魔法使いの葛藤(2)


              ※


 七月四日の正午すぎ。

 朝凪夏輝が九条くじょう菜那静ななしずに連れ出されてから、二日が過ぎていた。


 あれ以来、学院からの接触もなく、また以前と同じくヒキコモリの生活を送っていた夏輝。


 否、同じではないのだろう。

 二日前までは、ただ、暗い部屋で押し黙ってうずくまっていただけだったが、昨日は買い出しのために少しだけ外出し、そのおりに本を立ち読みしてみたり、街頭テレビを流し見たりしてみた。


 それを改善と呼ぶなら、いくらか改善されてはいるのだろう。

 少なくとも、イジケて膝を抱えているだけではうつになるだけだと思い直している。だが、非生産的なのは相変わらずな怠惰たいだの日々。


 そんな中、ひとつ、気になっていることがあった。


 あの事件。

 二日前に夏輝たちが遭遇した鉄骨落下の件。

 ニュースなどでは、男性が事故死と報道されただけで、続報が全くない。報道規制がされているのか? それとも、単に夏輝が見逃しているのか? 純粋に捜査が進展していないだけなのか?

 仮にも死亡事件だ。地元の報道がスルーというのは考えにくい。

 気になっているが、しかし、気にしないように努めなければと、改めて自身に言い聞かせていた昼下がり。


 再び、電話の着信音が鳴り響いた。


 違うとわかっていても、思わず期待と不安にビクつく自分に、夏輝は自嘲の笑みを浮かべつつ、さて、実際にかけてきそうなのは誰かと考える。


(また九条先生か……?)


 例によって留守電任せにして放置すれば、発信音の後に聞こえてきたのは、予想に反して低く凄味のある男の声。


『もしもし、椰子木やしきだ。あー……この前の鉄骨に潰されたチンピラの件でな、ちょいと聴取したいことがあるんだが……。悪ぃが今から署まで出向いてくれねえか。交通費ぐらいは出すからよ。んじゃ、頼むぜ』


 どうせ居留守なんだろ? ──と、言わんばかりのメッセージに、夏輝は苦笑いながらも、疲れた溜め息をこぼす。


(……さすがに、警察からの呼び出しを無視はできませんか……)


 相手があの鬼刑事だし、菜那静が手を回したわけではないだろう。一市民として協力すべき範囲のはずである。

 それに、あの刑事には色々と借りもある。


 ──などと、甘い目測でノコノコと出頭した夏輝は、警察署につくなり激しい後悔に項垂れることとなった。


 署内の取調室のひとつ、簡素な机を挟んで睨み合う刑事と被疑者。

 それ自体は刑事ドラマでよく見るような構図だが、問題は被疑者の方。長いブロンドを背に流した、その可憐なの姿。


 解体魔の……ありす……何だったか? どうも夏輝は人の名前を覚えるのが苦手である。もっとも、端から覚える気もないのだけど。


「いったい、何をしたんですかアリスちゃん……」

有栖川ありすがわだ。オレはただ、調べものをしてただけだぜ」


 黎斗れいとの尊大な態度に、対面の椰子木が咆える。


「調べものぉ? ……あのなぁ、そのために警察の資料室に忍び込むなんざ正気かクソガキ。電子ロックを基盤ごと解体しやがって、署の侵入警報なんざ鳴るのは初だぞ」


 もう、そのやりとりだけで顛末てんまつは充分である。

 夏輝が睨めば、黎斗は「な、何だよ」と、明らかに弱腰なのはさすがにバツが悪いのか、それとも、以前に蹴り倒した影響か。

 夏輝は気を取り直すように咳払いを一度。


「えーと……やしき……さん?」

「ああ、椰子木であってる。もっと自信もって呼べな。で、まあ、察しの通り、事情聴取ってのは方便だ」


 尊大な謝罪を返す椰子木刑事だが、こちらの表情は普通にバツが悪そうだ。


「この小僧の身元引受人になってほしい。けど、普通に頼んでも、お前さんは聞かねえだろ」

「身元も何も、彼はあの胡散臭い学校の生徒でしょう?」


 つまり九条に頼むことだろうと冷ややかに返せば、椰子木もまたイラ立たしげに。


「ああ、それがな。九条の婆さんが〝彼については朝凪夏輝が引き受ける〟の一点張りで、ニベもなくてな……」

「……この子の監督義務も責任も、わたしにはないと思いますよ」


 ぼやく夏輝に、椰子木もまた苦虫を噛み潰した面持ちで鼻を鳴らす。


 まあ、九条菜那静の思惑は察しがつかないでもない。

〝魔法使い〟を捜しているらしき解体魔を押しつける。

 どうやら九条の御婦人は、どうあっても夏輝を復帰させたい腹らしい。

 しばらく接触がないと思ったら、そういう方向で攻めてきたか──。

 内心ゲンナリと呻く夏輝。

 その思いは察してあまりあるとばかりに椰子木も溜め息を深く──。


「まあ、このガキも九条の絡みだ。今回は説教だけってことになったんだが、このまま放っぽり出して野放しにすんのもアレだろ」

「留置所にでも放り込んでしまえば良いでしょう」


 夏輝の冷たいひと言に、椰子木もまた頬を掻きつつ呻く。


「ま、それでもいいんだが……このガキも、妙な能力持ってんだろ? これ以上設備を解体されたらたまんねえ」

「平気です。仕込んでる工具さえ取り上げてしまえば、何も解体できないでしょう」


 斜に見下ろして告げれば、黎斗は露骨に憤りつつも口ごもったまま。

 やっぱりか──と、得心して冷笑する夏輝。

 そんなふたりのやり取りに、椰子木はバンッと机を叩いて立ち上がる。


「ま、何でもいいが、公僕もヒマじゃねえんだよ。ガキのお守りは任せたぜ、ポニ子」

「その雑な呼び名は、わたしがポニーテールだからですか?」


 夏輝の睨みを、椰子木はゴツイ背中で弾きつつ、そのまま退室してしまった。


「ハッ、ポニ子だってよ。ダッセ」

「……うるさいです」


 ケラケラと笑う黎斗の足下を蹴りで払い、廊下へと出た夏輝。

 しかし、椰子木の姿はもう見当たらない。


「……ッてぇ……ホントに足クセ悪い女だな」


 黎斗は夏輝の脚を恨めしげに睨む。

 キュロットスカートからしなやかなに伸びる、黒ストッキングの脚線美。見た目や仕種がクールに大人びている彼女だから、確かによく似合っているのだが──。


「……おたく、蹴りやすいからそんな格好なんじゃねえだろうな」

「そうですよ」


 肯定する夏輝の様子は、むしろ何を当たり前のことを訊くのかと言いたげな真顔である。

 黎斗は「そうですか……」と、ガックリ項垂れる。


 構わず椰子木を追おうとした夏輝だが、ふと、横合いから呼びかけられた。


「あれ? 朝凪さんじゃないか」


 向き直れば、そこにいたのはズングリとした体型を鑑識員の制服に詰め込んだ青年。

 確か、あの鉄骨落下現場で声をかけてきた人物。


「えーと、さ……さく……」

「げ、左近さこんか……!」


 夏輝が名前を思い出す前に、傍らの黎斗が苦い顔で呼んだ。


「黎斗も一緒か、……いや、黎斗の方はまた何かやらかしたんだな。ああ、朝の侵入者ってオマエのことか」


 親しげに語りかける左近だが、黎斗の方は「さあな」と素っ気ない。

 何にせよ、知り合いならば、このまま黎斗を押しつけて帰ってしまおうとした夏輝だったのだが、続いて黎斗が吐いた台詞に踏み留まった。


「そうだ左近、鑑識なら知ってるだろ。あの使……」


 黎斗のらしくなく声をひそめたそれに、左近もまた周囲をうかがいつつ首肯する。


「ははん、オマエの目的はそれか……」


 訳知り顔の左近。夏輝は返しかけていたきびすをもとに戻して反芻はんすうした。


「魔法使いの、告発状……?」

「何だ。おたく、知らないのか?」


 本気で驚いた様子の黎斗。

 そんなに有名な話なのか? と、問い返せば、左近が苦笑いながら肩をすくめる。


「有名というほどではないけど……。興味があるなら、教えようか?」


 申し出に、夏輝の意識にわき上がったのは〝余計なことに関わるな〟という理性の声。

 けれど、同時に胸裡きょうりを占めるのは、強い疑念と、激しい憤慨。


 よりにもよって〝魔法使い〟の名をかたる告発状。


 それは夏輝にとって赦しがたいものだ。

 まして本物だとしたら……いや、本物であるわけがないのだから、いずれそれは騙りには違いないだろう。

 逡巡は、実際にはそれほど長くもなかった。


「是非に」


 いつにも増して冷ややかな夏輝の様子に、応じる左近は不敵に笑ってうなずいた。

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