第1話

 引っ越してきた翌日。荷ほどきを終え、重ねたダンボールをビニール紐で縛っていると、


「そうだ、しょーちゃん! 折角引っ越してきたんだから、街でも冒険してきなさい!」


 と、叔母に家から追い出され、新しく来た街を散策していた。

 

 苗が水面に顔を出している田んぼと、ぼけ〜と電線を垂らす電柱に挟まれた道路、スルー。

 

 2車線しかない大通り、チェーンの煤けた飲食店、聞いたこともない名前のゲームセンター、スルー、スルー。

 

 駅前、奥ゆかしいアンティークなカフェ、甘ったるい匂いを放つ鯛焼き車両、毒々しい色の服を飾った手狭なブティック、スルー、スルー、スルー。

 

 結局立ち寄ったのは、どこかで見たような公園。寂れた駅前から、歩いて少しのところである。

 

 公園は、格子状の茶色い柵で囲まれており、陸上のトラックぐらいの広さだ。柵沿いには、手入れされた草木が静かに揺れている。赤い屋根のついた滑り台、ブランコ、動物が前後する遊具、鉄棒が佇んでいた。

 

 子供達が遊ぶ時間にも関わらず、公園は閑散としている。既に西日が差していて、茜色の中で遊具が影を落とす光景は、どこか淋しくて、切ない。

 

 公園の入り口を塞ぐ、逆さまになったU字のポールをまたぎ、吸い寄せられるように鉄棒へと歩く。腰の高さまでしかない棒は錆びて赤黒く、ポールのペンキは剥げ切って薄汚れた銀色になっていた。そんな荒い肌の鉄棒をさらりと撫でる。瞬間、ドライアイスに水を入れ、一気に煙が湧き上がるみたいに、懐かしい記憶が溢れ出した。

 

 瑞樹に告白されて俺は、逆上がりが出来るようになるまで付き合わない、と約束したんだっけか。

 

 子供の変なプライドを思い出して、我ながら微笑ましく、笑いがこみ上げた。回想は止まらず、幼い自らの恋心、馬鹿さ加減が蘇ってきて、今度は気恥ずかしさから頬が熱くなる。

 

 結局、瑞樹に何も伝えられなかったなぁ。だって、出来る前に転校しちゃうんだから。

 

 瑞樹は小学6年生の冬、別れの春を待たずして転校した。彼女は転校することを俺には告げなかった。なぜかはわからない。だが、自分勝手にも告白を待たせ、ひたすら逆上がりに挑み続けた俺に、愛想を尽かせてしまったと考えている。

 

 当時の俺は、逆上がりが出来ないから愛想を尽かされたのだ、と愚考し、転校していった後も逆上がりにのめり込んだ。瑞樹の気持ちが戻ってくるわけがないというのにである。けど、そのお陰で。

 

「よっと」

 

 錆びた棒を握り、足を振り上げ、下腹部を中心にぐるりと回った。

 

 できる様にはなったんだけどな、と手についた錆びを払いながら笑う。

 

 自分のことなのに、まるで他人事の様に笑ってばかりだ。黄昏の公園がどこか幻想的で、物語の中にいる気分になるからかもしれない。

 

 最後に手をパンパンと払い、気持ち残りの錆びを落としきる。帰ろうとして入口を見やると、学生服を着た、坊主頭と茶髪の男二人組の姿があった。二人は体をまっすぐ俺に向け、美術館で絵画を観ている人みたいに固まっている。

 

 一体何だろうか? 明らかに俺を見てきている気がする。なんだか少し気味が悪い。


 帰ろうにも入口は一つしかなく、退いてもらえないと帰れない。すみませんと言って、脇を抜ければいい話だけど、相手は新転地の高校生、こっちに来て初めての同年代。何だか、とても声をかけ辛い。

 

 どうすることもなく、ただ互いに見合う時間が続く。次第に男達は震えだし、茶髪の男が大声で叫んだ。

 

「てっめえ! そこで、何やってやがんだ! 今月は俺ら北高だろうがよ!」

 

 男達は怒り心頭といった様子で、背負っていたスクールバッグを放り投げ、こっちに走ってくる。

 

「えっ!? 何!?」

 

 ひどく動揺し、つい声が出た。俺の戸惑いなど関係なしに、男達は駆け寄って来る。大きく手を前後に振り、後ろに砂嵐を巻き上げそうなほどの勢いで迫ってくる。

 

 わけがわからず動けないでいると、目の前まで二人が来た。


 茶髪の男に胸ぐらを掴まれる。

 

「てめえ! この公園で、俺たちを前にして逃げださねえとは、舐めた真似してくれんじゃねえか!」

 

 胸元を捻り上げられて襟がつまり、息が苦しい。両手で男の手を掴み、なんとか締まる喉を開けて声を出す。

 

「い、いきなり、なんですか!? やめてください!」

「うるせえ! 今月は北校の管轄だと知ってやってんのかよ!? ああ!?」

「そ、そんなこと知りませんよ!」

「しらばっくれやがってこの野郎! 頭に来たぜ! コテンパンにしてやるよ!」

 

 そう言って茶髪の男は、俺の胸ぐらを掴んだまま、背を向けて歩き始めた。

 

 掴まれた襟はグイと伸び、首元は大きく広がって、みちみちと音が鳴る。首の後ろに襟が食い込み、前につんのめって、こけそうになる。ぐしゃりと握りつぶされた襟を先頭に、おぼつかない足取りで男の後を辿らされてしまう。

 

 数十歩進むと自分の足取りが規則性を取り始めて余裕が生まれた。地面から視線を上げると、揺れる茶髪の隙間から、ぎらぎらと光るピアスが見えた。制服からはみだす腕は、コードのような青い血管が浮きだち、一升瓶みたいに太い。

 

 あ、明らかに柄の悪い男じゃないか!?

 

 遅れてやってきた恐怖から、腰を落とし、体重を後ろにかける。しかし抵抗も虚しく、ズリズリと公園の硬い土を削り、砂埃を立てながら引きずられていった。

 

 公園の隅までくると、茶髪は不意に立ち止まり、俺の胸ぐらから手をはなす。そのせいで、後ろにかけていた体重が地面に吸い込まれ、尻に硬い衝撃が走った。

 

「おい。あれで勝負だ」

 

 痛いっ。なんでこんな目に……。

 

 悲嘆しながら立ち上がり、俺は尻についた砂を払った。顔を上げて茶髪を見ると、何かを指差していた。目で指先を辿れば、ぬらりと光る二頭の獣の姿がある。

 

「……あれって、あれですか?」

 

 あまりの訳の分からなさに尋ねてしまった。

 

「あれ、つったらあれに決まってるだろうがよ!」

 

 背後から怒鳴られて振り向くと、ついて来ていた坊主の男も指さしていた。先を辿っても、そこにあるのは二頭の獣、可愛くデフォルメされた象と虎で、背には平たく鎧がつけられている。前足の下には、巨大なアイスの棒みたいな足場があり、頭からはハンドルが生え、腹からはぐるぐるに巻かれた黒いチューブが地面に突き立っていた。

 

 この獣には心当たりがあった。だからこそ確認の意を込めて尋ねる。

 

「乗って前後に揺らして遊ぶやつ……ですよね?」

 

 俺の問いに、二人とも大きく頷いた。

 

「ああ! あれがお前をボコす為の遊具だ!」

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