1章 魔法使いの呪縛

魔法使いの呪縛(1)


 最初にそれが起きたのは、2016年5月26日のこと。

 ある企業の自社ビル屋上から、女性社員のひとりが失恋を苦に飛び降りた。それだけを見れば珍しくもない。不謹慎を承知であえて言えば、つまらない事件。


 問題は、遺留品の携帯電話に残されていた一通のメール。その奇妙な内容だ。


〝―――2016年5月27日の殺人を、魔法使いはゆるさない―――〟


 着信は自殺の六日前であり、メール内容の期日の一週間前である。

 まるで未来の罪を告発したかのような文面。

 送信アドレスは女性の勤めるオフィスの業務PCであり、当初は女性の死にかかわるものかと捜査されたのだが、その死が純然たる自殺であることがすぐに判明してしまったので────。


 そのメールのことは、すぐに忘れられた。





              ※


 有栖川ありすがわ黎斗れいとは、己の双手を掲げ見て考える。


 思えば、そもそものキッカケはいつも同じであった。


 男子にしては華奢きゃしゃな手首にめられているのは、革ベルトと金具で組み上げられた大仰な手枷。

 その造りは容赦ないまでにガッチリと。同様の枷が両足首にも嵌められており、四肢の自由は完全に封じられていた。


 夕刻、街を歩いていた黎斗は突然に黒服の男たちに取り押さえられ、手脚を拘束されて車の後部座席に放り込まれた。


 走行中の車窓から見える景色は、少なくともまだ市街地のようだ。が、どこに連行されているのかは、実は了解している。というより、今時こんなブラックメンも真っ青な誘拐劇をやらかす連中など、心あたりはひとつしかない。


 黎斗がこぼした溜め息に応じるように、前方の座席から声が響いた。


「手荒なマネをしてすまなかったね有栖川君」


 謝罪はやけに朗々と。

 それは運転席に座る黒服ではなく、助手席に座したもうひとり。ガッシリとした長身ながら、白衣を着込んだその男は、一見してヤクザ者には見えないが、ある意味、ヤクザよりも厄介な男であることを、黎斗はよおく思い知っていた。

 ならば、黎斗も悪びれる風なく笑声を返す。


「いいさ、おたくらも仕事だ。ごくろうさん」


「労ってくれるのは嬉しいがね。だったら最初から脱走なぞせんでくれないか? キミは健全なる十四歳の少年として、学院で勉学に努めるのが真っ当な在り方だろう。先生らの苦労も察してくれたまえ」


 わざとらしく肩をすくめての嘆願に、黎斗は皮肉げに口の端を釣り上げる。


(……ハッ、冗談じゃねえ……)


 何が先生だ。何が学院だ。あそこがそんな悠長な場所ではないことなど、それこそ生徒ならば誰だって知っている。


 それに、黎斗は大事な目的があって脱走したのだから、ここで連れ戻されるわけにはいかない。


「なあ、松雪まつゆき


 不遜な呼び捨てに、だが、白衣の男……加々見かがみ松雪は機嫌を損ねる風もない。


「何かね?」

「おたく……〝魔法使い〟に心あたりはあるか?」


 その時、松雪が返した表情は〝ぽかーん〟という擬音が浮き出そうなもの。


「〝魔法使い〟……というと、あれかね。童話や伝説に出てくるような、空を飛んだり、触れずに物を動かしたり、困っている者を魔法で助けてくれる。あの〝魔法使い〟のことかね?」


「……いや、そういうんじゃないけど。ま、知らないならいいよ」


 実際は、松雪は十中八九トボケているのだろう。

 彼が件の〝魔法使い〟を知らないはずがない。

 いずれにせよ、このまま大人しく連れ戻されてたまるものかと、黎斗はさっきにも増してウンザリと溜め息をこぼし、掲げた双手の拘束具をにらみつける。


 自由を奪う枷。

 抵抗を封じる縛。

 否、これは服従を強いる戒めだ。


 だから……そう、キッカケはいつも同じこと。


 黎斗は、すみやかに障害を排除する。




 赤信号で停車した車体。

 ブレーキに軽く傾いた物音に重なって、甲高い金属音が響く。

 続いて、バンッと後部ドアが開け放たれる音。


 松雪が振り向いてみれば、後部に有栖川黎斗の姿はすでになく、ただ、バラバラになった拘束具の部品だけが散らばっていた。


「ふむ、相変わらず見事な手ぎわだ〝解体魔〟君」


 感心のままにうなずく松雪に、運転席の黒服もまた冷静に指示を仰ぐ。


「追いますか?」

「いや、いらんよ。監視は継続しているのだろう。なら、少し様子を見よう」


 ひとまずは強硬策に出てみたが、やはり当人に更正の意志がない以上、捕まえても逃げられてのイタチゴッコである。それを避けるためには、もっと手荒な手段を用いねばならず、そういう手段は松雪の趣味ではない。


 あの不良少年には根本的な更正が必要だが、それは無理強いして成るものではない。


「まったく、困った問題児だよ」


 苦笑とともに吐いた溜め息は深く、とはいえ、いずれ根回しは必要であろうと、松雪はふところから携帯電話を取り出し、監視班に連絡を取った。



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