第十三章Wind him up

 秀明は美紀を背負い決死の思いで、境内左側に逃げ、手水舎の水盤陰に隠れた。

 御影石で出来ていたので、燃えないで残っていたようだ。正直助かった。

 影から亜紀が戦っているのを伺っていたがが、かなり苦戦しているようで、贔屓目に考えても敗色は濃厚であった。いったんは龍の背中に飛び乗って鎌の刃を突き立てたのは良いが全く歯が立たない様子で、鈍い音が何度も響く割にははじき返され、致命傷どころか、かすり傷すら負わせることが出来ていないか。

 美紀が直ぐにでも目覚めてくれれば良いのだが、薬を打たれたせいか、まだぐったりしており、とても加勢どころか逃げるすらままならない。彼は美紀を龍から見えない位置になるよう、手水舎の柱の部分にもたらせると、吉宗・・を抜いて亜紀と龍神の様子を見る。

 龍神は背中の亜紀を振り落とそうともがいている。一方亜紀は捕まるのに必死で攻撃すらおぼつかないようだ。

 これではいつまで経ってもらちがあかない。どうする? 打って出るか? しかし勝算がない。剣道なんて小学校の時の習い事でやったくらいだ? 俺にできるか? 

 秀明は刀を構え、亜紀のほうを伺うが、なかなか、踏ん切れない。

 美紀を見るとまだぐったりしている。

このままでは、いずれにしろ此処でやられる。どうせやられるなら、戦わず後悔するくらいなら、戦った方が男らしくないか? 

 母さん、父さん、それにひかる。さよならも言えないなんてごめんよ。でもこれが俺の人生なんだ、と秀明は心の中に様々な思いを巡らし、覚悟を決める。

「うぉおおおおおおしぃいいいいいいいいい!いくぞぉおおおおお!」

 秀明は気合いをいれ、恐怖心を振り払うためありったっけの勢いを出すように大声で吼えた。しかし、そう言い終わらないうちに、龍は亜紀共々、消えてしまった。空を見上げると小さな点が月をバックにして黒く映し出されていた。彼は直ぐにそれが彼女らであると悟った。

 何もかも手遅れだ。秀明は出鼻をくじかれ、手水舎前でぼんやりと立ち尽くした。また出遅れてしまった。この虚脱感、やるせなさ、無力感。なんて呼んで良いか分からない気持ちでいっぱいになる。

「龍沢さん……。亜紀さんは?」陽奈が駆け寄ってきた。秀明は茫然として「判らない。行ってしまった」とつぶやいた。

「それより、お兄ちゃん、お兄ちゃんが……うわぁ」陽奈が泣きじゃくりながら言う。

「どうしたの?」

「うう、息を、息をしてないんです。うう」

 秀明は手水舎で寝かせていた美紀を背負い、綾人が倒れている燃え朽ちた鳥居側の大木に行く。そこに全身が傷だらけでボロボロになった綾人が、ぐったりと横たわっていた。腕が折れたのか、あり得ない方向に曲がって変形している。

 「ぅえっぅえっ、何度も心臓マッサージしたんです。うう、でもぜんぜん息が吹き返らないんです。んんっ」陽奈が泣きじゃくりながら言う。体力も相当落ちてたようだったし吹き飛ばされて大木に当たったとき打ち所が悪かったのだろう。

「とりあえず救急車呼ぼう」

「陽奈ちゃんは美紀先輩を見ていて、あと一一九に電話も。僕は少しお兄さんの心臓マッサージをしてみる」まだ暖かい、心臓が停まってからまだそんなに経ってないな。正直一度殺されかけた相手だ。あまり気が進まないが、陽奈ちゃんの手前もあるしな。なんとかしてみよう。だが、秀明が幾ら心臓マッサージしても綾人の身体は冷たくなるばかりだ。

「ドクターヘリが来てくれるそうです。ここだと救急車が入ってこれないので」と陽奈が涙声で言う。

その時物陰から「ざっざっざっ」なにか近づく音が聞こえた。

「おい、君たち大丈夫か?」

音のする方を見ると、なにか物々しい格好をした集団が走ってきた。自衛隊と警察だ。応援を呼んできたようだ。武装強化もしている。

「君は龍沢君?」

 中川警部だ。

「そいつは小鳥遊綾人か?」

秀明と陽奈がゆっくり頷く。

「死んでいるのか?」

「心臓は止まっていますが、まだそんなに経ってません」

「おーい! 救護班! AEDの準備を!」中川は救護班を呼びつけると綾人を蘇生させるよう命じた。

「ところであのキングギドラはどこ行った?」中川は秀明に尋ねた。

「キングギドラ?」秀明は何のことか分からず聞き返す。

「君はキングギドラも知らんのか? まあいい。あの竜のことだ」中川はあきれた顔をする。

「あのドラゴンはわかりません。亜紀先輩を乗せて飛んでいきました」秀明は亜紀が紫雨を持って戦っているとは言えなかった。

「くっそ」中川が吐き捨てる。

「亜紀先輩というのはあの女の子か。かわいそうだが諦めてくれ。自衛隊のF4二機が夜明け前にあの化け物を攻撃することになっている。ミサイルで迎撃する作戦だ。残念だが…」

「中止にできませんか?」

「残念だが無理だ。あんなのが市街地に出たら女の子一人の命には代えられなくなる」

龍沢は自らの顔面から血の気が引いていくのを感じ、絶望感に囚われた。先輩、なんとか助かってくれ、と秀明は神にもすがりたい思いで心の中で唱えると、あふれ出てくる涙を拭った。


「痛てててて」ここはどこだ。全身がもの凄く痛い。頭もがんがんする。真っ暗でそれに肌寒い。それに足が地に着かない。かといって横になっているわけでもない。肩のあたりが強く引っ張られている感じだ。時々風が吹くと揺さぶられる。顔に何かついているようなので手で拭うとべっとりと手に何か付く。血だ。まだ暖かい。そういえば、頭頂部あたりがズキズキ痛い。どうも、木か何か、からぶら下がっているようだ。よく見ると森の中だ。携帯電話を取ろうとポケットを探すがポケットが無い。そうだ、今きているのは巫女装束だった。ポケットなんてない。

「紫雨!」

亜紀は紫雨を呼ぶと引っかかっている枝をなぎ払った。亜紀はそのまま下まで十mほど落下したが、巫女装束と神器により運動能力がブーストされているせいで、難なく着地できた。

「ここはどこだろう?」

たぶん神隠の山の中だ。しかしそれ以上は判らない。とりあえずここが何処か把握せねば。

 神器によりブーストされるのは運動能力だけでなく、知覚も強化される。聴覚は犬以上に、視覚は猫のように闇夜も見えるようになり、双眼鏡とまでは行かないが視力もある程度遠くまで知覚できるようになる。しかし、あたりに秀明達や人の気配は感じない。きっとかなり遠くまで来てしまったのだ。

 亜紀は紫雨に「神隠神社はどこ?」と命じる。紫雨はすうっと水平になり、ぐるっと回ると月と反対側を指した。

「どうやら西側のほうにとばされたようね」

西側というとちょっとやっかいだ。山を越えないといけないかもしれない。いくら体力が強化されているとはいえ、山を越えるとなるとそれなりに体力も使う。それに一番の問題は時間だ。神隠神社に龍神が戻ると秀明たちが危険だ。なんとか早く戻らねば。

「こんなことすると、お父様におこられるかもしれないけど」と亜紀は言うとひょいっと紫雨の上に魔女のように腰掛けた。

「さぁ、紫雨! 神隠神社まで飛ばして!」

漆黒の夜の山中を一人の少女が魔法使いのように飛んでいった。


 警察の救護班の活躍でなんとか綾人は息を吹き返したが未だ意識不明だった。一刻も早く病院での手当が必要である。中川警部は無線で小鳥遊綾人確保と本部に連絡している。東の方からバタバタとヘリコプターの音が聞こえてくる。ドクターヘリだ。

「おい、ヘリがそろそろ到着だ。そっちの女の子も一緒だな? 定員があるから君たちは車かなにかで追いかけてくれ。場所はおそらく大学病院になると思う」と中川が言った。しかし暫くしてバリバリという雷のような音が聞こえたと思うとズズーンと地響きのような音が響き、焦げ臭いにおいとなにかが燃える音に辺りが包まれた。何かが墜落したようだった。それがドクターヘリで有ることは誰もが容易に察することが出来た。

「くっそう、キングギドラめ!」と中川が呻く。どうも警察関係者には龍神のコードネームはキングギドラということになったらしい。

「救護班! もう仕方ない担架ではこべ!」中川が命じると綾人は担架で運ばれていった。

「龍沢君だったよな? 少し待ってくれと言いたいところだが、まもなく此処は戦闘機が飛んでくる。キングギドラへの攻撃に巻き込まれるかもしれないから早く逃げなさい」中川が言った。

 そろそろ東の空が明るくなってきた。F4がくるまであと三十分くらいだろう。警官達も撤収していく。秀明は美紀を背負い、陽奈と駐車場へと降りていく。しかし途中で立派な山門が見えてきた辺りで異変に気がついた。

「龍沢さん、あれ!」陽菜が秀明の袖を引っ張り、山門の方を指さす。風が吹いていないのに山門あたりの木がざわついている。

 暫くすると警官たちが上空に向けて一斉射撃をしているのが見えた。しかし、所詮はただの拳銃。すぐ弾がつきてしまう。武器を失った警官達は得体の知れない怪物に怖じ気づきわらわらと逃げていった。目の前には巨大な翼をもつ何かが降り立ち、周りを火の海にし始めた。

「こっちはヤバい、陽菜ちゃん、逃げよう!」秀明は陽菜と元来た道を引き返した。美紀がいくら軽くても、やはり四十キロ弱の女性を背負って走るのはきつい。必死に走って、ようやく神社社務所まで引き返した頃には、秀明の吐息はがらがらに悲鳴を上げていた。美紀を降ろして、水道の蛇口をひねり、両手に水をためて、一息で飲むと、今度は右手で同じようにためた水を美紀の口へと運ぶが、全く口を開かず飲ませることは出来なかった。社務所の時計をみるとすでに午前四時になろうとしている。中川刑事の言うことが正しければ、そろそろ自衛隊の攻撃が始める頃だ。

「龍沢さん。うち怖いです。あの化け物、またここに戻ってこないでしょうか? そうしたらもう……」陽菜が脅えながら言った。

「ここにいれば気が付かれないさ。それに自衛隊が倒してくれるよ。いくら化け物でも自衛隊のミサイルなら木っ端みじんさ」とは言ってみた物の、やはり不安はある。そういえば美紀先輩が通常兵器は効かないって言っていたな。あれはどういう意味だ? とりあえず今はほとぼりが冷めるまで此処で待つしかない。と秀明は思った。

 しばらくすると遠くからゴォーっと言う音が聞こえてきた。自衛隊機が来たのだ。音は段々大きくなり秀明達が居る神社の上空を通り過ぎるとまた旋回する。ついに始まった。こっちにとばっちりが来ないよう祈るしかない。


「こちらブルーレイダー。まもなく攻撃にはいる」自衛隊長谷川一尉は、作戦本部に伝えると前方にいる阿部二尉に、

「ハスカー、準備は良いか?」と確認をとる。

「こちらハスカー準備OK。いつでも攻撃に入れる。ブルーレイダーどうぞ」

「まもなく、目標地点の神隠山付近に到着する。目標は正体不明の大型飛行生物。すでにブリーフィングで話したとおり、火炎吐くので、近距離の攻撃はなるべく避け遠距離からのミサイル攻撃に限定すること。以上だ」

「了解、ブルーレイダー」

空は日の出を前にしてすでに明るくなってきた。二機のF4は山頂付近をぐるっと旋回する。

「ブルーレイダー、こちらハスカー。攻撃目標まだ発見できません。レーダーにも反応なし」

阿部二尉は二回目の旋回で神隠神社上空に差掛かろうとした時、山中での火事に気がついた。

「こちらハスカー。前方で火事が発生しているようです。低空飛行にて確認許可願います」

「こちらブルーレイダー。許可する」

阿部二尉の機体は再び神隠山を旋回したあと、火事の起きている神社山門近くに低空で近づく。このとき、長谷川一尉は阿部二尉の機体の真下から何かが高速で上昇してきたのを確認した。

「おい、やばいぞ旋回!旋回!」長谷川一尉はコールサインをつけるのを忘れて阿部二尉に叫ぶ。阿部二尉はなんのことか理解が出来なかったが命令に従い、とっさに旋回した。後ろを確認すると、軽飛行機よりは小ぶりだが明らかに鳥より大きな何かが上空に上昇して行ったのが見えた。そして上空へ上昇した「何か」はまた下降し始めると、阿部二尉の機体に向かってきた。

「こちらブルーレイダー。例の飛翔体はそちらの機体を追っているが、それほどスピードは速くない。こちらは攻撃対象をロック出来次第、ミサイルで攻撃する。そちらは全速力で離脱後、援護に回れ」

「こちらハスカー。了解。離脱開始」

 阿部二尉の機体はアフターバーナーをふかし、現場を一旦離脱していく。さすがに龍神もF4のスピードにはついていけないと悟ったのか、追うのをやめた。長谷川一尉にとっては絶好のチャンスだった。

「こちらブルーレイダー、攻撃目標をロックした」長谷川一尉は操縦桿の発射ボタンに手をかけると続けて「ミサイル発射」と復唱しボタンを押す。F4のレールローンチャーから飛び出したAIM−9サイドワインダーは、まっすぐ龍神に飛んで行く。しかし着弾の瞬間、龍神はもやもやと霧のように消えてしまった。行き場を失ったミサイルはそのまま彼方に飛び去り、彼方で自爆した。

「こちらブルーレイダー、攻撃目標ロスト」

長谷川一尉は呆然として言った。現場に戻ってきた阿部二尉は、

「こちらハスカー。ブルーレイダー、攻撃目標はどうした?」と問いかけた。

「こちらブルーレイダー。攻撃目標が消えた。着弾も、撃墜はしてない。霧のように消えた」

長谷川一尉は龍神の消えた地点に飛び、何回かの旋回した、そして消えた地点を通りすぎようとした瞬間。同じ場所でまたもやもやと黒い霧のようなものが発生し、直ぐそれは龍神に実体化した。

「やばい、ぶつかる!」長谷川一尉が龍神を避けようと急旋回した瞬間、龍神は高温の火焔をF4めがけて吐きつけた。そしてF4はコントロールを失い、神隠山の反対側へ墜落してしまった。

「こちらハスカー。ブルーレイダーどうぞ。聞こえますか?」阿部二尉は何度も長谷川一尉に話しかけるが応答はない。長谷川さん、大丈夫か? 無事脱出したろうか? 仕方ない、後は一人でやるしか無い。所詮、たかが動物だ。F4に勝てるわけ無い。そう思った阿部二尉は神隠山の周りを旋回し、龍神を確認する。もう、夜明け間近で辺りはだいぶ明るい。龍神は朝焼けをバックにはっきり確認できる。こんどこそ、仕留めるぞ。さっき、長谷川さんは目標の近くでやられた。目標から離れていればやられない。あの火焔はかなり高温で強力なようだが、射程は大したことない。おそらく三十mくらいしか届かないだろう。阿部二尉は機体を旋回させ、龍神のほうに向けると、照準を合わせる。

「こちらハスカー。攻撃対象をロックした。ミサイル発射」阿部二尉のF4が放った、サイドワインダーが軌跡を描き龍神に向かって行く。しかしまたしても、龍神はもやもやとした煙に包まれ消えてしまった。やはり、さっきのは錯覚ではなかった。

「こちらハスカー。攻撃目標ロスト! ミサイル攻撃失敗」

作戦本部からの無線で説明を要求される。

「こちらハスカー。ブルーレイダーの攻撃時と同じ攻撃目標は霧のように消えた」阿部二尉は長谷川一尉と同じ轍を踏まないため、旋回して龍神の消失地点から距離をおく。そして、阿部二尉の予測通り龍神はふたたび同じ場所に姿を表した。こいつはただの動物ではないな。阿部二尉は現状では勝ち目ないのではないかと感じ始めた。阿部二尉は旋回してもう一度ミサイル攻撃を試みようと考えた。

「こちらハスカー。攻撃対象が視界に現れた。再度ミサイル攻撃を試みる」阿部二尉が再び龍神に機種を向けた時、龍神は阿部二尉の機体に気付いたようだ。こちらに向かって突進してくる。

「大きさが倍以上あるF4に突進してくるとは大したやつだな」と阿部二尉はつぶやくと、再び旋回して龍神との衝突コースから離れ、龍神に背後にまわり、2発めを発射する。だが、またしても龍神は忽然と姿を消した。残るミサイルは2発。これ以上やっても意味があるのか? 

「こちらハスカー。司令部、攻撃目標はなんらかのステルス能力を持っていると思われる。これ以上の攻撃は不可能。次の命令を待つ」

「ハスカー、こちら指令本部。了解した。作戦は中止。帰投せよ」阿部二尉は現場を一度旋回すると機首を基地に向け帰投しようとした。しかしどすんと突き上げるような衝撃を下方から受け、機体はバランス崩したかと思うと、バラバラに分解して墜落してしまった。


 秀明と陽奈は入り口にめいっぱいの荷物を置き、龍神が入ってこない様にした。

「これでいいだろう。一応裏口も荷物おいといたけど、いざというときは脱出出来るように、軽いのにしておいたよ」秀明は息をきらせながら言う。裏は表と違って、側まで山が迫っているので龍神も攻めてこないだろう。

 上空からゴォーっという、戦闘機の音があっちに行ったりこっちに行ったりと旋回しているのが分かる。そしてそれほど遠くない場所での破裂音。始まったな。もう自衛隊しか頼みになるものがない。

 秀明達が部屋の奥で、固まっていると上空でバリバリと言う音が聞こえ、暫くしてズズーンという地響きが起こった。

 やったのか? ようやくこの地獄から解放されるのか? しかし、その淡い期待はあっさりと裏切られた。

 再びゴォーっという音とともに戦闘機が上空を通過し、暫く後にまた爆発音が聞こえる、そして二回目の爆発音の後、キュイーンいう音のあとにまた地響きを伴う爆発音がする。そして戦闘機の音は全く聞こえなくなった。

「あの、キングなんとかって死んだのかな?」陽奈が震えながら言う。一睡も出来なかったせいかかなり疲労している。

「判らないけど、自衛隊の飛行機はいなくなったみたいだね。ドラゴンはやっつけられたのなら良いんだけど…」そうは言ったものの、秀明にはとてもこれで終わりになったとは思えなかった。もしかするとやられたのは龍神ではなく自衛隊の方かもと感じていた。彼は暫く間をおいて「とにかくこれ以上此処に居ても危険かもしれない。下まで移動しよう」と続けた。陽奈はコクリと頷くと、立ち上がり、

「でも大丈夫でしょうか? うち怖いです。此処にいた方が安全かも」と言った。確かに一理あるが、此処にいても暫く助けが来る見込みは無い。それに龍神が再び此処に戻ってくる可能性は高い。それならまだここを去った方が助かる見込みはあるだろう。参道は避け登山道で降りれば龍神と出くわす確率も低くなるだろう。

「陽奈ちゃん、奴はまた此処に戻ってくる。そうしたら此処にいても奴に見つかってしまう。そこで火炎を吐かれたら、イチコロだ」と彼女を説得すると、彼女も青ざめた唇を震わせながら、

「そうですね。怖いけど、此処にいつまでもいるのは、うちも危ないと思います。でも美紀さんはどうしますか? おんぶしていくとしても、龍沢さん疲れるんじゃないですか?」と返した。秀明はしゃがんで横たわる美紀の肩を揺すった。

「先輩! 起きて下さい!」

「うう~ん」ダメだ、まだ起きそうな感じではない。まだ薬が切れてないようだ。

「まだ薬が切れてない。でも起きるのを待っていたら手遅れになる。兎に角担いでいくよ」秀明は美紀の腕を肩に回して背負った。裏口に置いてあった荷物はすでに陽奈がどかしてくれた。ドアを開けゆっくり外を伺う。取りあえず今のところはまだ大丈夫のようだ。

「陽奈ちゃん、大丈夫だよ」秀明が言うと陽奈もおそるおそる出てくる。

「龍沢さん、あっちです」陽奈は秀明を登山道のほうに誘導する。

 夜間は判らなかったが登山道は鬱蒼とした森の中だった。これなら龍神から隠れながら移動するにはうってつけかも知れない。美紀の顔が肩の上に乗って、吐息を耳元に感じる。不謹慎だがなんか変な気分だ。十五分ほど歩いたところ、石でできたベンチがあるのが見えてきた。

「龍沢さん、後半分です。すこしあそこで休みましょう」陽奈が気を利かして休憩を勧めてくる。正直言って助かった。四十キロ弱の体重は身長百六十センチ超の女子としては比較的軽いほうだが、さすがに人間を背負ってこの山道を歩くのはきつい。

「ふうっ」秀明は美紀をベンチに座らせると思わずため息をつく。

「龍沢さん、大丈夫ですか?」陽奈が気を使い話しかけてくる。

「大丈夫さ。下り道だし。あと半分。意外に心配すること無かったね。そうだ、ちょっと悪いけど、俺はちょっとトイレしてくるよ。美紀先輩をお願いできるかな?」秀明は陽奈に美紀を見てもらえるよう頼むと、草むらに入っていく。あとは車に戻って大急ぎでここを離れよう。ああ、これで帰れる。しかしそんな期待はもろくも崩れてしまった。

「きゃぁあああああっ!」陽奈の叫び声にびっくりして振り向くと、巨大な物体が目の前に降りたった。龍神ドラゴンだった。


 秀明たちが社務所にこもっていた頃、亜紀は新潟と長野の県境あたりの山中を紫雨に乗って滑空していた。少し遠回りだが、木などの邪魔な物や起伏のある山中より移動の楽な沢沿いを行く。直線ならまだ早いのだろうが、こいつ《紫雨》は飛行機やヘリコプターなどと違って、地面すれすれしか飛べない。どのくらいかかるか解らないが、考えている暇は無い。いまはとにかく先に進まなければ。途中ゴォーと言う音が聞こえてくる。おそらく自衛隊かなにかのジェット機なんだろう。自衛隊で歯が立つ相手なら良いが。なにしろ奴らは通常兵器が効かない。銃弾くらいならはじき返してしまうし、砲弾やミサイルなどは命中する前に空間の位相を変えてそこに逃げてしまう。叩くには位相の隙間に逃げられないように位相シフトを妨害するか、認識されないように不意打ちかけるしかない。でもそんなこと自衛隊が知っているわけ無いが。なにしろ、龍神なんてここ百年出現記録がない。それより美紀と秀明が心配だ。辺りはだいぶ明るくなってきたし、少し直線になってきたら飛ばすようにしよう。

 紫雨に乗って沢沿いを進んでいた亜紀は、周りが明るくなったこともあり、スピードをあげていく。しばらく行くと、川に橋が架かっているのを発見した。

「橋の上に行って」亜紀は紫雨に命じて橋の上にでる。どうやら林道の橋のようだ。亜紀は川から林道に変えて進むことにした。

 移動を初めて二十分くらいたった頃だろうか、大きなダム湖の脇に出た。「乙女湖」ダム脇に大きな地図つきの看板があった。なるほど、ここの林道を右に行けば神隠山まで直ぐね。亜紀は紫雨にまたがると。

「さあ、この道沿いに行くわよ! 百キロでとばして」紫雨はスルスルと亜紀を乗せて加速していった。


 龍神はじっと陽奈と亜紀を伺っている。

やばい、先輩達から引き離さないと。秀明は吉宗を引き抜き身構える。

「おい、こっちだぞ!」秀明が怒鳴って、手近にあった石ころを龍神にほうりなげる。龍神は片方の首をもたげ、彼のほうを振り向く。ダラダラと涎を垂らし、酔っぱらいのようなアルコールとスルメのにおいが混じった臭い息を吐きかけてくる。

「オラオラ! こっちだぞ!」と怒鳴り、吉宗をぶんぶん振り回す。龍神は彼の挑発に乗って、身体をこっちに向けた。

「陽奈ちゃん、先輩連れて早く逃げて」彼は陽奈に言うと吉宗をさっと一振りした。一瞬朝日が反射したのだろうか、刀が光った。しかしそれは朝日の光ではなかった。彼は一瞬しびれるような感覚を手に感じたがそれは直ぐに収まり、次に言いしれぬ高揚感に満たされて来るのを感じた。その高揚感は一瞬でおさまる訳ではなく徐々に高まり、彼に絶対的な自信をもたらした。

「よし! 俺には出来る。こいつを倒せる。この刀で叩ききってやる」普段の大人しい秀明にはあり得ない強さと自信を感じてきた。刀は徐々に光を増し、直視出来ないほど輝いた。

「これは……」コイツはただの刀じゃないぞ、と彼は感じた。そしてこの刀を使って必ず勝てると確信した。なぜか分からない。「ぐぉおおおおお!」彼は雄叫びをあげ、刀を構えて龍神に突進していく。龍神は殺気を感じたのか、喉をならして火炎を吐く準備をするが、彼の方が早かった。

「ガツッ!」コンクリート同士がぶつかるような音がした。吉宗が龍神の喉に刺さっていた。偶然なのかそこの部分だけ、鱗と鱗の隙間が広く開いていた。

「ギギギギィー!」龍神がこの世の物と思えぬおぞましい声で鳴く。彼は龍神の首に刀をぐるっと一周させ、左側の首を切り落とした。切り落とされた首が発火している。危なかった。火炎放射をする寸前だった。一方、首を一つ切り落とされ、もがき苦しむ龍神。

「ちょろいちょろい! あと一息!」と刀を構え、隙を伺った。自分の性格がまるで百八十度も変わったみたいだ、と彼は思った。

 そして龍神の首をのけぞらした瞬間勝負に出た。刀を上段に構え、龍神めがけてジャンプした。二~三メートルは飛んだだろうか、自分の運動能力が飛躍的にあがっているのにびっくりした。さっき、龍神の首を切り落とせたのは刀の切れ味だけのせいではないようだ。そして再び、龍神の懐にはいり、喉元をねらった。しかしさすがに龍神も二度目の攻撃は許してくれなかった。怒り狂った龍神は翼で彼をたたき飛ばしたが、杉の大木に叩きつけられても奇妙なことに痛みは無かった。即座に立ち上がり反撃をしようと再びジャンプするため、膝を曲げる。しかし、さっきたたき飛ばされた拍子に藤かアケビか何かの蔓植物が足に絡まってしまったようだ。刀で叩ききろうとしたが、龍神はすでに大口を開けて、今にも火炎を吐く勢いだ。やばい、このままではあの火炎を浴びて死ぬ。蔓を叩ききろうと刀を振るが弾力性が強く、なかなか切れない。

「糞っ!どうすれば」

 龍神がごくごくっと喉仏を動かす。

火炎放射のサインだ。一秒もしないで来る。

彼は思わず伏せて顔を抑えた。

「ギギギギギェー!」龍神は再び奇声を発し、動きが停まり、そして倒れた。秀明は思わぬ展開に目を見張った。そこには亜紀と美紀が紫雨と火羅太刀を交差させて立っていた。


「ああ、間に合ったわ」亜紀は紫雨をもってベンチにどすんと座った。秀明は足に絡まった蔓を吉宗で叩き切ると、亜紀に近づき。

「亜紀先輩! 無事だったんですね? 良かった。美紀先輩も気がついて良かった。うん本当に良かった!」彼はうれしさと安易心感のせいか感極まって、涙ぐみながら言った。

「なに男の癖に泣いてんのよ! みっともない! 陽奈ちゃんも笑ってるよ!」と亜紀は、秀明のおでこを人差し指でパチンとこずく。陽奈はそんな秀明と亜紀を見て苦笑いをしている。でもなんだか安心したみたいだ。

「美紀先輩、身体大丈夫ですか?」

「ちょっと寝過ぎたみたいだけど大丈夫!」と美紀がにこやかに言う。

「多分、この中で一番元気じゃない?」と亜紀。

「確かに」と秀明も相槌をうつ。

「酷ーい!」少しむくれる美紀。そしてみんなにようやく安堵の笑顔がもどった。

「ところで、こいつもう死んだんですか?」秀明が言った。

「ええ、確実に殺ったはずよ。美紀ちゃんが目を覚ましてくれてて良かったわ。私達の必殺技は二人居ないと出来ないもんねー!」と亜紀が美紀の方を見て首を傾げて言う。

「ねー!」と美紀も相槌を打つように首を傾げて言う。

「しっかし、コイツには参ったわね」亜紀は、龍神の身体を足でどつきながら言う。

「……あれ? なにこれ? コイツの首、片側どこ行ったの?」龍神の首が切り落とされていることにびっくりしたみたいだ。

「首なら、此処ですよ」秀明がすみっこに落ちている首を指さす。

「え? これヒデ君がやったの?」

「まあ、そうですね。はい、自分がやりました」

「ええ? どうやって?」

「ああ、この刀、吉宗で切りました」

「私の紫雨でもほとんど歯が立たないのに何で?」

「わかりません。とにかく無我夢中で」

「ちょっと刀を貸してみて」

 秀明が刀を渡すと、亜紀は刀で龍神の喉元、腹、首筋へ刃をたて力を加える。

 腹と首筋は柔らかいのか、多少傷が付くが首筋や背中など鱗が堅い部分はがつっと言う音がするだけでまるで歯が立たなかった。

「これ、全く切れないよ。ヒデ君少し切ってみて?」

 秀明は吉宗を受け取ると、もう片方の首を切り落としたときと同じように喉元に刀を突き刺す。しかし、亜紀が試したときと同じように、喉元の皮が少しへこむくらいで全く突き刺さるような気配は無かった。

「どういうことかしら」亜紀が首を傾げながら言った。

「ヒデ君、これをやったときに刀に何か変化あったかしら?」

「うーん。こんなこと言うとおかしいですが、刀がだんだん光ってきて、最後はまぶしいくらいに輝いてた気がします。最初は朝日のせいかと思っていたのですが、段々明るくなっていって、なんか、すごく明るい蛍光灯ような。スターウォーズのライトセーバーのような。でも熱は全く感じなかったですね、まぶしいけど冷たいというか」

美紀が何か悟ったような顔をする。

「それにすごく気分高揚したっていうか、根拠ないけど自信が湧いたんですよね。なんかお酒飲んだ時に気分大きくなるじゃないですか? あれがもっと強くなったような。それで居て頭はすごくクリアになって、すごく賢くなった様な感じでしたよ。それと動体視力と感覚も鋭くなりましたよ」秀明は自分の感じたことを正直に話す。

「ね、言ったでしょ?」美紀は亜紀に耳打ちした。

「ちょっとまだ信じられない」と亜紀は美紀に小声で言った。

「これからどうします? それに、コイツはどうしますか?」秀明は顎で龍神を指した。

「後の処理は、護人もりびとの仲間にやって貰うように手配するわ。それでとりあえず私たちの役目は終わり。さ、帰りましょう」と亜紀が言った。


 駐車場まで歩いて行くと警察やマスコミがすでに所狭しといる。

「おい、君たち」中川警部だ。

「ああ、中川刑事!」秀明はまだ刑事と勘違いしている。

「刑事じゃない警部だ。ま、どうでも良い。無事だったか? どうした血だらけじゃないか?」

「あれ? そうですか気がつかなかった」と秀明は言った。どうやら龍神の返り血のようだった。

「お嬢ちゃんたちも無事だったか? お姉さんの方はキングギドラに連れていかれたと聞いたが」刑事は亜紀を見るとそう呟いた。

「直ぐ近くで落とされて。でも何とか無事だったわ…、いえ、でした」と応えた。

「君は小鳥遊君の妹さんだね? お兄さんは今大学病院で治療を受けている。とりあえず安心しなさい」と中川は陽奈に言った。

「ところで、お嬢ちゃんたちは怪我とか大丈夫か? どこも痛くなくとも、とりあえず病院で検査して貰うことにはなるが。あとは色々と聞きたいこともあるから、あと二、三日はゆっくりして貰うよ」

亜紀と美紀は仕方ないという顔をして頷いた。

「龍沢君、君にも色々聞きたいこと有るが、今日のところは疲れたろう。宿にでも戻って休んでなさい。また機会を改めて聞くとしよう」中川は秀明に言うと、取材を今か今かと待ちわびているマスコミに、「はいはい、今日のところは被害者の子達に取材はしないでくれよ! 記者会見は県警本部で昼までにやるから! 此処は解散、解散!」と話した。

「龍沢君、これ君の車か?」

「いや、レンタカーです。先輩が借りたんですけど」

「どうだ、乗って帰れるか? 無理ならうちの署員が代わりに運転させても良いんだが」

「いや、大丈夫です。少し休んで自分で運転して帰りますよ」

「そうか、じゃ気をつけてな」中川はそう言うと、まだしつこく食い下がってくるマスコミを追い払いながら、警察の大型バスに乗り込んだ。すでに救急車が数台到着していたようだ。亜紀と美紀を載せて走り去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る