第二章 Tired  World

「いや~長居しちゃったねぇ」と竜二。

「そうだね」と秀明。

 一乗寺家の屋敷は駅の西側、彼等の通う大学の程近い、昔から存在する集落の一端にあるが、秀明は駅を挟んで丁度逆側、新興住宅地の一角に有るワンルームマンションを借りて住んでいた。

 偶然にも、竜二も同じ町内の若干離れた所を借りている。

 彼等は終電車もとっくに終わった深夜の住宅地を歩いていった。

 途中、同じ学校とおぼしき学生たちとすれ違ったがそれ以外の人気は皆無だ。

 たまにコンビニの前を通ると学生だか、社会人が車で乗り付けて買い物しているのを見かけるが、徒歩で来ているものは居なかった。

「なぁ、亜紀先輩達ってどうよ?」竜二が秀明に話しかける。

「どうって、良い先輩だと思うよ」

「そうじゃなくて、ちょっと魅力的じゃね? 乳もでかいし」と竜二は両手で丸い物を二つ掴む手振りをしてすこし興奮気味に言う。

「うん、魅力的は同意だね。でもなんか普段は猫かぶっているような、気がするね。特に美紀先輩はちょっとおっとりした感じだけど本来の性格はもっと厳しいような強い気がする」

「そうか? で、おまえはどっちよ?」竜二は未だ酔いが覚めないのか、秀明の肩に手を回して、顔を近づけ、アルコール臭い息を彼に吹きかけてくる。

 秀明は彼のアルコール臭い息を直接付記掛かられ、むせそうになっったが、なんとか耐え、

「俺は、別に興味ねーよ。さっきも言ったけど年上はちょと苦手だし」と強気にはねつけた。

 竜二ははねのけられた手を後ろ手に頭の後ろに組み、

「じゃ、おれ美紀先輩につば付けよっと。おまえ手だすなよ」となにか嫌らしい想像でもしているかの様に、にやつきながら言った。

 秀明は、そんな竜二に少しむかつきながらも、全く興味ないって事を装って、

「ださねーよ」と言い放った。

 だが、秀明の頭の中はそんなことより、つい先ほどの俄に信じられない、出来事について色々思いを巡らせていた。

 さっきのは夢だったのだろうか、あまりにも現実的に思えなかった。

「おまえ、どうした? さっきから黙って」竜二が話してくる。

「いや、ちょっとぼーっとしてた、もう眠いし」と、慌てて誤魔化した。実際に猛烈な眠気の襲われていることは事実だった。

「ああ、そうだよな。もう遅~いし」あくびをかみしめながら竜二ものんきに答える。彼はさっきの超常現象について全く見てないし、気配も察知してないから当たり前といえば当たり前だ。

 やがて、少し年期の入ったコンビニが曲がり角の向こうに見えてくる。

「お、俺こっちだから」竜二がコンビニと左側の道に踵を返し、じゃっ! と手を振り、秀明に「帰り気をつけろよ!」と言う。

 秀明も「じゃな!オマエも気いつけろよ!」と返す。

 秀明は、暗闇に消えていく竜二の姿を見送りつつ、いつもなら帰り際に寄っていく、そのコンビニを横目でスルーしながら、帰路を急いだ。

 家まであと、百メートルくらいだよな、と思いつつ、誰も居ない住宅地の中の細い道(車一台通るのがやっと)をてくてくと歩いた。

 マンションの灯りが見えてくると、疲れ切った身体が早く休みたいと脳に訴えてくる。

 マンションと言っても、未だ昭和だった頃に建てられたであろう、年期の入ったものだった。

 その建物はあちこちにひびが入り、とても住めたものじゃない雰囲気だったが、リフォームしたばかりな所為か、意外に中は綺麗で広かった。

 そのお陰もあって、秀明のような普通のサラリーマンの息子でも借りられるような格安の物件なのだが。

「のどが渇いたな」と彼はマンションの手前にある自販機でコーラを買おうと、ポケットから財布を取り出し、小銭入れを覗き込んだ。

 あー、あと十円足らない。

 彼は必死にポケットの中をまさぐった。すると小銭の手応えがあった。

 あった三十円ある。五百ミリリットルのは買えないが三百五十ミリリットルなら買える。

 彼は疲れ切った手で自販機にお金を一枚二枚入れて行ったが、最後の一枚を入れようとしたところで落としてしまった。

 あ、仕方ない拾うか、と腰を屈めた瞬間視界の端に黒い陰が入った。彼は一瞬びくっとして、おそるおそる横目で黒い陰を確認した。

 自販機の横に黒猫が一匹佇んでいただけだった。

「なんだ猫か……」彼は一人ごちた。

 彼が猫を手招きすると、お腹を空かせていたのか、彼の方に寄って来た。普段は猫なんて寄ってくることは無いので少し意外に思った。

 近づいてきた猫にちょっと手を出すと、少しびくっとされたが、すぐ頭を近づけてきたので頭を撫でてやる。

 猫はもっと撫でて欲しかったのか、首を伸ばしてきたので、彼は顎の下を撫でてあげた。どの猫も顎の下は気持ちいいらしいが、この黒猫も例外では無くゴロゴロと気持ち良さそうにしている。

 ひとしきり撫でてあげると、猫はもう飽きたのかすっくと立ち上がり、道の向こう側に走っていった。

 ああ、猫で良かった。また変なのに襲われたら、今度こそ死ぬ。秀明は少し前の事件を思い出し背筋が寒くなった。

 部屋に入ると疲れがどっと出てきた。

 ああ、服も脱ぐのが億劫だ。今日はこのまま寝てしまおう。

 彼は鞄をビジネスチェアの上に無造作に置き、ベッドの上にどさりと倒れ込んでそのまま、寝込んでしまった。


 目覚まし時計のけたたましい音で目が覚める。

 時計を見ると八時半。秀明は割と真面目で毎日一限目の講義からから履修している。学校までは十五分くらいで着くが、いつも一時間前に起きるようにしているのだ。

 結局なんだかんだで、寝たのは三時近かったが、それでも五時間以上は睡眠できた。こんな時に学校が近くて助かると思う。

 そう言えば昨晩は風呂に入ってないな。洋服も昨日のまんまだ。そう言えば昨晩あんな事があったのに汗くさいだけで意外に汚れてなかった。あいつ等の体液ぐらい付いていても良さそうなのだが。

 彼は意外といった面もちで洋服を脱いで確かめた。確かに転んだときの泥が着いているが、特に妙なしみも付いてない。やはり夢か何かだったんだろうか? と思い洗濯かごに突っ込んだ。

 シャワーを浴びながら昨晩のことを考えた。

 あの化け物、先輩達の秘密、先輩達の戦っている相手……。

 そうだ、何で警察も自衛隊も相手にしないのだ? 超自然すぎて相手にしないのか? わかんねえ。

 江戸時代なら兎も角、一発で町一個が消し飛ぶ兵器だってあるのに、あんな鎌と槍がいくら凄くたって、あのモンスターが集団で襲ってきたら太刀打ちなんて無理だろ。

 おっと、九時のアラームが鳴っている。そろそろ支度しないと間に合わないぞ。

 秀明は風呂場から出て軽く頭と身体を拭き、リビング兼寝室のテレビを点ける。ちょうどニュースの時間だ。

 テレビには恰幅の良い老年の男性と五十代くらいでアフロとまでは行かない髪の毛がモジャモジャの男性が写っている。

 老年の男性、おそらくどこかの会社の社長が通る声でしゃべっていた。

『我がジャパンダイヤモンド工業が長年に渡り研究してきた賜物であります。この技術はぁ……』ずいぶん声がデカい爺だな。

 ジャパンダイヤモンド工業……、JDK。聞いたことある。結構この学校のOBが行っていると聞いた。

 話によると社長がどこかの国の将軍様みたいな風貌で、実際に軍隊みたいな会社だって。毎年何人も採用するけど心が病んだり、仕事出来なくなると直ぐクビにするから、いつも人が足りないらしい。

 いくら就職冬の時代でもそんな所嫌だよねって皆言っていたな。

 この会社の人事課長〜確かこっちも高橋だと思った〜が、この間挨拶来ていたらしいけど、OBが精神を病んでこの人事課長に庭掃除担当にさせられて自殺したって、学食で三年生が言っていた。

 テレビで将軍様がひとしきり自慢話をした後、その新製品の開発を指揮したというさっきの五十代のモジャモジャ頭が話し始めた

 『え~、鷺宮研究センター、センター長の高橋です。今回開発した技術ですが、我が社の七十年に渡るダイヤモンド技術の粋を集めた物でして、この何も変哲もないボール紙ですが、ふつうはちょっと力を加えると簡単に折れてしまいますが』と高橋が手にしている紙を軽く曲げてしまう。

『一方こちらの紙ですが』とテーブルに置いてある、見かけは全く同じ紙を取り出し

『このように力を加えても』と両手に手を加え折り曲げようとするが全く曲がらない。

『ちょっとやそっとじゃ曲がりません』高橋は手に持っている紙をリポーターに渡し、

『ちょっと試してみますか? 』と尋ねる。 リポーターの女性は手慣れて手つきで紙を受け取り、曲げようと真っ赤な顔になるほど力を入れてチャレンジするが、やはり曲げるのは困難なようだ。

『ちょっとですね、それほど厚くない紙なのですが、かちかちで全く曲がらないですね。

 テレビをご覧になっている皆様には金属ではないかとお思いの方も多いか存じますが、この用に親指と人差指で軽く挟んだだけでこのように簡単に持てしまいますので、金属ではないとお判りになると思います』と語る。

『この紙は我が社が開発した技術で加工してありまして、もちろん紙だけじゃなく、金属やプラスチックにも適用できますね。

 この技術を使えば、自動車や飛行機の軽量化に貢献できますから、エコにもなりますよ。今は製造するのにコストがかかるので、生産ラインに乗せて百分の一くらいにコストを下げるが目標ですね』高橋は用意してあるフリップをさしながら説明をする。

『いま、日本のみならず世界から問い合わせが来ているとのことです』大きな目をした女性レポーターはそう言ってその場を締めくくった。

 へえ、どういう仕組みか知らないけど凄いな、と感心しながら教科書を鞄に詰め込む。 何気なく時計をみるともう一限の講義が始まる十分前だ。ヤバい遅刻する。秀明は髪の毛も濡れたまま、あわてて鞄を持ちマンションを後にした。


 結局学校に着いたのは五分遅れだった。教室に入ると既に席は半数くらい埋まっており、空いている席は不人気な前方の席のみ。

幸いなことに未だ教授は来てない。

 竜二と香織の姿を探してみるが、見あたらない。六十名ほどしか収容出来ない小教室なので見逃すはずはない。あいつらサボりか。 

 いや、そもそもこのコマは履修してないのか。前の席はなんか当てられそうで嫌なのだけどな。と考えながら、結局三列目の窓側の席に座る。

 講義開始時刻から、しばらくすると教授が遅れて申し訳なさそうな顔で入室してきた。

「すまんね、今日は朝の打ち合わせが長くなってしまってね」

 普段は学生の遅刻に五月蠅いが、自分こととなると勝手なものだな。と秀明は思った。

 竜二と香織は結局まだ来ていない。やはり、今日はサボりか。

 授業はまだ入学して三度目とあって、高校の時のおさらいで退屈だった。英語なんてやりたくないなと思ったが、必修科目なので仕方がない。

 しかし大学の授業なんて退屈だ。一方的に教授がしゃべって、学生はメモを取るだけ。そのくせレポートは毎週提出だ。誰だよ、大学なんて遊ぶところなんて抜かした奴は。

 後ろに座っている奴らはまだ高校生の気分が抜けないらしく、ぺちゃくちゃお喋りしている女、寝ている男、たまに勉強している風の奴もいるが実際は別な事をしていたらしく、教授に質問されてとんちんかんな答えをしている。

 前の席には真面目な奴が占領していて皆真剣だった。一番前の列は真面目な奴、二列目はちょっと真面目だけど一列前に座る勇気は無い奴、逆に後ろの三列はあまりやる気のない一般学生、三列目、四列目は後ろの席が空いてないのであぶれた奴って感じだ。

 まだ授業初っぱなだから、レポートなんて無いが、そのうちレポート提出が多くなってくる。ゴールデンウイーク明けからきっと鬼のようにレポート要求が増えるに違いない。  

 そうなるとこの講義もレポート内職しながら出席が増えるんだろうな。しかしそれじゃ講義を受けているのだか、なんだか判んなくなるな。

 そんなことを考えながら気もそぞろで何気なく窓の外を見ると、見たこと有る集団がキャンパスを歩いている。

 どうも背格好とファッションから竜二と香織、一乗寺姉妹たちのようだ。

 なんだよ、彼奴等、一限目サボっていたんだ。あ、待てよ一乗寺先輩たちは午前休講って言っていたな。カフェテラスでも行くのかな? 

 そんなことをぼーっと考えていたら、視界になにか大きな影が入る。何? と考える間もなく、その大きな影は音声を発した

「君、名前は?」

 秀明ははっと我に返りその影の方に振り向いて、応えた。「あっ、あのう龍沢です……」。大きな影は教授だった。

「龍沢君ね。ではニジュウシチ(二十七)ページの”Unfortunately, we are~”から和訳してもらえるか?」と教授がちょっと高慢な雰囲気で質問をする。

 あっ、あれ? どこだっけ? 秀明は二十一ページどころか、教科書の最初のページを開いているだけだったため、どこのページかわからずちょっとパニックになった。

 しかも教授の言う二十七ページを二十一ページと聞き間違えてしまったようで、

”Unfortunately, we are~”の文章が見つからない。 ヤバいどうしよう……。

 すると誰かが後ろから

「ニジュウイチじゃなくてニジュウナナページだヨ」

と小声で教えてくれた。

 誰か判らないけどサンキューと思いながら、慌てて二十一ページを捲る。

「えっと、ああここか」と秀明はようやく目的のページにたどり着けたが、あれ、単語が判らない、どうしよう? 

 秀明は「残念ながら、私たちは……、えっと」。その先が判らない。どうする? また、後ろの誰かさん、助けてくれと秀明が念じると同時に天の声が聞こえてきた。

「満足のいくダヨ」

 さっきは緊張して判らなかったがどうやら女性のようだ。そうか、誰だか判らないけどありがとう。

「えっと、『残念ながら、私たちはまだ満足のいく答えを出せていない』です」と秀明は声を振り絞り答えた。

「あー、まぁ良いだろ。親切な友達が居て良かったな」と教授。そして続けて、「まぁ、あれだ、これは毎年誰かに言うことだ。『いつまでも高校生気分が抜けないようだが、もう大学生なのだから襟を正して、しっかりしないとだめだぞ!』」と説教される。

 後ろほうからプッと吹き出す声が聞こえる。おめーらも真面目にやってない癖になんだよ! と思った。

 その後教授は特に誰を指名することもなく、長い九十分もの講義はおわった。

 秀明はさっきの天の声の主が気になり後ろを振り向く。そこには未だ中学生に見える女の子が座っていた。

 一瞬「え?」と思う彼をまじまじと見つめる女の子は、優しく微笑んだ。

「さくらダヨ、ヒデ君覚えてるゥ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る