第七章 Flyer

 秀明は何かが重くのしかかってくるような、何か判らない恐怖をずっと感じていた。どうやら悪夢を見ているようだが、具体的なイメージは無い。

 何とも言えない暑苦しさと圧迫感で真夜中なのに目が覚めた。しかし夢から覚めたはずなのに、相変わらず何か重い物に圧迫されてい要ることは変わらなかった。おまけ周りが暗いのは夜中だからと言うわけでは無く、全く目が見えない状況だった。

 普通は暗くても一切何も見えないと言うわけではなく、闇の中も有る程度は見えるはずだし、常夜灯や月の明かり、スイッチのパイロットランプなどで、多少の灯りが有るものだが、一切何も見えないのだ。しかも身体が思うように動かない。

 寝ているうちに山崩れとか建物の倒壊とかで生き埋めか何かになったのだろうか? それとも既に死んでいるのだろうか? 

 そして耳元にはなま暖かい何かが吹き付けられてくるのに気がつく。ああ、本当は死んで死後の世界なのだろうか、と思っていると、「ふううん」という音が耳元で聞こえる。

 やがて重くのしかかっているものは少し離れ、顔にさらさらとした感じのものがふれる。やがて唇にさっきと異なる感触柔らかいものが触れてきた。

「ひでくぅん、おはようゥ」

ああ、なんてことだ。重くのしかかってくるような圧迫感の正体は彩夏だ。さっきの柔らかい感触は彩夏が寝ぼけて、彼にキスをしたからだった。

 思わぬご褒美に秀明は驚いて思わず身体をよけてしまった。嬉しさよりも誰かに見られたら恥ずかしいという感情が思わずそうさせたのだ。

 彩夏は部屋着の黄色いトレーナーを着て、秀明の体の上に多い被さる形で乗っていた。どおりで息苦しいわけだ。彩夏は寝ぼけて居るようで秀明の腰の上にまたがって、うとうとしている。

 まわりを見ると、竜二は座卓の上でビール缶と一緒にひっくり返ってるし、香織は何故か押入で寝ている。どうやら宴会の途中でみんなぶっ倒れてしまっていたらしい。

 一乗寺姉妹は宴会を途中退席していたのは覚えている。二人とも隣の部屋で寝ているのだろう。

 あー、それにしても頭痛い。昨日はビールに日本酒、酎ハイと結構飲んだ。特に売店で売っていた地酒の大吟醸が極上のアイスヴァインのようで、とても口当たりが良かったので二本も空けてしまったからだ。

 秀明は彩夏をそっと退かし、布団に寝かせると、窓を開け外の空気を吸った。ほんとにここは良い空気だ。空に雲もないし今日は良い天気になりそうだ。

 しかし、寝ぼけていたとはいえさっきのキスはびっくりした。未だ心臓がバクバク言っている。こんな形でファーストキスを経験とは思いも寄らなかった。布団を見るとまだ彩夏は寝ている。

 これを機会に付き合う事になったらどうしよう? 彩夏の親御さんは母さんの知り合いと言うし、やはりやたら変なことは出来ない、慎重に行かなくては。でも、もうキスまでしたし、ひょっとしたら近いうちには童貞も捨てられるかなと秀明は不安な反面、少し期待感で胸が苦しくなった。出会ったのは子供の時以来だし彩夏のことは未だ良く知らないが、他の人もこんな感じでつきあい始めるのかなと秀明は思った。

 時間を見ると未だ朝の六時前だった。食事は八時からと言うことなので、未だ行ってない屋外の露天風呂に散策がてら行ってみるか。 

 混浴風呂らしいが朝早いし女の子はさすがに来ないだろうな。竜二と一緒に行こうかと秀明は彼の方を見たがどうも熟睡している。起こすのも悪いし一人で行くことにした。

 さすがにまだ日が昇って間もないせいか外には誰もいない。よく手入れされた日本庭園を通り、裏山の中腹にある露天風呂を目指す。 

 この露天風呂は温泉の源泉に併設されており、いわば噴出したばかりのフレッシュなお湯が掛け流しで注がれている。ホテルの客以外にも無料で開放されているので、ご近所のお爺さん、お婆さんもよく利用するとのことだ。もっともこの山奥ではホテル関係者以外の人なんてたかが知れている。

 ちょっと歩くには辛い道程だった。ようやく露天につくと、人の気配がする。どうやら先客が居たようだ。ま、お爺さんでもお婆さんでも構うまい。

「おはようございます! おじゃまします!」と露天風呂入り口の年期の入ったドアを開けると、明らかに同年代の女性が二人入っていた。

「うわ、スミマセン!」と慌ててドアを閉める。ぱっと見だが、かなりプロポーションの良い、グラビアアイドルの様な体型だった。 

 見てはいけないと思いつつ大きな風船の様な胸はしっかり目に焼き付いてしまった。それにしても真っ白ですべすべな肌だった。

 どんな人なのだろうか。混浴でも流石に同年代の女性、しかも二人もなんて一緒に入る勇気なんて有るはずもなく、外の待合い~と言っても東屋に丸太の椅子が有るだけ~で件の女性が出るのを待つ。

 ちょうどたばこを一本吸い終わった位の時間だろうか、秀明は吸わないが、ちょうどこんな感じだろう、入り口からバタンと音が聞こえ、人が出てくる。意外と早いなと振り向くと見覚えのある顔だった。

「ヒデ君お待たせ」

一乗寺先輩達だ。

「なんだ、待ってたの? 入ってくれば良かったのに」と美紀が続ける。

「あ、いやあの女性が入ってたのでびっくりして」としどろもどろで答える。

「ボクたちは別に見られても平気なんだから、気にしないで良いよ」と美紀。

「で、でも親しき仲にも礼儀ですし」

「それで、見た?」と亜紀。

「い、いや見てまぜん」顔がかあっとなるのが判る。

「でも、私が見たときはガン見していたような気がしたわよ」とニヤニヤしながら言う。 

 どうも亜紀は秀明みたいなちょっとかわいい系の男の子をからかうのが好きなようだ。

「いや、み、見ていませんから。もうか、か、か勘弁してください」さっきの胸のことが目に焼き付いてしまって頭から離れない。

 思わず、丸太のベンチへなへなと座り込んでしまった。しかも十代少年のありがちな理由で腰を伸ばすのは少しの間は無理だった。

「亜紀姉ぇ、もう止めなよ」ちょっともういい加減にしてという感じで美紀があきれ気味に言う。

「ああ、ごめんごめん、冗談よ。まあ見られても気にしないわよ。これから入るんでしょ、ごゆっくり」と亜紀が笑いながら言う。 

 美紀さんに助けてもらって良かった。どうなるかと思った。秀明は少しほっとした。

 一乗寺姉妹はしばらく待合いで休んでから戻るとのことで、秀明は失礼して、露天に入った。

 ドアを開けるとすぐに露天風呂になっており、脱衣所など風呂の脇に単なる棚とスノコが置いてあるだけだった。秀明はささっと服を脱ぎ、前を流して湯船につかる。

 「ふうぅっ」と思わず声が出る。お湯はやはり熱めだった。身体にじんじんとしみるようだ。

 それにしてもここからの景色は絶景だ。朝靄の中、前方に神隠山が雄大にそびえ立ち、幻想的な風景だった。熱くてのぼせそうなので少し湯から出て、露天風呂を囲っている石の上に腰掛けた。

 ああ、気分がいいなと思っていると、誰かがバタンと入ってくる。思わずその方をみると、一乗寺姉妹が戻って来たのだった。は? と思うがあわてて前を隠し、明後日の方に向く。

「ど、どうしたんですか?」

「もう一度はいるのよ」と亜紀。

「はい? さっき入ったばかりじゃ?」

「もともと未だ出るつもりじゃなかったんだけど、ヒデ君が私達みてすぐ出てったから。あなたを呼び戻しに出たのよ。かわいそうだったもん」と亜紀が続ける。

「ああ、そうだったんですか? それはごめんなさい。じゃ、僕は出ますので」と亜紀達をみないように脱衣所にまわろうとする秀明の腕をむんずと亜紀がつかむ。

「まあまあ遠慮なさらずに」と引き戻す亜紀。

 女の子のくせに凄い力だな。ああ、怪物と戦っているんだもんな、と変に納得をする。そして、もう片方の手も美紀に捕まれる。どうしてもつき合わせるつもりらしい。

 あまりの力に少し腕が痛くなった秀明は、「判った! 判りましたもう逆らいませんし逃げませんよ!」ともう完璧に降参しましたといった声で訴えた。二人は秀明と風呂に入るとようやく腕を放してくれた。

「これから長いつきあいに成るかもしれないんだからいいでしょ?」と美紀。

 とりあえず湯船に浸かっている間は胸も見えないけど、やはりドギマギする。

「ねぇ、綺麗なところでしょ?」と亜紀。

「私たちはこの綺麗な場所と平和を守りたいのよ。私たちの力は強くないけど、みんなで協力して、此処や私たちの生活を守らなくてはいけないの」

「でも、なんで先輩たちだけ?」

「いい、ヒデ君。人にはそれぞれ役割があるのよ。みんな重要な役割がある。誰一人居なくなって良い人なんていないわ」と亜紀。

「農家のおじさんも、ホテルの人、お爺ちゃんおばあちゃん、それにヒデ君も。私たちの役割はたまたま妖鬼退治だけど、他の人では出来ない。私達だからこそ出来るのよ。だから、なぜ私達が? とは思わないで」亜紀は続けた。

「さ、そろそろあがりましょう。みんな心配してるわ」


 露天風呂のある山から帰り道は、意外に長く、ちょっとした運動だった。そのせいか身体も火照ってたことも手伝って、風呂上がりなのにかえって汗をかいてしまった。

 部屋に戻ると三人は未だ寝ていたが、なぜか女子は女子部屋に戻り、竜二は男子部屋の自分の布団で寝ていた。しばらくすると、

「お泊まりのみなさま、食事の用意が出来ました。新館バンケットルームにお越しください」と館内アナウンスが有る。

 秀明は竜二をさすって起こすが少し目を開けただけですぐ寝入ってしまう。ああ仕方ない最後の手段だ。

「ああ、亜紀先輩と美紀先輩のおっぱい見えちゃった!」

すると、竜二はぱちっと目をさまし、

「何? どこだどこ?」と言った。

なんでそんなことには反応いいのだ? 

「いやさっき温泉で!」

「はぁ? なにい? 何で一緒に連れて行ってくれなかったんだよぉ?」

「はは、いや見たって言っても浴衣の襟からの胸ちらだから」

 本当に見たなんて言ったら、ボコられそうなので止めておく。

「はあ、胸ちらなんて、なんて羨ましいんだお前は」と胸ぐらを捕まれユサユサ揺さぶられる。やはり言わなくて正解。

 竜二が胸ちら有り得んとかぶつぶつ言いながら服に着替えていると、インターフォンが鳴る。

 香織だった。準備済んだからもうちょっとで出るとのことだ。秀明は着替えた以外はまだ身だしなみも済ませてない竜二を促して部屋をでた。

 一乗寺姉妹と目が合うと恥ずかしさで赤くなるのが判った。亜紀は何事もなかったようなそぶりだが、美紀は思わせぶりな笑顔を見せる。

 香織と竜二は昨晩のことをゲラゲラ笑いながら先頭を行き彩夏がそれに続く。一乗寺姉妹とは特に会話もせず、秀明はしんがりを進んだ。


 朝食は他のホテルでも良くあるようなバイキング形式だった。

 パン、スクランブルドエッグ、ハム、ベーコンなどの洋食と、ご飯、焼き魚、納豆、味噌汁などの和食だ。

 秀明はクロワッサンとベーコン、スクランブルドエッグにした。一乗寺姉妹は和食だったが、香織達も洋食系だった。

 秀明は今朝のこともありあまり喉にとおらなかった。結局クロワッサン半分とベーコン一切れ、スクランブルドエッグ少々を牛乳で流し込んで終わりにした。

「おれ、もう戻るわ」と言い残して秀明は部屋に戻った。


 部屋に戻ってテレビをつけると、ちょうど朝のワイドショーニュースをやっていた。

 少し奇妙なニュースだった。有る男性~どうも暴力団とか闇金関係らしい~がカラスの群に襲われて死亡したというニュースだ。

 しかも、似たような事件が過去数年間のうち、十数件起きていて、そのうちのほとんどがここ二年くらいの間に起きているとのことだ。

 被害者は暴力団、闇金関係者、振り込め詐欺元締め、婦女暴行犯なんて死んでも当然のような悪人から、会社社長、元代議士、配管工少年、教師、会社員などの一般人まで様々だ。

 不思議なことに被害が起こったのは神隠村近郊に有るこの県の県都を中心として起きている。

 司会の小面さんが『最近都会のカラスが賢くなったと言いますがどうなんでしょうね?』とコメンテータの先生に尋ねると、某有名私大の動物行動学の専門家というその先生は、

『アメリカの大学によるとカラスの知能は既にイルカを超えて、小学生並の知能があるとの研究結果も有りますからね。特定の人間を集団で襲うことも有りますね』

『いや、怖いですね。そうなると熊みたいに駆除することも考えなくてはいけませんよね?』

『でも、相手は空も飛びますし、その上知能もあったらなかなか手こずるでしょうね』

 そう言えばヒッチコックの映画に鳥って映画有ったな。小さいときに父親が良く衛星放送の映画見ていて、その中の一つがその映画だった。当時は怖くて、すぐ自分の部屋に逃げたっけ。

 テレビではもう話題が代わって、芸能ニュースになってしまった。人気男性俳優の福河将秋が結婚すると言う話題で持ちきりだった。

 街頭インタビューでは妙齢の女性たちが『うそでしょ!?』とか言ってショックを受けているようだ。

 世間では鳥に襲われて人が死ぬ話題なんて、交通事故で人が死んだというニュースと大して違わない捉え方なんだろうなと思った。

 テレビで福河将秋の話題が終わり、東京ドームでのAKS999《スリーナイン》によるコンサートの話題に入ろうとしたとき、竜二が戻ってきた。

「美紀先輩がオマエのこと心配してたぜ」 

竜二は敷きっぱなしの布団の上に座り、ぶっきらぼうに言う。

「え? なんで?」と少し不思議になって聞いた。

「だって、オマエあんま食べてなかったろ。それにすぐ部屋に戻っちゃったし」

「ああそうか、ごめん」

「いや俺に謝られても。ま、チェックアウトのときに、空元気でも良いから、テンションあげれば安心するんじゃね?」と竜二は大きなあくびをする。

「そうだね。そうするよ」秀明は言った。

 

 チェックアウト前に、みんなが土産物コーナーで物色している最中、秀明は混雑に辟易してロビーで待っていると、亜紀と美紀もロビーに新聞を持ってやってきた。

「ヒデ君、このニュースどう思う?」と亜紀が新聞の社会面の隅を指して言う。そこには今朝テレビで見たカラスに襲われた事件が小さく載っている。

「あ、自分さっきテレビで見ました。何か映画みたいで奇妙だなって」と亜紀を見ると今朝とは違って大きな丸い目で真剣に記事を見ている。

「私は妖鬼の所為じゃないかなと思ってるの」

 秀明は背筋がぞくっとした。

「でも、犯人はカラスって、テレビでは言っていましたよ。死体のところにカラスの羽がいっぱい落ちていたって言っていたし」

「でも、実は殺されたのは別な時でカラスは死体を漁りに来ただけとしたら?」

「そうとも考えられるますが妖鬼と結びつけるのはちょっと短絡的では?」

「そうね。でも同じ人間が犯人としては被害者が多すぎない? シリアルキラーってことも考えられるけど、怨恨でこんなにたくさんの人を殺すのも不自然よ。殺された人もヤクザに詐欺師に社長や先生、果ては少年って同じ人に恨み持たれるには繋がりが全くないし、通り魔の無差別殺人だとしても数年に渡ってこの人数ってのは解せないし、それにヤクザさんとか闇金業者が単なる殺人鬼にやられるとも思えないわよ」

 それもそうだ。と秀明は思った。一般人ならともかく、暴力組織の人間なんて銃くらいは携行しているだろう。

「でもすべての事件にカラスが関係してるのも不自然だよ。ひょっとしたらカラス自体が妖鬼なのかも」と美紀が疑問を呈する。

 しかし、亜紀は髪の毛をかき上げながら、

「でもカラスの妖鬼なんて文献では見たこと無いよ」と美紀の話を否定した。

「そうかもしれないけど」美紀はしぶしぶ納得するが、

「妖鬼って人間を補食して同化するじゃない? だから、カラスにも同化してるとか?」と、仮説を投げかける。しかし、亜紀は、

「いくらなんでも、妖鬼にあまりメリット無いよ。だって奴ら人間になりすませば、人間社会にとけ込めるけど、動物じゃ意味ないもんね。それに動物と同化するならとっくに支配されてるわ」とあっさりその仮説を否定した。

「ねぇねぇ、何の話してるのォ?」彩夏が大きな土産物袋抱えながら話しかけてきた。うしろから竜二と香織が続いてくる。

「うん、ちょっとね」亜紀が振り返りざまに彩夏に答える。亜紀は少し話を反らそうと、

「ところでもう大丈夫? そろそろ出発の時間じゃない?」と香織に尋ねた。

香織が「あー、もう十分しかないじゃない? みんな支度してロータリーに行って、行って」

亜紀達は既に準備万端のようですぐ近くの壁際に置いてあったキャリーケースを持つとスタスタとロビーから出て行く。

 秀明もキャリーケースを取りに行くと、なんと知らない人の荷物が手前に置いてあり、直ぐに取り出せない。急いで手前の荷物をよけてやっとのことで自分のキャリーケースを取り出して、バスに向かった。しかし出発時刻を既に過ぎてたようで、運転手さんが少しイライラしながらこちらを睨んで待っていた。

「こまるよ~。出発時刻五分過ぎてるんだから。急いで!」と。

 秀明は運転手さんにぺこぺこ謝りながら荷物をバスの荷台に載せ、飛び乗った。

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