3-11
何かが起きた、ということはすぐにわかった。
こんな経験は何度もしたことがある。
だが、それ以上に脳が展開に付いて行かなかった。
その場合は体が自動的に対応し、頭は後から追いついてくる。
しかし、体は行動を起こす前に宙へ投げ出された。
「――ん、――」
ただでさえ血が足りなくて頭がぼおっとするのをカフェインで抑え込んでいたコミスは鉄に頭から叩き付けられ、気を失っていた。
しかし、頭に響くガンガンとした音が痛みを増幅させ徐々に重い目蓋が開く。
しかし体はすぐに起こさない。
床に耳を押し付け、音を聞いた。
迫ってきていたエンジン音とは別の物がコミスのいるコンテナ車の隣に付けているのはすぐにわかった。
問題はその音から降りた足音が迫り、コンテナ車に乗り込もうとしていること。
コミスは立ち上がるとコンテナ車の奥に進み、AKを抱えて身を小さくする。
敵は二人ずつ内部に降り立ち、慎重に小銃を構えていた。
最初の二人が中央まで進むとまた別の二人が乗り込む。
装備も武器もバラバラな盗賊たちは油断なく小銃を構え、暗い車内をゆっくりと進み――
そして、立ち止まった。
コミスより先、二メートルほどの位置の中央より左側にわずかなふくらみがある。
散らばった荷物に埋もれたそのふくらみには、わずかにコミスが身に着けていた防寒着が覗いていた。
敵は油断なく小銃を向けながら、先頭にいる二人のうち一人がゆっくりと防寒着に覆い被さっていたコミスの荷物に手を伸ばす。
敵は一息にそれを取り除き、防寒着に銃を向けようとした。
しかし、意識は軽い金属音が弾ける音に引きつけられた。
「――ッ!」
荷物を取り除いた一人は隣にいた仲間を突き飛ばし背中を向け、そこで絶命した。
彼を襲った激しい爆風と無数と破片はコミスが直前に仕掛けたブービートラップ用の手榴弾から発せられたもの。
その破片はすぐ近くにいるコミスのもとまで届いたが直前で鉄の板に防がれ、爆風は二つの鉄の板の間を抜ける。
咄嗟の判断で紐と手榴弾のピンを結び、防寒着に隠した重りに括りつけたが、うまく作動するか・感づかれないかの確証はなかった。
それに隠れたコミスに気づいて襲われる可能性も否定しきれなかった。
しかし、粗雑なブービートラップは作動し、敵はまんまと意表を突かれた。
コミスは飛び出して、AKを正確に構える。
銃口が捉えたのは味方に突き飛ばされ、九死に一生を得たものの足が爆ぜた敵。
痛みに歪む顔面に躊躇なく弾丸を叩きこむと、躊躇いなくその場から飛び退き中央の寝台車に駆ける。
手榴弾から守られた残りの二人は盾になった味方をどけるのを躊躇い、コミスを追うのに一瞬の隙を与えたのだ。
その隙を見逃すコミスではない。
しかし一息に寝台車まで飛び込もうとしていたコミスは足を止める。
そこにあるはずだった天井の無い寝台車は暗闇の中横倒しになり、コミスに向けて抉れた横っ腹を晒していたのだ。
「あそこに誰かいるぞ!」
そして真横から聞いたことのない声が叫ぶのが聞こえるのと同時に、コミスの体は反射的にコンテナの淵から列車に右側の雪原に飛び込んだ。
一瞬遅れてコミスが先ほどまでいた場所に無数の弾丸が飛び、コンテナの淵を削って夜闇に消えていく。
その銃声は先程までコミスの頭に響いていたもので、つい先程までもコミスの後ろから――つまり中央の寝台車側で聞こえていたものだ。
先程までは狙われていないと確信していた。
しかし今この時をもってコミスも彼等の標的になったらしい。
「――どうするよこれ」
このまま雪の上に横たわっていれば、先程取り逃した残りの二人が確実に殺しに来るだろう。
コミスは確信を持てないまま立ち上がり、あえてコンテナ車の後方に向かって走り外壁に張り付いた。
コンテナ車から出てきた敵が視界に広がる雪原にコミスを探すかもしれないという一か八かの賭けだった。
コミスは再び闇に息を潜めて敵の動きをじっと待つ。
しかし、賭けは思わぬ方向に転がりだす。
銃声が聞こえたのはコミスのいる車両右側ではなく、先程コミスに向かって発砲してきた敵のいる車両左側。
それも小銃の連射音ではなく、聞き慣れない独特の鈍い破裂音。
「コミス!コミス!」
「その声は――スーか?!」
通信機越しに鈍い銃声が聞こえ、続いて何かが風を切って物体を切り裂く音。誰かの苦悶の声が聞こえた。
「助かった。私はこれからジョンを助けに行くから――コミスは皆をッ!」
「お、おいそれは一体――」
そこで通信機は途切れる。
呼びかけてもしばらく返答はないだろう。
コミスは闇の中で一瞬思案する。
スーの口ぶりからするに、おそらくジョンも危機に立たされている。
そして、それは列車にいる残りの面子にも。
ひとまずそこで思案は中断し、コミスはコンテナ車にいた残りの敵の動向を探ろうとした。
先程から足音などは一切聞こえない。
もちろんコミスの視界にも映ってはいない。
恐る恐る車両の後方に向かって進み、角から向こう側を覗き込む。
視界に捉えたのは、一台の兵員輸送車。そこから降りる二人の人影と、つい今しがたコンテナ車から飛び降りたであろう二人の人影が合流している場面だった。
これは、まずい。
即座にそう感じたコミスは銃声の鳴りやまない奥の雪原から反転して先頭の寝台車を目指す。
その間に、聞こえているかはわからないが通信機に向かって
「増援は全部そっちに向かったみたいだ。できるだけ早く追い付く。それまで持ちこたえてくれ」
と、まるで祈るように言った。
銃声がほんのわずかに途切れたのは、少しい遠くにいたジョンにもわかった。
すぐに銃声は聞こえたが、その音には今まで混じっていた金属に弾丸が当たる音は聞こえず、間近まで迫っていた敵集団も一瞬だけ足を止めた。
その隙を見逃すジョンではなかった。
ジョンは幹から飛び出すとFALを構える。
一番近くの敵。真正面に立つ男と眼が合い、両者必殺の間合いで己の刃を向けた。
わずかに勝ったジョンが心臓に二発の鉛を叩き込んだ。
そのつもりだったのだが、熱を持った右腕が激痛を訴え銃口が大きく跳ね上がり、結果として二発目の弾丸は敵の脳天を貫いた。
そして運の悪いことに、最後の瞬間に敵の放った連射が空を切り裂きつつもジョンの右腕を掠ったのだ。
耐え切れなくなったジョンはFALを取り落とし、腕に絡まったスリングをFALから取り外すと右腕にきつく縛りつける。
「あそこだ!」
「いたぞ!」
その瞬間、急に灯ったいくつかの光源がジョンの方向を明確に示し、同時に殺意の込められた銃弾が降り注いだ。
咄嗟に元いた針葉樹の幹に飛び込んでやり過ごそうとしたが、今度は右腿に銃弾が掠める。
「ぐッ!」
右腕ほどの怪我ではないにせよ、一瞬だけ意識がそちらに向き判断が揺らぐ。
「包囲しろ!」
その一声を筆頭に、敵の集団がまばらにある針葉樹の隙間を縫ってジョンを包み殺そうとしてくるのがわかった。
ジョンは揺らぐ意識を太腿の傷を殴って無理やり引き戻すと、左手でHK45を引き抜き幹の左に飛び出して直感だけで目の前の敵に攻撃をする。
敵ももちろん反撃してきたが、ジョンもそれを見越して姿勢を低くして飛び出していた。
敵の放つ銃弾はジョンの頭の上をきって飛んでいき、ジョンの放った弾丸は狙い通り右膝を破壊した。
痛みに叫び声を上げる敵の、左二十メートルにいる仲間がジョンを殺そうとするより先にジョンは跳躍して、今しがた膝を破壊した敵を盾にして攻撃を防ぐ。
引き金を引くのを躊躇う隙は一瞬でも、ジョンにとっては貴重な一ターン。
敵の一手より先に次の一手を打つ。
盾にした敵を引きずるようにして別の幹に飛び込み、敵の包囲から徐々に逃れ、敵の包囲を内側から食い破ろうとする。
「回り込め!」
敵の隊長も柔軟に対応し、包囲の形を変えてジョンを確実にしとめようとしていた。
その時だった。
この一瞬の、ジョンと敵の命のやり取りに別の銃声が混じったのだ。
それはジョンにとっては聞き慣れた、ひょっとすると心地いいとすら思える、妙に安心感のある鈍い銃声。
同時に聞こえる情けない悲鳴は、よく知った悪魔が剣を振りかざすと必ず聞こえる誰かの断末魔。
勝機は唐突に目の前にぶら下がってきたのだ。
「ジョーン!!」
その凛とした声は聞き慣れた勝利の女神の物だ。
応える余裕のないジョンは、確保した盾を躊躇なく捨てると右手で逆手にナイフを抜く。
そして自分が隠れていた幹の反対側にまで迫ってきていた二人の敵の前に飛び出すと、前に立った一人の懐に飛び込む。
接近戦を覚悟していた敵は距離を取ろうと一歩下がるが、ジョンは軸足を刈ってバランスを崩す。
ジョンが右手に持ったナイフを首に突き立てると、相手の体重がかかり深々と突き刺さった。
そのままナイフを強引に引っ張り自分に引き寄せると、まだ温かい盾に左手の拳銃のトリガーガードを押し付けて二人目に向かって二発続けて発砲した。
しかし右腕に無理に力がかかった為、ナイフと盾を取り落してしまう。
その瞬間、さらに奥に待ち構えていた別の敵が待っていましたと言わんばかりに連射するのが見えた。
ジョンは咄嗟に雪原を転がってさらに左にある針葉樹まで移動するが、左の太腿と腹部に強い衝撃を感じた。
遠くの銃声を聞く限り、スーはまだ手こずっているようでジョンの下に来るにはまだ時間がかかるようだ。
敵はジョンの対応をしつつも、正確にスーに対応している。
間違いなく“スーとの戦い方”を熟知していた。
ジョンは幹に寄り掛かりゆっくりと呼吸をする。
肺に凍りついた空気が痛みに揺らぐ意識が明瞭になる。
太腿は体重に耐えられず軋みを上げ、腹部は呼吸をするだけで激痛が走る。
しかしここで座り込んでしまえば、両手を上げているのと同じこと。
最後の最後まで抵抗するつもりのジョンにその考えは一抹すら思い浮かばなかった。
「…………」
ゆっくりと敵が近づいてくるのを感じながら、ジョンはスーが間に合わないことを確信していた。
コートを捲り、被弾した腹部を確認すると固い素材のが一部だけ凹んでいるのが確認できる。
列車を降りる前に着用したボディーアーマー。その腹部にあるセラミックプレートが貫通を防いでいた。負傷したことに変わりはないが。
次にHK45の予備弾倉を取り出してコートのポケットに忍ばせる。
本当は右手に持ちたかったが、震える手ではしっかりと保持できる自信はなかった。
ジョンはもう一度息を吐いて覚悟を決める。
耳元ではスーが何かを言っているが、ジョンの頭にはどうやって生き残るかという思考だけが回っていた。
覚悟を決め三度、幹から飛び出そうとした時だった。
「待て」
敵の隊長の声が発せられ、一瞬の沈黙が訪れた。
そして沈黙が破られるのも一瞬だった。
「――――」
隊長の隣にいた男の胸部が吹き飛んだ。
同時にその男が隠れていた木に大きな穴が開き、幹が弾ける。
「スナイパーだ!」
隊長が叫ぶのとほぼ同時に銃声が鳴り響き、皆が素早く動いて狙撃手の方向から隠れる。
しかし、わずかに遅れた一人の両腿が無くなり、絶叫した。
少し遅れて始まった制圧射撃が倒れた列車から始まり、敵を釘付けにする。
「ジョン!無事か?!」
「コミスか――」
「頭出すなよ」
その言葉のとおり、連続で放たれる銃弾はジョンの下にも届き、辺りで弾ける。
コミスはスーに連絡を取り、左から制圧射撃を薄くしてスーが浸透しやすい道を作るという計画を語った。
そのすべてを説明されるより先にスーは動き、自分を抑え込んでいた敵を蹂躙し始め徐々にジョンに近づいてきた。
ジョンの周りの綿密な制圧射撃が薄くなる頃にスーが近づいてきた。
「大丈夫っ!け、怪我とか――」
「俺は大丈夫だから、残りを頼む」
「えっと――わかった。ちょっと待ってて」
スーはそれだけ言うと走りだした。
それから何度か散弾銃の銃声が聞こえたが、ジョンの意識は薄れて行った。
再びジョンが目を覚ますと、雪原の上。スーの膝の上に頭が乗っていた。
頭を右に傾けると横倒しになった車両とは別に、線路の上に列車があり周りには軍人が一定距離を保って周辺を警戒していた。
「俺は、どのくらい気絶していた……」
「うーん、ほんの数分かな」
「そうか」
「うん。」
「あれは――増援、とは違うか」
「うん。あれからすぐに来てジョンの応急手当てもしてくれた。この先の駅に駐屯してるんだって」
「そうか、じゃあ」
ジョンは空を見上げて息を吐いた。
仕事はここで終わり。ひとまずの心の平穏が得られたような気分だった。
ぼんやりと空を見上げていると、その視界をスーの顔が遮る。
「よかった。ジョンに何かなくて」
スーはいつものような少女の雰囲気ではなく、落ち着いた戦場の雰囲気でそう言うと上からジョンの頭を柔らかく抱擁した。
「スー」
「ん~?」
「苦しい」
「ごめん」
スーから解放されたジョンは起き上がろうと体を曲げるが
「――ッつ!」
「だ、大丈夫?!」
「あ、ああ、問題ない」
本当は腹に激痛が走って呼吸もおぼつかなかったが、ジョンはふらふらとスーに支えられながら立ち上がった。
「無理すんなよ。重傷なんだから」
列車の方から歩いてきたコミスがジョンの右肩をわざと強く叩き、スーに睨まれて一歩下がる。
「真面目な話。援護が遅れてすまなかった」
「いや、あんなの少し前に比べたらまだましな方さ。助かった」
「あれを基準に話したら、大抵のことはマシになっちまうだろ」
ジョンとコミスはまだ同じ部隊にいた頃を思い出していた。
当時は寝ても起きても命の危険を隣人に感じるほどの生活を送っていた。
そのせいか、大抵の問題は自力で解決できる胆力は身に着いたのだが、あまり二人はうれしくは思っていない。
「それに、もう終わりなんだろ」
「ああ、らしいな。ひとまずは次の駅で終わりらしい。」
「その後はどうなるんだ?」
「列車で送り返すか、自由にして構わないらしい」
「そうか」
三人は列車に向かって歩き出した。
途中、ジョンは雪に埋もれた胸から上の無い死体を見つけて呟く。
「そういえば、対物狙撃ライフルなんて積んであったか?」
「いや、列車にはなかったよ」
スーが応えるとコミスが続く。
「そう言えば、あいつ等も知らないらしい」
あいつ等とは、後から来た軍人たちだ。
「あんまり覚えてないけど、銃声結構遅れてたよな」
「ああ、たしか。スーは?」
「ええっと……ごめん、夢中で」
スーは恥ずかしがるように顔を俯ける。
「そうか」
何処からともなく飛んできた大口径に命が救われる。
そんなおとぎ話を信じるつもりはなかったが、今ジョンを支えている存在がその考えを否定している。
ジョンは弾丸が飛んできたであろう方向の、その先の山を見つめて心の中で感謝を言う。
「…………チーも、生きてたんだ………………」
スーの小さな呟きは、その場にいる誰も聞き取ることができなかった。
軍人の話していた兵士も、Mk.11を点検していたポーターも皆一様に、大なり小なり怪我をしていた。
だが致命傷を負った者はいなく、研究者たちもげっそりはしていたものの軽傷で済んでいた。
彼らがこれからどうなるかなどジョンの知るところではない。
ジョンとスーと、それから他の面子も続々と代えの列車に乗り込んで好きな位置に付く。
五両編成で、天井はいくつかついてなかったが、鉄の板にはカビ臭いマットレスが敷いてある。
それだけでスイートルーム気分だ。
なにより周辺警戒に付いてくれる兵力がありがたかった。さすがのジョンも今回は戦力に甘えてベッドで寝る構えだ。
終点の駅まではあと一駅。
到着してからの事は、到着してから考えるつもりだった。
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