らしにあのバイカーたちを痛めつけた。

 もともとは絡まれたからとはいえ、正直、穏便に切り抜ける手段はいくらでもあったのだ。


「……それで、こうして黒服を差し向けたわけですか」

『いいえ、それはただの送迎よ。解体魔のボウヤ共々、貴方のアパートまで送ってあげるわ。今日は夕方から雷雨だそうだから、濡れネズミでの帰宅は御免でしょう?』

「……解体魔は、本気で魔法使いを捕まえようとしているんですけど」

『知ってるわよ。だから貴方に押しつけているのよ』


 予想通りの返答。


『本気だとわかったのだから、見捨てるなんて悲しげな真似はしないわね。そもそも、あなただって告発状の事件は気になっているのでしょう? 良い口実ができたと思えばよろしいわ。大まかなフォローはしてあげるから、頑張りなさい。わたくしは、別件で忙しいのです』


 ふくみ笑うようにそう結び、一方的に通話を切られる。

 好き勝手な理屈。

 相変わらずと言うなら、それは相変わらずのことではあった。


「……はぁ」


 夏輝は心底やれやれと肩をすくめつつ、携帯電話を黒服に返す。

 そのままエスコートしようとする黒服を制して、自ら車輌のドアを開けて後部座席に乗り込んだ。


 ふと見れば、微妙な表情で夏輝を見つめている黎斗。


「……何ですか?」

「いや……えーと……」

「いいから乗ってください。遠慮しても無意味ですよ」

「遠慮してるわけじゃねえよ。そうじゃねえけど……」


 まあいいや──と、何かを振り払うように頭を振り、ヒョイと座席に飛び込む。

 黎斗は閉じたドアに肘をかけつつ、夏輝を斜に見やって問いかける。


「おたくさあ、マジに九条家のお嬢様なのな」

「はい?」

「いや、あの眼鏡の警視もそう言ってたし」

「……あれは単なる皮肉ですよ。わたしが九条先生に目をかけられているから」

「けど……」

「もしかして、あのウワサですか?」


 九条家の先代当主、すなわち菜那静の夫には隠し子がいる。

 それは確かに、巷間で時おり話題になるゴシップ。俗にも俗すぎる、ありがちなウワサ。

 そんなもの、資産家でなくとも、ちょっと名の売れた家庭ならいくらでも囁かれる程度の話であり、まして天下の九条家ともなれば推して知るべしである。


「わたしが、先代の隠し子だと?」


 バカバカしい──と、夏輝は笑い飛ばす。


「ウワサはウワサ。先代は生涯浮気はしなかったらしいですし、するような人でもなかったようですよ」

「生涯……って、死んだわけじゃないんだろ?」

「それはまあ……。でも、失踪して六年ですから。今は九条先生が切り盛りしていますし。何にせよ、わたしは先代当主の隠し子なんかじゃありません。単なる孤児で、才能を買われて九条菜那静に養子として引き取られただけですよ」


 それなりにハードな生い立ちを、あっさりと語る夏輝。


「才能……ってか、異能だろ?」

「才能ですよ。持って生まれたなら、どんな能力でも才能です。才能はどう使うかであり、それが全てなんです。だからわたしは……」


 ──わたしは、使い方を間違えたんです。


 胸奥に呑み込んだ後悔。

 そんな苦しげな夏輝の様子に、黎斗は気をつかってくれたのか? それ以上の追及はしないまま。

 通り過ぎる車窓の景色をぼんやりと眺めていた彼だったが、ふと、に落ちない仕種で首をかしげる。


「養子に引き取られた……て、それ、九条のお嬢様なのは同じじゃね?」


「……ああ、そうですね。確かに」


 言われてみればそうだとうなずく夏輝。

 改めて考えても、どうも自身にそういう意識が薄いのでピンと来ない。


「ハッ、いいよ、もう何でも。要するに九条絡みは変人ばっかってことだろう」

「そう言うあなたもですよ」


 夏輝が冷笑で返せば、黎斗は心外そうに表情を歪める。


「なら、くだんの〝魔法使い〟とやらも相当な変人なんだろうな」


 一瞬、どちらの魔法使いのことか判断しかねたが、九条の絡みというのなら、それは夏輝の知る本物の〝魔法使い〟のことだろう。


「あの人は、大切な恩人です。変人なんかじゃありません」


 キッパリと否定を返す夏輝。


「あの人は聡明で、思慮深く、ものの道理をわきまえた気高い人です。少し、言動が小難しいところはあるけれど……変人だなどと、ヒドい侮辱ですよ」


 彼女にしては露骨に不機嫌と憤慨とを表情に出した反論に、黎斗はやや気圧されつつも、口の端を釣り上げる。


「フン、そりゃご立派だな…………うさんくせえほどに」


 言葉の後半は聞こえぬほどに小さく吐き捨てた黎斗だったが、夏輝の聴覚を誤魔化すことは叶わず、思いっきり脛を蹴りつけられたのだった。




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