魔法使いの葛藤(3)
近場の喫茶店に場所を移した3人。
あまり繁盛していないのか、昼時だというのに店内はガラガラに空いていた。
テーブル席に着き、左近はブレンドコーヒーを注文しつつ「ここはおごるから。好きなの頼んでよ」と勧めてくる。
「お、じゃあオレはオムライスセット」
嬉しそうに注文する黎斗に、哀れみの視線を向ける夏輝。
「何だよ」
「別に、実に可愛らしい注文だと思っただけです」
「ああ? オムライスなめんな。美味いんだぞ」
「いや、わたしだってオムライスくらい食べたことありますから」
夏輝は軽くあしらいつつアイスラテを注文する。
ウェイトレスが去るまで、しばし沈黙する一同。
「んじゃ、改めて、左近
名刺を差し出してきた左近に、返すもののない夏輝は軽い会釈だけをして受け取る。
対する左近はやけにニヤニヤと、それは可笑しくて笑っているのではなく、照れを隠そうとしているようだ。
「いや、ゴメン。あの朝凪夏輝が相手だと思うと、つい……ね」
「そんな大した人物ではないつもりですが?」
「いやいや、俺らの間じゃちょっとしたアイドルみたいなもんさ」
「はあ……」
夏輝としてはピンとこない。
少なくとも警察機構内には、彼女を好意的に見ている者はいないと思っていた。知名度についても、基本的に九条家が情報を規制していたし、知る人ぞ知るに留まっていたはずである。
いずれにせよ、夏輝としては探偵少女の話題はぶり返したくない。
ウェイトレスが注文の飲み物を運んできて会話が途絶えたのを機に、話題を変える。
「えーと……左近さんは、アリスちゃんとは知り合いなのですか?」
名刺を視界の端で確認しつつ訊ねる夏輝。
黎斗が「その呼び名やめろっての」と横から睨んでくる中、対面の左近は軽く首をかしげて応じる。
「知り合い……というか、ほら、解体魔の活躍はね。鑑識とは馴染みというか、しょっちゅう補導されてくるし。最初はスゴい解体技術だなって思ってて、本人を見たらこの外見だろ? 何て可愛い女の子だろうとお近づきになろうとしたら、男でガッカリってね。ま、その後、何回か話してる内にいつの間にか仲良くなってた」
「仲良くねえよ。そっちが馴れ馴れしく絡んでくるだけだろ」
「つれないな。工具の整備とかもしてるんだから、少しは懐いてくれてもいいだろうに」
「頼んでねえし」
「はは、まあいいさ。それより……」
左近は笑顔をひそめ、改めて夏輝を見つめ返した。
「魔法使いの告発状について……だったよね」
静かな切り出しに、夏輝も意識を引き締める。
「一ヶ月前くらいからかな、メールとか手紙とかでさ……〝○年○月○日の殺人を、魔法使いは赦さない〟ってな感じで警告されるんだ。それは未来の罪を告発するもので、悔い改めない者は、予告日の前日……つまり罪を犯す事前に、死をもって制裁される。現にそうして死んでしまったヤツがいる────ってな具合のウワサ話が、世間で流れているんだ」
「ウワサ話?」
「そ、都市伝説というか、怪談というか、もとはSNSとかで呟かれた系だったんだけど、結構盛り上がっててね。というのも、実際に該当する死亡事案がいくつかあるからなんだよ」
左近はノートPCを取り出し、該当資料を表示して夏輝に見せる。
交通事故、ガス火災、豪雨による土砂崩れ……etc。
これらの犠牲者の中に、件の〝未来の罪の告発状〟を受け取っていた者がいたのだという。いちおうはその告発状の画像データもあった。
共通しているのは、いずれも事故や天災であり、殺意を持った誰かが何かをしたという事案ではない点。
未来の罪を告発した何者かが、その未来予知の超能力──この場合は魔法なのか? ともかく、未来の災害に巻き込むことで対象を誅殺しているのだと、そんな荒唐無稽な意見がまことしやかに囁かれているようだ。
一番古い事案は女性の投身自殺となっているが──。
「これ、信じているのですか?」
夏輝が不審を込めて問えば、左近は「はは、まさか……」と頭を振る。
「告発状もほとんどが後づけの
笑いながら告げる左近だが、わざわざ〝ほとんどが〟と言い回している以上、そうではない例があるということなのだろう。
「お察しだとは思うけど、その内のいくつか……一番古い飛び降り自殺の件をふくめて四件だね。現場に第三者が居合わせていたことが確認されている」
微かに笑みをひそめて、左近はそう続けた。
「その第三者が何をしていたのか、割り出せるほどの痕跡は残されていない。ただ、被害者ではない何者かが居合わせていたことだけは確かだ。どの現場も、まるで被害者の死を見届けるかのように、そばに誰かがいたんだ。ただ、それ以上のことがわからないし、事案そのものが事故や災害の形で理路整然と完結しているから、公的には無視されていたんだけど。問題は最近起きた五件目、この鉄骨落下事故は知ってるだろ?」
示されるまでもない。夏輝が菜那静に引き立てられて立ち会ったあの現場だ。
確かに、あの現場では夏輝の逆算でも、第三者の存在が読み取れた。
「あれは殺人事件でしょう?」
「朝凪さんも、そう思うかい? 俺もだ。そして、今は警察の一部……椰子木刑事あたりもそう疑っているよ。というのもね、被害者の携帯留守電にこんなメッセージが残ってたんだ」
再生されたのは、不自然に濁った、いかにも変声装置で加工した音声。
『……2016年7月3日ノ殺人ヲ、〝魔法使い〟ハ赦サナイ……』
夏輝は小さく呻きをこぼす。
対する左近もまた、浅い溜め息を吐いた。
黎斗が露骨に口の端を下げる。
「……あれもそうだったのかよ」
「そういえば、オマエも現場にいたっけな。すぐにいなくなったみたいだけど」
「……一身上の都合だ」
「何だそれ? オッカナイ御婦人から逃げ出しただけだろ?」
「ハッ、いいから続けろよ」
黎斗のフテ腐れた態度に、それもいつものことと左近は苦笑う。
「……じゃ、続けるけど。現場を調べてわかったんだが、居合わせた第三者……つまり容疑者だけど。コイツはね、何と鉄骨が降り注ぐ真っ直中を逃れている。まるで、どこをどう移動すれば潰されずに済むのかを予め知っていたかのように、慌てず正確な足運びで、悠然と現場から歩いて立ち去っているのさ」
左近の説明に、夏輝は努めて無表情のまま。
黎斗はその可憐な顔を不敵な笑みに歪めて夏輝を見る。
「な? 面白いだろう? だから俺は、この犯人……魔法使いを捜してるんだ」
どこか得意げな、冒険に胸を躍らせる少年そのものの反応に、夏輝は意識して深く溜め息を吐いて、黎斗を睨んだ。
「だったら、わたしにつきまとうのはお門違いです。この犯人は、〝魔法使い〟なんかじゃありません。少なくとも、わたしが知っているあの人とは違う」
「……あの人? おたく、〝魔法使い〟に心当たりがあるのか?」
食いついてきた黎斗に、夏輝は鋭い眼光をぶつけて制した。
「だから、この告発状の魔法使いとは関係ないと言っているでしょう」
そう、関係があるわけがない。
夏輝は黙したまま、静かに目を閉じ、声に出さずに繰り返す。
あの〝魔法使い〟が、こんなバカげた悪事を犯すわけがない。
……だが、だからこそ夏輝の中に否応なくわき上がるのは、犯人への憤慨。
どこの誰が、〝魔法使い〟の名を騙ってこんなバカげた真似をしているのか!?
憤りは強く、それはもとより胸裡に渦巻いていた悔恨とせめぎ合う。
浅く静かな深呼吸。
夏輝は表面上は努めて涼やかに、込み上げた感情をねじ伏せる。
「ありがとう。面白い話でした。……それでは、ごちそうさま」
そう笑顔で結んで立ち上がった。
結局、飲み物には口をつけぬまま、礼を言って立ち去る夏輝。
左近は「どういたしまして」と微笑を返すが、黎斗の方が不満げに呼び止める。
「おい待てよ! 未来予知で人を殺す魔法使いだぜ? 放っといていいのか? おたくは、正義の探偵少女なんだろ!」
食い下がる黎斗。
その穏やかならぬ剣幕に、夏輝は、店内の他の者たちが何事かと注目してくるのを知覚した。
奇異を見る視線──。
いぶかしむ所作──。
鑑識の青年は困ったものだと肩をすくめて──。
そして、解体魔の少年は疑念とイラ立ちに瞳を見開いているのだろう。振り向かずとも読み取れる、否、イヤでも流れ込んでくる。
この場の痕跡が告げる、この場の姿──そんな情報の全てが、今の夏輝には、わずらわしい雑音でしかない。
「……二度と、その名でわたしを呼ぶなよ、解体魔」
ことさら冷ややかにそれだけを告げて、夏輝は喫茶店から逃げ出した。
※
夏輝が出ていった後も、黎斗はなお出入り口を睨み続けたまま。
気ダルげで、覇気がなく、終始ゆるゆると腑抜けた態度ばかりだった朝凪夏輝。
「結局、イジケたヒキコモリのままかよ……!」
煮え切らぬ様子で吐き捨てる黎斗。
座した左近はニヒルに口の端を釣り上げた。太めの体型に、決して端正ではない顔立ちながら、キザな仕種が妙にハマるのは、そこにわざとらしさや拙さがないからか。
彼はまるで壇上にて吟ずる俳優のように、優雅に語り出す。
「容姿端麗、頭脳明晰、類稀なる推理力で華麗に事件の謎を解き明かすクールな探偵少女、朝凪夏輝。……まあ、そう呼ばれていた頃とは、確かに違うな。今の彼女は事件に関わることを、ひいては人の生き死にに関わることを恐れている。いや、
「わかんねえ。カッコつけてねえで要約しろ」
「つまり、朝凪さんは探偵少女をやめたってことだ」
「んなことはわかってる。けど、何でだ?」
「訊かなきゃわからないことかよ。誰かが死ぬのが怖くなったってことは、それを目のあたりにしたってこと……身近な誰かを死なせちまったってことじゃないのか?」
左近があきれを込めて応じれば、黎斗はグッと口ごもって視線を伏せる。
「さあ、わかったろ解体魔君、
やや強くいさめれば、だが、黎斗はキッと一瞥を残して背を向ける。
「うるせぇ、オレに指図すんな」
イラ立ちもあらわに吐き捨てて、黎斗は店外へと飛び出していった。
「……って、オムライスセットどうすんだよ」
左近はやれやれと苦笑いながら、
果たして黎斗はひとりで突っ走る気なのか、夏輝の後を追ったのか。
少なくとも大人しく天鈴学院に帰るタマでないのは確かだな──と、思案げに首をかしげる。
「まあ、朝凪さんを追っていたんだろうな……」
まったくデリカシーのない子供だと、あきれ半分、微笑ましさ半分。
「何にせよ、無理強いはいけない。名探偵には、名探偵としての
左近はしみじみと独りごちながら、ぬるくなったコーヒーを不味そうにすすったのだった。
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