魔法使いの犯罪(3)


 車から降りる前に、菜那静は衣服一式を取り出し、夏輝によこした。


「どうぞ御嬢さん」


 折りたたまれてはいたが、それは黒の半袖シャツに濃紺色のブリーツスカートであろう……と、黎斗には見て取れた。何のことはない、学院の夏制服であるが。

 当の夏輝は、意図がわからぬようで視線を泳がせている。


「乳とか太腿とか隠せってことだよ」


 黎斗がやれやれと補足してやれば、菜那静もまた苦笑いつつ、夏輝の胸元、Tシャツの布地を押し上げる豊かな双丘を指し示す。



「いきなり連行したわたくしが言うのも何だけれど。その姿は少々眼に毒だわ」

「好きで大きくなったわけではありません」


 夏輝が制服を受け取るのを、菜那静は冷笑で見下ろして、


「そうね。それは、何ごともそう……。だから、貴方のかつての信条も、生まれ持ったものを受け入れるという点だけは、それなりに真理だったと思うわ」


 皮肉も鋭く、先に車外へと降りる。黎斗もまた後に続き、黒服らと並んで夏輝の着替えが終わるのを待った。


「なあ、バアさん」


 呼びかけにジロリと睨み返され、黎斗は怯みつつ「……学院長先生」と、言い直す。


「何かしらボウヤ」

「……こっちはボウヤかよ。いいけどさ。あの女、学院にさせるつもりなのか?」

「そうね、そうするつもりではいるわ」


 イマイチ歯切れの悪い返答。

 菜那静は、しばし、明後日の方向を見やったまま。


「……でもね。入学させずに済むなら、それに超したことはない……とも思うのよ」


 続けた答えもまた曖昧に、黎斗はさらに問い質そうとして……しかし、着替えを終えて車から出てきた夏輝の声にさえぎられた。


「お待たせしました」


 疲れた会釈ながらも、先刻までのやさぐれた雰囲気とは一変したたたずまい。ピンと背筋を伸ばした長身に、タイトな制服姿がよく映えていた。というより、こちらが本来の彼女の姿なのだろう。


「あの……九条先生、これ、暑いんですけど」


 夏輝はスカートの下に穿いた黒ストッキングを不快そうに引っ張ってぼやく。


「九条の女が人前で生足さらすわけにはまいりません。特に貴方の場合はスカートだと色々と問題でしょう?」


 菜那静の解説に、外野の黎斗はジト目でうなずきを返す。


(なるほど、蹴っ飛ばす時とかの話だな)


 内心で皮肉たっぷりに呻く彼をよそに、菜那静は夏輝の全身を上から下まで見回して「ふん」と小さく鼻を鳴らした。


「サイズも、問題ないようね。後で髪もちゃんときなさい。身だしなみは礼節の基本よ」


 さあ、ついてらっしゃいな──と、どこまでも尊大に言い放ち、きびすを返す。

 その背中を睨む夏輝は、やはり心労の色濃く……ふと、自分を見つめる黎斗に気づいて首をかしげた。


「どこか、変ですか?」

「………いや、変じゃねえよ。なんつーか、スゲー男前だ」


 黎斗の感想は、夏輝のお気に召さなかったのだろう。

 回し蹴りが空を切り、黎斗の背腰をあざやかに薙ぎ払う。

 早速から黒ストの備えが活かされてなによりだが、蹴られた黎斗はたまらない。


「痛ッ……! 何で蹴るんだよ!?」


 素直に褒めたつもりだったのだ。実際、内面はともかくも、容姿は超然とクールな彼女には、こういうシックな服装はよく似合っている。だが、それは可愛いというのとは違うし、綺麗だというのもズレている。もっと落ち着いた印象なのだ。


(……カッコイイって言えばまだマシだったか……?)


 悶絶しながら後悔している解体魔を放置し、夏輝は先行する菜那静に続いた。


 平日の朝方。

 オフィス街にほど近い大通りには、結構な人通りがあり、そんな場所で起きた事件あるいは事故には、当然ながら多くの野次馬が群がっていた。

 それらを屈強な黒服ふたりに押し退けさせて、菜那静は悠然と進む。

 肩をすくめた夏輝と、腰の痛みに涙目の黎斗とが追いついた時には、もう菜那静は現場入り口を守る警察官の前にいた。


 野次馬を牽制していた制服警官は、突然現れた黒衣の老婦人に最初は厳正な態度を見せたものの、相手が九条の大奥様だとわかった途端に、すぐさまへりくだった。


「制服警官にも教育が行き届いているようね。楽でいいわ」


 シレッと笑う菜那静。


「……それは、あれだけ何度も現場に乗り込んでいれば、対応もするでしょう……」


 夏輝が力なくぼやいたのは、おそらく、過去の探偵行為を示してのことだろう。つまり、これこそが民間人が刑事事件に介入できた理由というわけだ。


 九条の名のもとに乗り込めば、確かにそれは可能であろう。


 さも当然のごとく、お偉方オーラ全開で現場内に入ってきた老婦人に、現場検証にあたっていた面々は何ごとかと注目する。


「御苦労様ね公僕の皆さん」


 菜那静は不遜なまでに堂々と、だが、それに同行する方は実にいたたまれない。


(さっき、礼節がどうとか言ってたよな、あのババア……)


 身だしなみが整っていてもアレはダメだろう──と、黎斗は深い溜め息を吐き捨てる。

 ふと、横合いから怒声が響いた。


「オイオイ、一般人が何を勝手に入ってきてんだ!」


 ドスの利いた恫喝に向き直れば、浅黒い肌をした厳つい刑事が、穏やかならぬ形相でズンズンと近づいてくる。

 そのいかにも叩き上げな風体の刑事に、夏輝はバツが悪そうに……というより、もはや泣きそうな様子で顔を伏せた。


 知り合いなのか? ──と、黎斗が小声で問えば、夏輝は無言のままにうなずいた。


「あら、よりによって貴方が担当なのかしら? 椰子木やしき刑事」

「またあんたかよ九条の婆さん。毎度言ってるがな、当然のように捜査に割り込んでくるんじゃねえよ!」


 微笑む菜那静に、その刑事──椰子木剣一けんいちは真っ向から眼光をぶつけて抗議する。


 そのことに、黎斗は少なからず驚いていた。


 民間人の介入を拒絶するのは、警察官として当然の対応。だが、こうして現に菜那静に噛みつく様は、この街ではとんでもない状況である。


 それは〝この国〟と言い換えても同義だ。


 九条の名に物申すということが、どれほどおそれを知らぬ行為か、多少でも政財界に精通している者ならば理解している。まして、役人ともなれば歴然と、大臣級の官僚でさえも九条の気まぐれであっさりクビが飛ぶのだ。

 現に他の警官たちは、さわらぬ神に何とやらで無視を決め込んでいる。なのにこの椰子木刑事だけは、九条の名など知ったことかとばかりの態度。それは黎斗のような虚勢ではない。真っ向から菜那静の勝手をいさめている。


 いったい何者なのか? ただの不器用な堅物か、後先無視の無頼漢か、あるいは彼自身にそれなりの地位か後ろ盾があるのか……?


 とりあえず、見た目と言動はヤクザそのものだな──と、黎斗が内心にひとりごちていると、椰子木はギョロリと夏輝に眼光を向けてきた。


「で? テメエはまだりてないのか?」


 静かな叱責に、所在なさげにうつむいていた夏輝はビクリと震える。


「……懲りましたよ。……だから、わたしはもう……」


 応じる姿は、傍目からも力無い。

 うつむいたまま顔を上げようとしない夏輝と、ジッと睨み続ける椰子木。菜那静はといえば、皮肉げな冷笑を浮かべてそれを眺めている。

 何とも険悪な空気。

 だが、そこに平然と割り込んできたのは、椰子木とは対照的なまでに印象の違う刑事。


「いやあ、これはこれは九条様。初めましてですね。私、羽間里はまざとおさむと申します」


 どうぞよろしく──と、眼鏡のレンズ越しに目を細めて警察バッジを差し出した。


「こちらの現場に興味がおありとか。さすがに前面協力とまではいきませんが、お教えできる範囲で捜査内容を開示させてもらいますよ」


 痩身をパリッと折り目の利いたスーツに包んだ姿は、いかにもエリート然と。しかしてその物腰はどこまでも柔らかく、長いものには巻かれろとばかりに菜那静の傍らに侍る。


「ほら、椰子木センパイ。いつまでも女の子イジメてないで、仕事に戻ってくださいよ。こちらは私が対応しますから」


 ギラリと眼鏡を光らせて笑う羽間里に、椰子木は「チッ、わかったよ」と、露骨な舌打ちを返しつつ作業に戻っていった。


「さ、こちらへどうぞ、遺体の搬送も遺留品確保もまだですので、テープの内側には入らないでくださいね」


 羽間里に示され、仕切られた現場へと向かう菜那静。数歩進んだところで立ち止まると、肩ごしに振り向いて意味深に微笑んだ。


「貴方はこないのかしら? さん」

「……冗談じゃない」


 低く、それでいて鋭く吐き捨てられた返答。

 否定というよりも嫌悪に近いその反応に、菜那静は「無意味な意地を張るのね」と、せせら笑いながら歩みを再開。


 ひとまず……険悪な空気から解放されたものの。

 取り残された夏輝は未だうつむいたままで、空気の重さは相変わらず。かと言って、思いっきり蚊帳の外である黎斗にはそもそも事態が呑み込めない。


 何にせよ、このままジッとしていては学院に連行されるだけだ。


 事件に興味がなくもないが、夏輝が捜査しないのでは意味がない。

 さて、ならば菜那静や黒服が離れた今が好機とばかりに動こうとした黎斗だったが──。


 ……ふと、左のそでが何かに引っかかっているような違和感に停止する。


 見れば、夏輝の右手が黎斗の袖をつかんでいた。

 否、つかんでいるというのは語弊がある。

 指先でほんの少しつまんでいる程度……なのだが、だからこそ、夏輝のそんな弱々しい仕種に黎斗はうろたえた。


 夏輝自身、意識しての行動ではないのか?

 彼女は青ざめた顔をうつむけて、少し呼吸を荒く乱している。額から頬を伝う汗は、夏の熱気のせいだけではなさそうだ。


「……イヤなら、一緒に逃げるか?」


 ここにいるのがキツいのならば──と、提案する。

 夏輝はハッとしたように黎斗を見返して、それから、やはり初めて自分の所作に気づいた様子で、素早く右手を離した。


 すみません──と、短い謝罪。


「……九条先生の気が済むまで、待つしかありません」


 夏輝は息苦しそうに青ざめながらも、提案にはキッパリと否定を返す。

 逃げるならひとりでどうぞ──と、微笑みだけは気丈に返す夏輝。


 黎斗はしばし逡巡した。

 ふたり連れ立って逃げ出すのは実際問題として困難である。それに、現に夏輝は否定を返したのだ。


(余計な世話……なんだろうな)


 黎斗が己の左袖と、夏輝の右手とを見比べた時間はわずかのこと、やがて意を決した様子で身をひるがえした。

 小柄な体躯に似つかわしい迅速な動作で、すぐに姿を消した解体魔。


 取り残された夏輝の方は、現場検証の喧騒からはやや距離を置いて壁に寄りかかる。

 乱れた動悸を整えるために、深呼吸を数度。

 夏輝は、ここで何が起きたのかなど知りたくはない。興味もない。

 だから、逃げられるのならば、黎斗に言われるまでもなく逃げ出したかったのは事実だ。


(……でも、もう手遅れです……)


 独白は力なくかすれて声にはならなかった。

 無意味な意地。

 菜那静が評した通りである。

 事件現場に、こうして居合わせている以上、夏輝がどう振る舞おうと、確かに無駄な足掻きなのだ。


 目の前にそびえる骨組だけのビル。

 周囲には鉄骨材をはじめ、多くの資材が積み上げられ、それを扱うための重機や工具が雑多に点在している。


 ズキズキと疼く頭痛をねじ伏せようと深呼吸を繰り返す中、脳裡に浮かんでは流れていく様々な情報。それは今し方に聞いた話であり、見た光景であり、今も継続して五感に届いているものが自動的に組み上げられたもの。


 先ほどのハナザトだかアマサトだかいう刑事の言葉──。


 遺体があるということは死人が出たということ──。


 そんな現場に民間人を通すなど、今さらながらにどうかしている──。


 いや、どうかしているのは九条の方だ──。


 並べ立てたのは意識して浮かべた思考。

 そうして別の思考でねじ伏せようとしても、意識に流れ込んでくる新たな現在情報は止まってくれない。

 当然である。

 夏輝が何を考えていようと、事件現場の光景は目の前にあり、それを調べる警察官たちは動いており、それらが奏でる痕跡は、もともと刻まれている痕跡に次々と重なって響き続けているのだから。


(まともじゃない。結局、こんなのは……)


 夏輝がどう足掻こうが、ここから知り得るすべてはここにある。

 それはどうしようもないことで、だからこそ夏輝はずっと引きこもっていたのだ。


 菜那静が告げた〝異形の才能〟という言葉が、改めて夏輝の脳髄を絞めつけてくる。


「大丈夫かい? 朝凪さん」


 呼びかけてきた声は、近いのに遠く──。

 夏輝が顔を上げれば、心配そうに覗き込んでくる青年の姿があった。

 面識はない。見たところ現場検証している鑑識員のひとりなのだろう。ズングリとした体型ながら、理知的で落ち着いた風貌に、青い制服がやけに似合っている。


「……あのさ、椰子木さんの言ってたこと、あんまり気にしない方がいいよ。あの人は根が頑固で一本気なだけだからさ。ちょっと古クサイくらいにね」


 夏輝が青い顔で項垂れていたのを、椰子木に叱責されたせいだと思ったのだろう。気づかいながらミネラルウォーターのボトルを差し出してきた青年。

 夏輝は礼を言って受け取りつつ、


「でも、あの人はまちがったことは言ってませんから」


 苦笑いながらそう返せば、青年はやや寂しそうに首をかしげた。


「朝凪さんが多くの事件を解決したのも、まちがいじゃあないだろう?」


 それが本気の激励にせよ、気づかいからのフォローにせよ、残念ながら、今の夏輝には胸に痛い皮肉でしかない。

 だから、夏輝は曖昧な作り笑いを返すことしかできぬまま。


「おい、左近さこん! サボってんじゃねえぞ!」


 そこに投げかけられた椰子木の怒声。


「ほら、鬼刑事が呼んでますよ」

「みたいだね。じゃ、ともかく気を落とさないで」


 軽く会釈を残して、青年は椰子木の方に走っていった。



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