第九章 How do I look


 亜紀の無茶振りのおかげで、秀明は午前四時過ぎになってようやく就寝できた。幸いホテルの有料パソコン貸出サービスを利用できたため未だ良かったが、アイフォンだけで調べてたら夜が明けていたかもしれない。

 眠い目をこすりながら、宿泊サービスの朝食を取りにレストランまで行くと、既に一乗寺姉妹は朝食を済ませてコーヒーを飲んでいた。

「おはよ~うございまぁす~」眠くて間が抜けた声で挨拶をする。

「おはよ!」と美紀がにこやかに言う。

「おはよ」亜紀は少し渋い顔だ。「遅いわよ! 昨晩の宿題見たいから、ちゃちゃっと朝食食べてきなさいよ」と、手厳しい。

 秀明は朝食ぐらいゆっくり取らせてよと思いながら、朝食バイキングでクロワッサン、ベーコン、目玉焼き、スープ、牛乳を選んで一乗寺姉妹のいるテーブルへ戻る。

「ヒデ君、とりあえずそれ食べながらでいいから聞いて」と亜紀が切り出した。

「まず、陽菜ちゃんは昨晩解放されて、市内の自宅へ戻ったそうよ。あと、今回みたいな不審死が私たちの今までの情報より、かなり以前から起きていたってこと。判った限りでも十年以上前までの記録があるわ。重要なのはすべてがこの永野市近辺で起こってるのよ。記録の上で残っている最初の事件は、十年前の八月。この時亡くなったのは十歳の少年よ。時刻は夕方で日が落ちる前の六時半過ぎ。死因は溺死ね。どうも橋から落ちたらしいんだけど、場所が大きな欄干がある場所で、普通なら誤って落ちないだろうって場所。警察の発表だと欄干に登って遊んでいて誤って落ちたってことになっている」

亜紀は間髪を入れずに次の事件の説明を始めた。

「次の事件は二年後よ。時間はやはり夕方五時。亡くなったのはやはり少年ね。死因は交通事故。国道に飛び出してきたって書いてある。でも場所から言って間違って飛び出す場所じゃないわ。交差点とか横断歩道ならわかるけど、なんでもないところから飛び出してるのよ。その時の証言によると何かに追われているようだったとあるわ」亜紀は続ける。

「次は同じ年の六月ね。これも犠牲者は少年で、年齢は十五歳の中学生。この子は学校屋上からの飛び降り自殺になっている。ただ、遺書は無いし、いじめもないわ。どちらかというといじめる側のようね。警察がなぜ自殺と判断したかは判らないわ。唯一、少年が不良グループに入ってて、上納金を払うために、後輩達を恐喝していたと記録にある。集めきれず払えなかった事もあって、先輩にボコボコにされて入院したこともあったみたいね。でもそれは自殺とは無関係。次はこれ」亜紀はアイパットで過去の新聞記事を秀明に見せた。

「次の年の四月なんだけど暴走族の玉突き事故よ。死者六名、けが人十数名ね。原因は先頭のバイクに突然カラスの群が突っ込んできたんだって」と亜紀は新聞記事を指さした。

記事には暴走族が十八号線で玉突き事故。バイクに乗った配管工、とび職の少年ら十六人死傷。いずれも、暴走族神州連合メンバーで、十八号線で蛇行運転を繰り返し、永野県警のパトカー数台に追われていた。県警では追跡は問題無かったとしている。亡くなった方 斉藤金星まあずさん(十六)、鈴木土竜とりゅうさん(十七)、高橋星音さん(十八)、只野亜甫さん(十五)、浮気泡姫ありえるさん(十五)。

「ここで初めて鳥が出てきましたね」秀明はクロワッサンを牛乳で胃袋に流し込む。

「次は、女子中学生が飛び込み自殺。これはその時のテレビ報道ね」

亜紀がアイパットの画面を秀明の方に向ける。映像は動画サイト、アワチューブの物だ。おそらく当時のテレビ報道をキャプチャしたものだ。朝の番組の司会の小面さんと、女子高生にチカン逮捕された上井草とか言う人だ。

 女子中学生が恋愛で悩んで自殺ということだったが、少し衝撃だったのは監視カメラがとらえた事故の瞬間だ。ホームに立つ女生徒が線路に落ちる瞬間を捉えたものだ。女生徒が線路に落ちると後ろから電車が入線してくると言う物だった。血だの肉片が飛び散る様なえぐいものではないが、衝撃だった。

 秀明は少し気持ち悪くなり口をナプキンで抑え、

「食事の時にこんなの見せられるのは少しきつい」と亜紀に訴える。

「ごめん、でも見て気が付いたかしら?」

秀明は、え? と思い動画を見直してみる。最初は良く判らなかったが二度三度繰り返すとおかしなことに気が付いた。どうも落ちる瞬間になにか影のようなものが飛んで、少女をかすめていくのだ。解像度があまり良くないのではっきり写ってないが軌跡から考えると物ではなく鳥、カラスのようだった。

「ね、警察は自殺って判断したようだけど、鳥が飛んできてよけようとしてバランス崩して落ちたように見えるわよね」

「で、次が最後。中学教師が事故死。これも報道番組の映像が有るわ。これなんだけどドライブレコーダに鳥がフロントガラスにぶつかって、ひびが入って視界が見えなくなったところで、前のダンプに突っ込んでる。ほらここ」亜紀は指で画面を早送りして、ドライブレコーダの映像を見せる。

 場所は高速道路のようだ。カラスか何かが数羽フロントガラスに次々と当たりしてフロントガラスがひびだらけになり、前方が見えなくなる。そこへ渋滞か何かでトラックが急停車したのだろう。被害者がハンドル切りながら突っ込んでいき、ぶつかった瞬間で画像が途絶えた。

「私が調べてのは以上よ」

「凄い成果ですね。でも犯人の手がかりみたいなのはあったんですか?」

「良い質問ね」と亜紀が言う。「これらの事件は今から十年から五年前の話よ。陽奈ちゃんはこのときは二歳から七歳くらい。とてもじゃないけど、こんな大それた子とできる年齢じゃない。それと、鳥使いのやり方はお爺さんに聞いたと言っているから、小学生じゃまだまだ難しいわよね」

「これを見て」美紀が亜紀に貸してのポーズを取り、亜紀がアイパット手渡す。美紀は手慣れた様子でアイパットをささっと、操作し書類を開く。そこには不審死した人物のデータがリストアップされ、年齢、被害のあった場所、学校、職場、交友関係などが記されていた。

秀明はとある点に気づいた。

「小鳥遊綾人? これって?」自殺した女子中学生 萩野麻遊未の交際相手だった。

「そう、気になるでしょ? 陽奈ちゃんのおにいさん」

「そして、被害者の子とは同じ中学校の同級生なのだけど、学校名見てくれる?」とアイパットをくるっと横にして隠れているカラムをスクロールした。

「ほら、一人目の小学生と暴走族以外は同じ中学。小学生は永野第三小学校で、もし卒業したなら同じ中学になったはずだし、学年も同じ」

「暴走族は無関係そうですね」

「ところがそうでもないんだ。これtoitterなんだけど」と、再びアイパットを操作し、toitterを見せる。


『@madokatan

永野中学の神州連合のやつまじうぜ〜www

@ringo マジですか? 超かっこいいからコクりたいんだけど

@blackbird 赤羽は神州連合だよ!二年ときバイクパクって補導されてたw

@ringo 長中三年の赤羽君わ神連ですか?』

『マジ、珍走死んでほしいわw

@maruto 関係あるか知らんが今日長中にケーサツ来てた。 チラ聞きだけど、二年の女子と三年の男子が神連のやつらしい。

@umar 神連のこの間の集会で長中の奴捕まったって話だけど本当?』


 ゴーグル検索で神州連合を調べると永野中学というキーワードが結構引っかかる。おそらく神州連合は永野中学の不良生徒、及びそこの出身者が中心になっていると思われる。

「これだけで判断するのはちょっと早計だけど、陽菜ちゃんのお兄さんについて調べたほうが良さそうよね。ところでヒデ君は何かわかった?」

 秀明はポケットから、八つ折りにしたA4の紙を取り出して、テーブルの上で広げた。「僕はアイパットを持ってないので、ホテルのプリンターから出しておきました」

昨晩調べた被害者のリストをプリントアウトした物だった。


名前:金爆中   年齢:五八 職業:暴力団   事件発生年月:十二年七月  発生現場:青木町 参考記事:金爆組組長

名前:有賀 秀夫 年齢:六十二 職業:闇金業者 事件発生年月:十二年十一月  発生現場:和田町

名前:逢沢 翔 年齢:三十九 職業:無職  事件発生年月:十三年二月 発生現場:長池町 参考記事:振り込め詐欺元締め

名前:林田 愛基 年齢:二六 職業:無職  事件発生年月:十三年六月 発生現場:柳原町 参考記事:連続婦女暴行犯

名前:金村 有次 年齢:五十五 職業:建設会社社長  事件発生年月:十三年九月 発生現場:栗田町

名前:梨田 欽平 年齢:七十二 職業:元代議士    事件発生年月:十三年九月 発生現場:栗田町

名前:武捨 十兵 年齢:十七 職業:配管工     事件発生年月:十三年十二月 発生現場:村山町

名前:甘利 和夫 年齢:四十四 職業:教師      事件発生年月:十四年二月 発生現場:吉田町

名前:尾美 偉人 年齢:十八 職業:会社員  事件発生年月:十四年四月 発生現場:稲里町

名前:西沢 直人 年齢:三十八 職業:医師 事件発生年月:十四年五月 発生現場:桐原町

名前:西沢 直人 年齢:三十八 職業:弁護士 事件発生年月:十四年五月 発生現場:桐原町

名前:曽根原 甚平 年齢:五十五 職業:医者 事件発生年月:十四年五月 発生現場:青木島町

.... 以下、十人ほどリストは続いている。

「年齢にかなり開きあるわね。それに陽菜ちゃんともお兄さんとも関係なさそうね」と亜紀がつぶやいた。

「僕もそう思いました」

「暴力団にヤミ金業者、医者に弁護士。一個人の犯行としては脈絡なさすぎるね。確かに暴力団とかヤミ金業者は人に恨みを買いそうな職業だけど」亜紀は美紀の方見て首を振った。

「発生現場から何か割り出せないかな?」 美紀が亜紀が持ってるアイパットを取り上げ、地図アプリを開き、次々と発生現場にマーカーを打つ。すべてのマーカーを打ち終わると、地図をズームアウトさせる。驚いたことに発生現場は永野駅周辺十キロ辺りを綺麗に円を描くように分布していた。

「もし、これが凶暴化した鳥による被害だとすると随分と発生場所が限定されているよね。それとも善行寺辺りをねぐらとするカラスの仕業なのかな?」美紀が首をかしげる。

 秀明はぼーっとアイパット画面上の地図を眺めながら、

「あ、これって永野大学ではないですか?」と言った。彼の指差す部分に永野大学理工学部キャンパスがあった。事件発生現場を記した赤いマーカ群の中心部を少し外れたところだった。

「ああ! 臭いわね。ここ」亜紀が声を上げる。あまりにも大きかったため、レストランの客のほとんどが振り返った。

「亜紀姉ぇ、シー!」美紀が人差し指を口の前に立て静かにしてと合図を送る。亜紀は思わず出てしまった大声に恥ずかしくなって、珍しく小さくなった。

「永野大学って、陽奈ちゃんのお兄さんの大学よね?」亜紀がひそひそ声で言う。

「そうだよ、学部までは判らないけど」美紀がアイパットをテーブルの上に置く。

「これで点と点がつながったわ。たしか陽奈ちゃんはお兄さんと同居してたわよね?  住所を調べられるかな?」と亜紀が美紀に訊ねた。

「わかった。依頼してみるよ」美紀はそう言って、秀明の知らないアドレス宛てにメールを送信した。こういうことを調べる専門の協力者がいるらしい。

「いま、メールしたから、一時間経たないうちに連絡来るはず」美紀がアイフォンをバッグにしまう。

「ヒデ君、まだ部屋着のようだから着替えてきてくれる? 私達はロビーで待ってるわ」亜紀は秀明にそう一言言うと、席を立ってバッグを肩にかけた。


 秀明はジーンズとポロシャツ、ボディバッグという昨日、一昨日とさほど変わらぬ格好で、ロビーに来ると、既に亜紀達は準備万端といった感じで待っていた。

「さ、行きましょう。車待たせてあるから急いでね」亜紀は言うと、玄関に行き車寄せに停まっているタクシーに乗り込む。美紀と秀明も後に続く。

 亜紀は調べた住所をタクシーの運転手に告げると、秀明に「これから陽菜ちゃんちに偶然を装って訪問するつもり。たまたま通りかかったら、小鳥遊なんて表札見つけたから、とか言ってね。お兄さんにも会えたら、またこれ見せて反応を見るわ」と白いワンピースの胸元から見えるペンダントを指差した。


 タクシーで十五分くらい走ったの閑静な住宅街の中で秀明達は車を降りた。小鳥遊という苗字は珍しいので秀明達が陽奈の自宅を見つけるのは容易かった。秀明が玄関の呼び鈴を鳴らすと聞き覚えのある少女の声が聞こえた「どちら様ですか?」

「一乗寺亜紀です。ほら、昨日会ったお姉さんよ」と亜紀が言うと、直ぐ玄関の扉が開いた。少女はミニーマウスのTシャツとショーパンという、今時の女の子らしい出で立ちで「あ、おねいちゃん。おはようございます。どうしたんですか?」と恐る恐る聞いてくる。

「実は近くまで来たから、寄ってみたんだ。ちょっと気になっていたから」と亜紀が言う。

「妹の美紀と、こっちは見たことあるだろうけど紹介してなかったわね。大学の後輩の龍沢くんよ」と亜紀が言う。

 陽奈は、昨日彼が亜紀たちと一緒にいるのはうろ覚えで顔などは良く覚えておらず、ほぼ初対面と同然だった。まだまだ子供と言っても良い陽奈にとって、見知らぬ男性と話をするのはハードルが高かったが、一乗寺姉妹の事は好ましく思っていたので、いつもより勇気を振り絞って、「あ、よろしくお願いします」と会釈すると、

「あの、よかったら上がってください。ひとりで退屈していたんです」と彼らに言った。

「なんだか、急に押しかけちゃってごめんね」と亜紀が表面上は申し訳なさそうな様子で答えた。秀明はこんな年端もいかない女の子一人で居るところにずかずかと押しかける自分らは本当に自分勝手な奴等だなと思いながらも、「おじゃましまーす」と玄関を跨いだ。

 築十年くらいの彼女の自宅は兄と二人暮らしの割には小奇麗に片付いていた。玄関は取り立てて広くはないが、ハウスメーカー製か建て売りか判らないけどこじゃれた、シックな作りだった。逆に二人暮らしだからだろうか、物が少なくすっきりとしていて好感が持てるインテリアだ。

 陽奈は三人をリビングに案内すると、

「そこのソファにでも腰掛けてください。いまお茶入れるんで」と言ってキッチンに入り、ゴソゴソとティーカップや急須をだしてお茶の準備をしている。小さいのにとても気が利く子だった。

 リビングも余計な家具や、敷物や飾りもなく綺麗だ。却って何も無い部屋は殺風景に見える。

「昨日は大変だったね」と亜紀が言うと、手を止めて、

「はい、いろいろ聞かれたけど、すぐ返してくれて」と明るく答えた。

「今ここにはお爺ちゃんと住んでるの?」と亜紀が聞くと、

「いいえ、お爺ちゃんは去年死んじゃって。今は兄と一緒です。でも兄は学校とバイトで忙しくて、家にはあまり居なくて」と答える。

「そうなの? じゃ、一人でいる時は寂しいわね」

「大丈夫です。一人は慣れているんで」と陽奈は健気に答える。

「ところで陽菜ちゃんは中学生かな?」と美紀が聞く。

「あ、中一です」ちょっと照れくさそうに答える。

「へえ中学生なんだ。でもとっても気が利いて良い子だね」と美紀が言うと、

「へへ、そんなことないですよ」と少し照れ笑いしている。

「紅茶ですけど良いですか?」と陽奈が聞く。

「ああ、なんでも良いわよ」

 電気ポットのスイッチが切れる音がすると陽奈は紅茶を入れたサーバーにお湯を注ぎプレスし、ティーカップに注ぐと部屋中に紅茶のいい香りが充満する。彼女はお盆からテーブルに紅茶の入ったティーカップを置くと「わたし、最近紅茶に凝っているんですよ。今、気に入っているのはダージリンなんです。すごく良い香りするでしょ? お兄ちゃんによくバイト先からもらってくるんですけど。ところでおねえさんたちって、永野の人なんですか?」

「いいえ違うわ。埼玉から旅行に来たのよ。でも永野はよく来るわ」

「埼玉かあ。東京とか近いんですよね? 原宿とか行ってみたいなあ」年頃の女の子らしい。

「ところで今日はお兄さん居ないようだけど、何時帰ってくるの?」亜紀がそれとなく尋ねる。

「今日はバイトとか言って出ちゃってて、いつもは七時か八時位には帰ってきます」陽奈は紅茶をふーふー冷ましながら答えた。

「ああ。そうなんだ。私バイトしたこと無いんで、よくわかんないけど仕事と勉強じゃたいへんだよね〜」と亜紀が笑う。

「でも、スーパーでバイトなんでよく売れ残りの惣菜とかお肉とかお野菜もらってきてくるんで、すごい助かってるんですよ。社員さんも、みんなすごく優しくて。うち、お父さんとお母さん居ないし、お兄ちゃん苦学生なんで、偶にお米とかも分けて貰えたりとかするんです」と屈託なく彼女は答えたが、直ぐに「でも、最近少し変わってしまって……」と目を伏せてしまう。

「というと?」美紀が尋ねた。

「いや、なんでもないです」

「どうしたの? 何かあったの?」

「実は昔はすごく優しいお兄ちゃんだったんですけど、三年前のあの地震で父と母が亡くなって、うちがこっちにきて、お爺ちゃんと暮らし始めて暫くしてから、すごい怖い顔する事が多くなって、それになにも言わずに出て行くことが多くなったんです」

「でも、友達とか彼女さんのところにでも行ったんじゃないかな?」

「普段は兄って、どこに行くにもうちに言うんですよ。友達に会いに行く時も必ず。それに彼女さんは居ないってことは知っているんです。うちが小さいころの話なんですけど、兄が付き合ってた人が自殺で死んじゃって、それ以来彼女はもう作らないっていつも言うんです。うちに気にせず家に連れてきてもいいよ。って言うんですけどね。あと、いつも携帯電話は必ず持っていて、なっかあったら必ず電話しろって言うんです。仕事中でも絶対に出てくれるし、出れない時でも合間見て電話くれるんですけど。その時は電話は通じないし、連絡もくれないんです」と陽奈は心配そうに言った。

「考えすぎよ。お兄さんもたまには羽目外したくなるだろうし」亜紀は不安がる陽奈を慰めるように言う。

「そうでしょうか? うちの考えすぎなら良いんですけど」

「ところで、おにいさんのバイト先って遠いの?」と美紀が話を変えた。

「いえ、この近くなんですけど。亀屋ってちょっと大きいスーパーです」

「ああ、ここ来るとき見たわ。わりと最近出来たって感じのところね?」

 そういえば街道沿いから住宅地に入るあたりに緑色の屋根でKAMEYAって看板のあるスーパーがあったな。あそこで働いているのか。

「そうなんです。あそこにスーパーが出来たのは二年くらい前で、ちょうど開店の時に兄も入ったんですよ、その前は兄も受験あったんでバイトはやってなくて」と陽奈が言う。

「陽奈ちゃんは、学校お休みのとき、いつもお昼とかどうしてんの」と亜紀。

「いつも昨日の残り物とか、兄が貰ってきたパンとか売れ残りのお弁当を食べてます。でも、昨日の件でお兄ちゃんバイト途中で抜けたらしくて、特になにも無くて... ...」と陽奈が言う。

「そっか、じゃ私奢るからどっか食べにいく?」と亜紀。

「え、そんないいですよ! それにこの辺歩いていける範囲に大したところないし」陽奈は子供らしくなく、遠慮気味だ。

 美紀がアイフォンを見ながら「歩いて行けそうなところは牛丼屋さんかラーメン屋さんくらいしか無いね」と言う。

「じゃ、ラーメン屋さんがいいわね。ラーメン嫌いな人なんていないでしょ?」と亜紀が元気に言う。

「でも、悪いですよ」陽奈が恐縮して小さくなる。

「大丈夫よ。こう見えてもお姉さんち、お金持ちなんだから」と任せてよ! という感じで自分の胸をぽんと叩く。秀明も「任せてって言ってるんだから甘えちゃいなよ」とささやき陽奈に気遣い無用と言う気持ちを伝えた。彼女は「そうですか?」と少しうれしそうに微笑んだ。


 美紀がネットで検索したラーメン屋さんは街道沿いの陽奈の兄がバイトしているスーパーとさして離れていなかった。店はちょっと昭和の雰囲気がある年期の入った感じでよくある中華食堂と言った雰囲気だ。店に入ると六十代くらいの店主が座敷で新聞を広げている。あまり忙しくないようだ。秀明たちが店に入ると焦るわけでもなく「おう、いらっしゃい」とぼそっと一言言って、やれやれと言った様子で厨房に入っていった。まるで、せっかく休んでいるところを邪魔されて少気分を害した様にも見えた。

 テーブルにはクリアファイルに入った年期のはいったワープロ打ちのメニューに所狭しと書いてある。それよりも圧巻なのは壁一面に黄色い札で店主のものと思われる達筆な字でかかれたお品書きが一面に張られていることだ。中華料理屋らしく、餃子、ラーメン、チャーハン、焼きそば、マーボ豆腐、酢豚、春巻きなんてところから、チンジャオロース、お焦げあんかけ、カシューナッツ炒めなどの本格中華、鯉の甘酢あんかけなんてふつうの店ではお目にかかれないものもある。それに加え中華料理屋としてはミスマッチなピザ、オムライス、カマンベールチーズやカルビクッパ、コブサンサラダ、タコライスまである。こんなガラガラの店がこのメニュー全部提供できるかは甚だ疑問だ。

 一乗寺姉妹は既に決まっていたらしく「わたし五目ラーメンと餃子」「わたしは味噌ラーメンがいいかな」などと言っている。

「ねえねえ、陽奈ちゃんどうする?」と美紀が聞いている。秀明は壁のメニューに気をとられてなにも考えていなかった。とりあえず壁のメニューに集中して、何にするか考えていると、先に陽奈の方が決めてしまった様で、「ヒデ君最後だよお」と亜紀にせかされた。結局中華丼などという、学食でいつも食っているメニューに落ち着いてしまった。店主は注文を奥の厨房で確認すると伝票をよこすわけでもなく、包丁で野菜などをざくざく切り始めるとことから調理を開始した。しばらくすると店主の奥様らしき人が出てきてお茶を出してくれた。

「あら、陽奈ちゃん今日はお兄ちゃんは?」と話しかけてくる。

「今日は東京からお友達が来てくれたんです」と陽奈が答える。

 そんなたわいも無いご近所さんの挨拶代わりの会話をしているうちに、店主は手際よく調理を進め、雑談する間もなくあっという間に出来上がってきた。味は店の外観でイメージするとおりの昔ながらの中華食堂そのものずばりの化学調味料をふんだんに効かせた物で、とりたてて語るほどでもないが、最近はこう言ったのはあまり口にしてなかったので、逆に懐かしい感じもした。

 また、こういう所では大抵そう名のだろうけど、量も半端なく多い。食べ盛りの男子高校生や大学生なら人気が出そうな店だが、生憎女性には量が多すぎるきらいがある。その男性である秀明も少し持て余し気味なくらいなのに、女性にはさすが完食はむりだったと見えて、陽奈も一乗寺姉妹も半分くらい残してしまった。

「ヒデ君悪いけど少し食べてくれないかな?」と美紀が言う。亜紀も「私のもお願い!」と勧めてくるが、秀明も自分の分を最後はお茶で流し込んでなんとか完食したほどで、これ以上はお腹一杯で無理だ。

「いや、勘弁してくださいもう無理です」と断ったのだが彼女らの押しを断りきれず、彼女ら味噌と五目ラーメンを押しつけられたのだが、具の野菜とメンマを食べるのがせいぜいで、麺はふたくち啜っただけで吐きそうになり、勘弁して貰った。

「さ、食べ終わったから帰るわよ!」と亜紀が腹パンパンで身動きできなくなった秀明に言う。彼は「ええ? 勘弁してください! も少し休ませてくださいよ!」と懇願したのだが彼女たちはこういうときに限り容赦なかった。座敷でグダっとしている彼を起こし、非情にも彼が嫌がるのを気にもとめず、店から引きずりだしたのだった。

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