3章 魔法使いの考察

魔法使いの考察(1)


 天鈴てんれい学院。

 それは人里離れた僻地に建つ、全寮制私立学校の名称である。

 小中高エスカレーター式をとったそこは、九条くじょう家が──正確には、九条菜那静ななしずが個人的に作り上げた私設学校。


 山ひとつを丸々開拓して敷地としたその特殊な施設の存在は夏輝なつきも知っていたが、訪れるのは初めてであった。

 実際、世間的には天鈴学院という名も、ましてや、その実態ともなるとほとんど、いや、きっと全く知られていない。

 今時に人里離れた──などという表現がふさわしいだけでも珍しいのに、深い山林の中に並び立つ無機質な白い建物群の姿はいかにも物々しい。


(学校……っていうより、監獄か研究所ですね)


 夏輝の第一印象であるが、そこには先入観からのイメージも多分にある。それに、現にここが特異な者たちを集めた収容施設なのは確かだ。


 特異──と、ひと言に言っても、その定義は様々であるが、ここでいう特異とは、世間一般の観念から見て相容れないという意味だ。

 学院長たる九条菜那静いわく、特異な能力を持つがゆえに世間に馴染めぬもの、世間から弾き出されたもの、果ては、ハッキリと世間に仇を為すもの……そういった者たちの居場所として、この天鈴学院は設立されたのだという。


 あるいは、もしも夏輝が幼い頃から孤独のまま、自身の境遇に翻弄ほんろうされ続けていたら、当の昔に彼女もこの天鈴学院に閉じ込められていたのだろうか?


 今にして思えば、むしろその方が良かったのかもしれないと、そんな卑屈な自嘲すら込み上げてきて、夏輝は自戒するように下唇を噛んだ。


 天鈴学院のエントランス。

 学校の玄関にしては広いホールに、六人がけの応接セットと、窓口がひとつ。清潔で簡潔な情景は、やはり研究施設というイメージの方がしっくりくる。


「実際、ここでは確かに〝異能力〟の研究を行っています。そして、その研究成果に価値を求めていることも否定しないわ」


 肩越しに投げられた、楽しくもなさそうな菜那静の説明。


「でもね、能力チカラを持つ貴方ならわかるでしょうし、今はなお思い知っていることでしょう? 特異であるということは、その是非に関わらず、普通の中に居場所はないのよ。だから、わたくしはこの学院を作った。それもまた本音よ」


 異形は異形の中でしか生きられない。

 それは、確かに常からこの老婦人が唱えている信条である。

 だが──。


「……まったく、なげかわしいですな」


 割り込んできたのは男の声。


「いいですか? 全ての物事には原因があり、課程を経た上で結果に至るのですよ」


 応接セットのソファー、声はその背もたれの陰から響いてくる。


「一見して不可解な現象だからと、原理を考察することすらせずに、超能力とか霊能とか魔法とか宇宙不思議パワーとか決めつけないでいただきたい」


 力説する声音だけは朗々ろうろうと、だが、その当人はといえば、だらしなくソファーに寝転がって欠伸あくびを噛み殺していた。


「あら、どこにいるのかと思ったらそんなところに、ずいぶんと良い御身分ね」

「そうですとも。私がこうしてダンディに待ちぼうけているのに、貴方は真顔で〝異能力〟だの〝能力チカラ〟だのと。可憐かれんな少女なら夢見がちで済むが、社会的地位も高々なアラ還熟女がのたまっては正気を疑いますよ。いくら私が医者でも厨二病は直せないとあれほゴぁッ…!」


 傍目はためにも容赦ない勢いで脇腹を蹴りつけられ、ソファーから転げ落ちる男。

 菜那静は涼しい顔で夏輝の方に向き直り、床でのたうち回る男をあごでしゃくる。


「紹介するわ。ここの校医で、生徒たちの医療面における諸々を任されている加々見かがみ松雪まつゆきよ」


 菜那静の紹介に応じて、男は情けなく脇腹を押さえながらも身を起こした。

 ずいぶんと長身の男だった。

 夏輝も女ながらに百七十センチ超えの長身なのだが、向き合えば松雪の方がさらに頭ひとつ分高い。ガッシリとした肩幅に白衣をまとい、彫りの深い顔立ちは外国の血縁でもあるのだろうか?


 髪は黒いが、確かに瞳の色は少し青みがかっているようにも見える。

 ……などと、つい分析しようとしている自分の思考を、夏輝は慌てて振り払った。


 松雪は「ふむ」と、訳知り顔でうなずく。


「キミが朝凪あさなぎ夏輝君か……少し、聞いていたのと違うね」

「違う?」

「いや、こちらの話だ。それより、有栖川ありすがわ君は一緒では…………ないようだね。ああ、もしかして放置してきたのかな」


 松雪がはすに睨めば、菜那静は悪びれもせずに肯定する。


「連れ戻そうとはしたわ。でも、途中で逃げたのよ。捜索は引き続き貴方に任せるわ松雪。それと、この御嬢さんの案内もね。何しろ、わたしくしは忙しいの」


 菜那静は了承も反論も待たぬまま、優雅にきびすを返して、表に待たせていた車に乗り込むと、あっという間に去って行った。


 置き去りにされた形の夏輝だが、だからどうということもなく、ゆるりと視線を床に落とす。それは、できるだけ周囲の情報から目を背けようとしているかのように。


 松雪はやはり「ふむ」と吐息まじりにうなずく。


「まあいい、ひとまず説明だけはしようか」


 着いてきたまえ──と、夏輝を促し歩き出した。




 リノリウム張りの廊下を歩きながら、松雪は朗々と語る。

 学院と名はついているものの、本来、ここは医療施設なのだという。


「ここにいる生徒たちの多くは、その体質や疾患によって一般の環境では何かとトラブルをまねく事情をもっている。よって、ここに入院してその治療と改善に努めているわけだが、そのために学校に通えないのでは、義務教育の面でも問題だろう。やがて症状が回復したり、あるいは症状を自制できるようになった時、社会に出て自立できるように、また、一般の少年少女たちと同等に進路の選択肢を得るためにも、充分な教養は必要だ」


 そのために、医療施設と併設した学校法人という形を取ることで、九条の名のもとに確かな学歴を保証しているそうだ。


「自慢になるが、当校の修学レベルは国内でも上位だ。九条の後ろ盾もあるからね。単純な学校としての質は、かなり高い。が、進学率や就職率以前に、悲しいかな、卒業率自体が低い。もともと生徒の絶対数が少ないのもあるがね。完治して卒業できる者があまりに少な過ぎるのだよ」


 松雪の説明は淡々と簡潔に、だが、どうにも事務的なそれは、うわべの体裁をつくろったものに聞こえてしまう。


「……つまるところは、異能者に対する研究所なのでしょう」


 ボソリともらした夏輝に、松雪は「ふむ……」とうなずきを浅く、


「現実問題として、隔離や拘束の必要があるほどに危険な症例の生徒もここにはいる。そのような者に対し、現に隔離や拘束を施してもいる。一般では希有な症例を研究し、それによって得られたデータを使って利益を得ているのも事実だ。その点をもってここが研究所だと指摘するのならば、我々には否定する意志はないね。さしづめ私は、臨床実験に明け暮れるマッドサイエンティストかな」


 悪びれもせず笑声を上げながらも、肩ごしにかえりみた松雪の眼光は鋭かった。


「……けれど、ひとつだけ訂正させてもらおう。ここにいる者たちは、あくまでだ」


 強い口調で、断言する。


「生まれつき、神経の疾患により常人とは比べようもない感覚性を備えた者。骨格や筋組織の異常発達によって常識外の運動能力を発揮する者。視覚野の疾患によって、常人とは違う情景を視認する者──。いずれも医学的科学的に考察可能な症例であり、治療と抑制が可能な疾患に過ぎない。それらの原理も理屈も無視して、異能者などという差別的概念でくくるのはやめてくれたまえ」


 松雪はそこでひと息区切ると、眼差しも真剣に言葉を続ける。


「いいかね夏輝君、のだ。ただ、原理を知らぬがために魔法や超能力のように錯覚してしまう現象があるだけだ」


 夏輝が思わず息を呑んだのは、松雪の言葉の内容よりも、用いた表現そのものだ。


 それは、七年前に夏輝の心を奮わせた理想と同じもの。


 ともすれば、またも胸の奥から悔恨と自責が込み上げてきそうで、夏輝は再度それをねじ伏せ、冷笑を象った。


「つまり、あなたに言わせれば、過去を知覚するわたしも病人というわけですか」


「ふむ、キミの場合は大脳機能の障害だね。端的に言えば、情報整理機能の不全がもたらす記憶障害の福次的作用だ」


 ごく当たり前に返されて驚く夏輝に、松雪は口の端を下げて首を振った。


「言ったろう? キミのことはだいたい聞いているし、なにより、三ヶ月前までの活躍は調べてたどれる。程度の差はあれ、キミと同様の症例は他にも存在しているよ」


 そう言って、松雪はどこか哀れむように微笑んだ。

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