第二話 ~溟海の上で~
地中海の海原の上。真っ白な貨物船が浮いている。
それはどちらかと言えば、大きめのフェリーと言った方が近い形をしていて、甲板からつながる両脇の通路には大小さまざまな男が四人。二人ずつ歩いて警戒している。
男たちは共通の小銃を背中に掛け、時々同じ通路を歩く仲間と談笑していた。
少なくとも小銃を手に持つ必要が無く、仲間と談笑できる程度には平和な航海だった。一つ上の階層の見張りに至っては煙草を吸いながら海風を楽しんでいる。
「いいのか?あんなので」
「彼らがあんなでも優秀なのは、君がよく知っているはずだ」
船の前方。甲板の上で誰かがそう会話した。
一人は大柄の男。
傍らに大きなバックパックと風呂敷に包んだFALを置いてその上に灰色のトレンチコートを被せ、自身はカーゴパンツとワイシャツ、ミリタリーベストの前を開けて羽織っている。
男の顔立ちは英国系でいかにも平凡。青い瞳は満月型のサングラスで隠し、ぼさぼさに伸びた黒髪は後ろで括っている。
もう一人は細身長身の女性。
北欧系を思わせる美しく白い肌に反して、腰まで伸びた髪は男と同じ黒。
しかしその髪は隣にいる男のそれとは比較にならないほど美しく、妖艶で極東の島国の言葉を借りるなら“烏の濡れ羽色”というものだ。
なによりその女性を特徴づけていたのは身にまとった浴衣。こちらは髪より薄い紺色をしていて、裾に金魚の刺繍があしらってある。帯は明るい黄色の物を付けていた。
頭にはつばの広いハットを被っていて、目にはボストン型のサングラス。奥には薄い赤の瞳。
二人ともサマーチェアに寛いでいた。
「俺が言っているのはそっちじゃない」
「じゃあ、どっちだい?ジョン」
二人は会話を続ける。
「あんな量の銃と装備で、仕事無しで乗れたことが不思議だって言っているんだ。カヌス」
ジョンと呼ばれた大柄な男はそう言う。
「ああ、それか」
カヌスと呼ばれた女性はサングラスをずらして正面を見据えた。
「そんなものは、あの子だけで十分さ」
視線の先には手すりに両手を預けてずっと前だけを見ている少女がいた。
男より二回りほど小柄で、短く切られた灰色の髪と真っ白な肌が地中海の日差しを浴びている。
顔つきは端正で十四、五くらいを思わせるアジア系。髪は正確には黒髪なのだが、痛んだ白髪が多く混じり灰色に見える。その双眸は見通すことが不可能な黒をしていた。
服装はワイシャツの上にショットシェル用のポーチを縫いつけたフィッシングベストを着て、その上に詰襟を羽織っている。
詰襟は何処にもボタンが無く前は開いているが、元は日本の学校用の制服。それも男物だ。そして裏地にはケブラー(防弾材)が縫い付けられている。
下はカーキー色のショートパンツと黒いタイツ。真っ白な安全靴を履いているが、汚れきって元の色はもう戻らないだろう。
「都市伝説をこの目で見ることになるとはね…………いや、長生きしてみるものだ」
カヌスは少女――――スーを都市伝説と言った。
「それに」
カヌスは続ける。
「私が売った商品を、そのまま持ってくる君にも驚いた」
ジョンは空を仰いだ。
「売ったのは武器だけじゃないだろ。だからあの町に寄った」
「やっぱり武器だけを売っていても、厳しい時代でね」
「本当のところは?」
カヌスは口元を釣り上げる。とても人とは思えない怪しい笑みだ。
「とある町にとても食料に恵まれている人たちがいた。しかしその人たちは定期的に盗賊からたかられていて、反抗する力もなかった…………そして、盗賊たちにも満足のいく装備はなかった」
ジョンは少し考えてから天に向かって話す。
「両方にモノ売って何になる?」
「開発元にはいい結果だけ知らせる」
「なるほど」
要はあなたがたが開発した銃は顧客満足度が高かったですよという報告書さえ作れればいいのだ。
「じゃあ、食料や水は?何で俺に教えた?」
するとカヌスは「ああ」と勝手に合点がいったような反応をする。
「物を売る時に限らず、人はストーリーがあると一層理解しやすい。だから、町の人たちを護る少年兵達とそれを狙う盗賊たちを作った。君は――――お助けキャラかな」
そこまで言うとカヌスは顔を近づけてスーの方を指さした。
「だが、あの子は誤算だ」
ジョンはバツの悪そうな顔をすると
「多分……いや、絶対聞こえてる。彼女に」
と言った。
ともかくジョンの違和感は八割ほど解消した。
盗賊たちが使っていたのは少年たちが持っていた小銃と同じ物。
確かにAKはコピー品が多い。しかし多くの特徴が一致していたり、隊長が最後に話した武器商人の特徴が、少年たちが武器をもらったと言った人間と同じ特徴だったり――――何より砂漠に訪れる前に会ったカヌスから、武器を売った盗賊の話と、近くにある恵まれた町の話を聞いたりと共通する点は多かった。
「そう言えば、よく彼らに警戒されることなく商売ができたな」
ジョンはふと思いついたことを言う。
「ああ、あの子供たちかい?簡単さ」
カヌスは部下が持ってきたシャンパンをグラスで一口含むと答える。
「彼らが出てくる前にねぐらを叩かせてもらった」
「すぐにわかったのか」
ジョンは特に驚くふうでもなかった。彼は対抗するように、受け取ったグラスに水筒の水を注いで飲んでいる。
「ああ。あの町は元々多くの人を受けいれられるように沢山の建物を作っていた。名残があっただろ」
「ああ」
町の端側には人気のない民家が密集し、路地には建材の名残が貯まっていた。
「あれは大戦前に政府が難民受け入れに使う予定だったものだ。そして、場合にもよるが狙われやすい彼らを護るために、もう一つ建設している物があった。」
「それが、今の彼らの住処か」
「その通り」
町の人間たちは教会もどきに隠された扉から地下に伸びる迷路のような通路を辿った先。アリの巣のように点在した地下居住区で過ごしていた。
その入り口は巧妙に隠されていてジョンにはわからなかった。スーは風が流れる方向から何となくわかっていたらしいが。
そしてその通路は、あの少年たちがヘマをした橋の下の大きなパイプに繋がっていたらしい。川の水位が異常に低かったのもその影響。
「結果はまずまずだ。家族を守るために立ち上がった勇敢な戦士たちは、見事悪を撃退。泣かせるじゃないか」
「本気でそう思っているのか」
「まさか」
「だろうな」
そもそも銃の性能一つで戦闘はひっくり返るものじゃない。
カヌスは立ち上がった。
浴衣特有の小さな歩幅で船首の方へ向かうと、スーの両肩に手を置いた。
スーは驚くことなく振り向くと、その虚のような目でカヌスを見上げた。どうやら二人で何か話しているらしい。
「あれが例の子か?」
ジョンは後ろから声をかけられたが振り向かなかった。声で誰かはわかる。
「君たちがスーパーソルジャーとか言っていたやつかい?」
「ああ。違うのか?」
声の主はいかにも軍人と言う体格をした黒人。背丈はジョンよりも頭一つ分大きく、肩幅も一回り大きい。
アメリカ海兵隊第一海兵師団出身。現カヌスの私兵の一人。名前はレオナルド。愛銃はM16。
「いいのか?監視の仕事は」
「どうせ何も来やしないさ。今時海賊は、金がかかる」
「それもそうだな」
「……………………」
「……………………」
無言の二人の間に地中海の風が流れる。
「で、どうなんだ」
「何が?」
「あの女の子がだよ。強いのか?噂通り」
レオナルドはジョンに顔を寄せて肩に手を置いた。もう片方の手はスーを指さしていた。
「顔が近い」
「噂じゃ自分より強くないと仲間になってくれないそうじゃないか」
「話す気はない」
「つれないな」
「それなら、お嬢の方が詳しいはずだ」
二人に話しかけてきた声はまた違う声。
それはレオナルドより後ろから。
「久しぶりだな。ジョン・ドゥ」
二人の後ろにいたのは若く、ハンサムな白人男性。
「ジョンでいいって言っているだろ、ロック」
レオナルドに比べれば小柄に見える体はしっかりと引き締まっていて、Tシャツに大胸筋が張り付いている。
ジョンの事をジョン・ドゥ(日本で言うところの名無しの権兵衛。もしくはそれが派生して、身元不明の男性の死体を指す言葉)と呼んだのは、カヌス達に初めて会った時にジョンと名乗ると、何を思ったか彼等はそれを偽名と認識したから。
以来何故か彼女の私兵たちはジョンを気に入りそう呼ぶようになった。
ジョンも特に気にはしなかったが、やはりフルネームで呼ばれると違和感がある。
「で、お嬢の方が詳しいってどういうことだよ」
二人に割って入るレオナルドはロックとバディを組んでいる。
大方、レオナルドが持ち場から離れてロックも暇を持て余していたのだろう。
「前に言ってたんだ。次の世代の兵器を調べてるって」
「次の世代の兵器?」
ジョンもサマーチェアの背もたれから体を上げると興味深げにロックの方を見る。
ロックは得意げな表情だ。
「二人とも察しが悪いなぁ」
「なんだよ、早く言え」
レオナルドはじれったく食いつくが、ジョンはふと思いついたことを呟く。
「…………兵器の一巡か」
「何だよ聞いたことあるのか」
「なんだそれ」
二人の視線が、今度はジョンに集中する。
「ああ、以前カヌスが話していた。人が戦争する道具――兵器は、文明の進化と共に変わっていくが、その終着点にある“文明の崩壊”に到達すると、また人自身が兵器とか……確かそんな話だ」
「よく覚えているね。ところで、持ち場を離れていいとは一言も指示していないよ」
いつの間にかジョンの所まで戻ってきていたカヌスは正面にスーを立たせ、その両肩に手を置いていた。親子のような立ち位置だが、まるで似ていない。
「おっと、仕事の時間だ。じゃあなジョン」
レオナルドは知らん顔をして持ち場へと向かう。ロックも慌てて追いかける。
「油断も隙もない。優秀だがね」
カヌスがこの手のことに慣れているのはジョンも知っている。カヌスの私兵は軒並み軍人上がり。それも各国の軍でエリートと呼ばれる者がほとんどを占めている上に、仲間意識も連携も強固だから一つの特殊部隊として見られなくもない。
この武器商人達がかつてCIAからもFBSからも動向を監視されていた組織なのも頷けるというものだ。今はそのどちらの組織も聞かないが。
「ちょうどいい。私が調べている次世代の兵器について、情報を買わないかい?」
スーの頬を両手で弄びながらカヌスはジョンを見た。スーはされるがまま、特に反応はない。
「あいにく持ち合わせがなくてな」
「いや、金はいらない」
「じゃあ何を」
カヌスはスーの脇の下に手を滑らせ、持ち上げようとした。本当はそのまま自分のサマーチェアに座らせようとしていたのだろうが、いろいろ詰め込んだ上着とフィッシングベストと見た目以上にある体重によってそれは阻止されたらしい。
「……………………」
カヌスは何事もなかったかのようにサマーチェアに座り、話を続けた。
「次の世代の兵器と思われる物と、それの所有者を知っているという情報さ」
「物じゃない」
「言葉の綾さ」
ジョンは口元に手を当てて少し俯く。目線だけスーを見て合わせると「いいのか?」と聞いた。
「私はいいよ。気になるし」
カヌスを見ると、肩をすくめていた。
「交渉成立かな」
「情報屋になっていたとは驚きだ」
ジョンは溜息をついた。
「兵器に関する情報だけだよ」
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