試し(仮)

於保育

第1話

 さっき倒れた原因は、おそらく脳梗塞が原因だろう。


 僕の親族たちにとって、この死因は実に四割強を占め、罹患率に至っては五割を超えているのだ。


 なれば僕も、その因子を受け継いでいるのが自然というものだろう。


 それにしたって、まだ生きていられるとは運がいい。症状が出たのは借りているアパートで、ネットに接続し人気ゲームの雑談をする掲示板を覗いていたときのこと。


 そのまま悲惨な仏になるのが普通だと思うが、いったい誰が助けてくれたのだろう?


 訪ねてくる友人もいなければ、その日は日雇いバイトも入れていなかった。


 以前その種の派遣をサボると、家に押し掛けドアを蹴られる、と言った噂を耳にしたことがある。


 もしかすると、勘違いで僕がトンズラしたと思い込んだ派遣会社の人がドアを蹴りに来て、そのとき部屋での異変に気づき助けてくれたのかもわからない。


 もっとシンプルに、点検で訪れた管理会社の人がというパターンもあるが、いずれにせよ、あとでお礼を言わなければ。


「お願いします。お兄ちゃんを食べないで下さい」


 すぐ隣から、女の子の啜り泣く懇願が聞こえてきた。


 泣きベソをかいて、かわいそうに。他の患者さんの親族だろうか?


「モリィ、気持ちはわかるけど、仕方ないだろ」


「お前だって、この前シドニエルが討伐に来た冒険者にやられた傷で死んだときに食ってたじゃないか」


 他の声も、重く深刻な響きを伴っているが、どれも変声期前と思われる子供のものばかりだ。


 いったい、どういう状況なのだろう。冒険者、などと言う言葉から察するに、ごっこ遊び中トランス状態にでも陥っているのか?


 それにしては、死んだとか食ったとか、随分と物々しい言葉が並ぶ。


 これもおそらく、デフレで希望の見えない世の中が原因に違いない。まったく、痛ましい限りだ。


 去年成人してしまった身として、少しでも世の中をマシにしていかなければ。


 もっとも、現在三度目の大学一年生をしている僕が言えたことではないのだけど……。


「でも、お願いします。お兄ちゃんはまだ生きてるんです。ほら、触って確かめて下さい。冷たくなりかけてた体も、あったかくなってきたんです」


 小さな手が、僕の体を揺する。え、僕? 我が家は一人っ子だったはずだけど……そう思っている間にも、伸びてきた複数の手が僕の体をまさぐる。


「たしかに、体温は戻ってきたけど……でも、お前だって見てたろ? 自分の兄貴が強く頭を打ってたの」


「チュアレンのときもだったけど、結局そのまま死んじまったもんな……残念だけど、こいつも……」


「それでもあと少しだけ、目を覚ますまで待って欲しいんです」


 まだ、ごっこ遊びが続いているだけ。そう考えられないこともない。


 しかし、それ以上に違和感のほうが大きい。なぜベッドが、まるで地面にそのまま寝かされているかのように硬いんだ?


 なぜあの病院の、消毒液が大気に染み込んだかのような臭いとは違う死臭が漂っているんだ?


 なんとか重い瞼を開ければ、目の前にあるのはごつごつとした岩肌の天井だった。


 一体、ここはどこなんだ? まるで洞窟の中みたいだけど……。


「お、おい、ロブのやつ、目を覚ましたぞっ」


「お兄ちゃん!」


 次々と僕の顔を覗き込む、外国人の子供たち。と、東京だとこういうこともあるのか?


 そのうちの一人、泣き腫らした目をした小さな女の子が、僕に飛びついてきた。


「お兄ちゃん……本当によかった……っ」


 とりあえず、混乱した頭で彼女を受け止めながら状況を把握しようとするもーー。


「え……なに、これ」


 汚れた衣服はともかくとして、腕が酷く細い。まるで女のそれのようだ。


 別に、元から筋肉質というわけでもない。


 それでも、週に何度か日雇い派遣でピッキングをしているからか、最近人並みの太さにはなりつつあったのに。


 もしかして、倒れてから目を覚ますまで、結構な時間がかかってしまったとか?


 そう思ううち、はたと気づく。もしかしてこれ、子供の手のひらじゃ……。


「ロブ。お前、さっき馬車を襲ってたとき、頭を打って動かなくなってたんだぞ」


「一応こっちに運びはしたけど……まあ、とりあえず助かってよかったよ」


 汚れた服を着た子供たちが、安堵と気まずさが入り雑じった表情をしている。


 それにしても、馬車を襲う……? 馬車なんて今ではすっかり限られた場所でしか使われていないはずだけど……。


 そんな中、再び僕をお兄ちゃんと呼ぶ子が僕と目と鼻の距離まで顔を近づける。 


「お兄ちゃん、痛いところはない? モリィのことわかる?」


 モリィとは、この子の名前だろうか? 正直、何が何やらさっぱりだけど……。


「……頭とか節々が、交通事故にあったあとみたいに痛いかな。それに、ぼーっとして……」


「こうつうじこ? なんだそりゃ……」


「ま、まあ、あれだけ強く打ったし、意識がはっきりしてないんだろ。正直みんな、絶対死んだと思ってたし」


「とにかく助かってよかった。具合が悪かったらすぐモリィに言ってね。もしお兄ちゃんに何かあったらーー」


 そのとき、入ってきた男たちがモリィと名乗る女の子の声を、怒声と地面を重そうな棍棒で打つ音で遮った。


「おい、静かにしろ! 殺されてぇのか!」


 黒目が奥まった印象を受ける薄汚れた、卑しい者たちの目が罵声とともに僕たちを次々睨み据えていく。


 そして、そのうちの一人の目線が僕へ向いたとき、その男は意外そうに目を丸くした。


「なんだ、あの怪我で生きてたのか。それにもう体を起こして……頑丈なガキだな」


「お前運がいいなあ。あと少し目を覚ますのが遅かったら、そいつらに食い殺されてたんだぜ」


 他の男が髭面を歪めた嘲笑とともに口にした侮蔑の言葉に、みんなが顔を伏せる。


 しかし、僕が彼らへ恐怖や嫌悪を感じることはなかった。むしろ、その対象は今入ってきた男たちへであった。


 何を言ってるんだ、食事を減らし、そうするしかないよう、仕向けているくせに。そんな憎悪が、急に腹の底から沸き上がってきたのだ。


 なんだ、この感情は。僕はこいつらと初対面のはずなのに、妹と無理矢理盗賊にされ、虐げられてきた記憶が次々と……。


「今日から新たにお前たちの仲間になるガキを連れてきた。ほら、挨拶しろよ」


 縛られた女の子が、剥き出しの地面へ無遠慮に放り出された。ちょうどこの子たちと同じぐらいだろうか。


 それでも、すえた臭いのボロを着た僕らと違い、フリルをあしらった可愛らしい洋服を着ている。もっとも、それは無惨に破れていたが……。


「お父様とお母様はどこだ! お前らなんかすぐに縛り首にーーぐゥッ!」


 起こした体を容赦なしに蹴り飛ばされたその子は、そのまま何も抵抗できず頭を踏みつけにされた。


「ぎゃああああ!」


「これ以上騒いだら、踏み砕くぞ! いいのか!」


「ごめんなさい! ごめんなさい! 殺さないで!」


 ミシミシと軋む音が、断末魔のような絶叫の中でもこちらにも聴こえてくる思いだった。


 足を退けられたあとも罵声を浴び、痰まで吐きかけられた女の子は、男たちが去ったあとも、そのままシクシクと泣いている。


 頭が痛むのはもちろんだろうが、屈服させられてしまった悔しさも大きいのだろう。


 僕も高校に入るまではテストで一番以外を取ってしまったり、一番でも前回より点数が下がっていたりすると、怒り狂った父親にやられたものだ。あれは体はもちろんながら、心にも響いてしまう。


それぞれ手に何やら持って戻ってきた男たち、舌打ち


「まだ泣いてやがんのか……メソメソしてると今度は本当に踏み砕くぞ!」


「へへ、心配すんな。愛しのパパとママには、すぐに会わせてやるからよ」


 男はそう言うと、びっしり脂汚れや錆がこびりついた鍋を乱雑に置く。


 その勢いで飛んだ中の汁が容赦なく僕らのうちの何人かにかかり、熱さを堪えるため奥歯を噛み締める羽目となった。


「ほら、歓迎パーティーだ。今日はお前らにも特別に肉

を食わせてやる」


 たしかに鍋の中のスープには、肉が入っていた。鋭い骨についたそれが、鍋の中に結構な割合で詰め込むように入れられている。


 みんな、暗い顔ながら各々の椀を持ち、スープをよそっていく。モリィというらしい女の子が、遠慮がちに僕へ訊ねた。


「……その、お兄ちゃんは」


「……俺は、いい。まだ、食べられそうにない」


 僕の顔を確かめたのち、モリィは鍋へ向かう。


「ほら、お前も食えよ。まだまだた

とあるんだから」


 男は、この前冒険者に射殺されたシドニエルのーーもっとも、こいつらがあいつの名前を覚えているとも思えないがーー器を掴むと、中身を盛って先ほど連れて来られた女の子にも渡す。


 突然柔らかくなった男の態度に戸惑う様子を見せながらも、女の子は先ほどの恐怖からかそれを受け取った。


 みんな、一言も口を利くことなく、黙って中身を胃に収める。女の子も、空腹を堪えきれなくなったか、やがてはそれに手をつけはじめた。


 思い出さざるを得ない。僕らはみんな、こうして逃げられなくなったのだ……。


 女の子がスープに口を付けたのを満足げに見下ろす男は、しばらく経ってから残忍な笑みを浮かべこう訊ねた。


「おいガキ、いい加減親の顔が見たいだろ」


「あ、会わせてくれるの……?」


 期待を滲ませる女の子の前に、奴らは何かを乗せ布をかけた板を置く。


「ああ、こいつらもお前に会いたがってたぜ。そらっ、親子感動のご対面だ!」


 布が取り払われた瞬間、驚きに見開かれていた少女の瞳が、絶望に染まった。


「あ、ああああァッ!」


 そこにあったのは、散々いたぶられたうえ殺されたであろう、凄惨な死に顔をした彼女の両親の生首であった。

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