最上級職「栄冠の大賢神」のこの俺がVRMMOから異世界転移するなんて聞いてない!!(飽きた)

 VRMMOの中でも、かつては社会現象まで引き起こしたファンタジーRPG・『ユグドラシル・インデックス』。通称『ユグ・イン』

 かつて、といったがそれは社会現象を引き起こしたのがかつてであり。いまもまだ健在に遊ばれている大人気ゲームである。

 小鳥遊クロエは、17歳の時にこのゲームに出会い(ブームが過ぎた後だった)それからずっと学校に行きながら大学3年生なったいまもゲームを続けている。それもひとえに、多職種、多種族、多クエスト、ミニゲームなどそして現実と変わりない五感を刺激する機能と何よりその自由性がゲームの愛好者を増やしている原因である。

 そしてなんと今日、クロエが待ちに待った大型アップデート終了のお知らせがスマホに届いたため、4・5限の授業をほっぽり出して帰ってきたわけである。

 今日も疲れた身体を癒すため簡素な自室のベッドに横になりながらサングラス型のギアを身に着けると。かちりと左側にあるスイッチを入れ意識をゲーム内に落とした。



 次に目を覚ますと、水晶でできた青みがかった城、その玉座に腰かけていた。謁見の間とも呼ばれそうなそこは、アップデート終了前と何ら変わったところはない。ここに腰かけてゲームをログアウトしたのだから間違いない。しかしなんか違和感があるな、とクロエは首をかしげる。


「あれ、なんか変わった?」

「おかえりなさいませ、〈栄冠の大賢神〉・クロエ様」

「あー、うん。ただいま。ねえ、それよりさソルト」


 自らのネーミングセンスにはがっかりだが、たまたま思いついた塩を英語に直して名付けたNPCメイドにクロエは眼前の光景について話しかける。視線を床に固定したまま。


「なんでございましょう」

「この床に散らばってるアイテム袋はなに?」


 床には茶色の皮袋に宝石の留め具がついた紐でとまった、アイテム袋が無数に存在していた。それこそ、謁見の間を埋め尽くすくらいには。普通、こういうのは宝箱ではないのかと思ったが今更野暮というものだろう。

 恭しくお辞儀したソルトは90度の姿勢を保ったまま口を開く。


「大型アップデートにつき、課金額の多い方に対する……褒章とでもいえばいいのでしょうか? つまりこの中からプレゼントを選んでいただきたいのです」

「まじで? 俺、課金額なら負けない自信あるよ!」

「はい、クロエ様が1位でございました」

「でっしょー? 遺産のほとんどつぎ込んだもん」


 クロエは孤児だ。と言っても、高校生の時からであるから困ったことはなかった。もともと仕事人間であった両親とはほとんど顔を合せなかったから涙も出なかった。家事も掃除も全部自分でやってきたから。まあ、10桁を超える資産家だったらしい両親の金を狙って様々な人物が狙いにやってきたが、そんなことは弁護士とともに立ち向かって勝利してきた。その資産の8桁をこの「ユグドラシル・インデックス」につぎ込んできたのだから、それは1位と言われるだろう。

 ぴょんっと玉座から飛び降りて、クロエはアイテム袋が等間隔に置かれている間を小さい身体で歩く。ふと、水晶の城の壁に映った自分の姿は幼い少女だった。黒髪に青い目、ウサギの耳のフードを被った黒いマントを身に着けている美少女。それがクロエの「ユグドラシル・インデックス」でのアバターだった。俗にいうネカマである。

 やがて、サファイアのような輝きの宝石を留め具に持つアイテム袋を拾い上げる。


「これ、これにする」

「わかりました。では中身を取り出してくださいませ」

「はいはい」


 サファイアのような宝石のついた留め具を外し、アイテム袋に手を突っ込む。掴んだ感触で、中から出てきたのは……。

 青と紺、黒を基調にしたゴシックロリータだった。ひたすらレースの裾の上に長い黒いケープで裏地は赤だった。しかも裏には花の刺繍がされている。その上に大きなジャボ……リボンで止まった短い青いケープ。中のドレスは当然のようにコルセットがついていてリボンにフリルにレースなんて基本知識でしょ? と言わんばかりだ。お袖止めすら大きな黒いリボン、王冠のトップにレースにフリル小さいリボンというゴシックぷりである。最後に、頭にのせるボンネットは青で両脇に金で花の刺繍がしてあった。そこからいくつもの黒いレースがたれ可愛らしい。下着の類も入っていて、そちらは実にお子様らしい可愛いものだったが。

 と、上下の何の変哲もない黒いジャージ。しかし肩のところに黒い布……と思いきや曼珠沙華の描かれた着物の縫い付けられた青年用のジャージと黒いブーツがあった。そちらにも下着が入っていた。


「わー、可愛いね。これ。俺がつけたらもっと可愛くなりそう! ……ってかこのジャージなに?」

「喜んでいただけましたか?」

「うん、すっごいゴスッぷりには若干引くけど可愛いとは思うよ! いや、だからこのジャージ……ま、いっか」


 さっそく装備しよう! と喜んでいるクロエに、微笑ましいものを見る目つきでもう一度深々と礼をした後。ソルトはふいにステータス画面から装備変更で着替えた主に対して口を開く。


「今回の大型アップデートにつきまして、課金額の多い方にアンケートを実施しているのですがされますか?」

「ん? んー……。暇だしやろうかな」

「では『現実世界に大切な人はいますか?』」

「は?」


 いつの間にか取り出した紙面を読み上げるソルトに、ぽかんと口を開けて振り返るクロエに。ソルトはアンケートですので、と断りを入れる。

 ふと、両親が死んだとき大金が自分のもとに転がり込んだ時にやってきた人間たちを思い出して気分を悪くしたクロエはぶすっとその可愛らしい顔を歪めながらはき捨てるようにいないよ、と答える。


「では『あなたが現実世界で大事にしているものは?』」

「いつも手首につけてるミサンガとお金」

「では『現実世界と『ユグドラシル・インデックス』どちらが楽しいですか?』」

「そりゃあ、こっちに決まってる」

「最後に、装備は気に入っていただけましたか?」

「うん!!」


 そこは満面の笑みで頷くクロエに、ソルトはほっとしたように頷いて。


「では、『ユグドラシル・インデックス』の世界をお楽しみください。私どもは「大賢神の塔」で待っておりますが故」

「は?」


 そうして眩しいなんてもんじゃない。目も開けられないほどに光が生まれた瞬間を見ているように、まぶたを閉じても目を焼く光に。クロエの意識は再び落ちたのだった。




 右手の冷たさに目を覚ました。

 目を開けると、そこは森の中だった。種類もわからない木々が鬱蒼と茂っているわけではなく、森にしても比較的浅いところなのか木漏れ日が入って明るいところだ。なぜこんなところにいるのかと一瞬考え込むが、それはともかくとして。重大な事実に気付いた。

 クロエは。


 素っ裸だった。


 いや、手首にミサンガはしていたがそれがかえって変態らしさを上げていた。

 そしてそれは毎日風呂の鏡で見る青年の身体で、いつもの幼い少女であるアバターの身体ではない。ぎょっとするのと同時にあわてて運営に電話しようとするがいつも右手を横に振れば出てくるはずのサポート画面が出てこない。何回ふっても出てこなくて、諦めてこちらも諦め半分左手をふればメニュー画面が出てくる。嬉しい誤算だった。

 そこから、ステータス画面を開き装備という欄をタップしてみるとものの見事になんにも装備していなかった。これじゃあ犬にでもかみ殺されるレベルである。

 いそいでもう一度装備という欄をタップすると、今度は「曼珠沙華の傲慢」と書かれた例の黒いジャージに曼珠沙華の描かれた着物が縫い付けられた服とブーツを装備して、下着も装備する。服の感触にほっとしたところで、クロエは装備の説明を読む。


【曼珠沙華の傲慢】

 魔法攻撃無効化、物理攻撃を無効化、また防塵防汚、耐熱耐寒機能がつき、着ているだけで体力と魔力の回復がレベルに応じて早くなる非常にレアなアイテム。着物の袖はアイテム袋になっている。譲渡不可能。

【曼珠沙華のブーツ】

 どれだけ歩いても疲れない。歩く・走る速度がアップする。譲渡不可能。

【曼珠沙華の下着】

 臭い、汚れがつかない。履くものによってサイズが変わる。譲渡不可能


「壊れ性能かよ……、いや助かるけど。ってか、え? 俺が金と時間を費やして育て上げたカンストアバターは? 〈栄冠の大賢神〉にまで上り詰めたのに運営なにしてくれてんの!?」


 大賢神にまで上り詰める道のりを思い出し、半泣きでクロエは叫ぶ。ばさばさと近くの木にいたであろう鳥が驚いて飛んでいった。

 大賢神とは、識者をカンストさせ、次に上級職である賢者へとなりそれもまたカンストさせ次は大賢者、さらには賢神をカンストさせ大賢神に。そしてそれをカンストさせることによって〈〇〇の大賢神〉という最上級職が得られるのだ。それなのに。ユグドラシル・インデックスを始めてからやっとの思いで昨日カンストさせたばかりだというのにこの仕打ち。

 がっくりと膝をついたクロエは、涙目で恨めし気に装備欄を見たところで、矢印があることに気付く。それはくるりと反転させることを意味する矢印で、なんとはなしにそれをタップしてみると。


「お!? ……って、え? おお!?」


 声が一気に高くなり、身体がしゅううううとしぼんでいく。服はいつのまにか先ほどのゴシックロリータに変わっていて、黒髪は前髪の一部が長く顔にかかった地につくほどに長いツインテールとなっていた。きょろきょろと周囲を見回すと、右手が冷たい原因があった。鏡だ。うさぎの形をした鏡がそこにはあった。持ち手の部分に別の言葉なのに日本語が重なって見えて《魔力を流してみてね》と書かれていたため、うさんくさく思いながらも魔力を流そうとするが……。


「魔力って、どうやって流すわけ……?」


 ふとそこに気付いたためとりあえず、メッセージの点は放棄して鏡として使ってみた。どっからどう見ても非の打ちどころのない美幼女である。とりあえず、金と暇をかけた美幼女アバターが帰って来てほっとしたところで、クロエはゴスロリの性能を調べてみた。


【青薔薇の傲慢】

 魔法攻撃無効化、物理攻撃を無効化、また防塵防汚、耐熱耐寒機能がつき、着ているだけで体力と魔力の回復がレベルに応じて早くなる非常にレアなアイテム。袖止めがアイテム袋になっている。譲渡不可能。

【青薔薇の木靴】

 どれだけ歩いても疲れない。歩く・走る速度がアップする。譲渡不可能。

【青薔薇の下着】

 臭い、汚れがつかない。履くものによってサイズが変わる。譲渡不可能


 つまりは曼珠沙華と変わらない性能であるらしい。ならばどちらでいるかなどと決まっている。栄冠の大賢神であるこのカンストアバターだ。なぜなら、魔法には位というものがある。1~10まであるそれは、○○の大賢神にならないと使えない魔法もある……というか、10位階は大賢神にしか使えないのだ。とりあえず、近くの町まで歩くかと鏡をお袖止めのアイテム袋に鏡を入れ立ち上がったところで。

 これはバグの一種かと思いログアウトボタンを探すがどこにも見当たらない。目を皿のようにしてログアウトボタンを探すがない。青年の姿にもなってみるが、見当たらない。

 さあーと顔が青ざめていくのが自分でもわかる。もともと、脳神経を使うギアを装着するVRMMOは脳に多大な負担をかけるものである。小さい子どもやお年寄りはその使用を制限されるほどには。1日30分、それ以上は頭痛がしてくるほどには。過去にも長い時間VRMMOをしていて障害が残ったなんて事例も多々あるのだ、だからログアウトできないということは脳に永遠に負担をかけ続けるということで。あいにくとクロエには時間で見張ってくれる親も家まで来てくれる友達もいない。もう、いないのだ。


「し、ぬの? 俺……」


 ぺたりと幼い少女の姿に戻ってへたり込む。土の冷たい感触がやけにリアルで、ここは本当にユグドラシル・インデックスの世界なのではないかと思わせる。しかし、メニュー画面についている時計でだが1時間は呆然としていた時。ふと気づいた。


 頭痛がしない。


 それどころか、すこぶる体調がいいのだ。いまにも風になって走り出せそうなほどに。

 30分を越えても頭痛すらしなく体調がいいなんて聞いたことはない。何番煎じかわからない、妄想かもしれない。でもソルトが言っていたことが耳をよぎる。『では、『ユグドラシル・インデックス』の世界をお楽しみください』と言っていなかっただろうか、あのNPCメイドは。もしかして、もしかしてそれが本当ならば。真実ならば。


「ここ、ユグ・インの世界?」


 見上げた青空はどこまでも高く、鳥が飛びワイバーンたちが宙を駆け雲は虹色に輝きどこからか虫の声がする。そう、そうしてどこからか助けを求める人の声が……助けを求める人の声が? ……助けを求める人の声が!?

 ぎょっと目を剥いてあわててそちらに向かって駆けだす。ぐうんと早くなる速度に驚きつつも駆けながら、メニュー画面からステータス画面を開き、自分のレベルと使える魔法を見る。


 小鳥遊クロエ Lv.1

 STR 10 CON 10

 SIZ 10  INT 10 

 POW 10 DEX 10

 APP 10  EDU 10 

 LUC 10  MAG 100

 属性分類:水・火・木・土・風・金・星・闇・光・亜種

 武技:「詠唱完全破棄」「全鑑定」「錬成術」

 呼称:「全属性の魔女」「戦う幼女」「青薔薇を選びし者」「〈栄冠の大賢神〉」「ネカマ(笑)」


「最後のなに、馬鹿にしてんの!? ってか〈栄冠の大賢神〉になってもまだレベルとか関係あるわけ!? それにゴスロリまじ走りにくいんですけど!!」


 下のズボン脱いでいい!? ドロワーズを脱ごうかと一瞬立ち止まりかけるが、それよりもいまは助けを求める人の声だ、と走るのをやめないでおいた。木々をかき分け草を蹴り早く早くと走ってはいるのだが、なにせ足が短すぎる。しかしやっと声に近づいたところで。あと草をかき分けて数メートルというところで。

 ふと。助けを求める人の声が途切れた。

 完全に手遅れかと、減速していくクロエだったが耳をすませば固い何かと金属がぶつかり合う音に減速していった足を速める。もしかしたら生き残りがいるかもしれないと思ったからだ。


 がさっ!!


 背高い草をかき分けてやっと開けたところに出れば、そこには横転した馬車と裕福そうな服を切り裂かれ食い散らかされた人間たちの死体。血の匂いに、ここがまぎれもなく現実なのだとむざむざと見せつけられているかのようで、クロエは吐き気を催す。横薙ぎにされた木々と、灰色の2頭のワイバーンに追い詰められた耳で判断するにエルフや獣人、そして泣いている子どもをあやしている恐怖に引きつった顔の人間をかばっている一人の青年がいた。洋風の……サーベルで慣れない手つきでそれを扱いながら1頭のワイバーンの牙を弾いている。いくつもの傷を負いそれでもぎりぎりの戦いだとわかるのに、もう1頭のワイバーンも興味を示したのかそちらに向かってのっしのっしと歩いて行くところでその表情が絶望に染まる。


「コ……ト?」


 艶のない胸まであるざんばらな黒い髪に、疲れた真っ赤な瞳。色彩だけ見れば、コトリに重なっているのは赤い瞳だけしかなく違うとわかっていた。でも、線の細い体に女性的な顔立ちその顔が、圧倒的なまでにコトリに……クロエの、もう会うことのできない現実世界にはいない親友に似ていて。

 そこで唐突にぴろりーんと軽快な音がして青く透明な画面が現れる。


 ワイバーン討伐クエスト

 達成:奴隷「燕之丞邦永つばくらのすけみやなが」が手に入る

 失敗:クロエ以外全員死亡

 このクエストを受けますか?

 はい  ←

 いいえ


 だから。

 当然のようにはいを選択する。すると青い画面が消える。ふりがななかったら漢字読めなかったやべえ、とか思っていないのである。断じて。

 クロエの上でぶわりと圧倒的なまでに練り上げられた魔力が渦を巻いて、そこから氷が姿を現す。槍の形をとった合計2本の巨大な……ワイバーンの首を貫けるくらいに大きな氷槍だ。

 あまりの強大な魔力に【青薔薇の傲慢】の裾がぱたぱたと揺れる。その氷の槍と、揺れた裾の音でクロエの方を見た青年の顔が驚きに彩られる。


「いけ」


 音もなく空を駆け抜けた氷の槍に気付かずに、ワイバーンは呆気なく。実に魂胆なく絶命したのだった。

 唖然とその様子を見ていた青年はやがてゆっくり自分たちに向かって近づいてくるクロエに剣を向けた。警戒しているのが有り余るほどにわかるくらいぴりぴりと雰囲気が張り詰める。その首についた黒い首輪に見覚えがあった。というか、全員がはめているそれは。


「隷属の首輪……?」

「!!」


 可憐な声が呟いたそれはそう、奴隷の証だ。ユグドラシル・インデックスには奴隷制度があった。それは主にプレイヤーキルをしたものや犯罪者にはめられるものだったが。

 第四位階の闇魔法であるそれは、○○の大賢神でしか使えない第十位階の魔法に解呪の法でしか解けないものだ。ぎりりと歯噛みしながら鋭い視線でカンストアバターである幼女を睨む青年は滑稽かもしれないが、本人にとっては必死なのだ。

 なぜなら、奴隷は奴隷の主や奴隷商人が死んだ場合、一生首輪は取れることはなく。なおかつ発見者に全権利が渡されることになっているのだから。この場合、死んでいる裕福そうな人間が奴隷主か奴隷商人……複数いるところを見ると奴隷商人だったのだろう。いま全権利を託されるのはクロエだ。

 さて、言い間違いを正そうと思う。「奴隷の主や奴隷商人が死んだ場合、一生首輪は取れることはない」といったが、それはあくまでも一般知識で、いつだって裏ルートというものは存在するのである。それが○○の大賢神のみが使える第十位階魔法だ。つまり、クロエはここにいる全員を奴隷から解放することができるということ。

 武技とやらの「全鑑定」というのはわからないが、庇われているものたちを見まわして犯罪者はいないかな? と思い、「全鑑定」と呟くと、視界にその者たちの犯罪歴と呼称が浮かび上がった。誰にも犯罪の履歴はなく、なぜそんな人々が奴隷に? と首を傾げざるを得なかったが、その全員についていた「敗戦国の民」というのが原因だろうと思った。いつだって戦争は負の連鎖しか生まないのだ。だったらここで断ち切るのも一手だろうと、クロエは青年たちにさらに近づく。ちなみに犯罪歴と呼称は一通り見たら勝手に消えた。

 土の上を音もなく木靴で進み、サーベルを向ける青年の前までたどり着くと。そのサーベルの先に、そっと小さな人差し指を刺す。


「な! なにやって!? 危ないだろう!?」

「いや、向けてた本人が言うのそれ。ってか思ったよりも痛いなあ」

「それ……は」

「さて、奴隷諸君。お待ちかねの時間だよ」


 ぽたんと血液が地に落ちたのを見届けてから、クロエは悪戯っぽく笑う。

 放たれた言葉に、主人登録のことだと思って顔を青ざめさせる奴隷たちに向かって、緩く首を振ると青いボンネットについている黒いレースが一緒に揺れる。

 身分の高そうな豪奢な洋服の幼い少女がなぜこんなところにいるのかはわからないし、先ほどの魔法を見たら逃げることもできないだろう。それにこの幼女の身体に防御力があるとは思わない、奴隷の使い道としては肉壁が妥当なところだろう。

 子どもだけでも逃がそうとしている母親らしき人間の女性に、逃げないように釘を刺してから。

 サーベルに刺した指を口に含む。痛みが血の味が、間違いようもなくここはゲームの中ではないと知らせていた。

 故に。


「あー……、あんた。名前なんて言うの?」

「……燕之丞邦永、だが」

「あー、あんたが。ま、いいや。ちょっと屈んでくんない?」

「……」


 訝し気にしながらも屈んでくれるあたり、この青年は完全にはクロエのことを疑い切れていないのだろう。

 そのまま首輪の留め具を千切ると、呆然とされた。いや、誰だってこんな非力そうな少女がいきなり首輪の留め具を引きちぎったらビビるだろうが、そうではない。邦永が驚いたのは、これは隷属の首輪だからだ。解呪方法のない呪いだからだ。まあどう見ても力のなさそうな少女が引きちぎったことにも驚いたが。このときクロエが第十位階魔法を使っていたことなんて、知りもしない彼は、奴隷たちは。

 もう何もなくなった……わずかに首輪で締まっていたのだろう、赤い跡の残る首をぼんやりと触れるだらんとサーベルを下げた青年と、美しい幼女を見比べて。


「ま、こういうことなんだけど。ほかにも奴隷やめたいひと、この指とーまれ! なんちって」


 その小さな指に殺到したのだった。……正直、指が折れるかと思った。




「じゃ、これで最後ねー」

「ありがとうございます、ありがとうございます!!」

「いいえー。もう捕まんないようにしなよね……で、あんた。つば……ミヤスケ?」

「燕之丞邦永だ」

「そうそう、邦永。あんたはなんでまだここにいんの?」


 不思議そうに首を傾げるクロエに、最後の親子が森の方へと走り去っていくのを見送りつつ。邦永は妙に歯切れが悪そうにもごもごと言葉未満の何かを口の中でこねくり回す。視線はうろうろと下の方をさまよっていたが、身長が小さ目なクロエとばっちり目が合ってしまうと決心したように口を開いた。


「……その」

「なに?」

「我が国の民を助けてくれて、心より感謝する。ありがとう」

「ああ、どういたしまして」

「……驚かないのか?」


 小さく目を見開いて邦永は不審そうに眉をひそめる。それを長いまつ毛を瞬かせながらクロエも首を傾ける。


「なにが?」

「我が国の民だ」

「ああ、だってあんた皇子さまなんでしょ? 呼称見ればわかるし」

「きみ、鑑定持ちか!」

「うん? まあね。って、勝手に見たのはごめん謝る」

「いや、しかし人にかけることができる鑑定眼はなかなか見かけないが……それを正直に話す人間もめったに見ない。きみは正直者なんだな」


 ふわりと儚く笑った邦永に、いいえ、この身体自体カンストアバターっていう偽物ですけど。とは言えなかったクロエはひくりと頬を引きつらせる。なにせ青年バージョンはこの身体とは似ても似つかない青年姿である。しかしそんなこと、あって間もない人間に言う気にはならない。たとえそれがコトリにそっくりな顔をしているとしても、皇子とつくからには権謀術中で生きてきたのだろうし、なにが弱みに繋がるかわからない。


「そういえば、あんたはこれからどこ行くの?」

「……そのことなんだが」

「ん?」


 言いづらそうに、申し訳なさそうにしている時点で。クロエはいやな予感はしていた。しかし自分から話題をふった手前「この会話やーめた」なんて出来ないわけであって。

 そもそもな時点で、考えてもみてほしい。敗戦国の皇子は奴隷に落とされるか首をさらしものにされるかだとしてだ。優しい対処として奴隷に落とされた場合、それが解除されていたらどうなるのか。


「その……よかったら、きみの奴隷ということにしてもらえないか」

「は?」

「我が国の民を救ってくれたことといい、武技を打ち明けてくれたことといい。きみは悪い人間ではないだろう。だから厚顔ついでに、きみの奴隷として一緒に行動することを許してはくれないか。あ、こ、これでも一応冒険者アルテに登録はしてないが、魔物の剥ぎ取りなんかも授業で習ったし、迷宮にも潜ったりしたんだ! 手慣れてるぞ!!」


 必死に自分は使えるアピールをしてくる邦永を胡乱気に見つめる。冒険者アルテとはよくわからないが、感じ的にギルドのことだろう。その意図はわからないが、どうしても自分の奴隷になりたいらしい邦永を。「厚顔ついでに」と言っていることから、けっこう図々しいことを言っているのはわかっているのだろう。命の恩人に対して、奴隷から解放したものに対して、その者の奴隷になりたいといっているのだから。


「どういうことなわけ? 俺はあんたを奴隷から解放したのに、また奴隷になりたいの? 意味がわかんないんだけど」

「それは……その。もし、奴隷から解放されていたらおれは殺されるだろう」


 ああ、やっぱり。

 ふと心の中でクロエは落胆して、その大きな青い目を下げた。コトリではないと知っていた、わかっていた。でも。この顔がそっくりな青年に、心のどこかで期待していたのかもしれない。クロエの汚い、仄昏いまでの恋心を感情を知ってもなお「美しい」と言ってくれた、「綺麗だ」と言ってくれたあの親友に、どこまでも他人のことを考えるコトリにもしかしたら心の中まで似ているかもしれないなんて。そんな、夢みたいなことあるはずないのに。そんなとき、すっと邦永がかがみ込んで両膝をつき地面に座り込むと両手をためらわず土の上につけて土下座した。


「おれの生存は今は各地で息を殺しているだろう臣下たちの希望になる。だからおれはどんな方法でも生き延びなければいけない。どんな……奴隷に落とされるという屈辱を負っても。いずれ、月華帝国を復興するために」

「……」


 泣きそうになったのはクロエで、泣いたのは邦永だった。

 ぽたりと目の端から伝った涙が見えた。声に込めた心が、どうしようもなく伝わるようだった。だから。


「奴隷になりたいってのは却下」

「っ!!」

「そのかわりに、あんたの首にはこれを。そして、俺と友達になってよ」

「……え?」


 地面に放り出していたいままで引きちぎりとった首輪の1つを拾い上げて、小さな両手で持つと、四角い魔法陣がゆっくりと回りながら現れた。魔法陣といっても、きちんと錬成陣炉という名前があるのだが。それと同調するようにびりびりと青白い光……稲妻にもにた細いそれが腕にびりびりと絡みつく。邦永が目を見開くのがわかる。


「錬成術」


 ぽいっと両手で持っていた黒い革の首輪を錬成陣炉の中に放り込み、ステータス画面を開く。


 小鳥遊クロエ Lv.3

 STR 10 CON 10

 SIZ 10  INT 10

 POW 10 DEX 10

 APP 10  EDU 10

 LUC 10  MAG 299

 属性分類:水・火・木・土・風・金・星・闇・光・亜種

 魔法:第六位階水魔法「氷槍グロウ・リーパー

 武技:「詠唱完全破棄」「全鑑定」「錬成術」

 呼称:「全属性の魔女」「戦う幼女」「青薔薇を選びし者」「〈栄冠の大賢神〉」「ネカマ(笑)」


 MAGというのがおそらく魔力のことなのだろうなと思いつつ、ワイバーンを倒したからだろうレベルが上がっていることに喜ぶべきか否かを考え、緩く首を振る。動きを止めた錬成陣炉の中に手を突っ込み隣で悲鳴でもあげそうな顔をしている邦永にそれを差し出した。右には青い薔薇左には赤い曼珠沙華、真ん中には金色のダイヤマークが書かれたおしゃれな隷属の首輪にも見えるただの首輪だった。それに闇の第十位階魔法・偽りの情報を見せる魔法をかけておく。


「き、きみ。武技を2つも持って!? いや、それより友達とは……奴隷でなくては町などにも入れな」

「大丈夫、この首輪はめてとりあえずステータス見てみな」

「すて……? とは? ……ああ、鑑定持ちがみれるという「神より授かりし能力値盤」のことだろう? そんなのは教会に行かなくては見れないぞ?」

「え、まじ?」

「ま?」


「神より授かりし能力値盤」とはなんぞや。ステータス画面ってそんな大層な名前がつくほどのもんだったのかと戦慄するクロエ。まあいいかと己を納得させて、全鑑定を発動させる。


 燕之丞邦永 Lv.45

 STR 5 CON 5 

 SIZ 3  INT 5 

 POW 4 DEX 5

 APP 5  EDU 5 

 LUC 2  MAG 23

 属性分類:風

 魔法:第三位階風魔法「疾風の拳フーガ・ティム

 武技:「縮地法」

 呼称:「薄幸の皇子」「剣聖」「忠義の皇子」「敗戦国の皇子」「月華帝国最後の希望」「クロエの奴隷」


「は?」

「え」

「ね、ねえ。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、能力値の平均っていくつ? 最高は?」

「え? 平均は3~4で、最高値は5だが……」


 子どもでも知っていることだろう? と言っている邦永の言葉が耳に入ってこないクロエ。

「クロエの奴隷」とちゃんと呼称に追加されていることから第十位階魔法はうまく機能しているのは見て取れたが、それ以上につっこみが追い付かない。

 クロエは普通のステータスの倍はあるのがMAGをのぞいた平均ステータスというか、そもそも邦永Lv.高いな!! とかMAG低くね? これがこの世界の平均値なの? ってかSTR10とか俺ゴリラかよとかクロエは平均ステータスの倍どころの問題ではないくらいにステータス高いんですけどということなど言いたいことはいっぱいあるけれど。頭を抱え込みたい気持ちがたっぷりだったが、目の前に邦永がいる以上そんな無様なことはできない。

 またここでぴろりーんと軽快な音ともに青い画面がクロエの前に出てくる。


 ワイバーン討伐クエスト

 達成:奴隷(?)「燕之丞邦永つばくらのすけみやなが」を手に入れた!!


 奴隷(?)ってこっちに聞かれても困るんさ! と思いながらも、もう疲れてしまったクロエは儚い笑みを浮かべながら、邦永の方を向き見上げながら言った。


「……とりあえず、町に行って宿でもとってから全部考えようか」

「で、でも!」

「俺の鑑定した限りでは俺の奴隷になってるから大丈夫だよ」

「そ、そう、なのか?」


 いまだ微妙に納得できていないようだったが、鑑定持ちであるクロエの言葉だからこそ信じたのか。邦永はこくりと頷いて町はこっちだと森の方へと駆けていった人々とは反対の浅い森の陽がさす方へと歩いて行ったのだった。




 街に入るための門には当然ながら門番がいた。

 街に入るために3~4人並んでいたため、クロエと邦永もそこに並ぶ。その際、邦永の首輪と幼女のカンストアバターであるクロエを見て、ひそひそと前の旅人たちが囁き合っていたが気にした様子もなくクロエは順番まだかなーとぼんやりしていた。その様子を見てか、邦永が気を遣うように声をかけてくる。


「御主人、どうした……ではなく、どうしましたか? もしお疲れのようならお……私がおぶりましょうか?」

「え? あ、ああ。うん、大丈夫。まだかなーってぼーっとしちゃっただけ。ここまでたどり着くのに色々あったからさ。それとクロエでいいし敬語もなし、一人称も俺でいいよ。あんたは俺の友達なんだから」

「で、でも」

「いいんだってば」

「次のものたち、中に入れ!!」


 はーい、と軽い声で返事をして。これ以上の譲歩は聞かないぞといわんばかりにクロエは白い石で出来た門をくぐろうとしたところで槍を左右から前後に天へと向かって伸ばされる。ようはX型に止められたわけである。入れと言われたから入ろうとしたのにこの仕打ちにクロエの機嫌が悪くなる。必然と顔をしかめ、声が低くなる。


「……なに?」

「身分証の提示をお願いしたいのですが」

「あー……身分証、持ってないんだよね」

「……失礼ですが、どこかの貴族さまのご令嬢では?」

「全然ないですけど。遠い遠いところから来たんで」

「……そのお洋服は?」

「知り合い(運営)がご褒美に譲ってくれた」


 その後いくつかの質問をされ、白い門の石でできた詰め所に呼ばれる。特になんにもしてないのにーと不満げにぶうたれそうになったクロエの耳元で詰め所へと向かうため歩きながらかがんだ邦永がこそりと説明してくれる。


「たぶん、犯罪歴がないかを調べられると思うんだ、だから我慢してくれ」

「あー……犯罪者町の中に野放しで入れるわけにもいかないもんね、わかった。我慢するー」


 これもまた門番の仕事のうちかと、小さくため息をつきながらクロエはこくりと頷いた。仕事ならば仕方ない。詰め所の中に入ると、壁に張り付いている門番の制服を着た人物や机の下に隠れようとして失敗したのか尻だけ出ているものたちがいた。職務中になにやってんのこいつら……と冷めた視線になったクロエに見られたのに気づいたのか、壁に張り付いていたものはへへっとやけに焦ったように壁から離れ尻だけ出ているものの尻を蹴り飛ばす。痛い!! と声がするが、ごまをするような気持ちの悪い笑顔のまま近づいてくる。


「え、ええと。お貴族さまが一体……」

「別に俺、貴族じゃないし。そんなことより早く町入れてくれない?」

「貴族じゃない……え、隊長本当ですか?」

「ああ、それより貴様ら職務中にいったい何を」

「おおーい、お前ら貴族じゃないって!!」


 なんだよーという声がところどころからもれる。と同時に壁や机の下から出てくる詰め所の門番たち。どうやら貴族に見えたクロエになにがしか不敬をしないようにと距離をとり、隠れ(本人的に)、壁に張り付いていたらしい。いや、最後のなんだよとクロエは思った。意味がわからない。


「で、では犯罪歴を見るのでこちらにお越しください」

「はーい、あ。邦永もおいでよ」

「あ、ああ」


 詰め所の門番たちの前に置いていかれるのかもしれないと思った邦永は、クロエに名前を呼ばれてほっと息をつく。安堵がありありと見えるその顔に苦笑しながら、犬に似てるなーとか考えつつ邦永を引き連れて詰め所の奥のほうへと入っていったのだった。


 詰め所の奥のほうには羅針盤にも似た形の真ん中に大きな宝玉が埋め込まれた盤が置いてあった。なにこれ? とか思いつつ近づきまじまじと見ているクロエに、門番の隊長らしき人物は。


「では、それに手をかざしてください」


 と穏やかに言った。とりあえず言われたとおりに手をかざしてみるが、特に何も起きなかった。ぱあああっと輝くのを期待していたのに残念である。

 頭にはてなマークを浮かべながら隊長を振り返る。と、当然のように頷いて犯罪歴はありませんねと言った。輝いたらいけなかったらしい。よかった。と胸をなでおろしたのはクロエと邦永のどちらだったか。

 まあ、そんなクロエも隊長の言葉に首を傾げるはめになるのだが。


「まぁ、これは子機みたいなもので大罪を犯していたらわからないのですがね」

「え、そんなんでいいの?」

「そもそも大罪は都市の中で行われることが多いです。だから」

「身分証も持っていないような……都市に入れない人物が大罪をおかせる訳がない、ってこと?」

「お嬢様……じゃなかった、お嬢さんは小さいのに察しが良くて助かります。では改めてようこそ、ティアラルクの街へ。身分証はどこかのアルテに登録すれば得られますので」


 そう言って隊長は門の内側まで案内してくれ「ここをまっすぐに行けば広場、広場の右手にあるパン屋の看板の方に行けば冒険者アルテもありますので」と言って去っていった。かつかつと木靴が石畳に音を立てて歩く中、ちゃりちゃり足元の鎖の音を立ちながら裸足でついてくる邦永。そういえばこれ邪魔じゃね? と思ったクロエはあとで取ってやろうと一人納得する。

呼称で「剣聖」とまで呼ばれていたはずの邦永がどうしてワイバーンごときに手間取っていたのかと少し疑問だったが、つまり足元の鎖と民が邪魔で思うように戦えなかったのだろう。




「へえ、センスがあるね」

「ああ、穏やかそうな街だ」


道すがら聞いた話で、最近まで戦争をしていたという邦永の感想は犯罪率の低そうな街だ、という非常に施政者らしいものだった。そこじゃねえよとクロエは思ったが、あえて口には出さない。

カラフルな色皿でできた大きな3段重ねの噴水とか、途中でレンガ調に変わった石畳とか、女神のような美しい女性の真っ白な石像とか。そういうことを言いたかったのだが、邦永には理解してもらえなかったらしい。まあ用事があるのはここではないのだから別に構わないが。わいわいと子供も大人も人騒がしい大広場をパン屋の看板らしき長細い楕円が交差している鉄看板の下を通って、邦永と手を繋ぎながらとことこ歩いて行く。

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