闇に守られし者たち

 シャッテは甲板の縁に腰かけ、マストの先を見つめていた。昇空艦しょうくうかんのエンジンが唸る低い音だけが、漆黒の闇に讃美歌のように木霊している。甘味のなくなったシュガーツリーの枝を舌の先で転がす。不意に人の気配を感じ、視線を落とした。


「あいつら、どこにいるのかしらね」

 武装したままのフォンセが少し先にいた。

「会わないで済むなら、それに越したことはないけどな」

「あら、あなたにしては珍しく弱気ね」

「別に臆してるわけじゃない」とシャッテは幾分むきになる。「戦いが好きなわけでもない。ただ、避けられないだけだ」

「そうかしら。少なからず、再会を望んでるように見えるけど」

 シャッテはくわえた枝を勢いよく船外に吐き捨てると、にっと笑った。


 闇の洞窟を出発して早一週間。船員にも疲労の色が見え始めるころだ。それはシャッテ自身も例外ではない。いつか出会うなら、――それはほぼ間違いなく確定した未来なのだけれど――できるだけ早くその時を迎えたかった。


「戦わずに済む道はないのかしら?」

 フォンセが、尋ねるというよりは独り言のように言う。

「もしあるなら、あいつを導く光はどうしてその道を照らさない?」


 光の属性を持つ兄を羨まないと言えば嘘になる。光があって、闇が生まれる。人は光を求め、闇を恐れる。それが世界の前提であり、摂理だった。叶うことならば、光に導かれ、音楽と愛情に溢れた道を歩みたい。シャッテがその思いを否定することはない。だが、それと同時に、いまさら自分の境遇を嘆くほど未熟でもなければ悲観的でもなかった。


 その時、船体を包む結界がその黒さを増した。それと同時にシャッテが何かを感じ取り、空を見上げた。

光波こうはだ!」


 カン! カン! カン! カン! 


 異常を知らせる警鐘が鳴ったのはその後だった。

「ちっ、テレスの野郎、寝てやがったな。フォンセ、音を消せ! それから高度を六万フィートまで下げるように操舵室に伝えろ」

「フォンセは一人しかいないのよ? 操舵室の方は自分でやってくれるかしら」

 そう言いながら、すでに走り出している。その長い髪が、ふわりふわりと踊った。

「ふん、腕っぷしと一緒に口まで一丁前になりやがって」

 シャッテは長い外套をはためかせて甲板の中央に駆け寄ると、伝声管に向かって叫んだ。

「レイ! 高度六万フィートまで降下だ」

「六万フィートに降下。了解」とややあってから応答がある。「逃げるのか?」

「人聞きが悪いな。なるべく早く方を付けたい。一度やり過ごしたら、後ろを狙ってくれ」

「了解」


 すぐに体が浮く感覚がある。船が降下を始めたのだ。だが、もちろん光波の速度よりは遥かに遅い。結界が刻一刻と黒の度合いを増していく。やがて、外の世界がほとんど見えなくなった。


 ――くそっ、降下するのを計算してやがる。


「船尾を掠るぞ!」

 シャッテが伝声管に怒鳴った直後、鈍い衝撃とともに馬が棹立ちするように船尾が沈む。一瞬だけ結界に穴が開き星の輝く夜空が覗いたが、すぐに塞がる。この程度の衝撃であれば船体にダメージはないはずだ。

「フォンセ、まだか!?」

 三度みたび伝声管に向かって放った言葉は、声になることはなかった。音が消えたのだ。それまで聞こえていたエンジンの唸り声も、いまはもう聞こえない。あたりを完全な静寂が包み込んでいた。


――よし……レイ、聞こえるか?

――あぁ、良好だ。

――相手の位置を探れ。

――もうやってる……距離四千、いや、四千五百フィート。一時の方向だ。徐々に離れてる。

――すれ違ったか。後ろに付けられるか?

――やってみる。


 その内なる声と同時に、船が左旋回を始める。シャッテは船上中央を見上げた。立体方位磁石は真後ろの方角を示している。上昇角は十五度。ここからはレイの操舵技術を信じるしかない。艦の速度、火力はほぼ互角。勝敗を左右するのは、それぞれの属性の特徴と戦術の優劣に違いなかった。


 敵艦は光空こうくう闇空あんくうのどちらをも航空できるが、闇の属性を帯びるシャッテの船は闇空を出ることはできなかった。一方でこの船は敵艦の位置を常に探ることができるが、音を消している時はこちらが敵艦に捕捉されることはない。


 ――シャッテ、これからどうするの?

 フォンセの声だった。

 ――あいつらの背後に付けて、闇空に進入してきたところを一気に襲う。

 ――こっちに来なかったら?

 ――いつかは必ず来る。自陣を守っていれば負けないかもしれないが、敵陣に攻め込んでシュートを決めなきゃ一生勝てないからな。できれば、長期戦には持ち込みたくないが。

 ――……さっさと終わらせて、家に帰りましょう。


 おそらく最後の一言はフォンセの本音だろう。家具職人の一人娘である彼女は、もともと争い事を親のかたきのように憎んでいた。そんな彼女を自分たち兄弟のいざこざに巻き込んでしまったことを、シャッテは後ろめたく感じていた。だが、これはただの兄弟喧嘩ではない。それをわかってくれているからこそ、フォンセは今ここにいる。



 ――さっさと終わらせて家に帰ろう。闇と静寂は我々とともにある。恐れるものは何もない。



 シャッテは戦いの向こうにある静かな未来に思いを馳せた。


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