穴【ホラー要素あり】

 古来より穴は神が住んだり悪魔が宿ったりと、様々な信仰の対象になってきました。

 今日お話しするのは『見える穴』の話。

 この穴に関わってしまった人は必ず不幸になってしまう言い伝えがあるのです。

 今回は一体どんな人がこの穴と交わるのでしょうか?



 ◆◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆◆




『ぴーーーんぽーーーん』


 唐突に鳴った玄関チャイムの音に少し驚きながらも私は音を立て無い様立ち上がる。

 近頃では、宅配ならば届く前スマホアプリで事前に連絡が来る。

 今日何かが送られてくると言った事前連絡は無かった。

 宅配便の類ではないだろう。

 そうなってくるとNHK若しくは見知らぬ宗教団体か。

 どちらも結構鬱陶しい。

 それに私は今誰とも会いたくない。

 そう思って居留守を決め込むのだけど、何となく訪問者が気にはなる。

 そこで足音を立てない様そっと玄関ドアに忍び寄る。

 魚眼レンズ仕様の玄関穴を覗く。

 

 部屋は七階建てマンションの六階。

 普通玄関ドアの覗き穴から見える景色は大体空が半分ぐらいで後の半分はそこに人が居れば人と廊下の腰壁になる筈。

 しかし今日は違った。

 穴から見える景色は南国だった。

 椰子の木は風に揺られ歯がカサカサと鳴っていそうで、空は透き通る様な青で、海もまた空を写したかの様に青く輝いていた。


「嘘でしょ…?」


 そんな訳はない。

 ここは大阪市内。

 南国なんかであるはずが無い。

 余りの出来事に一度覗き穴から顔を外した。

 そしてもう一度私は覗き穴を覗いた。

 そこには先程見た南国の風景は無くぐにゃりと歪んだアイボリーに塗装された廊下の腰壁と少し灰色に染まりだした空が映っているだけだった。


 見間違い…?

 それにあの風景……。

 

 訝しげに思いながらも私は元の部屋へとそっと戻った。

 相変わらず彼は寝たままで私が動いた程度では起きもしない。

 

 窓を開けたいが梅雨時期もあって何時雨が降り出すか分からない。

 だから私はクーラーを全開で動かす。

 ナノフィルター付のクーラーは少し位の嫌な匂いも消し飛ばしてくれる。

 少し肌寒さを感じる私は上着を羽織る。

 彼を冷やし長持ちさせるためにも自分が少し寒い位は我慢しよう。


『ぴーーーんぽーーーん』


 まただ。

 彼と私の二人だけの時間。

 その大切な時間を邪魔するかの様にチャイムが鳴る。

 一度居留守を決め込んだのだ。

 律儀に覗きに行かなくても良い。

 そう思った私は玄関に行かず睨むように玄関ドアを見た。

 すると、何か途方も無い違和感を感じた。


「あんなに覗き穴って大きかったかしら?」


 そう、つい口に出してしまったが玄関ドアの覗き穴が野球のボール程の大きさになっているのだ。

 穴が成長した?

 そんな事在る訳ない。

 それでも事実穴は大きくなっている。

 そして穴は強制的に外の景色を写し出す。

 椰子の木が揺れる南国で彼と憎きあの女が楽しそうに歩いているのだ。

 互いが互いの手を握り、沈む夕日をバックに軽く啄む様な口吻を交しているのだ。

 何で!

 何でまたこの映像が!

 私の心臓が早鐘を打ち鳴らす様にドクンドクンと高鳴って行く。



 ◆◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆◆


 その日、私は彼にすっぽかされていた。

 公園のベンチで一人彼を待つ私が滑稽に見えたのか、一人のおじさんが私に声を掛けてきた。

 最初は下手なナンパかかと思ったがどうやら違うらしい。

 おじさんは私にこう言った。

『貴方の待ち人が今何をしているのか見える穴があるんですが見ますか?』と。

 一体このおじさんは何を言っているのか意味が分からなかった。

 だけど何の連絡も無くすっぽかされた私。

 そして私の待ち人足る、彼が今何をしているのか確かに気にはなる。

 だから暇つぶし程度と思い私は答えた。

 「見せてちょうだい」と。


 すると男は注意点として映像だけしか見えない事を伝えて来た。

 それと穴の中には手を入れない事。

 それを了承すると男は一つのリングを私に渡してきた。

 なんの変哲も無い只のキーホルダーの輪っか。

 その中に映像が流れ始める。

 南国を思わせる海岸。

 風に揺れる椰子の木。

 打っては返す波。

 夕日が照り黄金色に光る砂浜。

 その中央に彼と優子がいた。

 二人は手を繋ぎじゃれ合う様に口吻を交した。


「何よこれ!何してるのよ!!駄目!駄目よ!!」


 知っていた。

 彼に私以外に女が居る事ぐらい。

 ただそれが友人の優子だったなんて知らなかった。

 余りの事実に私の頭はどうにかなってしまいそうだった。

 この後の二人の情事を想像すると許せなかった。

 優子が。

 そして、彼が――。

 

◆◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆◆


 またあの映像が流れる。

 だけど彼は私の隣に居る。

 だから優子と会う事も無い。

 彼は起きないけど良いのだ。

 ずっと私と一緒に居てくれるのだから。

 もう彼の声も、はにかんだ可愛い笑顔も見れないけれど、それでも良いのだ。

 ずっと一緒に居られれば。

 彼の冷たい手を握り、私は流れ続ける映像を見ていた。


 この前はここで終わった。

 口吻を交した二人。

 憎い女。

 私の彼を奪おうとした女。

 もう排水溝に流れてしまったからどうでもいいのだけど。

 それでも今更あの映像を見せられるなんて。


 映像の中で、優子と彼の交換された唾液が名残惜しそうに糸を引く。

 彼がふと立上り優子に何かを告げた。

 優子は頭を振りその場に泣き崩れた様だ。

 彼は一体何を優子に告げたのだろうか…。


『ぴーーーんぽーーーん』


 またチャイムが鳴る。

 ビデオの逆再生の様に立ち上がった彼が座り、吸い寄せられる様に二人は口吻を交す。

 徐々に覗き穴は大きくなり、チャイムの音が聞こえなく鳴った頃覗き穴は直径1メートル程になっていた。


 カサカサと椰子の木の葉が擦れ合う

 二人の唇が離れる。

 

『ごめん…………優子とはもう会えないんだ』

『――――っ』

『ごめん』

『うぅ―――』

『俺、結婚しようと思うんだ』

『純子――――なの?』

『―――うん、愛してるんだ』

『私じゃ駄目なの?』

『ごめん、俺は純子を幸せにしてあげたい―――それじゃぁ』


 彼の声が聞こえた。

 もう二度と聞けないと思っていた、彼の声。

 穴の中の彼が私を見た気がした。

 ふらふらと私は立上ると穴に向かっていった。

 手を伸ばすとそこには彼が居た。

 冷たい手では無く、暖かな彼の温もり。

 私はそっと穴中に入っていった。


 ◆◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆◆


 ああ、今回の彼女は幸せだったのでしょうか?

 貴方はどう思いますか?

 この1LDKの部屋に残った物は冷たくなった男性の死体のみ。 

 彼女はこの玄関ドアの覗き穴を通じて何処に行ったのでしょうか?


 何処にでもある穴。

 何の変哲も無い穴。

 貴方の隣にある穴、覗いても大丈夫ですか?



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