光に導かれし者たち

 ルースは目を覚ますと同時にベッドから飛び起きた。セレスティアルの鳴き声を聞いた気がしたのだ。あの日以来一日たりとも聞くことを望まなかった日はない、その声。階段を転がるように下り、ソファを飛び越える。

「ルース! 朝ご飯は!?」

「帰ってきてから食べる!」


 ドアを蹴り飛ばして外に出た。朝の透き通った陽射しに目が眩む。抜けるような蒼天の少し先を、白い影がゆったりと進んでいるのが見える。

「セレス! ずいぶん高い」

 セレスティアルは赤土の丘を目がけて飛翔しているようだった。ルースは、まだ夜の湿気を含む土の冷たさを気にかけることもなく、夢中で駆けた。


 ――あそこに、リヒトがいる


 それは旅の始まりを意味しているはずだ。


 息を弾ませ赤土の丘の頂上に差し掛かると、セレスティアルを脇に従えた懐かしい背中が見えた。セレスティアルが先にルースの姿を見つけ、高らかに鳴いた。リヒトが振り返る。

「ルース、待たせたな」


 ――なにが「待たせたな」だよ


 「久しぶり」でも「元気だったか?」でもなく、「待たせたな」。ルースを待たせたていたことをリヒトはわかっている。そして、不器用なりにそれを謝っている。迂闊にも涙が出そうになった。セレスティアルがルースの気持ちを察したように、大きな純白の翼を広げ、ルースを優しく包み込んだ。岩に腰かけたリヒトの長い髪と外套がふわりと風に揺れた。


「そうか、お前はあたしの気持ちをわかってくれるのか」

「お前の気持ち? なんだそりゃ」

「心配しなくても、あんたには一生わかんないわよ」

 ふんっ、と鼻を鳴らすと、リヒトはゆっくりと立ち上がった。日の光を背中から受け、その長身の体躯は巨大な影のように見えた。にやりと口元を不敵に歪め、宣言するように言う。

「一時間後に闇の洞窟に向かう」

「い、一時間後?」

「あぁ」

 リヒトは眼下に広がる荒野に目を向けた。ルースもその視線を追う。象の牙の影が青の湖をちょうどその中央で二分していた。

「そうだな、象の牙の影が青の湖から完全に抜けたら出発だ。それまでに荷物をまとめておけ」

「怪我はもう治ったの?」

「怪我? 何のことだ?」

 それがリヒトの強がりだということを、ルースはもちろん知っている。「お、そうだ。これを見ろ」

 リヒトはそう言うと、セレスティアルの翼の先をぐいっと持ち上げた。

「これってどれ?……あっ」

「綺麗なもんだろ?」

 扇形の翼の中ほどに、七色に光を反射する羽根が数本だけ生えていた。

「きれい……これ、どうしたの?」

「気づいたら生えてた。竜鳥類りゅうちょうるいは心の変化が体に現れるらしい。この色なら悪い変化じゃないだろう。なぁ、セレス!」

 セレスティアルが嬉しそうに羽をばたつかせ、喚声を上げた。

「ねぇ、船はあるの?」

「あぁ。それなら直に……」


 その時、不意にリヒトが鋭い視線を東の彼方に向けた。遅れてルースも感じ取る。光波こうはだ。だが、これは……。やがて椀型の光の膜が目視でも確認できるようになった。キャノン砲よりも少し遅いスピードでこちらに迫ってくる。

「ふん、来たか」

「どうして光波を?」

「どうせまた間違ったんだろ」

「間違うって、さすがにそれはないんじゃない?」

「あいつのことだ。わからんさ。いずれにしても、ここは安全だ」

 ぐんぐんと迫ってきた光波は、少し先で見えない壁にぶつかったかのように霧散した。

「結界?」

「あぁ、村長が張った。あんな死に損ないのくそジジイでも役に立つってわけだ」

「そんな言い方やめなさいよ。あんたのおじいちゃんでしょ?」

「俺のくそジジイな。お、来たな」


 巨大な昇空艦しょうくうかんが目と鼻の先までやってくる。油の匂いがつんと鼻を突いた。しばらくして、カイトが甲板に姿を現す。

味方からの誤爆フレンドリー・ファイアとは、ずいぶんな挨拶じゃないか?」

 リヒトがカイトに向かって声を張り上げた。

「はは! 別に友だちフレンドじゃないけどな」

 そう言ってカイトは笑った。「いいニュースとすごくいいニュースがある。どっちから聞きたい?」

「悪いニュースがないなら、どっちからでも構わん」

「じゃあ、いいニュースだ。闇の艦隊がこちらに向かってる」

「それのどこがいいニュースなの!?」

 声を上げたのはルースだった。カイトはその笑みを一層深くした。

「隣の男を見てみろよ。いいニュースって顔してるぜ」

 ルースはリヒトの横顔を見やる。その目は嬉々として輝いていた。ルースは深いため息を吐いた。

「それで、すごくいいニュースは?」

 リヒトが待ちきれないというように聞く。その問いに今度はカイトが「がはっ!」と笑った。

「俺と俺の船が間にあった」

 ルースはてっきりリヒトが呆れると思ったが、予想に反して嬉しそうな声を上げた。

「違いねぇ!」

 リヒトは嬉しくて仕方ないのだ。傷が癒え、また旅に出られることが。


「出発まであと五十分だ。さっさと家に戻って朝飯食って来い」

 リヒトがルースに向かって言った。

「え?」

「どうせ食ってないんだろ? 長い旅になる。腹いっぱい食って来い!」

 子ども扱いされた気がしてルースは反論しようとしたが、間が悪く腹の虫が特大の音を立てた。


「カイト、音楽をかけろ! 音量は最大……」

 リヒトが言い終わる前に、見張り台のスピーカーから鼓膜が破けんばかりの音量で音楽が流れた。

「これでも小さいなら、スピーカーを買い足すぜ!」

 音楽に負けない声量でカイトが叫んだ。呆れたように微笑んだリヒトの顔は、これから命を懸けた戦いが待っているとは到底思えないほど晴れ晴れとしていた。



 ――光と音楽は我々とともにある。恐れるものは何もない。きっと、そうだ。



 ルースは赤土の丘を照らす陽光に目を細めた。


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