第2話
再び動物の遊具を見る。虎は、耳、顔、体、鋭いはずの爪まで丸く、象は長い鼻を振り上げ大きく笑っている。瞳はつぶらで可愛らしく、とてもメルヘンだ。全く『ボコす』だの『コテンパンにする』とかいった言葉は似つかわしくない。
「あれが……ですか?」
「何度もしつこい野郎だな! ああ?」
「ひぃぃ、ごめんなさいぃぃ!」
茶髪にすごまれ、情けない声をあげてしまった。二人組をよく見れば当然の反応だ、と自分を慰める。茶髪の男は仰々しい文字のボタンがついた改造制服を着ているし、坊主の男も綺麗に刈りそろえられた髪の中に、爪痕の様な剃り込みが入っている。
ガラの悪い奴らが、あの遊具を普通に扱うはずがない。
例えば、動物の顔の前に寝かされる。そして、動物に乗った男が遊具を前後に揺らし、何発も動物の頭突きを受けさせられるとか。
嫌な考えは止まらず、背筋には冷たい汗が流れ、息が詰まり苦しくなる。次第に、春の夕暮には感じられない寒さに襲われ、膝が震えだした。
「おい? どうした? 今更ビビっても遅えからなぁ?」
ニヤニヤと愉悦に浸る男達から逃げ出したくなる。だが、恐怖に足が竦んで動けない。
そんな俺を見てか、男達は愉快そうに笑う。
「早く乗れよ? ボコボコにしてやるからよ!」
急かして来た茶髪に、どん、と背を押される。俺は二、三歩よろけながら進み、遊具に手が届く距離でぐっと踏みとどまった。
どうしよう。本当に乗っても良いのだろうか。でも、逃げ出せない今、反発しても、酷い仕打ちを受けるに違いない。
震える足に鞭打って、目の前の虎にまたがった。足を虎の爪の横まで伸びた踏み場にかけ、頭部のハンドルを掴む。肘の高さをこえた膝から挟み込まれ、体が縮まり、とても窮屈だ。
俺が遊具に乗り終えると、茶髪の男が悠々と象にまたがり、坊主の男に向かって手をあげた。
「準備オッケーだ!」
「わかりました北村さん。それじゃあ、スプリング遊具において、勝負内容を説明しますね」
「しょ、勝負って?」
坊主の言葉に引っかかり、恐れながらも尋ねた。
「はああ? てめえ、さっき言っただろうが! 勝負するってよお!」
確かに茶髪が勝負と言っていた気がする。けれど、それは喧嘩だとか決闘だとか、そういう意味で捉えていたのだ。内容まで決められるなんて、ヤンキーには縁遠いスポーツ的な要素を孕んでいる。
「い、いや、俺はてっきり、喧嘩的な意味合いかと……」
そう言った俺を二人は鼻で笑ってきた。
「はんっ。この街の高校生はよお。喧嘩なんて何十年も前に卒業してんのよ!」
「そうそう。俺達は、そんなだっせえ真似しねえんだよ」
「だ、だったら、今からは何をするつもりなんですか?」
「田中。説明してやれ」
茶髪は俺に返事をせず、坊主に向かって、首をくいと動かした。すると坊主は、「はい! 北村さん!」と気持ちの良い返事をして、俺に体を向けてくる。
「おい、てめえ。一回しか説明しないから、よく聞いておけよ?」
「は、はい」
「今からやってもらうのは、内記黒(ないきぐろ)だ!」
内記黒……名前からして、恐ろしそうだ。そもそも、喧嘩の代わりになるものである。もっと恐ろしく激しい何かに違いない。
この先のことを聞きたくない気持ちで一杯になるが、無情にも、坊主は淡々と語り始める。
「内記黒というのは、かの英雄、長曾我部元親の愛馬だ。その馬の逸話には、こんな話がある」
坊主の男は、一拍置いて続ける。
「戦場で、息子の死を哀しみ、自害しようとした長曾我部元親。そんな元親を救おうと内記黒は、迅速に参じた。そして、元親をのせて戦場を駆け抜け、命を救ったといわれる。まさにこの速さ、迅雷の如し!」
坊主は最後に語気を強め、びしりと俺を指差してきた。
指先から矢のような何かが出たように錯覚し、射抜かれたように息を飲んでしまう。
恐らくこれから行われる勝負も、逸話に関する内容なのだろうか。話を聞いている限り、かなり激しいものになりそうだ。
ハンドルに掛けている手が、緊張感や恐怖から出た手汗で、ズルズルと滑り落ちてくる。
「それを踏まえて、ルールを説明する。かの内記黒にちなみ、駆けて来て、去る速さを競ってもらう。内容は、スプリング遊具を揺らし、二分間でより往復回数の多い方が勝ちだ」
坊主の言葉を聞き終えると、すっと、何かが抜け落ち、つられて体が沈む脱力感に襲われる。恐怖でかかっていた靄は、間違えて違う人の部屋に入った時みたいに、頭の中からそろそろと去っていく。そして、ぽかんと開いていた口からは、抜けた声がこぼれでた。
「………………はあ?」
「なんだ怖気付いたのか?」
「いや……そうじゃなくて」
「まあ、無理もねえ。俺は内記黒において、最速の男。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろ。『影分身ジョッキー』って名をなぁ!?」
茶髪は、そう口にして凄んで来たが、さっきと打って変わって何も感じなかった。自分が着ている白いシャツの首元を見て、さっき握られた所、皺にならないといいけど、と思う余裕すらある。
当然だ。要するに、今からはただスプリング遊具に乗って、前後する速さを競えと言われたのである。今までの恐怖が一気に冷めるほど馬鹿馬鹿しい。
「ははははは! 驚いて声も出ねえか! 北村さんの『影分身ジョッキー』って二つ名はなぁ! 前後が速すぎて、まるで何人にも見えるって事が由来なのよ!」
「よせ、田中。わざわざ知ってることを教えてやって、しょんべん漏らされたら、臭くてたまんねえぜ!」
下品に笑う二人を俺はただ冷めた気持ちで見つめていた。
別にそれを聞かされたところで何も怖くないし、より馬鹿馬鹿しさが増しただけなんだけど。正直、さっきとは違う意味で今直ぐ帰りたい。うん、自分の気持ちに素直になろう。
「あの、自分の負けでいいんで、帰らせてもらっていいですか?」
「はああああ!?」
俺の淡々とした口調に、恐れおののいているというより見縊られていると感じたのか、男達は唾を激しく飛ばして捲し立ててくる。
「なんだてめえ! 舐めてんのかオラァ!?」
「ふざけてんじゃねえそ! コラァ!」
舐めてるかどうかと言われれば、おっしゃる通りと言わざるを得ない。子供用の遊具を本気で遊ぼうとする高校生である。さらに、それで勝負だとか二つ名だとか……うん、ふざけてるのはお前らじゃないか。俺を舐めるのもいい加減にして欲しい。
「てめえ、もう許してやんねえからな!」
呆れから何も言わずにいると、茶髪は青筋を立てて叫んだ。そして、俺を充血した目で睨みつけながら、ゆっくり前後に遊具を揺らす。象は揺れるたびに、キーコ、キーコと情けない声を出した。
茶髪のゆっくりと揺れる姿を見た坊主は、驚愕の表情を浮かべ、「はっ!? あ、あの、北村さんがアップし始めた!?」と腰を抜かし地面に倒れこむ。
俺は二人を見て、ひどい目眩にくらくらした。
……もう、帰してくれないかな。俺もアップとか言って、ゆっくり前後すればいいのだろうか。くだらない。むしろ、勝負が始まっても動かないでいてやろうか。
どうしようもなく呆れ、そんなことを考えた。だが、後でいちゃもんをつけられても困るので、適当にこなそうと決める。
それから五分ほど揺れ続けていた茶髪は「準備オッケーだ」と、地面に足をつけ、遊具の動きを止めた。そして、足場にハイカットの白いスニーカーを乗せて前を向く。
そんな様子に、やっと始まるのかと思い、俺も前を向く。目の前には、茶色の柵の向こうに、寂れた二階建のアパートが見える。屋上に飲み込まれつつある夕日は、炎のように燃え盛っており、世界で俺だけが冷めているのではないかと錯覚した。
俺が前を向いたことを確認したのか、坊主はスマートフォンのタイマーをセットし、口を開く。
「それでは、始め!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます