3-10
列車が停まった振動で夢の中から引きずり下ろされた。
ゆっくりとベッドの下を見て兵士が通信機を使用しているっ様子を見てから、左手を太腿のHK45から離す。
「どのくらい寝ていましたか」
「ん。ああ、せいぜい二、三時間ってところだな」
「車両の点検ですか?」
「ああ。悪いが左翼の警備に付いてくれ。俺とあのじーさんは点検員の近くに付く」
「わかりました」
ジョンは起き上がるとあるものをバックパックから取り出して身に着け、FALを抱えて寝台車から飛び降りた。
外に出てまず一番に感じたことは、顔を切り裂くような寒さ。
たまに吹く強い風が肌を刺し、ゆっくりと降り積もる雪が静寂さえも食い尽くす。
列車のヘッドライトは消され、車内から漏れる暖色系の光だけが辺りを照らしているがジョンの背中をぼんやり照らしているが、そこから先は闇だけが広がっている。
その闇はドロリと重たく掴めそうに思えるが、手を伸ばしても形を変えてするりと避けられる。
「さて」
ジョンはコートの襟を立てると列車から距離をとって膝を立てて座る。
油断なく銃を構え、首だけを振って辺りを警戒する。特に耳に意識を集中して音を掻き集める。
雪は、条件によっては八十パーセントほどの音を吸収するという。
暗視装置を使う手も考えたが、バッテリーが心もとない上にバッテリーが切れたら無用の長物になりかねない。
使うとしたら緊急事態の時だけだろう。
「左翼、どんな感じだ」
通信機から聞こえてきた。
「今のところは何とも。視界も音も不明瞭です」
「他は?」
兵士が聞くと他の面子も答える。
「後ろも同じく」
「気配は感じられない」
後ろにいるのはコミスでジョンの反対側にいるのがスーだと確認できたが、二人も同じ結論。
「そっちはどうですか」
「今のところ異常は見られないらしい。歪んだ部分も長時間の走行で影響が出るほどではないと」
それもそうか、とジョンはゆっくりと口を開けて息を吐く。
「これから内部の確認らしい。悪いがもう少しかかる。引き続き周辺の警戒を頼む」
それぞれは「了解」と口々に応えた。
とは言え、ジョンにはある種の安心があった。
この暗闇で襲うとなればある程度の準備と土地勘が必要だと読んでいる。
それだけの準備と土地勘があったとしても損害は避けられない。
多少の損害はこの時代の盗賊には致命的だろう。
それこそ、先程襲ってきたような盗賊はしばらく派手に動けないはずだ。
しかしそれは同時に、傭兵であるジョンたちにも、軍人である兵士にも言えることである。
物資は切り崩して使うほどに有限だ。
誰もがその有限を奪い合って生きている。
「ジョン……」
「どうした」
静寂を破る声が、ジョンだけに届く。
「体は……大丈夫?」
ジョンの警戒活動に差しさわりの無いようにか、スーはか細い声でそう聴く。
「ああ、今のところは」
ジョンがスーの前で同じように倒れたのは、過去一度だけ。
スーの記憶なら忘れることはないだろう。
「どうしたんだ」
「うん。なんて言うか、嫌な予感がする」
「嫌な予感、か」
スーの五感以上に頼りになる直感は外れたことがない。
その危機がどんな形をして現れるのかは近づいてこない限りわからない。
「わかった。できるだけ警戒をしておこう。他の奴にも伝えておく」
「うん――ジョン」
「なんだ」
「えっと、無理しないでね」
「……どうした?」
「…………なんでもない」
スーがそんなことを言うなんて、ジョンの記憶にある限りでは初めての事だった。
とはいえ、そこまで気にすることなくジョンはそれとなく全員に注意を促した。
コミスと兵士は懐疑的な反応を示したが、ポーターは何かを納得したように応える。
「何が来るってんだ?まさかさっきの盗賊?」
「どうだろうな。あの駅が奴らの拠点だとしたら、壊滅状態一歩手前だったはずだ」
コミスと兵士のやり取りを聞きながら、ジョンも思案する。
可能性として一番あるのは、別の盗賊の可能性。
「ひょっとして、放射線で突然変異した獣とか?」
コミスは茶化すように小さく言う。
そういった噂は誰もが聞いたことがあるだろう。
ひょっとしたら今回の調査もそう言う点が含まれているのかもしれない、が。
「どうも、そうは思えない」
「わかってるさ」
その頃には誰もが感じ取っていた。
凍りきった空気に別の張りつめた空気が混じりこんでいる。
そしてそれは確実に近づいてきていた。
「スー、わかるか?」
「――――わかんない、いろんな音が聞こえる。……これは」
スーは目を瞑って聴覚に意識を集中して音を掻き集めようとする。
しかし雪が音を喰う静寂の中ではいつとは違う音が膨大な情報となって流れ込む。
布を構成する糸の中の一本の繊維を掴むように目的の音を探る。
「ッ!――ジョン!」
「どう――まずい!」
スーが探り当てた音はすでに誰もが聞こえる位置にまで近づいてきていた。
ジョンは最悪な予想を立て、それを声に出した。
「横っ腹に突っ込むつもりだ!」
エンジン音の類と思しきそれは、どんどん近づいてくる。
このまま時が経てば、三十秒もしないうちに列車に接触することになるだろう。
「点検は中止!全員列車に乗り込め!」
暗闇にライトが灯り、ジョンの顔をはっきりと照らす。
「ジョン!避けて!」
「クッソ!!」
スーは車内に入るどころか、天井の淵を跳んでジョンのいる左翼側へと飛んできていた。
目前に迫るは装甲輸送車。
ジョンは横に飛び退いて回避しようとしたが、足がもつれた。
それでも何とか装甲車の狙いから逸れ無様に雪原に叩き付けられる。
装甲車は速度を緩めることなく寝台車に突っ込み線路上からそれを弾きだした。
天井の淵に立っていたスーは紙一重で空中に跳躍しそれを回避した。
続々と装甲車から武装した人影が出てくるのを見たジョンは、本能で雪の上を転がり近くの針葉樹に身を隠す。
それを追従するように発砲音が連続して鳴り響きジョンの周辺が激しく爆ぜる。
「ック!」
しかし幸か不幸か一発が右腕に被弾し熱を伴う痛みが腕全体に迸る。
「ジョン!ジョン!」
スーは身近にいた一人の首を銃剣で貫くと、その肉体を盾にしつつジョンのいる針葉樹へと走ろうとする。
それを防ぐように銃弾が飛び交い、スーは否応なしに装甲車の裏へと追いやられた。
「B小隊はそのまま牽制しろ。A小隊は俺と共にこの先に隠れた奴を仕留める。油断するな」
誰かがそう指示するのが聞こえた。
スーは装甲車の裏から飛び出そうとするが牽制射撃で行動が制限される。
その牽制射撃も仕留めることをもくてきとしている訳でなく、スーが隠れている周辺に弾幕を展開していて、それに加えて仕留めようと近づくこともないので隙がなかった。
「ジョン!大丈夫?!」
それでもスーはジョンに声をかけ、何とかしてその包囲を脱出しようとしていた。
「ッ――」
ジョンは応えることもできない。状況は追い込まれていた。
近づいてくるA小隊はジョンを見失ってはいるようだが、見つかるのは時間の問題。
しかしFALを持つと右腕が痛み、反動が制御できるかも怪しい。この調子では五メートルで当てることも難しいかもしれない。
ジョンはFALを体に固定していたスリングを外すと腕に絡めて保持し、散開した小隊の一人が近づいてくるのを待つ。
耳を澄まし、彼等の息遣いを聞く。
幸い光源があるのは向こう側。暗いジョン側から盗賊の姿を確認するのは難しい事ではないが、光源を背にして暗い雪原を望む彼らにはジョンの姿は見えづらい。
と、耳を澄ましていたジョンにまた隊長らしき男の声が聞こえてきた。
「C小隊は合流次第列車内の制圧にかかれ」
まだいるのか?!
ジョンは思わず口汚い悪態をつきそうになった。
そして、同時にある疑問が頭に浮かんだ。
(コミス達は……?)
先程からスーは入れ代わり立ち代わりの銃弾に抑え込まれている。
そしてその銃弾はスーの隠れている装甲車の奥に位置する、吹き飛ばされた列車にまで届きガツガツと音を立てている。
それなのに、列車側からは反撃も反応もない。
(まさか――)
そのとき、遠くから微かに別のエンジン音が響いて聞こえたのだ。
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