魔法使いの葛藤(4)


               ※


 魔法使い──。

 その呼称が、それが示す意味が、夏輝の思考を掻き回している。

 先刻にねじ伏せたはずなのに、なおわき上がり渦巻き始めるそれを改めてねじ伏せながら、早足に道を進んで行く。


 涼しかった喫茶店内から一歩外に出れば、蒸した熱気と、目に痛いほどに降り注ぐ陽射し。それらはただでさえ茹だっている思考を、さらに激しく乱してくる。

 特にそのまばゆさがうとましくて、夏輝は陽光から逃れるために、開けた表通りではなく、人気の少ない裏路地を帰路に選んだ。


 ビル壁に囲まれた裏路地。

 昼間でも薄暗いそこは陽射しのまばゆさからは解放されているものの、いかにも良くないものが吹き溜まりそうな陰湿な空気に満ちている。


 などと考えていた矢先、夏輝は歩を止めた。


 視線の先には、古き昭和の香り漂う寂れたテナントビル。

 雀荘とビリヤード場の看板が掲げられているが、営業時間外なのか、もとより営業していないのか、入り口には錆びて色あせたシャッターがガッチリと下りている。

 その軒先には、路駐した三台のアメリカンバイクと、それに寄りかかって下卑た談笑を交わしている、いかにもチンピラ然としたレザールックの少年ふたり組。


(……あ、いやな予感……)


 きびすを返した夏輝だったが、向き直った先からもまた、いかにも同類な少年が歩いてくる。


「お? 美人はっけーん」


 ヘルメットなど端からかぶれそうにない尖った髪型を大袈裟に揺らして、そいつは夏輝の行く手をさえぎった。


「ね、お金ちょうだい。オレら金欠なんだヨ」


 ヘラヘラと軽薄に顔を近づけるトンガリ髪。

 夏輝は溜め息もウンザリと頭を振る。


「お金がないなら、バイトでもしたらどうでしょうか」


 何で今時こんな世紀末ザコルックに絡まれねばならないのか──と、内心ぼやきながら避けて通ろうとした夏輝だが、ガシリと腕をつかまれる。


「あれれ? ヒドくない? それって、レーギなってなくない? こっちは優しく声かけたんだからさー、お姉さんも優しくしてヨ」


 途端に目がすわり、わかりやすい暴力的雰囲気をさらけ出すトンガリ髪の少年。

 ギリリとつかみ上げられる腕の痛みに、だが、夏輝は微かにも怯むことなく相手を睨み返した。


「……放しなさい。蹴り潰しますよ」


 冷ややかな恫喝どうかつ

 それは十代の少女が放つには異質なまでに冷徹で、真っ向から威圧されたトンガリ髪は、ゾクリと硬直してたじろいだ。


「何をスットロくしてんだよ」


 濁声を投げかけてきたのは、軒先にいた少年ふたり。やはり仲間だったらしく、フラフラと肩を揺らしながら歩み寄ってくる。


「いいから一発入れちゃえよ。したらおとなしくカンパしてくれるって」

「そうそう、いつものジョーセキね。あ、顔じゃなくて腹な、知ってる? 顔殴るとショウガイザイだけど、首から下はセーフなんだぜ。いやオレってハクシキー」


 聞くだに耳障りな雑音。

 夏輝はそちらには目も向けぬまま、続けた呟きは吐息とまがうほど微かにこぼれる。


「いいでしょう……確かにわたしも、ムシャクシャしていたところです」


 直後、夏輝は振り向かぬまま、後方から近づくふたり組の鳩尾みぞおちを正確無比に蹴り抜いた。

 呻きも無様に倒れ込むふたり。

 それは見て確認するまでもない。

 相手の大体の体格や身長はさっき見て取った。そこから真っ直ぐ近づいてくるのだから、どこを蹴れば良いかは歴然。ベラベラ無駄口を叩いてくれているのだから、なおわかりやすい。


「テ、テメー、いきなり、な、なにしやがるれ……!?」


 怯えと驚きで舌の回らぬトンガリ髪に、夏輝は冷笑で応じる。


「大丈夫、首から下なのでセーフです」


 静かな笑声は楽しげに、だからこそ冷ややかに。


「ヒ、ヒイィヤァ……ッ!」


 悲鳴とも笑声とも取れぬ引きつれた叫びを上げながらも、トンガリ髪は夏輝を放すどころか、つかむ右手に力を込めてきた。

 それは反撃への抑止であると同時に、制圧につなぐための予備動作。


 ならば、次の動作は想像に易い。


「何を取り出すのですか? 特殊警棒? スタンガン? いえ、ナイフでしょうか。あなたのような輩なら、古くさくバタフライとか?」


 冷静な指摘に、後ろ手に何かを取り出そうとしていたトンガリ髪は再度硬直した。


 革ジャンの裾に微細だが鋭利なキズがある。それは尻ポケットに収めた刃物を出し入れした痕跡。キズの量と、その真新しさを見れば、腕前も知れたものだ。


 ぐぅ──と、呻きを震わせた少年の形相はヤケになる前兆か、今にも凶器を振りかざしそうなその剣幕に、夏輝はスッと表情をほころばせる。


「ところで、つかんでいる手がゆるんでいますよ?」


 ハッとしたトンガリ髪が視線を落とした一瞬に、夏輝の爪先がテコンドーばりの急角度であご先を蹴り上げる。

 膝から崩れ落ちた彼の手から、銀メッキ張りの得物がこぼれ落ちた。


(……本当にバタフライナイフでしたか……)


 彼らのレトロなザコ魂にゲンナリと、そんな夏輝の背後、倒れていたひとりがガバッと起き上がった。


 だが、夏輝は驚きも身構えもしない。


 起き上がった少年は、そのまま背を向けて走り出す。薄情にも仲間を置いて逃げ出そうというのだろう。その行動は夏輝も予測済みだったし、わざわざ追い討つこともないので放置するつもりだったのだが──。


 もつれる足を叱咤して、己のバイクに一目散に駆け寄る少年は、目指す前方に新たな人影を認めて焦りに呻く。

 このクソ暑い夏日に、長袖フードつきのコートを着込んだ小柄な姿。

 色白い貌の中、見開いた青い瞳がバイクを睨み据えている。


「ど、どきやがれ!」


 浴びせられた怒声に、その金髪青眼をした少女のような少年は、ニッと不敵な笑みを返した。

 ダブついた両袖をひと振りすれば、瞬時にその双手に握られる無数の工具類。握り持つのではなく、五指の間に挟むようにして、十種以上の小型工具を同時に構える。


 最初に鳴り響いたのは、工具でバイクを殴りつけた音。

 それに続いて、キリリリリリ……と、奥歯を震わせるかのような異音が路地に響く。

 金庫のダイヤル錠を高速で回しているかのようなその音を奏でているのは、凄まじい速さで動く双手の、その十指にて巧みに操られる無数の工具たち。


「お……お……おま……なにやって……!?」


 革ジャンが驚愕に呻く間に、彼のバイクはどんどん解体されていく。

 普通では考えられない工程を、尋常ではない速度で展開していくその解体作業。物体の構造を見抜くという黎斗の異能力が為せる業なのか?

 けれど──。


「ハッ! おしまい!」


 笑声も高らかに振り返る解体魔。

 その少女のように可憐な容姿をした小生意気な少年の背後には、もはやスクラップの山があるだけ。タイヤや燃料タンクなどの単一部品の他は、粉々のバラバラにされてしまった。

 勝ち誇る解体魔と、驚愕と絶望にくずおれる革ジャン少年。


(……でも、やっぱりエンジンは手つかず……)


 何とも中途半端な〝魔眼〟だと苦笑いつつ、夏輝は茶番に背を向ける。


「あ! おい、待てよ!」


 慌てて追いかけてくる解体魔──有栖川黎斗。


「何だよ……他の二台も解体してやろうと思ってたのに」

「なら、そうすればいいでしょう。なぜわたしについてくるんです?」


 夏輝が睨み下ろせば、黎斗は「うぅ……」と怯みつつ、露骨な虚勢の笑みを浮かべて話題をそらした。


「し、しっかしスゲーな。おたくの〝知覚逆算〟って、敵の動きも読み取れるんだな」

「……そんなことできるわけないでしょう」

「え? でも……」

「あんなのは、単なる洞察と観察の結果。スポーツ選手が相手の呼吸や姿勢から挙動を予測するのと変わりません。技術と知識を駆使しただけ。あなたの〝解体〟だって、なのでしょう?」


 指摘すれば、しかめっ面で口ごもる黎斗。

 さっき、その解体作業を直接に読み取って夏輝は理解した。

 物体の構造が視える魔眼。

 その正体は何ということはない。ただ、設計知識や分解技術、そして特殊な工具類を駆使した結果の〝手品〟に過ぎない。

 帽子や掌から、万国旗や鳩を出す手法と同じだ。

 そこにそんなものが隠してあるとは思えない。

 あんな帽子に鳩が何羽も入るわけがない。

 そういった先入観を利用した錯覚。実は、そのものズバリに訓練した鳩を帽子に押し込んでいるだけのシンプルな仕組みなのに、不思議に見えてしまう。


 見た目と、印象と、予想と、そこに生まれる矛盾や齟齬そごを利用する、だましの基本。


 黎斗の工具は、小さいが電動式の緻密な仕組みが多く施されているようだ。例えばドライバーを軽くひねっているだけに見えても、軸が電動式となったその実際の回転数はぜんぜん違う。

 それらの錯覚がもたらす高速解体。その証拠に、エンジンなど純粋に解体が困難な部分は完全に無視している。

 解体の手順や方法は、魔眼で読み取っているのではなく、もとより蓄えた知識と経験からその場で考察しているのだろう。

 無数の工具を同時に駆使する技と速度は確かに凄まじいが、あくまでスゴい技術であって、超常の異能力などではない。


 解体魔とは、魔眼の異能者を装った、ただの技術者だ。


「異能者とか魔法使いとか、そういうのにかぶれるのは自由です。でも、現に人が死んでいる事件に、興味本位で首を突っ込むのは遊びじゃ済みません」


 それは、ある意味で夏輝自身にも向けた警告。

 グッと、黎斗が息を呑んで立ち止まったのは、怒りか、それとも羞恥からか。


「朝凪夏輝!」


 声を張り上げて、夏輝の名を呼んだ。


「オレは、魔法使いを絶対に捜し出す!」


 ムキになったように、あるいは癇癪かんしゃくを起こした子供のように宣言する黎斗。

 その幼稚な反応に、夏輝は本気でイラ立って振り返る。が、夏輝の叱責に先んじて、黎斗はさらに声を張り上げた。


「遊びじゃねえ!」


 こちらを睨む黎斗の青い双眸。それは込み上げる感情に震えて潤む。


「遊びなんかじゃねえ、オレは、魔法使いを見つけ出さなきゃいけないんだ!」


 叫ぶ姿が、まるで助けを求めているように見えたのは、少女のごとき黎斗の容姿ゆえではなく、現にその華奢きゃしゃな身体が小刻みに震えていたから。

 彼が震える手で差し出したのは、バースデイカードのごとき一枚の紙切れ。


〝──2016年7月8日の殺人を、〝魔法使い〟は赦さない──〟


 無機質な印刷文字で刻まれたその文面は、件の告発状と同種のもの。

 すなわち、解体魔こと有栖川黎斗は、自分が告発状を受け取ったからこそ、魔法使いを捜しているということだ。


 自分の身を守るために。


(……そう、それは確かに、遊びじゃないですね……)


 皮肉げな冷笑を浮かべた夏輝。

 瞬間、その切れ長の双眸が見開かれた。


「アリスちゃんッ!」


 張り上げられた声。黎斗もまた背後に異質な気配を感じて振り返る。

 そこには、皮ジャンにトンガリ髪の少年が、今まさに両腕を振りかぶって迫っていた。


 振り上げた手に握られているのは分解されたバイクのハンドル部分。

 大きく湾曲したそれが、薪を叩き割る鉈よろしく黎斗の頭に振り下ろされた。


 頭上に弾けたまばゆい火花。


 瞬間、夏輝が垣間見たのは、路脇の電柱の影にたたずむレインコート姿の幻影。


 直後、周囲の景色は真っ赤な閃光にぬり潰された。


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