第八章 Security Of Illusion
ホテルを出て今日の目的地の神隠村の農業センターに着くには三十分もかからなかった。
「意外に早いのネ」彩夏は少し眠そうな顔で言う。
神隠村は蕎麦の栽培が盛んで、神隠蕎麦と言えば秀明でも知っているくらい有名だ。わりと大きめの土産物コーナーも有り、そこには、おやきなどの地元の名物も売っているので、買っておいてバスの中で食べたり、生蕎麦を買って家で食べるのも有りかもしれない。
「わたし、お蕎麦でも買って行ってお母さんに作ってもらおうかなァ」と彩夏。
「蕎麦嫌いじゃないけど買ってまではちょっと」竜二は片目をつぶって髪の毛をかきあげる。
店内で土産物を物色していると、しばらくしてから場内アナウンスが始まった。
「本日は遠い所をご苦労さまでした。まもなく十一時より農業センター併設農場にて、鎌倉時代から伝わる伝統芸、鳥使い師による木莓の収穫実演が始まります。鳥類を使った漁猟、狩猟などは他にも有りますが、鳥を操って収穫を行う農法はここだけです。ぜひご覧ください」
アナウンスが終わると、半数くらいのお客は興味津々で、センター裏側にある農場にぞろぞろ歩いて行く。
「鳥使いって何かと思ったらそう言うことか。鵜飼いの農業版ね。でも木莓なんて、鳥に食べられないのかね?」竜二は納得しながらも不思議そうにいった。
「なんか鳥さんが木莓なんてかわいくない?」と香織。
「どんな鳥なんだろうネ? 雀かなァ?」彩夏が目を輝かせる。
一乗寺姉妹は何かひっかかるものが有ったのか、二人で目配せをしている。そして美紀が秀明の耳元でささやいた。
「ちょっとボク達気になるから見に行く。ヒデ君も一緒に……」
秀明は美紀の言うことを察して頷いた。
季節によって会場と農産物は代わるようでこの季節は温室栽培の木莓だった。司会のお姉さん~おそらくこの施設の従業員~が鳥使いの歴史などを大仰に述べている。昔はスズメやメジロを使っていたらしいが、ここでは見栄えを重視してカナリアらしい。
「それでは鳥使い師の小鳥遊さんどうぞ!」
奥から現れたのは十代前半〜おそらく小学生か中学生くらい〜の少女だった。もっと壮年の男性かと思っていたので少々驚いた。
陰陽師ぽい衣装の少女は軽く会釈をし、ぴーっと指笛を鳴らすと入り口近くにある鳥小屋から数羽の黄色いカナリアがサーッと飛んできて、彼女の肩や頭に留まる。それくらいなら訓練すればこの程度の事は
司会のお姉さんは、「それでは、今度は上空を見てください」と述べた。
少女が今度はホイッスルで合図をすると、どこからともなく、数十羽の鳥が飛んできてハウスの上に並んだ。さらにホイッスルで合図をすると今度はハウスから飛びたち、一列に並んで飛行する。そして空で大きく八の字を描きながらくるくるとハウスの上で舞った。少女はまたホイッスルで合図を送ると鳥達はさーっと両脇に散っていく。そして、両サイドより紐を咥えて裏山に生えている木の一本に向かっていく。どうやら咥えているのは運動会でよく使われる連続万国旗だ。鳥達は連続万国旗の紐を裏山の樹の枝に上手にくくりつけハウスの両端から山までピンと張る。
「一寸ハウスのガラスが邪魔ですが、ご覧いただけましたか?」司会のお姉さんが元気よく話す。観客たちが一斉の拍手を少女に送ると、少女は少しはにかみながら、会釈をする。
「では、再びこのカナリアたちにご注目ください!」
少女は再び指笛でピーと鳥達に合図を送ると、肩から鳥達が舞立った。ふたたび鳥達にピピーっと合図を送ると別の鳥かごから更に数羽飛び立つ。合計で十羽ほどになったカナリア達は、木苺の棚に向かい、その果実をくちばしで丁寧にもぎ取ると、秀明達観客の方に飛んて来る。
「皆さん、鳥達が木苺の実を摘んできてくれました!どうぞ手を広げて受け取ってください!」
秀明たちが手の平を広げるとカナリア達はその上に、さっき捥いできた木苺の実をちょこんと置き、また木苺の棚に去っていく。観客全てに木苺が行き渡るとカナリアたちは鳥かごに戻っていく。
「はい、みなさん。今回の実演はここまでです! かわいらしい鳥達の芸、いかがでしたか? では鳥使師の小鳥遊さんに今一度拍手を!」
少女は両頬にえくぼを作って会釈する。
皆、単純に感心しているらしく、「すごい。いいもの見たわね」とか、小さい子は「とりさんかわいかった」とか聞こえる。
香織と彩夏も「すごいね」「よく訓練したよネ」と感心している。
「まあ、ぶっちゃけすごいかもしれないけど、訓練したんでしょ。猿回しの猿とおんなじっしょ?」と竜二は冷めたように言う。
「は? 何言ってるのよ。あんなちっちゃい子が一生懸命やったんだから少しは感心しなさいよ!」と香織が怒ると、「ああー、ごめんごめん。なんか猿回しみたいだったからなんかちょっとがっかりして。なんか俺の期待がでかすぎたのかも」と慌てて謝罪する。
「で、何期待したの?」と美紀が竜二に尋ねると、
「いや、大したことないんすけどね。なんかもっと違う鳥とか、カラスとかがなんかほら、輪の中くぐりとか、ダンスするとかキャッチボールしたりとかかな?」と慌てて弁明する。
「ダンスって」「プハっ!」香織と彩夏が吹き出す。
「んな? 別にいいだろ!」竜二がふてくされる。
「でも、良かったよ」秀明はそう言いながら髪をかきあげる。
「そうだな、まあまあだったよ」と竜二も同意した。
しかし、一乗寺姉妹は黙って秀明を見ているだけだ。
昼食は特にツアー会社が食事を用意するわけでなく、銘々に蕎麦でもカレーでも頼んで下さいとのことだったが、メニューを見ると蕎麦、うどん、ラーメン、カレーと駅蕎麦の様なメニューで選択肢は限られていた。
秀明はカレー蕎麦、香織はかき揚げ、彩夏は山菜、一乗寺姉妹はざると蕎麦メニューだったが、竜二だけカレーライスだ。聞くと職人さんのうつ蕎麦は好きだが、こういうところの蕎麦は好きではないらしい。
「せっかく信州に来たのにね」と香織。
秀明達は食券を買い席で待つが四十人分の調理を数人の従業員で回しているので、すぐには順番が来ないことは明白だった。
三十分ほど立った頃だろうか、そろそろ順番か、と思っていると、なにか外が騒がしいことに気づいた。何事だろうと席を立ち、入り口付近を見ると外に人だかりが出来ているのが判った。
「俺、ちょっと見てくるわ」と竜二が席を立つ。注文した料理がなかなか来ないのでちょっとイライラしていたのだろう。
「ちょっとよしなさいよ!」と香織が言い終わらないうちに、小走りで行ってしまった。しかし、しばらくすると息を切らせながら、戻ってきた。「おいおいおいおい! ちょちょちょ超やべえ! 何か人死んでるんですけど! ちょっと死体と血ぃみちまったぁ!」かなり動揺している。香織は「え?」と声を上げたまま凍り付き、彩夏はちょっと悲鳴に似た声で「ええェ~!」と声をあげた。一乗寺姉妹は何かに感づいたのか、すくっと立ち上がり現場に走っていった。
「ちょ、先輩どこ行くんですか?」と香織が叫ぶと、「ちょっとそこで待ってて。動かないで」と答え、背を向けて外に出て行った。
「ええ!? 選りに選ってなんだろこんな所で」と香織がうんざりした顔で言う。
「ああ、ちょっと警察来るまで、ここで待機だろうな」竜二はうんざりした顔で言った。
麓の市からここまでざっと三十分くらいはかかるだろうか。そのあと、実況検分と事情聴取。夕方までに終わるかどうか。
なんか嫌な感じだ。何なんだろうこの胸騒ぎは。と秀明は不快と不安が入り混じった複雑な感情に見舞われた。
亜紀たちは暫くすると戻ってきて、皆に状況を説明してくれた。犠牲者は誰か判らないくらいに上半身グチャグチャになっていた。性別は良く判らないが服装は男性の物。死因はおそらく失血死。そして、遺体の周りに大量の~おそらくカラスの~羽根。ニュースでやっていた、カラスに襲われて死亡した事件と酷似する。
亜紀は秀明を手招きして部屋の奥、ちょうど化粧室と土産物コーナーのあたりだ。幸いにも従業員は警察の手配と野次馬の整理で手一杯のようだ。
「嫌な予感的中ね。あの鳥使いの子、きっと関係有るわよ」と亜紀が断言した。
「でもあんな大人しそうな少女があんな残忍なことするとは思えませんよ」秀明は信じられないと言った感じで否定する。
「未だ、あの子がやったなんて思ってないよ。何か関係有るんじゃないかって言ってんの」美紀が言った。
「でもどんな関係が?」
「ボク思ったんだけど、あの鳥使いさん別に鳥を訓練して手名付けた訳じゃないと思う」
「と言うと?」
「あれは一種の超能力じゃないかな。きっと思念を伝えることで鳥を操ってたんだと思う」
「そんな、何の根拠があって?」
「実は、あのニュースのあと、少し気になって、情報通の知り合いに連絡取ったんだ。そうしたら興味深い話が聞けたんだよ。この鳥使いって、この辺りの伝統芸みたいに思ってるとしたら違う様だよ」美紀は話を続けた。
「鳥使いは一子相伝でこの村の限られた血筋からしか生まれない。つまり誰でも成りたくてなれるもんじゃないらしい。限られた血筋の中からさらに限られた人しかなれないみたい。しかも血を薄めると絶えてしまうから、鳥使いの家系は近親婚を繰り返していると言う話」
「でもなぜそんなことを?」
「ようするに
「それで?」
「あの子が訓練じゃなくて自在に鳥を操れるとしたら、殺人なんて
「しかも証拠も残らない」と亜紀が口を挟んだ。
「しかし、もう十数人も殺されるんですよ。そんなに多人数殺人するような動機があの子にあるとは思えないですよ」秀明はとてもあの少女がそんなことをするような子に見えなかった。
そうね、それを調べる必要有るけど、私達は探偵じゃない」と亜紀は答えた。
「それでは放って置くんですね?」秀明は少しがっかりした。
「違うわ。私達は妖鬼との関連性を調べる。ひょっとしたらあの子の精神が妖鬼に乗っ取られてるかもしれないし」と亜紀。
「そんな簡単にわかりますか?」
「これよ」亜紀は首筋に手を当てるとペンダントを出した。
ペンダントのネックレス部分はプラチナで、小さなダイヤモンドが付いていた。
「妖鬼はなぜかダイヤモンドに弱いのよ。理由はちょっと判らないけど。やつらはダイヤモンドを見せるときっと直ぐ自分たちの苦手なものとわかるのね。直ぐ逃げ出すわ」
「じゃ、ダイヤモンド身につけてれば襲われないってことですか?」
「文献と経験から言えばそうよ。あと、あくまでも見える所に出てない限りダメみたいね。身につけていても服の下とか有ってもだめよ」
「で、どうするんですか?」
「作戦は簡単よ。まずなんとか巧いこと言って、彼女の近くまで行って『さっきの芸凄かったわ! どうやって訓練するんですか』とか適当な話をする。場所は、そうねトイレとか袋小路に成ってて、逃げ場がない方が良いわ。そしておもむろにこのペンダントをなるべく至近距離で見せる。ま、髪をかきあげる拍子とかにポロッとね。もし妖鬼ならそこで慌てて逃げるか、最悪のケースだと襲われるでしょうね」
「え? 大丈夫ですか?」秀明は少し心配になった。しかし、亜紀は特に気にもしないようだ。
「おそらく襲うことはないわよ。トイレなら鳥もこないだろうし」
「逃げようとしたら?」
「私が彼女をなんとか誘い出して話しするから、美紀に入り口で待機してもらう。逃げ出したら私と美紀で抑えるわ」
「僕はどうすれば?」
「窓から逃げ出すことを考えて、女子トイレの外で待機してて」
「鳥に襲われないですか?」
「これは賭だけど彼女の目が届かないかぎり、鳥をコントロール出来ないわ。いざと成れば私達が全力で守るから安心して」
「でも……」
「身を守る武器はあげたはずよ」
しかし、この話し合いの後、この計画はいったん中止せざる終えない状況になる。かすかにパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。ようやく麓の警察署から警官が駆けつけたのだ。
「ああ、お巡りさん来ちゃったよ。厳しい!」と美紀が漏らす。
外を伺うと、パトカーが五、六台停まっていて、警察官が何人もいる。警官たちは野次馬に「はい、下がって、下がってください!」と大声で言っている。そしてしばらくすると「はい、全員いったん中に入ってください」と野次馬つまり観光客と職員を全員食堂の中に入れた。
この施設にいた全ての人を食堂に集めると背の高い中堅どころといった感じの警察官が仕切って拡声器を持って話す。
「これから一人ずつみなさんに聞きたいこと有りますから、ご協力お願いします!」他に体格のいい太めの警官と、割と若い中肉中背の警官が一緒にいて、なにやら相談している。外では五~六人警官が遺体の検分にあたっているようだった。
先ほどの警官が施設の責任者としばらく相談した後「はい、みなさん。これからあそこの事務所でお話聞きますので三人ずつ来てください」と売店奥の扉を指さし怒鳴り声のような大きな声で言った。
「はぁ、いつまで待たせるつもりなんだろうね」竜二がうんざりした顔で言う。
「しょうがないよ。しばらく待つしかないさ」と秀明が答える。
それにしてもバスの観光客四十人に従業員十人あまり、事情聴取にどれくらい時間がかかるか判らないが、いつになったら終わるのだろうか。そういえばあの少女はどこに行ったのか? 亜紀先輩はどのタイミングで彼女に声をかけるのだろうか。秀明はこれから始まることに得体のしれない不安を覚えていた。
事情聴取が始まってから一時間が過ぎたが未だ十人も終わっていない。時間は十二時。そろそろお腹も空いてきた。そういえば蕎麦注文していたのだよな。料理来る前に、あの騒ぎになったので、結局お金払っただけだ。売店に店員さんは不在で、きっと今は事情聴取の真っ最中なのだろう。とうぜん調理など出来る状態では無い。他の人も空腹らしい。売店の自販機で飲み物を買って飢えをしのいでいる。
二時間ほど経過して店内にあきらめムードが漂い始めたとき、検分をやっていた警官が外から入ってくると、事情聴取やっている部屋のドアを開け「いったん聴取は中止して!」と息を切らしながら言う。聴取担当の警官と検分担当の警官がしばらく話しこむと、こちらに向かって「はい、バスの観光客にのみなさんは右側に集まってください!」と手のひらでメガホンを作って皆に聞こえるようはっきりと言った。皆は特に文句も言わず警官から向かって右側、つまり駐車場と反対の山側に寄る。駐車場側にいるのは施設の従業員だけだろうか、十人あまりだ。
「これで全員ですか?」と背の高い警官は言うと今度は人数を数え始めた。数え終わると今度は「じゃあ、みなさんはこれで引き取ってもらって結構ですよ」と言って、扉を開けた。思わぬ展開に皆は安堵の声を漏らす。どうやら検分でバス観光客にはアリバイが証明されるような何かがあったらしい。
「ああ、良かったなあ。まだ十三時前だし、それほど遅くならないで帰れる!」竜二は解放された嬉しさで満面の笑みだ。バスの運転手さんもツアー会社の人もほっとした顔だ。ツアー会社の人が「みなさん、それでは出発は十五分後の十三時です。その前にトイレすませてください! おみやげは高速道路乗る前に一度ドライブインに寄るのでそこで買えますよ! 安心してください!」と大きな声で言う。
観光客の中にはお年寄りも居て、拘束が二時間のみといっても身体に堪えたろう。たぶん一番高齢と思えるおじいさんが杖をついてようやく立ち上がろうとしたがよろけて、奥さんと思われる老女と周りの人に支えられる。きっと相当辛かったようだ。疲れて寝てしまった小さい子はお母さんの肩でぐったりしているところを、お父さんが抱っこを代わってあげている。
ガイドさんがトイレに行かない人をぞろぞろと連れて行く。竜二たちもしんがりについて行くが、一乗寺姉妹は未だ行く素振りを見せないで食堂の座敷の縁に座っている。
「どうしたんですか? 行かないんですか?」と秀明が尋ねると、亜紀は、
「私達はやることがあるわ」と言う。
「でもバス行っちゃいますよ?」秀明はこのまま残るとバスの運転手が呼びに来ると思った。
「大丈夫よ、タクシー呼んで新幹線で帰るから」亜紀は平然として言った。
「でも、ガイドの人も人が足りないってなったら探しにくるし、みんなの迷惑に成るんじゃ?」秀明は言った。
「大丈夫よ運転手さんとガイドさんには私達のことは忘れてもらったわ」亜紀が言った。
「え、いつのまに?」秀明は亜紀の言葉に少し面食らった。
「とにかく、私達二人が残るから、貴方はもうバスに行って」と亜紀が言う。
「いやそうも行かないですよ」さっき頼まれた手前、このまま無責任に帰るのは申し訳ないと思った。
「大丈夫よ」それでも、亜紀は平然と言い放つ。
「でも乗りかかった船です。一緒にいさせてください。それに僕はあの女の子が気になるんです。二人はあの子を信用してなさそうですし」秀明は言った。
「あら、信用してないなんて心外ね。私達は何もあの子が悪いなんて決めつけてないわよ」
「そうだよ。きっとヒデ君はボク達があの子を八つ裂きにしようかと思ってるのかな?」と美紀も口を開いた。
「い、いやそんなことはないすよ」と否定する秀明だが本当のところは少しその辺が心配だった。ちょっとぷくっと膨れ気味の亜紀は「じゃ、しょうがないわ一緒に来て」と諦めたように言った。ただ少しは嬉しかったらしく、最後には少しはにかんで微笑み、さっと手を出して握手を求めてきた。秀明も、お願いしますと応え、その手を握る。美紀は待ちわびていたように二人の手の上に右手を置いた。
一乗寺姉妹は、秀明に関しての記憶を巧く皆の頭から消してくれたようだ。バスは何事もなく出発していった。竜二達は何か大事なものを忘れてしまったのではないかと思っていたが、今はそれがなんなのか思い出せないでいる。
「彼女たちは東京に着いたときに私達が居ないことに気付くと思うわ。言い訳は考えて置いた方がいいわね」と亜紀がバスから降ろしたキャリーケースを部屋の隅に置くと言った。
「さて、段取りだけど」と亜紀が話を続ける。「いま彼女は他の従業員も含めて警察から聴取を受けてるところよ。最初に尋問されていた人の時間を考えると一人三十分は確実ね。観光客が居なくなって時間に余裕ができたことを考えると、一時間くらいかもしれない。たぶん終わる頃には疲れてるし、トイレにも行きたくなっていると思うわ。そうしたら私も一緒について行くから、美紀ちゃんは入り口を固めておいて。私は二人きりになったらそれとなく話しかけて、これをさりげなく見せる」と、首にかけたペンダントを出す。
亜紀はささっとペンダントを胸元にしまうと、「ヒデ君は念のためトイレの窓の下あたりにいて。彼女が逃げようとしたら妨害して。あと、警官たちには私達は認識出来ないように暗示かけてあるから、とりあえず安心して作戦に集中して。ただ一言でも彼らに話しかけるとその瞬間に暗示が解けるから気をつけてね」
亜紀は髪の毛は後ろをゆわきポニーテールして直ぐ追えるように準備をする。美紀はツインテールのゴムをきつく閉めシュシュの位置を直す。秀明は彼女たちにもらった日本刀が入ったケースを持ち、裏手にまわるため立ち上がった。玄関を出て左側を見ると数人の警官が固まり何か会話している。鑑識の人も来ていたようで写真を撮ったりしている。幸いにもマスコミは未だ皆無のようだ。
警官のうち何人かはこちらを見たが、まるで気が付いてないようだ。透明人間にもなった気分だった。それでもさすがに警官の真ん前を行く気にはなれなかったので、遠回りであるが左側からまわって行くことにした。しかし、左側には農業用の車庫や倉庫などもあり、裏に回るのは難儀だった。四苦八苦した後、裏手に回れたが、未だトイレまで少し有る。農業資材が無造作においてある通路を歩くのはなかなか大変だ。資材が置いてあるエリアを抜けると、アイフォンがブルっと震えた。
「もうすぐあの子が出てくるわ。そろそろ始めるから待機して」亜紀からのメールだ。
秀明は女子トイレ外の窓の下辺りで待機する。浄化槽から出てくる汚物と硫化水素の匂いが正直きつい。
食堂で待機している、一乗寺姉妹は事務所から出てきた少女の様子を伺う。少女は他の従業員と特に仲が良いわけでは無いようで、少し離れたところにぽつんと佇んでいた。しばらくすると席を立って、亜紀たちの想定通り化粧室の方へ発った。一乗寺姉妹は目配せをすると、少女と同じく、化粧室へ向かった。化粧室入り口で亜紀は美紀に「美紀ちゃんは儀装して、ここで待機しておいて、当然ステルスモードでね」美紀はゆっくりうなずき、火羅太刀を呼び一瞬で巫女装束になると化粧室の入り口に立つ。
亜紀は、白いワンピースにデニムジャケットという今朝から変わらない出で立ちで、化粧室に入った。少女は化粧室で年頃の女の子らしく、鏡の前で身だしなみを整えているところだった。
「君、鳥使い師の小鳥遊さんよね? 今朝の芸はすごかったわ」と亜紀が話しかける。少女は人見知りしやすい正確らしく、少しビクビクしながら「あ、はい……」と小声で答える。
「すごく訓練されているわよね。どうやって、調教してるの?」亜紀は髪をかきあげて偶然を装い、ダイヤモンドのペンダントを胸元から出した。少女は一瞬びくっとしながらも「あ、特に特別なことじゃないんですけど、おじいさんに教えてもらったことを忠実にやっただけです……」と小声で言う。そして、亜紀のダイヤに気がつき、
「あの、それ……、本物ですか」と亜紀に尋ねた。思った通りの反応でなく、亜紀は少し拍子抜けしたが、「ええ本物よ。もっと近くで見る?」と、ペンダントを外して少女に渡した。少女はペンダントを受け取ると、
「へえ〜、すごーい。うち本物のダイヤモンド見るの初めて」と目をきらきらさせて眺める。
「いくら位するんですか?」
「判らないわ。買ったものじゃなくて、母の形見なの」と亜紀は言う。
「うちもいつかダイヤモンドが買いたい。今はここでアルバイト代わりに鳥に芸をさせてますけど、大きくなったら、もっと有名になってテレビとか出て稼いでダイヤモンド買いたいです。あ、これ、お返しします」とかわいい手でペンダントが落ちないように包み隠して、亜紀に渡す。
「はい。ところで小鳥遊さんは名前なんて言うの?」
「あっ、ヒナです。小鳥遊陽奈って言います」
「じゃ、陽奈ちゃんでいい? 私は亜紀よ。一乗寺亜紀って言うの。今ここには居ないけど妹は美紀よ。といっても私達双子だから区別つかないかもしれないけど、髪がツインテールのほうが妹ね。私はポニーテールかそのままのロングにしてる時が多いからすぐわかると思うわ。よろしくね」
「あ、ありがとう、亜紀さん」少女……陽奈は見知らぬ女性にいきなり話しかけられ動揺してはいたが、すこし馴染んで落ち着いたようだ。
「そうそう、ずいぶん長い聴取だったわね。何聞かれたの?」何気なく亜紀が聞く。
陽奈は今の質問を聞くといきなり硬直した。
「……じゃない」陽奈がつぶやく。
「え?」亜紀が聞き直す。
「うちじゃない……」ようやく聞こえる大きさで陽奈が言う。
「うちやってない! おねえちゃん助けて!」陽奈は亜紀に泣きながら抱きついてきた。
秀明が裏から戻ってくると、一乗寺姉妹と陽奈が一緒にいて、何か話している。
美紀がワイヤーで「あの子はシロ。詳細は後で」と秀明に伝えてきた。どうやら警察は陽奈を疑っているようで、重要参考人として、これから麓の警察署に護送されるらしい。やはり今回も被害者の死因は鳥に襲われて死亡したということから、鳥使い師である陽奈は疑われているようだ。最近は残虐な少年少女犯罪も多いので、多方面から可能性を吟味しているのだろう。他の従業員さんの話をちらっと聞いただけだが、どうやら殺されたのはここの責任者である堀内篤史さんで、村役場の課長さんらしい。警察が疑っているのは数人居て、ここには居ないが元従業員の百武明と元愛人の宮澤英里という女だ。
結局全員の聴取が終わったのは午後五時過ぎだった。陽奈は重要参考人として、警察署の車で護送されていった。他の従業員は、みな焦燥しきった顔で帰って行く。
秀明たちはタクシーで一度麓の永野市に入りホテル〜ゴールデンウィークだったが幸い、キャンセルがあった〜に泊まることにした。
三人は夕食を簡単に済ませ、部屋に集まった。
「まず、あの子なんだけど、妖鬼とは無関係よ。私のダイヤモンドを怖がりもせず手にとっていたから、妖鬼ではないわ。あと殺人についてもあの子はやっていないと思う」と亜紀が言う。
「根拠は何ですか?」秀明は疑問に思った。
「あの子に動機らしいものが無いわ。サイコパスとも思えない」亜紀が続ける。
「それに、あの子助けて欲しいって言ってた」
「何からですか?」
「判らないわ。でも自分でもどうしようも出来ない何かね。ちょっと探る必要が有るわね」
「でも、亜紀さんは私たちは探偵じゃないって言ってましたよ。こんなことに首突っ込んで良いのですか?」
「そうね。でもちょっと何か引っかかるのよ。それに私はあの子を助けたいわ。まず、はっきりしていることは、あの子は妖鬼ではないってこと」
「亜紀姉ぇ、返事来たよ」と美紀が持っていたアイパットを亜紀に見せる。
「ははぁ、なるほどね。今、うちらの協力者に調べてもらった情報なんだけど、あの子、今は……」と亜紀はアイパットを秀明に見せる。
小鳥遊陽奈
十二歳 中学一年生
小四の時、東日本大震災で両親と死別
兄 二十歳 県立永野高校卒業 国立永野大学2年
父方の祖父母に育てられるが、祖父は1年前に他界。祖母は認知性のため特別養護老人ホームに半年前より入所。
母方祖父母は既に他界しているため、現在は兄と二人暮らし。
「これを見ると連続不審死事件が始まる後にこっちに越してきたっぽいね。例の事件って何年前だっけ?」美紀が亜紀に尋ねる。
「新聞の記録にあるかぎり、四年前ね。同一犯の犯行だとしたら、あの子はやはり無関係ね」亜紀は言う。
「やっぱり今回の事件と関連は薄そうだね」と美紀も相槌を打つ。
「ちょっとこれを見て」と亜紀がアイパットを美紀に見せる。
小鳥遊綾人
二十歳 国立永野大学二年
地元高校進学で、五年前の父親転勤に帯同せず、永野市内で旧宅で独居していたため、震災被害免れる。
「お兄さんが居たんだ。永野大学って言えば、結構優秀だよね。高校進学してからは地元の此処で一人暮らしなんだ」アイパットを見た美紀が言った。
「ご両親って五年前転勤ってなってるから、その前までは家族で 市内に住んでたのね」
亜紀がアイパットを再び美紀に返しながら言う。
「とりあえず美紀ちゃん、そのお兄さんについて詳しく調べてもらうよう依頼しといて。それとヒデ君、アイフォンでいいから、例の不審死事件の件を片っ端から調べておいて。そうね、被害者の名前、職業、年齢、住所、日付ね。あと古い事件は特に重要よ。私は他の不審死事件について何か共通点あるか探してみるわ。みんな一区切りつくまで寝ちゃダメよ!」
「うわぁ、勘弁して下さいよ!」と秀明は言う。
「頑張ってよ、お願い。後でご褒美上げるわよ!」と亜紀は彼に妖艶な目でウィンクをした。
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