魔法使いの呪縛(3)


              ※


「何と?」


 監視班からの報告を受けていた黒服が、驚いた様子で声をもらした。

 停車した車体に寄りかかって紫煙をくゆらせていた松雪が、何事かと視線を向ければ、黒服は困惑した様子で応じる。


「いや、有栖川少年の動向なのですが……どうやら、お嬢様のところへ転がり込んだようです」


「お嬢様って、どっちのかね? ……いや、キミらがお嬢様と呼ぶのはひとりか。さて、もちろん偶然だろうね。有栖川君は彼女の活躍は知っていても、彼女個人のことは知らないはずだ」


「はい、どうやら隠れ場所を探しての成り行きのようです」


 言葉を濁らせる黒服に、松雪もまた苦笑で応じる。

 解体魔にとって、あの程度のマンションの鍵は障害にもならないだろうし、確かにあのヒキコモリのお嬢様の部屋は、知らずに見れば空き部屋に思えても仕方ない。


「……いかがいたしましょう」

「別に慌てる事態でもないだろう。ある意味、動向はつかみやすくなったということだからね。さあ、我々はそろそろ学院に引き上げよう。なんにせよ、コワーイ学長様に委細を報告しなければ……」


 吸いがらを携帯灰皿に収めつつ、車内に乗り込む松雪。

 彼がそう言うならば、挟むべき異論などないと、黒服も運転席に滑り込む。

 走り出した車内、松雪は込み上げた欠伸を噛み殺しながら、


「さて、これが吉と出るか凶と出るか……。あるいは一石で二鳥が落とせるかもと期待するのは、さすがに虫が良すぎるかな」


 どこまで本気かわからぬ呟きは、もとよりひとり言の類で。

 ならば運転席の黒服は無言のままに受け流した。





              ※


 痛い……と、そう感じた。


 刺すような鋭いものではなく、滲むような鈍いもの。そのかわり、身体の芯に響くような深い疼痛。それがジクジクと全身をむしばみ続けている。


 痛いのは……もう慣れている。


 鋭かかろうが、鈍かろうが、いつもいつもいつまでもジクジクとさいなまれていれば、耐性もつくというもの。

 平気なわけではないし、好ましくなど思うわけもないが、耐えがたいほどではない。我慢は、できる。


 耐えがたいのは……自由を奪われることだ。


 四肢を拘束され、閉じ込められ、行動をねじ伏せられて動きを封じられるのは、いつまでも慣れない。


 我慢できないし、できるはずもない。

 それがイヤで、絶対にイヤで、抗い続けている。


 キッカケは、だからいつも同様であるのだと。そう、内心に独りごちながら────。


 有栖川黎斗は、ゆるりと目を覚ました。

 まどろみの中、はて、自分はどうしてこんなに硬く冷たい場所で寝ているのだろう?

 そんな疑念の答えは、首筋に感じた鈍痛によって想起する。

 黎斗は、朝凪夏輝に蹴り倒されて昏倒していたらしい。


 ガバッと勢い良く身を起こす。

 己の両手首を凝視してみるが、そこには当然、自由を縛る拘束具などありはしない。


 短い吐息は、安堵よりも自嘲から。

 首筋の痛みをこらえつつ、改めて状況を確かめる。


 窓から射し込む明かりは、まだ弱いが月明かりではなく朝の光。昏倒している間に夜が明けたのだろう。

 三和土たたきに面したダイニングキッチン、淡く照らされた室内は、訪れた時と変わっていない。

 黎斗の居場所も同様。

 どうやら、あの探偵少女は昨日、黎斗のことを蹴り倒したままに放置したらしい。


 夏場でなければ普通に凍えていただろうが……まあ、外に放り出されなかっただけでも、ありがたいとしておこう。


(ずいぶん、怒らせたみたいだったしな……)


 あれほど飄々ひょうひょうとしていた夏輝が、それこそ裸を見られても平然としていたのに、いきなり敵意もあらわに蹴りつけてきたのだ。いったいなにがシャクに障ったのか?

 まあ、少し考えれば察しはつく。


 探偵少女。


 彼女の逆鱗に触れたのは、あの呼称だろう。

 黎斗はやれやれと立ち上がり、奥へと続く廊下に歩を向ける。


 カーテンを閉めきった居間は、玄関口に比べてかなり薄暗い。

 黎斗は廊下との仕切りから、グルリと室内を見渡してみる。


 玄関からはいっさいの家具がないように見えた201号室だが、居間の右側には簡素なパイプベッドが1台だけ置かれていた。左の壁面には押し入れらしき襖、衣服の類はその中にでも収めてあるのだろう。

 正面には二枚のスライド式ガラス戸があり、その上にはエアコンが設置されて……だが、それはこの暑い時期にも停止したまま。


 確かにこの部屋は窓もカーテンも閉めきっているわりには室温が高くないが、暑いのは暑い。普通は窓を開けるなりエアコンを使うなりするだろう。あるいは、玄関の鍵同様に壊れているのだろうか?


 他に空調器具は見当たらない……というか、そもそも物がない。

 改めて思うが、この部屋はあまりにも物がなさすぎる。キッチンに冷蔵庫すらないのだ。必要最低限を通り過ぎて、どこか偏執的ですらあった。


 おかげで何の駆動音も響かぬ、限りなく無音に近い室内。そんな状況だからか、片すみにポツンと置かれた据え置きの電話機が、殺風景な室内でやけに目をひいた。


(何なんだ……)


 黎斗は疑念のままに、傍らのベッドの上、タオルケットにくるまって苦しげな寝息を立てている部屋の主を見やる。

 膝を抱えて身体を丸めているその寝姿は、まるで外敵に息をひそめる獣のようで──。


 何よりも彼女が苦しげに見える要因は、不可解な黒い鎖だ。


 眠る夏輝の身体に絡みついている黒い鎖。あの奇妙な縛鎖が、また現れている。薄闇の中でなお黒く、光沢のない闇色の鎖。

 ゆっくりと手をのばし、触れてみた。

 固く冷たい感触。

 それは金属と言うより、凍てついた氷のような冷たさ。


 と思えば、やれなくもない気がしたが──。


……ってのは初めてだな……)


 抱いた疑念と感傷に、黎斗はゆるりと手を引っ込めて、横たわる夏輝を睨む。


 探偵少女。


 改めて、古くさいミステリーにでも出てきそうな……というより、それぐらいにしか出てこなさそうな俗な呼称だ。


 探偵、みなを集めて〝さて〟と言い──なんて状況は、現実ではありえない。ましてや民間の、しかも未成年の学生が事件の捜査に介入し、あまつさえその類稀な推理力で解決に導くなど、それこそフィクションの中にだけ許されたもの。

 だから、現実に多くの事件の謎を解き明かし、解決に導いてきたそのポニーテールの少女の存在は異質で胡散臭く、興味深いものだった。

 何しろ彼女は事件に臨むなり、それこそフィクションの名探偵のごとく迅速に、隠された事実や見落とされていた手がかりをあばき出すという。

 まして、それがまだ十代の見目麗しい少女だというのだから、まさに絵空事だ。


 そのことを加々見松雪から聞かされた時には、正直、戯れ言の類だとも思った。しかし、あのが言う以上、そういう人物が実在することだけは確かだった。


 調べてみれば、確かに根も葉もない話というわけではない。

 しかし、だからどうしたということはなかった。興味はあったが、それだけだった。


 こうして当人に会えたのは偶然であり、会ったからと言って何の用があるわけでもないのだから。


(……いや、そうとも言いきれねえか?)


 冷静に考え直してみれば、この邂逅かいこうは幸運であるかもしれない。黎斗の目的のために、あるいは打ってつけの助っ人となるのではないか?


 考えながら……だが、ひとまず浮かんだのは、全然関係のない私見からの感想。


「探偵〝少女〟ねえ……」


 呼称としては間違っていないと思う。

 黎斗の知る情報では、彼女はまだ十六歳のはずだから、年齢的には〝少女〟という呼称は何らおかしくない。

 けれど──。

 しなやかな長身に、整ってはいるが鋭く冷ややかな顔立ち。

 数年前、活躍し始めた当初はどうだったか知らないが、少なくとも現在の大人びたクールな容姿の彼女には、少女という表現は微妙に似合わない気がする。


(……ま、だからブチギレたってわけでもないだろうけど……)


 ベッド上、眉目をしかめて眠る彼女。

 寝苦しそうにこぼれた寝息はどこか悩ましげで、何だか、じっと眺めていることが後ろめたくなり、黎斗は慌てて目線を背けた。


「……ぅ……」


 微かな呻きは、目を覚ました夏輝のもの。

 身じろぎしつつ上体を起こすと、傍らに立つ黎斗に気づいて、小首をかしげた。


「……おはようございます。えーと……ア、アリス……」


「有栖川だ」


 名乗りは、目を背けたままながらも、意識してゆるりと吐き捨てる。

 何だか、当の夏輝が平然としているのに、ひとりでうろたえているのもバカらしかった。


 そんな黎斗の内心など知らぬげに、夏輝は寝汗で濡れた衣服を、さも不快そうに引っ張っている。無防備なそれは、ヘタをしなくてもくびれた腰やらヘソやら胸の谷間やらがチラチラ覗いてしまい、黎斗は大きく溜め息をついた。


「あのな、そういうことを……」

「……それにしても暑いですね。脱いでいいですか?」


 さも自然な所作で、返事も待たずにTシャツをたくし上げる夏輝。


「言ってるそばからバカか! 暑いんならエアコン使うなり窓開けるなりしろ!」


 黎斗は怒声も慌ただしくガラス戸の方へ歩み寄り、素早くカーテンを開いた。

 淡いながらも鋭く射し込む朝陽に目を細めつつ、続けてガラス戸も開け放つ。吹き込む早朝の外気は充分に涼しく、室内を心地よく冷やす。


「ぅあ! やだ! し、閉めてください!」


 背後から響いた叫びが誰のものであるのか、黎斗はにわかには理解できなかった。元よりここにはふたりしかいないのだから、黎斗でなければ夏輝のものでしかありえない。


 けど、それはまるで怯えた幼い少女のごとき悲鳴だったから──。


 振り向けば、ベッドの上に座した夏輝は、まさに怯えるようにタオルケットをかぶって身をちぢめ、目を閉じ、両耳をふさいでうつむいている。

 まぶしさに目を閉じるのはわかるとして──。


(……何で、タオルケットかぶって、耳まで塞ぐ?)


 暑がって服を脱ごうとしていた者が寒いわけもない。

 音だって、まだ陽も昇りきらぬ外から届くのは喧騒というにはささやかで、それこそ鳥のさえずり程度のものなのに。


「……早く……閉めて……」


 再度の懇願は消え入りそうに弱々しく、黎斗は「あぁ……悪ぃ」と、思わず謝罪しながらガラス戸に手をかける。閉じようとした瞬間、彼方から重い音が響いてきた。


 金属の塊が立て続けにぶつかり合うような、低音と高音とが折り重なった音。

 朝の静寂の中、その号音はいくつかのこだまを残して朝モヤにかき消えていく。


 どこかで工事でもやっているのだろうか?

 抱いた疑念はその程度のものなれば、黎斗は素早くガラス戸を閉じ、カーテンも閉ざして、夏輝の方へ向き直った。


「ほら、これでいいか?」


 呼びかければ、夏輝はコクリと小さくうなずいて、


「……ありがとうございます」


 と、小さく感謝を告げた。


 妙な反応だ。

 ここは本来、黎斗が謝る場面であろう。

 そして、まがりなりにも一夜の宿を貸してくれたことに感謝するのがスジのはずだ。そう訂正しようとして、だが、ズキリと疼いた首筋の痛みに考え直す。


「気にすんな。蹴りの礼だ」


 皮肉と嫌味を込めて、そう返した。

 改めて思い出しても昨夜の蹴りは尋常ではない。黎斗の頸骨が無事なのは、彼が見かけに反して人並み外れて頑健なゆえ。少なくとも、一方的にこちらがへりくだることもない気がした。


「蹴り……ああ、そうでしたね。あれは、ついカッとなって」


 ついカッとなってハイキックが出るのもどうかと思うが、彼女にとって〝探偵少女〟というのが禁句であることは思い知った。


 つまり、当面の問題はそこにある。


 黎斗が用があるのは、その探偵少女としての彼女なのだから。

 何とも頭の痛くなることに、現に頭痛を感じる思いでこめかみを小突きつつ、黎斗は夏輝を見やる。

 しばし、考えて──。


「悪いと思ってるなら、ちょっとフロ貸してくれ」


 昨夜の逃走劇だけではない。学院を抜け出してからこちら、精々が濡れタオルで身体を拭く程度だった。いい加減、ちゃんと汗を流したかった。

 女の部屋で風呂を貸せというのは色々と問題かとも思ったが、それこそ今さらだと開き直った。

 夏輝は膝を抱えて毛布にくるまったまま。


「昨日も言いましたが、好きに使っていいですよ」


 うつむき、本当にどうでもよさそうに無感動に告げる。

 叱られて落ち込んだ幼児のごときその姿は、黎斗がその長くもない人生でさんざんに見知ってきた類のもの。


 ならば、この部屋のあり様もそういうことだと思う。


 その事情や経緯がどんなものかはわからないが、つまるところ、この朝凪夏輝の現状は……だ。


「イジケたヒキコモリか……」


 得心は囁くようにこぼす。

 別にあてつける気もなければ、説教するガラでもない。だから、それ以上は見向きもせずに、黎斗はバスルームへと向かう。

 今は、とにかく汗を流してスッキリしたかった。





              ※


 仮眠室から起きてきた椰子木やしき刑事は、デスクに座した後輩の姿を見て、感心する前にまず、あきれの呻きをこぼした。


「当直でもねえのに、何でこんな時間に署にいるんだ?」


 まだ朝五時すぎである。

 事件さえ起きれば休みなど実質関係のない警察職員とはいえ、この四面月しもつき署の管轄では、ここしばらく大きな刑事事件の発生はない。


「いやあ、少々まとめておきたい書類があったんですが……何だか、今日あたり面倒な事件でも起きそうな予感がしましたので、早めに仕上げておこうと思ったんですよ」


 いかにもインテリ然とした仕種で眼鏡の位置を整える後輩の言に、椰子木は心底ウンザリと咆えた。


「よしてくれ、オメエがそう言うと本当に起きそうだ。こっちはあと二時間ちょいで交代なんだからよ」


「それはそれは、御苦労様ですね。事件が起きたらセンパイは居残りです。もし帰宅していても、私が呼び戻しますから」


 そう冗談めかしながらも、後輩の書類整理の手は止まらない。

 実際、本当に事件が起きたらそうなるわけで、椰子木はその厳つい肩をすくめつつ、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと給湯室へ向かう。


「よし、終わりです」


 と、後輩がひと息吐いた時、狙い澄ましたようにデスクの内線電話が着信を告げた。


「オイオイ……」


 思わずうなる椰子木。

 電話応対を終えて受話器を置いた後輩は、その笑顔を微塵も崩さぬままに「御愁傷様です」と告げた。


「三番街のビル建設現場で変死体が出ました」


 変死体――いやな単語である。

 この仕事につく者にとってはことさらだ。


 露骨に顔をしかめる椰子木とは対照的に、後輩はテキパキと支度をととのえ「では、現場に向かいましょう」と、うながしてくる。


「オメエも行くのか?」

「それはもちろん。まだ捜査員のほとんどが出勤してませんしね。ひとまず、出られる人員で出るしかないでしょう」

「はいよ、エリート様は勤労意欲も御立派なこった」


 ふたりは並んで部署を出る。

 鑑識の手配をしようと、後輩が携帯電話を取り出したところで、廊下の先からまさに鑑識員の制服を着た青年がやってきた。そのズングリとした体型の鑑識員は、呼びかけるまでもなく、空気を察した様子で苦笑う。


「出動ですか?」

「はい、三番街の建設現場で変死体です。詳細は当直班に伝えておきますので、貴方もすぐに準備してください左近さこんさん」

「やれやれ、せっかくの早起きが裏目かな」


 彼もまた急ぎの仕事でもあったのだろうか? それとも単なる気まぐれか? 芝居がかった仕種で片眉を釣り上げる。


 左近勇馬ゆうま。小太りで凡庸な顔立ちのわりに、キザな言動が奇妙に似合う。だからというわけではないが、この四面月署の名物鑑識員である。


「ま、お互い災難だが、うちの鑑識はオメエさんがいねえと始まらねえんだ。急ぎで頼むぜ」


 ポンと肩を叩く椰子木に、左近はニッと楽しげに笑った。


「了解。じゃあ、また後で」


 わざとらしい敬礼を残して早足に立ち去る左近。

 椰子木たちもまたそれを見送ることなどせず、迅速に動き出す。


 これが事故であれ事件であれ、捜査においては初動の素早さこそが最も肝要で。


 ……すなわち、彼らはすでにして大きく出遅れていたのだった。



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