4章 魔法使いの葛藤

魔法使いの葛藤(1)


 現場に到着した有栖川ありすがわ黎斗れいとは、正直、途方に暮れていた。


 天鈴てんれい学院にほど近い山間である。

 今から一カ月前、ここでは豪雨が原因で土砂崩れが起きたのだ。


 見渡した現場の惨状。

 実際の土砂に覆われた範囲は、事前に思っていたよりも小さかったものの、問題の家屋は完全に埋没しているのか、残骸すら見当たらない。

 そもそも一カ月前だ。屋外の現場が事件当時の状態を保っているはずもなかったか。


「……つーか、よく考えたら、警察の現場検証があったんだよな」


 残骸は埋没しているのではなく、掘り起こされて運び出されたのかも知れない。となれば、黎斗に調べられることは相当限られる。というより、ほぼないのかもしれない。


「崖の上には……回り道するしかねえか」


 崩れた山肌。さらなる崩落を防ぐためにワイヤー網で覆われたそれを見上げる。


 ここに建っていた廃屋は、報道媒体によって山小屋とか倉庫とか様々に呼ばれていたが、少なくとも古い木造の小屋であったのは確かのようだ。

 この程度の土砂崩れで全壊するなら、ちょっとしたプレハブ小屋程度のサイズだったのか?

 山肌の抉れ具合などから、崩壊し滑落した土砂の量を目算してみる。

 崩れた高さは二十メートルと少しぐらい、幅はその半分程度……なら、たとえば軽トラックの荷台なら何台分だろう。……ちょっと基準がアバウト過ぎて想定しきれない。

 重量で換算してみれば──。


「確か、直径一メートルの岩石の重さが……三トンいかねんだよな」


 考えて、そもそも三トンという重さがピンとこない。軽トラック一台の積載量が三百五十キロ程度。ざっとその九台分か。それを土砂に想定してみると……?


「……ダメだ、わかんねえ」


 あるいは、ちゃんと計測して計算すれば、重量やその圧力は数値化できるのかもしれないが、結局、それが実際にどのようなものかは実感できはしないだろう。

 まして、どのように崩れ、どのように滑落し、どのように押し潰していったかなど読み取りようもない。


 崩れた山肌の上部にたどりついた黎斗は、その崖っぷちに立って見下ろしてみる。


 下から見た時は思ったより規模が小さいと感じたのに、上から見るとその印象は一変。むしろ、小屋ひとつしか潰されなかったのが奇跡に感じられるぐらい規模が大きく思える。

 位置や視野の変化による印象の差異。さて、上と下、どちらで見た時の印象が実際の規模に近いものなのだろうか?

 調べればわかるかもしれないが、それがわかったところで、根本的に何が変わるわけでもないだろう。


 結局、黎斗にわかるのは〝土砂崩れが起きた〟というそれだけだ。


「やっぱり、どの現場を回ったって、オレじゃあロクな手がかりがつかめないか」


 朝凪あさなぎ夏輝なつきならば、どうなんだろう?

 彼女の〝知覚逆算〟ならば、この場に残る痕跡情報から、土砂が崩れて行くその時の情景すら再構築して認識できるのか?。

 さらには潰された小屋のことも、その中にいた者のことも、そして、そこから立ち去った者の痕跡すらも読み取れるかもしれない。


 黎斗は焦燥しょうそうに歯噛みしながら、思う。

 やはり、あの女の協力が必要だ。

 手段を選んでもいられない。もとより、余裕も猶予ゆうよもありはしない。


 決意も新たに、黎斗は内ポケットの手紙を握り締めた。

 その時──。


「あぁーーーッ! 見つけましたよ解体魔ッ!!」


 突然、木々間にこだました黄色い叫び。

 何ごとかと振り向けば、茂る木々の向こうにひとりの少女がいた。

 遠間からこちらを指差し睨みつけているその顔に見覚えはないが、身に着けている黒服には大いに覚えがある。


(学院の追っ手!?)


 身構える黎斗。

 同じく身構えた少女は地を蹴った──と、思った時にはもう眼前に迫っている!

 何という俊足!?

 いや、確かに迅速な動きではあったのだが、それだけではない。そもそもの間合いが、思ったよりも離れていなかったのだ。


 微妙に遠近感を狂わされたのは、どうやら少女の背丈が想定以上に小柄だったから。

 黎斗と同じくらい、あるいはそれ以下の体躯で懐に飛び込んできた少女は、その勢いのままに黎斗の襟と袖をつかみ担いで、思いっきり背負い投げた。


「うぉぉぉぁあッ痛ッ……ぅ!」


 悲鳴も慌ただしく地面に叩きつけられた黎斗。

 激痛に息を詰まらせながらも、そのまま組み伏されてたまるかと、握り締めたドライバーを突き出した。


「ひゃッ、あぶな!」


 素早く飛び退いた少女、黎斗は起き上がりざま、さらに無数の工具を取り出して立て続けに投擲とうてきする。


「ッ! こんのぉッ!」


 少女は気合いのかけ声も勇ましく、飛来する工具を両の拳で次々に打ち落とした。


 小型の携帯工具だが、黎斗は六メートル先の空き缶に突き立てる技量を持っており、武器としての威力充分。

 それを素手で楽々と弾かれたことに、そして、それがまだあどけないとすら呼べる少女であることに、黎斗は驚いた。


「何だおたく? 子供が黒服!?」

「子供じゃないです! これでもそっちより年上なんですから!」


 少女はその円らな瞳を怒りに見開いて、敵意も鋭く言い放つ。

 空色のリボンで結ばれたツインテールの髪が、まるで激情にあわ立つように揺れた。


「ハッ、そりゃ悪かった……」


 おざなりな謝罪は、間合いと退路を計りながら。

 改めて見ても、少女の体格は黎斗と同じくらい、あるいはそれ以上に華奢きゃしゃである。身に着けた黒服もダブついているほど。


 しかし、だからと言って侮れる相手ではないのはすでに明らかだ。


 黎斗の背後は崖、前方に身構える少女をどうにかしない限り、逃げられない。

 新たに取り出した三本の工具を手に、ジリジリと間合いを計りながら。


「……おい、ひとつ訊いていいか?」

「何ですか!」

「おたく、何で肉くわえてんの?」


 黎斗の指摘に、少女は口許に煙草のごとくくわえていたスティック型のビーフジャーキーをピョコリと揺らして答える。


「一身上の都合!」


(何じゃそりゃ……)


 盛大な溜め息とともに、黎斗は右手の工具を大きく振りかぶる。

 さっき、少女は黎斗の投げた工具に対し、避けるでもなく、道具を使うでなく、素手で叩き落とした。見た目に反してパワーに自信ありのタイプなのだろう。


 上等だ。


「こいつを叩き落とせるもんなら、落としてみやがれ!」


 これ見よがしな気合いを込めた三連射は、少女の顔面を狙う軌道。


「オトメの顔を狙うとはッ、悔い改めなさいド外道!」


 怒りの叫びとともに動いた双拳に、工具はあっさりと叩き落とされた。

 が、もとよりそうさせるための投擲だった。


 顔の前に飛来する工具を手で払う──つまりはその瞬間、少女の視界は自らの手で遮られることになる。

 その一瞬に合わせて、黎斗は地を蹴った。

 前方に、ではない。その逆、後ろの崖に向かってだ。


「ちょ、ウソ……!?」


 驚愕に総毛立った少女。

 素早く駆け出したものの、一瞬遅れのスタートは致命的だった。

 少女が崖ぎわに駆け寄って見下ろしてみれば、しかし、転落していく解体魔の姿は見当たらなかった。


「え、何で……!?」


 いくら一瞬遅れたとはいえ──と、その疑念は、二メートルほど左方の山肌から這い上がった黎斗の笑声に掻き消される。


 土砂を支えるために山肌に張られたワイヤー網。

 黎斗はそれに捕まり、伝うことで移動したのだ。


 少女はすぐさまに身をひるがえしたものの、二重にスキを衝かれた初動の遅れは、すでに駆け出した黎斗との間に大きな距離を開けてしまった。


「ハッ、じゃあなロリっ子!」


 勝ち誇る声も高らかに逃げ出す黎斗。


 ──あるいは、その捨て台詞がなければ、そのまま逃げおおせていたのかもしれない。


「ぅーーッ、誰がロリですかあぁーーーーァッ!!」


 咆吼ほうこうは、直後にとどろいた爆音と重なって黎斗の下腹を揺るがせる。

 鼓膜よりも肝に響いたそれに、黎斗はまるで地震でも起きたかのような錯覚を覚えてバランスを崩した。

 もつれた体勢を整えきれず、前のめりに転倒する。


「何だよ今の……ッ」


 地面を見れば、そこには確かに亀裂が走っている。地面が揺れたのは錯覚ではなかった。

 だが、その原因は地震ではない。

 地面に走った網の目のごときその地割れの発生源は、黎斗の後方、地面に拳を打ちつけた姿勢でうずくまる黒服の少女。


 まさか殴りつけることで大地を揺らしたというのか!?

 そんな馬鹿げた疑念に思わず苦笑う黎斗。

 だが、少女を中心とした周囲にクモの巣のごとく走る亀裂と、小さくも陥没かんぼつした地面は明らかに──!?


 キッと顔を上げた少女。その顔は頭から水を浴びたかのごとく汗だくになっている。


「おたくも……〝異能者〟か?」


 黎斗の問いに、少女は無言のまま。

 吐き出した深く長い吐息は、まるで真冬の大気に吐き出したそれのように、真っ白に煙って霧散する。流れ出た汗もまた白煙を上げながら瞬く間に蒸発して急速に乾いていく。

 あたかも少女の体温が急激に高まったかのように、陽炎を揺るがせながら少女は身を起こした。


 ダブついていた黒服が、今はそうでもない風に見える。衣服が縮んだわけもない。なら、少女の体格が大きくなったのだ。


「絶対に、逃がさない! ……解体魔ッ!」


 くわえたビーフジャーキーを餓狼のごとく食い千切り、少女は咆える。

 うろたえる黎斗を目がけ、怒濤どとうの剣幕で大地を踏み締めた少女。


 力こぶる躍動は、しかし、吶喊とっかんとなることなく空回った。


 地面が、少女の脚力を支えきれずに崩壊したのだ。


「うあ、あ、あぁ……!」


 もとより弱まっていたところに叩き込まれた異能の重圧に、少女の足下は急速に地面の体裁を失って、そのまま崖下に崩落しはじめる。


「こ、これで勝ったと思うなよぉ……ッ!」


 少女が沈みながら張り上げたのは、恐怖に駆られた悲鳴ではなく、無念と悔しさを込めた確かな威嚇いかく

 この局面で見上げたものだが、感心している場合ではない。こんな高さから落ちたらただでさえ危険、まして崩れた土砂と一緒に落ちては、無事に済むはずがない。


「ッ、クソ!」


 黎斗は激しく焦りながらも、ともかく救けに向かってみる。

 大きな崩落はすぐに収まったが、地面は全然安定していない。今にも再崩落しそうな中、黎斗は木々の根づきが確かなところを足場にして進み、どうにか崖下を望める位置にたどり着いた。


「おい! 大丈夫か!」


 声を張り上げて呼びかける。

 が、眼下には積もった土砂の山だけで、少女の姿は見当たらない。

 やはり、土砂に呑み込まれて埋まってしまったのか!?


 すると、土砂の一部がモコリと盛り上がった。

 直後、墓からよみがえるゾンビのごとく起き上がったのは、あの黒服の少女。


「…………マジかよ」


 非常識すぎる。

 思わずこぼれた呻きは、驚愕より、むしろあきれから込み上げたものだった。


 泥まみれの顔で崖上を見上げた少女。

 未だ細かい土砂を降らせる山肌に、よじ登るのは不可能と判断したのだろう、悔しげに後じさる。足場の悪さなど意にも介さぬ確かな足取りは、驚くことに大した怪我もなく健在のようだ。


「…………良く、わかんねえけど。平気そうだな……」


 黎斗は頬を引きつらせながらも、逃走再開。


 少女もまた追跡しようと、崖上に回り込む道へと駆け出したが、さすがにもう黎斗の姿を補足することは叶わず、、しばし、逡巡と焦燥に右往左往していたが──。


「うぅぅ……。このぉ、覚えてなさいよぉ……次は! 絶対逃がしませんからァッ!!」


 やり場のない怒りをたぎらせながら、握り締めた拳を振り上げて高らかに叫んだ。

 いったいどういう声帯をしているのか、悔しさに上げた少女の大声は、彼方に走る黎斗の鼓膜と下腹をなお震わせて響き渡った。


(……うわぁ、勘弁してくれよ……)


 あんなのに追い回されたら命がいくつあっても足りやしない。

 天鈴学院の連中も、追っ手を差し向けるならもっと人選をしっかりしてほしい。黎斗から見ればあの少女の方がよほど危険人物に思える。


 新しい隠れ家も見つかっていないし、このままでは本気で身がもたない。


 だが、だからといって捕まるわけにはいかない。

 黎斗はまだ、果たさなければならない目的を果たしていない。それどころか、ロクな手がかりもつかめていない。


 事件は黎斗の知る限りで四件。

 さっきの土砂崩れの現場は、その内の二件目。とはいえ、それは判明している範囲での勘定であり、明らかになっていないケースもあると考えれば、果たして何件の事件が起きているのかわからない。


 走る速度をゆるめ、近場の木陰に寄りかかる。

 疾走で乱れた呼吸を無理矢理にねじ伏せようと、激しく鼓動する己の胸元を殴りつける。


 やはり、手段を選んではいられない。

 一刻も早く〝魔法使い〟を見つけ出す。

 有栖川黎斗は、そのために学院を抜け出してきたのだから。


 改めて決意を固く刻み込むように、そのまま続けて数度、強く胸元を殴りつけたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る