第2話
激しく嘔吐する女の子を、男たちは盛大に笑う。
「うわっ、きったねぇなあ」
「あーあー、せっかくのご馳走を。親の肉なんて滅多に食えねぇんだぜ?」
「いや、いや、そんな……ッ」
受け入れ難い現実を前に混乱する女の子へ、男たちは大上段から勝ち誇った表情で突きつける。
「これでお前も、逃げたところで街に入る前に鑑定を受ければ盗賊! 縛り首確定の討伐対象だ。死ぬまでコキ使ってやるから覚悟しておけ!」
愉快そうに笑う男たちを、女の子が睨み据える。
その目は未だ動揺に揺れていたが、しかし滲む殺気だけは明確に二人へ向けられていた。
「このっ……殺してやる!」
しかし、飛びかかった少女は、無情にもただの一蹴りで吹き飛ばされてしまう。
何も持たない子供の僕らにとって、男たちは千に一つも敵わぬ相手だった。
硬い靴の爪先がめり込んだ腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべる彼女に向け、二人はさらに暴力を振るいはじめた。
「汚えのに寄ってくるんじゃねぇよ!」
「くっせぇなあ! ほら、吐いたゲロのとこ行け! お前が雑巾になるんだよ!」
女の子は、悲鳴の一つも発さない。そもそも、まともに息をできてないのだ。彼らの無力な相手への暴力は、そのまましばらく続いた。
「ほら、餌食わせてやったんだからさっさと寝ろ!」
満足した男たちは、そう吐き捨てるとようやく部屋を出て行く。
彼らが遠ざかったのを確認したのち、僕らは暴行を受け無惨な姿となった少女のもとへ駆け寄った。
青い顔だ。まだ生きてはいるとは言え、意識がある様子も見受けられない。
「おい……こいつ、持たないんじゃないか……?」
「運が悪かったのよ……私たちとしては、助かるけど……」
「まあ、な……」
潜めた声が、いくつか耳に入ってくる。暗憺たる気持ちの僕に、モリィが声をかけてきた。
「あ、あの、お兄ちゃん。これ……」
差し出されたのは、先ほどの鍋の残りであった。見つめ返す僕に言う彼女の、健気な姿が逆に胸を痛めた。
「た、食べないと、元気になれないから。一口でもいいの、食べて欲しくて……その……」
言葉に詰まるモリィへ、僕はなるべく心を込めて笑いかけた。
「ありがとう。貰おうかな。明日も早いし、先に寝ておいてくれるか」
「え……で、でも、もし夜中、お兄ちゃんに何かあったら」
「お兄ちゃんは、もう大丈夫だから、ね」
安心させるため、目の前にあるだけで胃のむかつきを感じるそれを、腹を括り頬張って見せる。
すると驚くことに、口に入れた瞬間一切の心理的抵抗が消え、心から美味いと感じてしまった。それほど、この小さな体は餓えきっていたのだ。
その後、何かあったら起こしてね、我慢しないでね。という念押しのうえで、一先ず安心してくれたらしいモリィは眠りについてくれた。
傍らで寝息を立てる彼女のみならず、この場に居る全員が寝静まるまでのあいだ、僕は男が鑑定と口にしていたのを思い出していた。
街に入る前に、門番から魔道具による鑑定を受け、何らかの違反行為が発覚するとそれに応じた制裁を受ける。
これは僕のこの体に宿った記憶にある情報であり、そして僕が元の日本で持っていた人気VRMMO、エレメンタルキングダムオンライン。通称エレキンの設定でもあった。
エレキンは世界的にも多くのプレーヤーを抱えているうえ、幅広い世代に人気のあるゲームのうちの一つだ。
余裕のある家の奴は小学生の頃からプレイ環境を自慢していたし、中学に上がるぐらいから、学年内でのプレー人口もグッと増える。
高校に上がる頃になれば、大抵の奴が一度はプレイしているほどの流行ぶりで、ゲームやアニメ、漫画すら禁止の我が家で育った僕は、結構な疎外感を覚えたものであった。
それでも、情報自体はずっと追い続けた。そのおかげか、エアプ勢ながら掲示板で攻略法やキャラクターの育成に関して意見を述べ、それがあるギルドによりレイドバトルで採り入れられたこともあった。
未プレイであることがバレたことは、一度もない。むしろアドバイスを求められたり、ときに運営側と疑われるなど、賛辞とも取れるレスポンスを貰えたこともあった。
そういった時間のおかげで、僕はかろうじて受験勉強を耐え抜き、小さな頃からここに受かれと言われてきた志望校にも現役で合格することができたのだった。
もっとも、その後はなんのやる気も起こらなくなってしまい、二度の留年という体たらくだったのだけど……親はさておき、我がことのように喜んでくれた高校の先生たちには、会わせる顔がないなあ。
幸か不幸か、毎日酷使されていることもあって、あっさりと全員死んだように眠りはじめた。
それを確認したのち、僕は先ほど暴行を受けていた女の子に近寄る。既に青いを通り越し、土気色に近い顔でぐったりしていた。
ともかく、今は状況が状況だ。仮にここが卒中で倒れている僕の夢の中だとしても、こんな小さな、放置すれば死んでしまう子を放っておくこともできない。そんなのは、さすがに寝覚めが悪すぎる。
「ライトヒール」
彼女に手を翳し、エレキンでもっとも初歩的な回復魔法の呪文を唱えた。
すると、緑色の淡い光が女の子を包み込む。女の子の顔色は、多少マシになったように思えた。
「ライトヒール、ライトヒール……」
何度か連呼すると、その途端立ち眩みに襲われた。これまで魔法を使ったことのないこの体は、ライトヒールを数度使用するだけで耐えられなくなってしまうようだ。
崩れ落ちかけたのを堪え、魔力が自然に回復するのを待つ。
幸い、女の子の呼吸は既に自然なものへと戻っている。この様子なら、大丈夫だろう。
念のためもう一度だけかけたのち、次は自分の体に。それが終わると、今度は眠っている仲間たちの体を、そっと治療していく。
呪文を繰り返すうち、知識としてしか知らなかった魔力の流れや扱い方を、少しずつ体感を通しても理解しはじめる。
そうしているうち、少しずつ要領も掴めてきたので、全員の健康状態を改善することにも成功した。
さすがに子供の体ということもあり、酷い倦怠感だが……これでこの子たちのリスクが少しでも減るようなら、何よりだ。魔力自体も、朝になればほぼ回復するはずだ。
とは言え、ずっとあの男たちに従い続けるわけにもいくまい。
所詮僕らは拐われたり、襲撃を生き延びてしまったあとに手を汚させられ、逃げることもできず陽動や足止めとして半ば捨て駒扱いを受けているのが現状なのだ。
「……○○」
(補助的かつ、初歩の魔法バフ系の名前を考えておく)を唱えたものの、先ほどのライトヒールと違い、とくに変化は起きない。
ゲーム時代であれば、戦闘や訓練などでのレベル上昇時に貰えるスキルポイントというものがあり、それを使ってプレイヤーキャラクターに魔法や新しいスキルを覚えさせることができた。
おそらくこの世界にもそれに準ずる仕組みがあるのだろう。レベルやステータスのように、数字で可視化されたものではないにせよ、僕が現時点で魔法を覚えられる余地というのは、既にライトヒールで埋まってしまったのだ。
新しい魔法やスキルを覚えるためには、僕自身のキャパシティを大きくしたのち、改めて取り組まねばなるまい。
ここがどこなのか、元の自分はどうなっているのか、自分がなぜ他人の体に乗り移っているのかまではわからない。
けど、このままではじり貧。なんとかしないといけない。幸い、ゲームの情報と同じように魔力は使える。
力を少しずつ蓄えながら、子供たちを守りつつ奴らの寝首を掻く機会を窺う。それを当面の方針として定め、モリィの隣で硬い床に身を横たえたとき、誰かの声が聞こえてきた。
「お父様……お母様……」
その主は、今日連れて来られたばかりの、うなされた少女であった。彼女がどんな夢を見ているのか、今の僕には知る術もないのだ。
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