その2

 俺はいつも通り契約書を取り出して彼の前に示した。


『そこにも書いてあるだろう?俺達探偵は「私立探偵業法」という法律で縛られてるんだ。要するに「反社会的組織に関係する人間からの依頼、或いは犯罪を直接援護するような依頼は、これを受けてはならない」・・・・』


『あんたが人を見た眼で判断するとは思ってもいなかった』五代はそういうと、二杯目の水を飲み干し、今度は自分で傍らに置いたボトルから注いで飲んだ。


『勘違いするな。これは法律なんだよ。俺だって面倒臭いとは思う。ただこれに違反するとライセンスを停止させられてしまうんだ。勿論そんなもの無しでも探偵はやっちゃいかんと決められてるわけではないんだがな。そうなると当然請け負える種類の仕事にも制限がある。俺みたいな一本独鈷いっぽんどっこはそれじゃ稼ぎにならないんだ』


『この人はそりゃ確かに昔は危ない橋を渡っていたかもしれないが、今は違う。俺はそう信じてる』


 彼が3杯目を飲み干す。


 俺は黙ってボトルを取り、グラスに注いでやった。


『・・・・兎に角、話だけは聞かせてもらおう』



『俺が中学を卒業した頃だ・・・・家は貧乏でな。おまけに兄姉弟妹きょうだいが多かったもんだから、それ以上進学するのは無理だった。もっとも成績なんざお世辞にも良くなかったから、端っから諦めていたんだがな。で、卒業するとすぐに東京に働きに出た。しかし、何か宛てがあったわけじゃない。おまけに図体がデカくて喧嘩好きだったもんだから、勤め先でしょっちゅう揉め事を起こしては首になったり自分で辞めたりの連続でな。知らず知らずのうちにワルの仲間入りをしてたと言うわけだ。』


 そんな生活をしていたら、当然金だって入ってこない。荒んだ毎日を送っているうちに、その日の食い物にも困るようになったという。


『ある日のことだ。俺は仲間と一緒に賭場荒らしみたいなことをやらかしてな。

 警察おまわりにパクられるより前に、そこを仕切ってた『ある組』にとっつかまってよ。もうこれで俺も年貢の納め時と観念した時だ』


 そこで彼は『その人』に会ったのだという。


『その人』は当時『その組』の若頭・・・・つまりはナンバー2をしていた人で、彼を前にして、


『お前みたいないい若いもんが、ロクでもない世界にはまっちゃ、勿体ねぇぞ』といって、彼に手作りのカツ丼(その人は怖い稼業なのに、料理がとても上手だったという)を食べさせてくれたのだそうだ。


 そして『いい身体ガタイしてるじゃねぇか』ということで、知り合いのボクシングジムを紹介してくれた。


 要するに彼がボクサーになる道筋を開いてくれた恩人というわけだ。


『あの時のカツ丼の味、今でも忘れられねぇ。俺は「あの人」のためにもボクサーになって真っ当な人間にならきゃって思ったのさ』


 俺は黙ってグラスをもう一つ持ってくると、自分も一杯『美味しい水』を飲んだ。


『あんた今、ベタな話だな。そう思ったろ?』


 彼は言った。ご名答、確かにそう思った。流石に元プロボクサー、それも世界を掴みかけた男だ。これくらい相手が読めなきゃ務まらん。


『その人の組は、俺がデビューして、日本チャンピオンになって暫くして、抗争が度重なった挙句、解散しちまってな。噂じゃカタギになったと聞いている。頼む、あんたには絶対に迷惑をかけねぇ。居所を探してくれるだけでいいんだ。』


 五代はそう言って、前金だといい、20万円ほどを財布から出して俺の前に置いた。

『俺は現役の頃、それほど贅沢もせずに貯め込んでいたからな。それに今じゃ商売もしてるし、トレーナーとしても順調だ。もしこれで足らなかったらいつでも言ってくれ』


『分かった。いいだろう。』


 俺は残りの水を飲み干した。


 





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