魔法使いの犯罪(5)


 夏輝は、相変わらず鉄骨落下の現場からは距離を置いたまま。


 被害者の携帯電話に残された謎のメッセージなど知る由もなく、捜査員の邪魔にならないよう、時に立ち位置を移りながら。

 ズキズキと脳髄に疼く感覚を持て余しつつ、早く菜那静の気が済んでくれないものかと願っていた。


 喧騒の中、周囲に刻まれた様々なノイズが絶えず夏輝の意識に入り込んでくる。目をつぶり、耳を塞いでも、肌に触れる空気の気配や、足に届く地の気配までは閉ざせない。


 現に今も、こうしてうつむきたたずんでいるだけで、夏輝の知覚は様々な情報を読み取り続けている。


 すみに積まれたコンクリートの袋……。

 外塀の向こうに走る車輌……。

 作業する捜査員七人分の動き……。

 台車やスコップ類が入り口脇に並んでいる……。

 椰子木と羽間里がパトカーの方に……。

 奥のトラックには鉄筋の廃材や端材が山と積まれて……。

 菜那静がこちらを睨んでいる……。

 積まれた廃材の中には、蛇のようにとぐろを巻いた小綺麗で真新しい電子ケーブルが…………。


 夏輝は、ともすれば余計な疑念に思考を誘われそうになりながら、それら意識に流れ込んでくる感覚たちから逃れてフラフラと歩いて──。


 ふと、気がつけば、庭先から建物内に入り込んでしまっていた。


 見回したそこは、完成すれば吹き抜けのエントランスホールにでもなる予定なのだろう。

 今は何本かの金属支柱が並び立つだけの殺風景な大広間。


「……ッ!?」


 思わず、夏輝は息を呑む。


 眼前に、レインコートの少女が立っていた。


 いつの間に現れたのだろう?

 いや、それこそ愚問というものか?

 少女はいつものように無言のまま、目深にかぶったフードの下からジッと夏輝のことを睨み上げつつ、その小さな手で、すぐ横の金属支柱を指差している。


 少女の傍らにそびえる支柱。

 幼い少女にとっては手の届かぬ高み、夏輝にとっては手を伸ばすまでもなく届く位置、柱の表面に刻まれているキズ痕。

 硬い何かがぶつかったような、やけにハッキリと刻まれたそれ。

 いったい何のキズだろう? ……そう思ったのをキッカケに、夏輝の意識がグラリと揺れた。


 火花が明滅するような錯覚とともに、キズの角度と深さから、


「……う……ぁ……」


 思わずこぼれた呻き。


 鼓膜の奥で鳴り響いたのは、甲高い金属音。


 巨大な鉄の塊が無数にぶつかり合うようなそれは、しかし、周囲の誰に届くこともなく、夏輝の脳髄だけを揺さぶり響く。


 思わず膝をついた夏輝の前、屈み込んで顔を覗き込んでくるレインコートの少女。


 そのフードの下、幼い唇がニンマリと笑っているのが見えた。


 夏輝は、くらんだ意識を奮い立たせて顔を上げ──。


 現場を睨めば、そこを覆い隠していたはずのブルーシートのとばりが消え失せ、散乱した鉄骨の下、赤黒い血肉の飛沫が見えた。


 直後、倒れていた無数の鉄骨材が天へと舞い上がっていく。


 浮かび上がる鉄骨の下、ひしゃげていた肉界が鮮血を収束させて人の形を取り戻す。


 鳴り響いていた甲高くも重い金属音が静まるに同じく、柱に刻まれていたキズが、小さくかき消えていった。


 打ちつけられた金属棒が振り戻されていく。


 それを握るのは、柱の傍らに立つ何者か──。


 人相はわからない。男か女かもわからない。人型の黒い影。

 それは闇に陰っているのではなく、本当に真っ黒な切り抜きの人型がたたずんでいるだけにしか認識できない。


 ここに誰かが立っていたのだ──と、それだけを示すもの。


 ただ、刻まれたキズの角度から、肩の高さと、腕の長さは、明確に意識に浮き上がってくる。


 周囲は暗い、しかし、真っ暗闇ではない、月明かりほど淡くもない。全ては仄かな朝陽に照らされる中で起きたこと。


 東の彼方に見える朝陽は、急速に沈んで夜闇を呼び戻していく──。


 さっきまで鉄骨が散乱していた場所にたたずむ人影を……つまりは、潰されて死んでいた被害者のことを、この柱の傍らから見つめる何者かがいたのだ。


 そいつは陽も昇りきらぬ早朝、この場に立って、被害者を待ち構えていたのだろう。



 ──それらを自覚したところで、夏輝の意識は我に返った──。



 望んだ裏庭は、陽が差して明るく、ブルーシートとテープで仕切られたそこには鉄骨が散乱したまま。それがまぎれもない今現在の情景。


 寸前に垣間見たのは、時を巻き戻すように逆回しに意識に浮かび上がった記憶。それは夏輝の記憶ではない。けれど、確かに過去に刻まれたこの場所の記録。


 おそらく──。


 早朝、ここにいた何者かは、鉄骨材が落ちる寸前に支柱を叩きつけることで、その音により被害者の気をそらしたのだ。

 そうすることで、直後に落下してくる鉄骨材への反応を遅らせて、より確実に圧殺するために、そうした。


 改めて足下を見ても、地面に足跡など残っていない。

 柱のキズも健在で、凝視しても、夏輝の目測ではその深さや角度など測れない。

 なのに、それでも夏輝の異能の方は、この場で起きた過去の事象を、犯人の行動を確かに読み取っていた。

 相変わらず、人相に関しては読み取れなかったが。


 何にせよ、だ。


(これは単なる事故じゃない……ということですか)


 見まわせば、もうあのレインコートの少女はどこにも見当たらない。


「……まったく……」


 脳髄が茹だるような感覚に、額に触れてみればその発熱は歴然と。心臓の鼓動も荒く乱れている。いつもそうだ。夏輝が本格的に能力ちからを使った後は、いつもそう。

 今にも意識が飛びそうになるのを懸命につなぎ留めて、大きく呼吸をくり返した。


「……本当に、しようもない……」


 ウンザリと、心の底からウンザリと自嘲を吐き捨てて、菜那静たちの方へと向かう。


「椰子木刑事、被害者が死んだ時間に前後して、この建設現場には第三者がいたはずです。足跡とか、ちゃんと鑑識の人に調べさせてください」


「んあ? ああ、まあ、そりゃ言われなくても当然調べさせてるが……この現場は、オレらの到着前に、発見者の作業員どもにだいぶ踏み荒らされてるからなあ」


「そうですか、調べているなら問題ないです。部外者が出すぎた発言をしてすみませんでした」


 丁寧に謝罪を返し、今度は菜那静に向き直る。


「九条先生、もう行きましょう。刑事事件は警察に任せるべきです」


 先刻までとは大きく変わった毅然きぜんとした夏輝の様子に、菜那静はニヤリと口の端を釣り上げる。


「そうね、少なくともリハビリはできたようですし、本来の目的地に向かいましょう」


 それでは邪魔したわね──と、刑事たちに片手を振る菜那静。

 黒服の待つ車内に戻ったところで、夏輝は深い呼気をこぼした。


 別に──。


 別に菜那静に協力しようと思い直したわけではない。

 事件にはもう関わらないと、その決意は今も変わらない。

 が、だからこそ、これ以上この現場に居残っていては、ズルズルと状況に引きずられてしまいそうで怖かったのだ。


 それこそ、あの幼い影に囚われ引き込まれてしまいそうで──。


 どうせ強制連行されるのだ。抗っても疲れるだけ。むしろ、今のように余計な寄り道で嫌ガラセをされるのが関の山。

 まさに徒労。

 ならば、相手の気の済むようにするしかない。


 そんな捨てばちのごとき夏輝の内心を知ってか知らずか、菜那静は座席の肘立てに寄りかかって冷ややかに笑いつつ、黒服に出発をうながした。




              ※


 夏輝たちが去った後の事件現場。


 夏輝の指摘した通り、鉄骨の散乱した地面を調べていた鑑識が、現場から立ち去る作業員以外の足跡、すなわち第三者の痕跡があったことを報告してきた。


 つまり、これが事故ではなく、意図的に起こされた殺人事件の可能性が出てきたわけである。


「……ただ、妙なんだよねえ」


 調査に当たったズングリ体型の鑑識員――左近勇馬は、短い首をかしげながら、現場の地面を指し示しつつ、椰子木と羽間里に説明する。


「ここから歩き出して、出口に向かってるわけだけど……。

 振り向いて歩き出した過程が結構ハッキリ足跡残ってるよね。

 で、次は鉄骨の上を踏んでる。

 次はここの地面、

 その次はまた鉄骨の上、

 その次は鉄骨の衝撃で足跡半分崩れてるね。

 そして、特に顕著けんちょなのは次の足跡、ちょうど鉄骨が抉った土山が、靴の側面に押し当たった形だろうね。型を取ったら、靴底どころか靴全体までわかりそうだよ。単純な靴跡特定のサンプルでいうなら決定的だ。

 んで、鉄骨散乱の範囲を出たこのへんからは普通に歩いて出口へと向かってる……っと」


 どうやら夏輝の言っていた通り、足跡の手がかりはかなり有効なものが残っていた様子である。


 やれやれと肩をすくめる椰子木に、左近は芝居がかった仕種で両手を広げて現場を示した。


「ね? ちょっと奇妙だろう?」

「あ? 何がだ?」


 怪訝けげんそうな椰子木をよそに、羽間里の方は「なるほど、確かに……」と首肯する。


「何だよ? 足跡がわかるなら結構なことじゃねえか」

「……まあ、そうなんですけど。センパイ、良く見てくださいよ。いいですか」


 やれやれと眼鏡を光らせつつ、羽間里はもう一度、足跡の特徴を順に示して語る。


「まず最初、振り向いて歩き出す。足跡は鉄骨に半分隠れているので落下の前ですね。

 次はここ、鉄骨の上に足跡があるということは、もう鉄骨が降ってきた後です。

 そしてこっち、鉄骨に足跡が崩されているので、足跡自体は落下の前についてますね。

 次のとこは鉄骨落下で抉れた土を踏み潰す形で足跡がある。

 極めつけはさっきの再優良手掛かりの靴跡です。いいですか? 落下した衝撃で盛り上がった土が、歩いている容疑者の靴側面に押し当てられている。これは、どういう状況なのか?」


 歩き去った第三者は──。

 鉄骨が降る前に去ったのか?

 それとも降った後に去ったのか?


「要するにこういうことか? この足跡の野郎は、鉄骨の束が降ってくるその真っ直中を逃げていった……と」

「そう、しかもゆっくりと、慌てず騒がずのんびり歩いてね」


 左近の補足に、刑事ふたりは何とも言えずに黙り込む。

 崩れ落ちてくる鉄骨材の中を歩いてくぐり抜ける。

 可能性だけの話なら、あり得ないとは言えないのかもしれないが、あまりにも現実味のない話だ。


「この足跡が、細工なのでは?」

「確かに、その可能性もあるけど。でも、細工だとしたら、何のためにそんなことしたんだろうってことでしょ。偽装工作にしてもナンセンスだ」


 確かに、左近の言う通り、細工の意図がわからない。

 単なる攪乱かくらんにしては、面倒に過ぎる。こんなことをしている間にさっさと逃げる方が断然合理的だ。


 困惑する羽間里たちに、椰子木が「ったく面倒クセーな!」と、声を荒げる。


「何にせよ、その逃げた野郎を見つければ済むこったろうが」


 歩き去った何者かが容疑者であるのはまちがいない。

 手掛かりとなる痕跡はハッキリと残っているのだ。

 見つけ出して問い質せばハッキリする。捜査上に大した問題はない。


 問題はないのだが、しかし、釈然としないのは椰子木も同じだった。


 微妙な疑念のしこりを残しつつも、一同はそれぞれの仕事にかかったのだった。


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