第14話

 ああ重い。なんて重いんだ。


 学校からの帰り道。歩道を歩く足が重い。割れたコンクリートから生えた雑草の逞しさを羨みながら、ゆっくり進んで行く。


 結局、朝からの調子は一日中続いた。休み時間は囲まれ質問責めにあい、昼休みは頼んでもない焼きそばパンを供えられたり、放課後は街を練り歩こうとのお誘いも受けた。みんなからの期待、憧憬の眼差しにゴリゴリと精神を削られていた俺は、丁重に断り、一人での帰宅を選んだのだった。


 足取りが重く、家までの道のりが遠い。学校から出て、それなりの時間が経ったというのに、未だ家から遠い大通りにいた。


 交差点の信号が黄色に点滅しているのが見え、さらにゆっくりと歩く。禿げた横断歩道の前までくると、足を止めて、重いため息をひとつ吐いた。肺に残った空気を捨てきると、新鮮な空気を求めて空を見上げる。


 黄色を帯びてきた空には、白いカビのような雲が薄くかかっていた。徐々に視線を下げると、茶色の錆がついた信号機。その向こうには、有名チェーン店のファミリーレストランや古びたゲームセンター、ネオンの一部消えたパチンコ店、安価な衣料品店などが並んでいる。どの店も広い駐車場があり、並びの間隔を大きく開けていた。


 引っ越してきた当時は、日本に残れた嬉しさから気にならなかったけど、これからの生活に不便しないかな。まだ一週間もたっていないというのに、久々に田舎だと感じる。


 気晴らしでもしようかと、ゲームセンターの入り口を見やる。すると、自動ドアがおもむろに開き、手を繋いだカップルが出てきた。高校の制服を着ている。他校の生徒だろうか。そういえば、この街の高校って近くに集まっているんだっけ。


 じっと見ていたが、ふと我にかえり、気持ち悪く思われないよう慌てて視線を落とす。うつむいた先には、自分にくっついてくる寂しげな影しか見えない。だというのに、喜劇の様な二人の影がある気がする。


 はあ、とつい溜息が出た。


 カップルが放課後にゲームセンターで遊ぶ。あの二人は普通の青春を送っているというのに、どうだ俺は。彼女どころか友達すら出来ていない。その上、なりたくもない番長ポジに祭り上げられ、期待の重さに疲弊している。

 皆が憧れる青春を送りたいわけではないが、この境遇はあんまりじゃないか。俺はただ、普通の生活を送りたいだけなのに。


「あの、信号青になってますけど、大丈夫ですか?」


 悲しみに暮れていると、突然隣から女の子の声が聞こえた。


 顔を上げて前を向くと、いつの間にか信号は青に変わっている。礼を言おうと、急いで声の方を向いた。


 他校のセーラー服を着た女の子が、心配そうな顔を俺に向けてきていた。ショートカットの黒い髪に、小さな顔。丸アーモンドの瞳に、すっと通った形の良い鼻、桜色の唇。白い肌に、パーツ一つ一つの美しさが映えている。そして何より、幾度となく蘇ってきた記憶の中の少女の面影があった。


 胸がどきりと大きく弾む。血が逆流したかのように、気持ちの悪い違和感が全身に走り、鳥肌が立つ。喉を思いっきりに握られたみたいに息苦しく、声が出ない。


 そんな俺の様子を訝しんだのか、女の子は眉を潜めた。しかし、次第に皺が開き、アーモンド型の瞳を真ん丸へと変えた。


「もしかして……将吾?」


 確定的な言葉に、大きな衝撃を受ける。けれど、自分の心は惨めで、弱くて、認められないでいて、わずかな希望に縋る。


「瑞樹……なの?」


 互いにこくりと頷く。顔をあげると同時に、瑞樹の顔が上がってくる。どことなく気まずそうな表情だ。俺も同じような顔をしていることだろう。 


 微妙な空気が流れる。ドリンクバーでジュースを混ぜすぎて、まずいような、美味しいような感じ。拭いきれない気持ち悪さがある。


 顔を見合わせたまま、何も喋らないまま、車が風を切る音だけを聞く。歩道の信号は、チカチカと点滅を始めた。けれど、止まったまま何もできない。


 どうして何もできないのか、いや、そんなことはとっくに理解している。ただ自分は、瑞樹のことを、自分が変わろうとしたばかりに見捨てられた初恋の相手のことを、心の何処かで引きずっている。だから、歪な感情に苛まれているのだ。


 全て想い出に捨て去り、久しぶり、今どうしてる? と身の上話に花を咲かせることが最善だとわかっている。けれど、固まってしまって動けない。


 でも、瑞樹はなんで何も喋らないのだろうか。何も言わずに、去った罪悪感だろうか。一応気にしてくれてはいたのだろうか。


 そこまで考えが至ると、焦りと嫌悪感が増大し、心の中で首をふった。


 女々しい。そんな筈はない。仮にそうだとしても、俺のしなければいけないことは変わらない。


「久しぶり、今どうしてる? 折角会ったんだから、少し話でもしないか?」


 そう口を開いた時、信号は赤に変わっていた。




「お待たせいたしました。アイスコーヒーになります」


 店員はグラスに入ったコーヒーを二つテーブルに置いて立ち去った。


 場所は静かな喫茶店。店内には、大きな観葉植物と窓に面した3つのテーブル、シックなサイフォンが飾られたカウンターがあり、アンティークな雰囲気に満ちている。


 テーブルの上に目を戻すと、窓から差し込む夕日に、グラスの汗が煌めいていた。


 俺は、テーブルの端に置かれた木の小さな籠から、ストローを二つ取り出す。一つを前に座る瑞樹の手元に置いて、グラスに手を伸ばす。


「あ、ありがとう」


 どこかぎこちなく礼を言った瑞樹に「全然」と答え、ストローを袋から取りだし、氷を沈めながら突き刺した。


 さて、なんて切り出そうか。


 瑞樹と話せる場所へ行こうと、駅前の喫茶店まで来たのではあったが、未だ緊張は溶けず、どことなく気まずい。

 自分の思惑としては、『記憶を過去のものとして楽しむ旧友』という態度を取りたかった。瑞樹が俺に何も告げず、転校していった事に負い目を感じている場合、変な気を使って欲しくなかったからだ。また、負い目を感じていなかったとしても、俺が未だに引きずっているということに気づかれてしまい、瑞樹に気を遣わせてしまうことを避けるためだった。


 しかし、上手くいっていないから、いまも瑞樹は渋い顔をしているわけで……。やはりあの時、一瞬固まってしまったことがいけなかったような気がする。既に瑞樹には、引きずっている事に気付かれたかもしれない。


 公園バトルの件で一杯一杯なのに、初恋の相手まで現れて、正直混乱していた。今思えば、普通に気を遣わせないようにするなら、喫茶店まで連れてくるべきではなかっただろう。昔の知り合いが、これ幸いにナンパして来たと思われたかもしれない。もっと言えば、最悪な話、未だ自分の事を引きずっているストーカーのような男に恐怖を感じているかもしれない。


 その場で『また今度会えればいいね』程度にすませておくのが正解だったか。


 溜息が出そうになり、慌ててストローに口をつけ、勢いよくコーヒーをすする。冷たさと、苦味で頭がキンと痛いほど冷え、落ち着け、と叩かれたような気がした。


 テーブルの端にあった紙ナプキンを取り、濡れた唇を拭う。


 落ち着こう。間違ったのならば、修正すれば良い話。瑞樹が嫌がっているのだから、ここは俺の方から切り出した方が楽な筈だ。


 俺はポケットからスマホを取り出し、画面を見ながら話す。


「あ、もうこんな時間か。いや、ごめん瑞樹。連れて来てなんだけど、アイスコーヒー飲んだら帰ろっか」

「え……?」

「ごめん、ごめん、久しぶりだったから、テンション上がっちゃって。女の子が遅くなると、心配だし」

「いや……」


 何か言い淀む瑞樹に、まだ気を遣わせているのだと思う。もうこうなったら、感情を怒りへと変換してもらおう。それで罪悪感を失ってくれるのなら、気を遣わせないですむというなら、ベストな選択だ。


「まあ、瑞樹が元気そうで安心したよ。なんやかんや話そうかと思ったけど、もう満足したわ。飲み終えたことだし、じゃあ、元気で」


 コーヒーの残りを一気に飲んで立ち上がる。そして、背を向けて軽く手を振った。


「待っ……」


 背中に呼び止める声と立ち上がる音が届いたけれど、振り返ることなくレジに向かい、二人分の代金を置いて、早歩きで外に出た。


 扉が閉まった音を確認すると、店内から見えないように走った。

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