第三章 Promisess
二限目は心理学なのだが、講義が行われる教室は本館にあり、此処五号館から移動するのに五分くらいかかる。
休憩時間は十五分あるが、トイレタイムを考えると実はそれほど余裕はない。
たばこ吸いの奴ら(酒もそうだが驚いたことに大学入れば、解禁と思っているのか、まだ十八か十九なのに三割くらいの奴が堂々と吸っている)は喫煙所で大急ぎでニコチンを補給中だ。
さくらと名乗った、見た目中学生の女子も喫煙所でニコチン補給中だ。しかし、化粧とファッションでかろうじて大学生とわかるが、これで学内じゃない所で煙草なんて吸っているとすれば補導されるのじゃないか?
だいたい身分証無いと買えない煙草をみんな買っているのだから、法律なんて形骸化しているのだな、と秀明は考えながら、どうも知り合いらしい、さっきの女性を喫煙室の外で待っていた。
「ごめーん! お待たセ」と、見かけと同じ甲高い声で秀明に声をかけながら、さくらが出てきた。
語尾が半音くらい上がる、代わったイントネーションだ。父の田舎である、埼玉北部とか群馬のイントネーションっぽい。
「ところで、サクラさんだっけ? なんで俺のこと知ってるの?」秀明はいぶかしげに、さくらに聞いた。
さくらはハァっと溜息をついた。
「だってェ、新歓コンパで随分派手に騒いでたよォ? キミ」
え? そんなに俺騒いでいた? そう言えば始まってしばらくしてからの記憶がない。と秀明は思った。
「え? そうだっけ?」と秀明は身に覚えがないという顔をした。
「あー、酔って記憶なくしてたのかなァ?
まあ、そう言うことって結構あるよネ。うちのお父さんなんてしょっちゅうそうだもン」とさくらがカラカラ笑う。
「でも、ほんとぅは新歓とかの前から知ってるヨォ」と、下から秀明を見上げながらいたずらっぽく微笑む。そして、
「てか、ほんとに忘れちゃったんだネ、がっかりだなァ」と、つまらなそうに言った。
「ほんと、誰だっけ? 全く思い出せない」秀明は少し困った。彼は小中学、高校のクラスメートの顔を思い浮かべながら考えてみたが、「さくら」と言う名に、全く該当者がいないのでほとほと困ってしまった。
さくらは、もうしょうがないなぁという表情で、
「じゃあ、ヒントやるネ。当たらなかったらカフェテリアでラテでも奢って貰おうかなァ」と、大きな目をくりくりさせて、彼を見上げるように見つめた。
だが、そんな問答をしている余裕なんて無かった。秀明は、ふと喫煙室の時計を見て、慌てて、
「オイオイ、そんなことしてる暇ないよ、もう次の講義始まるって」と、言い放った。
しかし、その直後に思いがけない返答が待っていた。
さくらはきょとんとした顔で、
「心理学の講義なら無いヨ」と答えたのだ。
「え?」と、一瞬秀明の頭の中が空白になる。
「だから、心理学の講義は今週無いってェ。教授が学会有るから来週休みだって言ってたじゃン。知らなかったン?」と、彼を不思議なものでも見るような表情で言い放った。
「あー! だからあいつ等さっき余裕でカフェテリアに向かっていたのか!」と、彼はしてやられたといった調子で叫んだ。先ほど、一時限中に竜二が両手に花でにやけて歩いていたのを思い出したのだ。
さくらは、この子は子供の頃と一緒で相変わらず天然だなぁと思いつつ、
「まあ、いいか。カフェにでも、行こォ!さっきの話は歩きながらしよォ!」と、小さい手で秀明の袖を引っ張って行った。
「じゃね、まずひとつめネ。えっと小学生の時に良く埼玉の田舎に行かなかったかなァ?」
キャンパスを歩きながら、さくらが上目遣いで秀明に尋ねる。
「ああ、おばあちゃん家に預けられていたときあったよ」秀明は、そんな事まで知っているなんて、この子は誰なんだろうと思った。さすがに中学、高校の同級生という線は外れた。
「そこで夏休みの間、一緒に遊んだ子って誰ダ?」彼女は大きい目でニコニコしながら彼に尋ねた。
秀明は、忘れかけていた過去のことを思い出しながら考えた。そして、小学生の夏休み、妹と一緒に良く田舎の祖母の家に泊まりで遊びに行っていたのを思い出した。低学年の時は二学年上の親戚のお兄さんに遊んでもらっていたっけ。
「え? よく遊んでいたのは、本城市の従兄のお兄さんかな? それが?」
うん、そうだ又従兄弟の茂治さんによく遊んで貰った。たまに練馬から来た、やはり又従兄弟で二学年下の友和くん、四学年下の和宣くんも入れて四人で遊んだけど、一番遊んだのは茂治さんだ。
「でもね、そのキミのお婆ちゃんちの近くに公園があって、ひとりぼっちで遊んでいることなかったかなァ?」
そういえば、従兄が中学入学すると、お互い疎遠になり、あまり遊ばなくなったうえ、妹が病気で入院していたこともあって、一人で良く公園で遊んでいた。
「その時のこと思いだして。なんかあると思うヨ。これがヒント」
「え? 何だろう?」秀明は幼いときの記憶を手繰りながら考える。
そう言えば、なんか知らない子と遊んだ憶えはある。そうだ、地元の子と遊んだっけ。そうに違いない。
「あー、なんか思い出した。でも顔は思い出せない。夏休みのときだけ遊んで……」そうだ夏休みだけ、公園で遊んだり、一緒に川遊びしたりした。うっすらと初めてあったときの記憶がよみがえる。
俺はあのとき一人で木陰にあるベンチに座ってたんだっけ。そうしたら地元の子供達の集団がきて遊び初めて、なんか居心地悪くて帰ろうとしたら、女の子が一人寄ってきて、『一緒に遊ぼ!』って言ってきたのだ。なんか凄く嬉しくて、でも恥ずかしくてあまり喋れなかったけど。
「じゃ、そのときの子が君?」秀明が言う。
「そうだよォ、思い出したかなァ?」
「うん、でも顔までは思い出せなくて」
「まぁ、しょうがないかァ。でも私は良く覚えてたのになァ」とサクラはとても残念そうだった。
話に夢中になりすぎて、全く気が付かないうちに、僕等はカフェテリアに着いていた。
カフェのある三号館はちょっと特殊で丸い円筒形のガラス張りの建物である。
一階の部分は学食で中央が吹き抜けになっており、二階の中央部分以外がスターバックスと購買になっている。三階以上は研究室で教授たちのオフィスになっており、教授たちは講義や会議中以外は好きな時間にコーヒーが飲めるわけだ。
ビルの外はちょっとしたヨーロッパ風の庭園とテラスになっていて学生たちの憩いの場にもなっていた。
秀明たちは気持ちいい春の陽気を満喫したいと思い、テラスの席を確保した。サクラはバッグから財布を出して、
「何が良い? さっきの賭は私の負けだから奢るヨ?」と言う。
秀明は流石に悪く思い、
「いいよ、俺は賭けていたわけじゃないし」とサクラに言う。
「大丈夫だよォ、私、昨日臨時収入あったしィ。それに私んちお金持ちだからサ」とサクラは親しい友人との再会が嬉しいと言った調子で、はしゃぎながら答えた。
なんか気を使ってくれているのかなと感じた秀明は彼女に恐縮して、
「じゃ、アイスコーヒーのショートサイズで、ガムシロップとミルク付けてきて」とスタバの中でも、一番安いメニューを頼んだ。
サクラは「うん、わかった!カバン置いていくから荷物番おねがいネ!」と明るく答えながら、カフェの中に入っていった。
秀明は当時の遊んだ子達の顔を詳しく覚えている訳では無かったが、父浦市の自宅に戻るまで、毎日のように良く遊んだのは覚えていた。
同じ学年の子が二、三人いて残りは年下だったかな。兄弟だったのかな。と当時のことを思い出しながら考えていると、サクラが両手に大きな荷物を抱えて帰ってきた。
「買ってきたヨ~。なんかカフェテリアもスタバも超混んでてすごく待たされたヨ」
サクラが抱えて持っているのはスタバの紙袋だった。
「これヒデ君ネ」とアイスコーヒーのLサイズとパウンドケーキをドンと秀明の前に置く。
サクラはキャラメルマキアートの同じくLサイズとチョコレート味のパウンドケーキだ。
「サクラさん、すみません。お金払いますよ」と秀明は予想外に高額になってしまった、彼女のお土産に恐縮してお金を払おうと思って財布を出した。さすがにおごって貰うには安いとは言えない金額だろう。
ところが、彼女は気前よく、
「いいよ、いいよ。私、さっきも言ったようにお金持ちなんだからサ。それにサクラさんなんて、仰々しいから止めてヨ。彩夏でいいよ、彩夏で。ネ!」と答えた。
「あれ? さっきサクラって言わなかった?」名前が変わっていることに戸惑う秀明。
「ああ、サクラって名字だよォ。ほら千葉県佐倉市と同じだよォ!」
「へ?」と秀明はきょとんとなった。
「子供の頃サクラ、サクラて呼ばれてたけどォ、あれは名字ィ! なんだ今まで名前だと思ってたんだァ、あははァ。でもしょうがないかなァ?」と、サクラ、いや彩夏は今日の日差しのように、明るく笑った。
「ねえ、でもあのころの話ってどこまで覚えてるゥ?」と彼女はキャラメルマキアートにストローを差しながら彼に聞いてくる。
「なんか、カブトムシ捕ったり、祭り行ったり、まぁ、あとは月並みに駆けっことか、かくれんぼもしたけど?
なんか、誰の家か判らないけど、でかい桃の木があって、そこでカブトとかクワガタ捕ったよね。あと、ちょっと自転車で山のほういってそこの小川で水遊びしたな。なんか懐かしい」
「いちど迷って二人だけになったときあったよね。あのときのヒデ君凄く頼もしくてネ」
「え? そんなことあったか?」
「ヒデ君さ、その時こう言ったんだよォ『怖いことなんかないよ、俺が守るから』ってサ」
全く、そんな記憶は無い。と彼は感じた。
彼は、もう一人の自分が存在したかのような奇妙な感覚に襲われた。彼は彩夏の顔をいぶかしげに見つめ、彼女の話の続きを黙って聞いた。
「ソレ聞いたらさ、なんか胸がきゅんとしちゃってェ。でその後に丸太橋があってそこを渡るとき、私怖くて渡れなかったけど、怖がらないようにぎゅっと手を握ってくれてェ……。もう、これ惚れちゃうよネ、どんな女の子でもネ」と彩夏が続ける。
「それでサ、あのあとヒデ君たらこんなこと言うんだよォ、『サクラちゃん、僕たち大人になったらけっ……』」と言い掛けたところで彼女は急に口をつぐんだ。
「よ! おはようさん!」背後から爽やかな声するので振り返ると、竜二がニヤッとしながら立っていた。背後には昨日のメンバー全員集合だ。
「あれ、二人知り合いなの?」と香織が不思議そうに尋ねた。
「あ、幼なじみなんだよォ」と彩夏は例によって大きい瞳を輝かせながら答えた。
一乗寺姉妹はちょっと部外者かなといった面持ちで「じゃ私たち、ちょっと図書館で調べたい事があるから、これで失礼するわね。部室で待っているから三人とも顔出してね」と言い残して去っていった。
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