第3話

「それでは始め!」

 

 坊主の声を聞いて、俺は体重を後ろに軽く預けた。そして、バネの反動を利用して、体を前にのめらせる。風を切り、リズムを刻んで前後してゆく。目の前はぼやけ、ただ近づいたり遠ざかったりする夕日だけしか見えない。

 

「うおおおおおおおおおおお!」

 

 隣から猛き叫び声が聞こえる。見ると、苦痛に歪ませた顔が、行ったり来たり、浮いたり沈んだり。まるで、巨大な掃除機で頑固なゴミを吸いとろうとしてるみたいな動きだ。

 

 煩わしいような、虚しいような感情に苛まれ、隣から目を背けるように天を仰いだ。

 

 空は、淡い青藤色と茜色が鬩ぎあっている。綿をちぎったような雲が、空の階調なんか無視して橙色に染まっている。

 

 春の夕焼け空を見て、感傷に浸る。

 

 世界に端や真ん中があるならば、この公園は間違いなく最端だろう。だって、こんな馬鹿げたことを隅以外で出来る訳がない。

 

 そんな事を思いながら、揺らし続けていると、不意にスマートフォンのつんざくアラーム音が鳴り響いた。

 

「そ、そこまで!」

 

 坊主の慌てた声を聞いて、俺はやっと終わったのか、と息をつく。遊具にいまだ揺られ続けていたが、動きを止めることすら面倒になり、自然に止まるのを待った。

 

 次第に前後運動は遅くなり、ぼんやりとしていた視界のピントがあってくる。隣から、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえ、首を回して横を向いた。茶髪は髪を額に張り付け、前のめりに遊具にもたれかかっている。そんな姿を見て、性質の違う汗が、すっと流れる。

 

 やばい、本気でやればここまで疲れるのか。もしかして、俺が適当にやっていることがバレたかもしれない。

 

 恐る恐る坊主の顔を伺う。すると、予想外にも、坊主頭は何かとても恐ろしいものを見る目を俺に向けてきていた。

 

「おい! 田中ぁ! 結果はどうなんだよ!?」

 

「そ、それは……」

 

 枯れた声で叫んだ茶髪から坊主は目を背けた。しかし、間をおいて結果を告げる。

 

「ろ、68回です」

 

「はははは! 最高記録じゃねえか! 俺の圧勝だな!」

 

「い、いえ違います。北村さんは6回ほど追い抜かされてますので、62回です」

 

「な、何!?」

 

 茶髪はバッと起き上がり、目を丸くして俺を見てきた。俺も茶髪と同じ気持ちで、驚愕していた。

 

 え? 勝っちゃったの? 適当にやってたのになんで?

 

 疑問を口にする前に、坊主頭が語り始めた。

 

「は、はい。こいつの力の抜け具合が最高で、振れ幅が少なく、バネを最大限に活かした騎乗で……」

 

「な、なんだと!? くっ……確かにっ! 俺は今回力を入れすぎて、振れ幅がデカくなってたかも知れねえっ!」

 

 茶髪は心底悔しそうに顔を歪めた。まさに、フルマラソン開始直後に横腹を痛めたみたいな苦悶の表情である。

 

「し、仕方ないですよ北村さん! こいつの動きはとんでもなく速くて、白いシャツが夕焼けに染まって真っ赤に……まるで、百戦錬磨の赤兎馬が走っているようでした! 相手が悪かっただけですよ!」

 

 茶髪をフォローしようと、坊主は慌てて声を上げた。

 

「……ちっ。田中がそこまで言うとは、相当のもんだったんだろうな。実力者だと考えれば、俺を怒らせ、力を入れさせたのだと今になって理解したぜ……」

 

 勝手に誤解を深めた茶髪は、遊具から降りて四つん這いになり、「くそっ」と吐き捨てながら地面に拳を叩きつける。そんな茶髪に、坊主は歩み寄って優しげな瞳を向けた。

 

「北村さん……また、一から修行しましょう。俺も手伝いますから」

 

「……田中」

 

 二人が互いに何も語らず熱い眼差しで見つめ合う。一方で俺は、遊具の側でただ棒立ちになっていた。

 

 な、なんだこれ……。色々と追っつかない……。

 

 置いてけぼりにされ、何もかもがわからない。ただ一つ分かることは、勝ち負けに関する想いなど一欠片もなく、一刻も早く帰りたい気持ちで満たされていることだけだった。

 

 こっそり立ち去ろうとしたが、相手は輩。文句つけられて喧嘩になれば、勝てる見込みはない。許可をもらいたいのだが、夕陽をバックにして、互いに慰め合う二人の間に入りづらく、ただただ黙っていることしか出来なかった。

 

 それから二人の青春劇が少し続いた後、茶髪は坊主に差し伸べられた手をとり、立ち上がった。そして、俺の元に歩みよってきて、子供みたいな無垢な笑顔を向けてきた。

 

「おい赤兎馬! 今日は負けちまったけれど、次は負けねえからな!」

 

 もしかして、赤兎馬とは俺のことを言っているのだろうか。だとしたら、恥ずかしいのでやめて欲しい。

 

 返事をしたら自分が赤兎馬だと認知される気がして、無視を決め込んでいると、茶髪は大きく口を開けて笑った。

 

「戸惑うのも無理はねえ。俺もそうだったからな。二つ名っていうのは負けた奴が勝った奴に敬意を込めて送るもんだ。中々貰えるものじゃねえからな」

 

 それって、負けた奴が嫌がらせにつけるもんじゃないか? と思ったが、茶髪の清々しい笑顔を見て、そうではないとわかる。だが、だとしても二つ名なんて痛くていらない。

 

「おい赤兎馬、良かったな!」 

 

 坊主は笑顔で俺の背中を叩いた後、「じゃあ、北村さん帰りますか!」と言って、茶髪の方を向いた。すると茶髪は「そうだな」と返し、坊主とともに入り口に向かって歩いていった。

 

「じゃあな赤兎馬! 今度は対校戦で会おうぜ!」

 

 公園の中央まで来たところで茶髪は振り返り、大きく手を振ってきた。

 

 何の事か分からないし、色々急すぎて理解が追いついていなかったが、二度と会うことのないように全力で手を振り返しておいた。

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