エピソード 2

エピソード 2

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【 パフィン海 北部海域 

     メ・リフェ島 東部海岸 】


 ボートが島に接岸すると、いきなりそこで戦闘が発生していた。兵士ビジュアルの、現実離れして体格の良いマッチョな兵士キャラクターが四体。両手持ちのグレートソードを振りかぶり、小雨降る黒砂利の浜を駆けまわって斬りまくっている。ここからは距離がありすぎてうまくターゲットできない。けど、あの重装甲の黒光りする完全武装からして、グマ帝国の正規軍とか、きっとそれに違いないとわたしは見立てる。ときどき夜の闇を裂いて、キンッ! という金属音。あれきっと、グレートソードが地面の石を叩く音だろう。

「やばいね。なにか燃えているあたりが戦闘エリアと思って避けてきたのに。こんな離れた地味な浜でも戦闘やってるとか??」

 わたしはちょっぴりうんざりして言った。もとより戦闘とか、やるつもりで来たわけじゃない。今のこんなレベル低いわたしたちには、たぶんまったくお呼びじゃない世界だ。

「でもあれは、いったい何と戦っているのでしょうか…?」

 ボートから浜に降り立ち、リリアが金色の目をわずかに細めてつぶやいた。

 黒系の鎧で固めた重装甲の兵士たち。そいつらが今、敵として剣をふるっているその相手は、こちらからはまだ視認できない。距離がありすぎる。でも、見えないということは、サイズはけっこう小さいのだろう。

 わたしは浜辺の茂みの間を、ネコみたいに姿勢を低くして、じりじりと戦闘エリアに接近する。いちばん近い兵士から、距離40に到達。草の影に身をかくしながら、兵士をターゲットしてみる。


 グマ親衛隊 重歩兵

 LV 67   HP 8830


「え!! ちょっと! 冗談じゃないわよ。レベル67とか?? そんなの、戦闘になった時点で終わりじゃない! かるーく一撃くらってもアウトでしょ。。」 

 やれやれ。レベル違いとか、そういう次元じゃない。これでは、一体相手でも勝ち目はゼロだ。しかも4体。絶望的な戦力差。

「あ、見えました!」

 リリアが小さく叫んだ。

「え?」と、わたしは彼女を振りかえる。

「あれはでも―― 人形、でしょうか?」

 リリアはそちら、兵士らが入り乱れる戦闘領域の、どこか一角をターゲットしている。わたしもそちらに視線を向けて――

 なにか、低空を舞っている感じの、その白っぽいモノのひとつを、苦労しながら、ようやくターゲットした。移動速度が速く、ターゲットするのはけっこう難しかった。


  Seema Einlogue

 

 えっと。名前だけ?

 レベル表示とかが、出ない。

 どういうこと? どうも変だ。

 ゲーム内キャラに関しては、それがたとえ非戦闘NPCであっても、レベル表示とHP表示が必ず出るのがこのゲームの仕様。なのにそれが出ない、というのは。いったいどういうわけ? にしても、その、兵士の刃をひらひらと蝶のように軽やかにかわして舞っているあのモノ―― 見た目のシェイプは―― 

「人形、っぽいね?」

 わたしもリリアと、ほぼ同じ言葉を口にした。

 そうだ。人形、だろう。

 夜の浜辺に、そのモノたちのつるりとした肌の白さとなめらかさが、なんだか目に痛いくらい。『陶器のようななめらかさ』とは、まさにこのことだろう。全部で三体、か。

 そしてそれらはヒト型をしてるのだけど、全体にリアルな人間の子供よりも、さらに二回りくらいサイズが小さい。わたしのキャラも体形的にはけっして大きくないのだけど、そういうレベルの小ささではなく、足先からアタマの先までをまんべんなく40%縮小コピーしたようなビジュアルだ。ひらひらと動きが速いので細部まではわからいけれど―― でも、何かひじの関節やひざの部分の関節の継ぎ目がけっこう目立つ。ヒト型だけど、ヒトじゃない。どこか少し、作り物。まあもちろん、ゲーム内のすべてがもとより作り物、なのだけど。でも、それにしても――

 あ。

 今、一体斬られた。

 重歩兵の繰り出すグレートソードがまともにヒット。

 キーンという高い金属音とともに、ヒットを受けた人形シェイプが金色の粉になって散り消えた。すごく綺麗なエフェクト、ではある。はかない黄金の花火のような。けれどもその束の間のきらめきが、わたしの心に突き刺さる。とても心の深いところで。まるでわたし自身の心が切られたみたいに。子供の頃の夢の風景の一部が無残に黒のインクで塗り消された。そこにあった絵は、もう二度と戻っては来ないのだ。

 瞬時にそんな感覚が心に湧いて、消えてゆく。なんだろうか、この感覚は。ゲームなのに。ただの、ゲーム内戦闘でわたしの知らない未知キャラが、一体、消えただけなのに。

 残っているのは、あと二体、か。

 その、小柄で可憐な、色白の手足が目立つ人形キャラたちは――


「アリーさん、」

「ん?」

「ねえ、アリーさん、」

 リリアが横からわたしの肩をゆさぶった。

 アタマを低く、茂みの中に身を隠したままで。

「あの、どうします?」

「どうするって、何?」

「あの。見てるだけで、いいんですかね? どちらかを、その―― 助けるとか、しなくても?」

「えっと。助けるって、どっちを?」

「えっと。見た感じ、あの、人形側が、『味方側』という。そういうように、わたしにはちょっぴり、見えますけど――」

「ま、そうよね。なんか、兵士の方が明らかに悪っぽい、感じはするけど」

「あ、また。斬られました!」

 またあの、キーンという金属音。

 さっきまで兵士たちの刃をかいくぐって空中を舞っていた人形の一体が、金の粉となって消失。その音の余韻が、わたしの心にまた新たに突き刺さる。その音の余韻のあまりのはかなさに、心がギュッと、しめつけられる。何か。わからないけど。わからないけど。あれはぜったい、消したり、斬ったりしたら、ぜったいダメな何かな感じが――

 でも、何。なんでゲームなのに。ゲームなのに。こんなに心が騒ぐの――


「あ。やばい! またヒットする――」


 人形の一体が、刃の端をよけそこなう。瞬時に羽根をもがれたように黒い地面に落ちる。

 そこに鋭く突き刺さる、追撃の刃――  


 ゴゥッ!


 炎が飛んだ。ファイアーボール。

 火炎魔法の初歩の初歩だ。

 炎は兵士の腕部分にヒット。

 重歩兵のHPバーが、目で確認するのもむずかしいレベルでわずかに右にシフト。ダメージとも言えない極小のダメージ。

 でも、それでも。グレートソードが狙いをはずした。

 ギンッ! という固い金属音。

 刃が地面の石を叩く。間一髪で、その人形はソードの直撃をまぬがれる。ひらりと地面の上でステップし、その人形が、ふたたび空中に浮上した。


「えっと、アリーさん??」

 リリアが驚愕の叫びをかすかにあげてこっちを見た。

 そうだ。

 いまファイアーボールを撃ったのは、わたし。

 撃ってしまった。ほぼ無意識に。

 ついつい、撃ってしまった。

 兵士のひとりをターゲットして――

 こちらから。

 攻撃を。仕掛けて、しまった、のだ――

 レベル違いの、LV67の屈強な敵キャラに――


 黒いヘルムの下、ギラリと燃え立つ兵士の二つの目が、

 いま、わたしを捉えた。

 そいつがわたしをターゲットした。

 ほかの三人の兵士らも、戦闘姿勢を一瞬静止。

 それからゆっくりとこちらを振り向いて――

 いまいっせいに。

 ターゲット、した。

 わたしとリリアを――

 そこにいる新たな敵キャラとして。

 そいつらが今、こちらを明らかに認識した。

 四人のゴツい兵士たちがいっせいに、

 こちらに向かって、グレートソードを手に手に振り上げ――

 おおおおおおッ! という大迫力の怒声をあげて、こちらに殺到――


「やばいやばい!」

「? アリーさん??」

「ちょっと! 何やってるのよ!」

 わたしは瞬時に茂みから飛び出して、もう全力で走りながら、動きの鈍いリリアに声を飛ばした。足はいっさい止めないで。

「え、何って、えっと――」

「逃げるわよ! ぜったい、一撃でも喰らったらアウト、なんだから!」

「え、ちょ、ちょっと待って、アリーさん!!」



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 走る。走る。走る。

 闇の中を。夜の浜を。岩の上。浪打ちぎわ。

 波音と、波のしぶきと、うしろから石を踏む四つの重い足音、

 そしてわたしの息遣い、リリアの激しい息遣い。

 ブンッ! と風をきって剣撃が飛ぶ。その風圧を、首のうしろに感じた。ヒットはしなかった。ヒットはしなかった。けど――

 この追われる恐怖感は本物だ。

 これはゲーム。これはゲーム。

 何度も自分に言い聞かせても――

 そこにせまりくる、闇の向こうの重い足音はあまりにリアル。

 足を止めることも、ふりかえることさえもできない。

 走る。走る。とにかく足を前へ。

 わたしの足がいくつもの岩を踏み、暗い砂を踏み、

 夜の茂みの底を駆け、林の中を、かけてゆく。

 リリアが少し、遅れている。

 やばいよリリア。スピードあげなさい!

 と、叫びたいけど、声にならない。

 わたしの口から出てきたのは、声にもならない、手負いの獣のような息の音だけだ。

 やばい。心臓、もう、破れるレベルで、バクバク鳴ってる。ただの、ゲーム、なのに―― なんだこの、恐怖感。なによこれ。なによこれ!

 

 視界が急に、ふさがれた。

 体全体にまんべんなく軽い衝撃があり、

 わたしの動きが、強制的にそこで静止。

「そんな―― 通行不可、オブジェクト??」

 岩山、とか。そういうやつだ。

 ジャンプや歩行では、突破は不可能、というやつ。

 やばい。左も―― そこも、黒々した岩の壁だ。

 じゃ、右は―― 視線を振ると、その視線が敵をとらえた。四体。近い。闇の向こうで、その黒々したいかつい鎧のシェイプと、赤い光を放つ合計8つの殺気立つ目。ガチャガチャいう鎧の音が、もう、すぐそこまで接近――

「アリーさん! もうこれ、やばい―――」

「リリア! 逃げて! 右!」

「ムリ、です!」

「ああもう、やばいやばいやばい――」 


 ビュッ!


 風を切るソードの音が、今、おそろしく耳に近い位置で鋭く鳴った。 

 

 ギンッ!

 

 耳触りな金属音。

 粉々にくだけた金属の断片が雨のように頭に降ってくる。

「なッ! 武器破壊、だと??」

 追撃の兵士たちが一瞬にして立ち尽くす。

 剣を砕かれた先頭の兵士は、自分の手から武器のソードが消失したことを、今でも理解しきれていないようだ。ゴツイ体躯でそこの草の上に立ちつくし、自分の右手と左手を呆けたように眺めている。

「あんたたち。ずいぶんうちの子たちを、いじめてくれたみたいね?」

 爽やかな声がして、

 わたしとリリアと兵士たち、

 その間の空間を断ち割って、いきなりそこに出現したモノ。

 さっぱり短い金色髪の美少女キャラだ。ヒラヒラした赤とゴールドのチャイナテイストのスカートドレスを翻し、右手を額の高さに上げて肘では30度の角度をつくる。左腕はカラテとかの技っぽく手のひらを広げて正面にかざし、左ひざを高く上げ、相手を制するような戦闘ポーズで――

 うーん。要するにジョプ的には「バトルマスター」、日本風に言うと「武闘家」っていうポジションのキャラクタ―だ。こっそりターゲットすると、アタマの上に名前が出た。


 ヤンカ・ヤンカ


 わかりやすくカタカナ表記してる。ってことは、このキャラのプレイヤーは日本人なのだろう。でもなぜか、レベル表示とHP表示が出てこない。名前だけ。明らかに、プレイヤーキャラっぽい見た目なのに――

「あんたら。ここはあたしたちの島よ。許可なく勝手に入ってきて、何、勝手に荒らしまわってるわけよ?」

 金色髪の武闘家少女が、唇の端でちょっぴり笑いながらそんな言葉を相手に投げた。レベル60超えの重歩兵を四体も相手に、ぜんぜん、ビビってない。余裕の微笑だ。まるでこの状態をむしろ楽しんでさえいるような――

「女め。島の人形どもの仲間、だな?」

 兵士のひとりが憎々しげに声を吐く。

 剣を失ったひとりはじりじり後ろに後退、それに代わって、グレートソードを縦にかまえた3人の重装兵が前面に立つ。アタマの上の半透明表示されてるレベル表示は、67、67、69―― 見た目は同じ黒鎧の重装兵だけど。いちばん右のやつが、どうやらいちばん強い――

「グマ皇帝エルミオ様の命により、この島のすべてを破壊する。一兵たりとも、住民ひとりたりとも見逃すなと。そのような命令を受けている」

 左側のそいつが、鎧の音をガチャガチャさせながら言った。

「女。特に貴様に恨みはないが―― エルミオ様の勅命である。悪くは思うな」

「貴様らはすべて―― ここで斬る」


 そう言って一歩、重い足音をたてて兵士たちが間合いをつめた。

 もうじっさい、かなり近い。いまこっちに踏み込んでくれば、剣撃を回避する余裕すらない。

「へえ? できそこないのNPCのくせに。いっちょまえのセリフを吐くのね」

 少女が鼻で笑った。チャイナテイストのドレスのすそが、ばたばた、夜風にひるがえる。ふたたび降り始めた小雨が、少女の金色髪に音もなくふりかかる。

「まあいいわ。まとめて相手してやる。さっさとかかってきなさい」

 少女が前方にのばした、革製のバトル・ガントレットをはめた左腕を前後に小さく揺り動かす。相手を挑発している―― のだろう。じっさい彼女の凛々しい口元は、今もかすかに笑ったままだ。  

「こざかしい女め!」「やれッ!」

 声がとび、重い足音が鳴り、巨大な剣が風音をたてる。

 わたしが身構えたその瞬間。

 視覚がなんだか、おかしくなった。

 赤とゴールドと、黒と、何かの火花と、破壊された断片と――

 視界に入るモーションとオブジェクトがあまりにも多すぎて、きちんと像をむすんでいない。何かの残像、そのあとまた乱れた何かの残像。

 そして音が――

 金属が砕ける音。うめく声。倒れる音。誰かの激しい息遣い。

 激しい音と不鮮明なモーションのカオスが吹き荒れる。

 わたしはそこで何が起こっているかを、五感で捉えることさえできない。

 ただ、立ちつくしていた。



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「ふぅ。準備運動にもならなかったわね。ま、でも、レベル70手前の雑魚なら、こんなもん、か」


 ドレスのスカートの泥を払って、彼女がつまらなそうにコメントした。

 足元には、HP0表示で動きを止めた兵士たちが四体。夜の島に降る小雨の中でしばらくそこに横たわっていたが、しばらくすると虹色のビジュアルエフェクトとともに、無音で消失した。あとには何も残らない。

「あんたたちも、ちょっぴり危なかったわね。まあその、おっそろしく低いレベルでここまで来ちゃってるその準備不足も、悪いと言えば悪いんだけどね」

 武闘家少女が、わたしの方に向きなおった。口元が、やっぱり今も笑っている。その、ちょっぴり含み笑いは、どうやらその子のデフォルトのフェイスビジュアルのようだ。こうして近くで対面すると、背丈はわたしより、わずかに高い。サラサラの金色の髪は、のばすときっと美しいのだろうと思う。けど、少女は大胆に大ざっぱに、その綺麗な髪を首くらいの長さでばっさりカットしている。女の子的なかわいさアピールよりも、実戦重視、戦闘向きの髪型、ということだろうか。無造作な前髪の下にのぞく小麦色の眉は細くて長く、どこか挑戦的な弓型を描いている。その下の瞳は、深い黄金、あるいは光り輝くブラウン、だろうか。

 今ではふりしきる夜の雨となったその闇のフィールドで。少女のその目で見つめられたとき、腰から背中、背中から首、そしてアタマのてっぺんまで、なにか電気が突き抜けるような衝撃を受けた、と思う。一瞬のことだったけど。そこにはなにか、わからないけど、、おそろしく綺麗な何かが見えた、気がした。時間が止まり、空間が揺らいだ、気がする。あくまで感覚的なイメージだけど――



「ふうん。なるほど。入島許可の招待IDは、二人とも、ちゃんと持ってるわけね」

 ヤンカ・ヤンカを名のるその少女武闘家が、わたしとリリアが目の前の空間にオープン表示にしたその招待IDに目を通し、それから、自分自身のウィンドウを操作して、そこの何かとしばらく照会していた。おそらく、正規の入島IDの一覧のようなものに、アクセスできる立場にいるのだろう、とわたしは想像する。

「あの、ひとつ質問、いいですか?」

 さっきから言葉も出てこないわたしにかわって、リリアが、ためらいがちに声をかけた。

「ん? 何?」

「HP表示と、レベル表示、です」

「それが何?」

「あの。表示がないのは、なぜ、ですか? あなたはNPC、なんですか?」

「ああ、表示ね。表示。それについては、ちょっぴり説明がめんどくさいんだけど――」

 ヤンカ・ヤンカが、頭をかきながら何度か小さくうなずいた。

「まあ、シンプルに言うと。この島の住人仕様、よね。」

「しよう?」

「そ。キャラ仕様。あるいは、キャラクターシステムと言い換えてもいい。ここでは、特にHPとかレベルは、あえては表示しない。ふだんは特に戦闘とかもないから、HPとかを気にする必要もないしね。今夜はたまたま、なんだか荒れてるけど――」

「えっと。じゃ、あなたはやっぱり、プレイヤー、なんですか?」

「そうよ、って言っても、まあ、完全嘘にはならないわよね」

「…はい?」

「NPCだと、こういう適当な口のきき方、しないでしょう? もうちょっとちゃんとした演出がかった、エピソードに沿ったセリフを吐くよね。だいたいは。」

「ええ、それは。」

「まあだから、人間よ。この見た目は。ヤンカ・ヤンカは、あくまでゲーム上の仮の姿であって、ほんとはもっと、違った見た目。本名も別。だからNPCではない。まあでも、単なるプレイヤーかって言われると。それもちょっぴり不正確、かな」

「と言うと?」

「ん~。こういう、島のシステムの説明は、あたし、するようには言われてないのよ。あたしは単なるお気楽バトルマスターで、「島守り」って言って、ここの島を守る用心棒、的な立ち位置だしね。だからそういう、解説役は、やってない。やりたくもない。だいたい、うまく説明できないしね。あたしあんまり、ヒトと話すの、得意な方でもない」


 リリアとその子が、雨の中で立ち話しているのを、少しはなれた位置から立ち聞きしていて―― わたしは―― その彼女のしゃべりに、何か引っかかるものを感じていたのは確かだ。何か、このヒトは、ちょっと普通じゃない。その何か―― 何が引っかかるのか。そこのところが、どうしても、まだ自分にはよくわからない。


「あの、ヤンカさん、危ないところをありがとうございました」

 男の子の声がした。わたしはハッとふりかえる。  

 雨の中に人形が立っている。

 立っている、というのは、でも、正確じゃないかもしれない。

 浮遊している。足先と地面との間に40センチほどの距離があるのだ。

 ふわっとした銀色の髪は、夜の雨の中でもボリューム感のある髪。耳が隠れるくらいの長さで短くカットしているので、なんだか中性的な印象がある。目はパッチリ大きくて瞳の色は青。薄めの青だ。消えかかった夜の月、のようなイメージ。見る角度によっては、少しシルバーに近いかもしれない。目鼻はひどく整っていて、睫毛が長めだ。パッと見ただけでは男の子か女の子かの判断がつきにくい。着ている服も中性的だ。白のレース飾りがついた上品な紺色系のカーディガンに、ほぼ同じ色のゆったりとした、フリルのついた膝丈までの―― あれは何かな、一見スカートにも見えるし、でもよく見るとハーフパンツっぽい。あまりリアル世界では見ない感じのコスチューム。

「お。シーマ君じゃない。あんたは無事だったってわけね?」

 リリアとの話を中断し、ヤンカがそちらを振り向いた。

「はい。けっこう、危なかったです。でも―― リッフルタールとヴァーシがやられました」

「…そっか。それはお気の毒。ん、悪かったね。あたしももうちょっと、早く来れると良かったんだけど――」

「いえ。ヤンカさんは悪くありません。じっさい僕も、もうダメかと一瞬思ったときもあったんですが―― そちらのヒトが―― ちょっぴり助けてくれました」

 その人形の子が、急にこっちに視線を向けた。いきなり話をふられて、私は一瞬とまどった。

「あの、ありがとうございます。あそこで魔法でブロックして下さらなかったら、たぶん、あそこで僕もダメだったと思います」

 礼儀正しく、人形がこちらに頭を下げた。僕という言葉づかいと、その声のトーンから、たぶんその子は男の子キャラなのだろう、と私は見当をつけた。


  Seema Einlogue


 アタマの上のステータス表示にはその文字列が出ている。

 読み方は―― シーマ、エインローグ? それともアインローグ…?

 なんとなく名前のセンス的に日本人っぽくない。たぶん外国のプレイヤーだろうな、と想像する。まあでも、このゲームは世界46か国語に対応したリアルタイム通訳がシステムに入っているから、特に会話に困ることもない。 


「ま、いろいろ話はあるとは思うけど。今はでも、移動だね。移動移動」

 ヤンカが無造作に両手で自分の髪をバサッと後ろに流した。髪についていた水滴が、小さなしぶきになって後ろに飛んだ。

「ラダー村、タイーデ村あたりからイソルダの浜にかけては戦闘がまだ続いている。私はこれからそっちにヘルプに行かなきゃならない」

 ヤンカが闇の向こうに、厳しく鋭い視線を飛ばした。

「さっき、遠目ですけど、ラダー村が燃えているのは僕のところからも見えましたよ」

 人形が、いっさいの音も重さも感じさせずにランカの肩の高さまで浮上し静止、ランカとならんで闇の向こうに視線を向けた。

「ねえシーマ君、」

「はい?」

「君は今から、この人たちを先導して、ウデの洞窟まで行きなさい」

「え。ウデの洞窟。」

 シーマと呼ばれた人形が、青い瞳をランカに向けた。

「あそこ、僕、好きじゃないんですよね。なんか、陰気くさくて。」

「バカね。洞窟なんだから、陰気なのは当たり前よ。でも今は非常時だから。今はここで君の好みを、細かくどうこう聞くときではない」

「あぁ。まあ、そうですね。すいませんでした」

「洞窟までの道中、安全は確保されている。そこにはもう、グマ兵はいない。ここに来るまでに、私がぜんぶやっつけたから」

「さすがですね、ヤンカさん」

「ん。でも、ここから下の海側、ラダー、タイーデからイソルデの浜―― さらにそこからシュメーネ川の河口にかけては、今は通行はムリよ。戦闘地域だからね。だからそこを避けて、ここの谷伝いに山側へ。ウデの洞窟経由でヒョルデ渓谷方面に移動を。できたらウトマまで戻りなさい。あそこは守りは固いから100%安全」

「了解しました」

「じゃ、あたしは行く。この二人を、ちゃんとそこまで案内してあげてね」

 ヤンカが、右手をのばして、手のひらで人形の背中の部分を二、三度軽く叩いた。 


「じゃ、そういうわけだから。ここからは、こっちのシーマ君が案内する」

 彼女はそう言ってわたしとリリアの方をふりむいた。

「あんたたちも、ここであっさり死にたくなければ、おとなしくこの子の先導に従って。戦闘は、たぶんあと数時間もすれば終息するとは思うけど。でもまあ非常事態はまだしばらく続く、って感じ。だからビジター二人は、おとなしく『島守り』の指示に従っておく方が賢明ね」

「しまもり?」

 言葉がよくわからなくて、わたしは復唱した。

「そ、島守り。ま、用心棒みたいなもんね。あたしみたいなのが、他にもあと二十人ほど島にいる。まあでも細かい説明は今は抜き。この子に―― 彼、この島の住民のシーマ・アインローグ君。彼、見た目は華奢だけど、けっこうしっかりしてるから大丈夫」

「え。僕ってそんな見た目、華奢ですか?」

「いいから。そこ、シーマ君は反応しない。二人に、話をしてるのよ私」

「あ、ごめんなさい」

「とにかく。二人は彼にしたがって、工房都市ウトマまで避難を。じゃ、自分はもう行くわ」

 そう言って、はやくも彼女は雨ふりしきる夜の斜面を駆け下り始めた。

「あ、ちょっと待って!」

 わたしは思わず呼び止める。

「何? まだ何かある?」

 斜面の途中で、ヤンカがこっちをふりかえる。笑いをたたえた口元が、さっきより心なしか真剣だ。

「あ、いえ。その――」

「何?」

「あの。どこかで前に、会ったり、しましたか?」

 わたしは思わず訊いてしまう。

「ん。どうかな。どこかで会ったり、したのかな?」

 ランカが小さく首をかしげ、わずかに目を細めた。

「まあでも。今はあまり、あなたと話してる時間ない。あとでゆっくり話しましょう。明日とか、ま、時間あるなら明後日とか」

「あ、ちょっと、待――」

 わたしの声は、もう彼女には届かない。

 ランカは身をひるがえし、ステップを踏んで風のように走り出す。

 ザッ、ザッ、ザッ… 夜の茂みの草を踏むヤンカの足音が、次第次第に遠ざかり、まもなくもう聞えなくなった。


 視界左下にちらっと出ているインフォ・ウィンドウの時刻を確認すると、そこには見なれない文字化けした変な記号が表示されていた。バグだろうか。周囲はまだ夜のように暗い。雨の降りしきるひたすらに暗い茂みの下を、その、シーマっていう人形の子の後に続いてわたしとリリアは歩く。人形の彼は、歩くというよりも浮遊したまま空間をすべる感じで進んでいる。まだよくわからないけど、でも動きの印象としては、低い高度は飛べるけど本当の鳥みたいに高い高度を飛ぶのはムリ… っていう程度のムーブメント設定らしい。この子に限らず、このゲームだとモンスターとかでこういうタイプの動き方をするキャラクターはそれほど珍しくはない。



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 けっこうな距離をもうすでに歩いたと思うけれど、足の疲れは特に感じない。ゲームの中ではかなりの運動をしてもリアルな感覚としてはそれほどのこともない。わたしの本体は、今も実際にはトウキョウ・神田坂のダイブカフェのブースの中にいるだけだから。

「ねえ、君、シーマ君、だったよね?」

 わたしは人形の背中に声を投げた。

「はい。シーマですが。何か?」

 動きを止めて、人形の彼が、ちらりとこちらを振りかえる。

「あ、別に止まらなくてもいいから。進んで。移動しながら話をしよう」

「あ、はい。では、進みます」

 シーマはそう言って、再び移動をはじめた。暗い夜明け前の木立をすすむ彼の姿は、なんだかちょっと、ビジュアル的に綺麗すぎることもあってか、なんだかちょっとこの世のものじゃない、異界の綺麗な魂みたいに見える。陶器のような肌の白さが、暗さの中で浮き立っている。

「あなたって、プレイヤー? それともNPC?」

「えっと、その、エヌピーシーって何です?」

「NPC? ああ、えっとつまり、プレイヤーが操作してない、ゲームの中のキャラクターね。あらかじめ組まれたアクションプログラムに沿って、決められた通りの言動しかしない、ってやつ。作り物の、ゲーム内ロボット的なキャラクター」

「ああ、なるほど。そういうことでしたら―― 僕はたぶん、その、エヌピーシーではないですね」

「たぶん?」

「えっと。でも正確に言えば、プレイヤーというのでもないのです。僕はとくに、ログアウトとかすることはなく、ずっとここにいますから」

「え。それってつまり、運営のヒト、ってこと?」

「ウンエイ? その言葉もちょっと、わからないですね…」

 シーマがちょっぴり困惑した声を返した。でも、特にこちらを振り向くことはない。それほど早くもないスピードで、無音で暗がりの中を前へと移動している。

「じゃ、でも、人間は人間なんですね? 機械とか、プログラムではなく?」

 わたしの左で、リリアがコメントした。リリアはさっきからずっとひたすら無言で歩いていたので、久しぶりに声を聞いた。

「はい。僕は人間ですよ。機械とかじゃありません」

「でも、どうして人形ビジュアル? なぜ、普通のプレイヤーキャラではないのですか?」

 リリアがまた訪ねた。道幅がぐっと狭くなり、二人横に並ぶのはムリになったので彼女は今、わたしの前を歩く形になっている。わたしたちの両側は、雨にぬれた岩肌が続く。岩山と岩山の間に、細い道が一本、ゆるやかに登りながらずっと先まで続いている。

「ここでは、僕だけでなく、島の誰もがこのビジュアルですよ。基本的に、ここは人形の島なんです。人形たちが、ここで暮らしている」

 そんな答えが、シーマの方から返ってきた。

「人形の――」「島…」 

「でもなにか、それはリソースの関係だと、聞いたことがありますね」

「リソース?」

 わたしとリリアが同時に同じ質問を口にした。

「はい。情報量、というのでしょうか? グラフィックやムーブメントのために使用される情報の量が、リアルな人間フォルムだと、けっこう大きいのだそうです。そのサイズを縮めて人形のフォルムにすると、必要な情報量が数十分の一におさまるとか。何かそういう話でしたね。この島で使えるリソースが限られているので。便宜上、島民のデザインとしては、このグラフィックスが最適だと判断した、とか。たしかそういうお話でした」

「ほぉ」「なるほど――」

「でも、僕も特に専門家ではありませんので。前に、ちらっと、何か別の話題のついでに聞いただけです。あまり正確な説明ではないかもしれないので。その程度のものとして聞いてくださいね。」

「聞いたって、でもそれ、誰に聞いたの?」

 わたしはちょっぴり訊いてみる。

「フォー様です」

「フォー?」

「はい。この島の北の尾根の聖所にいらっしゃる、偉い人です。その人が、ここの島のいろいろなものを作り、こういう僕の見た目のシェイプとかも、全部最初から作ってくれました」

「ふうん。じゃ、運営のヒト、なんだね。きっとそれは」

「ウンエイ?」

「つまりゲームの管理者。ゲーム会社のヒト」

「うーん。どうかなぁ。フォー様は、その、あまり会社とかとは、関係がない方なように思うのですが」

「関係ない?」

「えっと。まあでも、わかりません。僕もそれほど、フォー様について詳しいわけではないので」

「ん。そっかそっか、」

「もしよければ、また後ほど、ヤンカ・ヤンカさんに訊いたら、もう少しいろいろ、説明してくれると思いますよ。あのひと僕よりも、フォー様と会う回数が多いから」

「そっかそっか。あれ? でも、あのヒト―― さっきのヤンカって人は、人間ビジュアルだったよね? なんであのヒトは、島の住人なのに人形ビジュアルじゃなかったの?」

「僕も、よくはわからないです。でも、例外的に、戦闘を担当する『島守り』の人たちだけは、みなさんビジュアルはあんな感じですよ」

「ほぉ?」

「たぶん、僕みたいな人形ビジュアルは、あまり戦闘向きではない、ということかもしれませんね」

 シーマはそう言って、くるりと反転、わたしとリリアの方を向いた。

「関節もちょっぴりギクシャクしてますし。あまり機敏に複雑な動作もできないし」

 シーマは右手の肘をまげたりのばしたり、そのあと右の膝を曲げ伸ばしする動作をして見せた。わたしから見ると、それはそこそこスムーズで、それほどギクシャクしているようには見えなかったけれど――

「うーん。まあ、言われたらちょっぴりそんな気もしてきたけど――」

「あ、見て下さい。だいぶ、空、明るくなってきましたよ」

 そう言ってシーマが、どこか上方向に視線を向けた。

 美形だ、しかし。綺麗な顔。

 その端正な人形の彼が、その角度で上への視線をつくると、まるで何か天界から降る光の到来を待ちわびる地上に降りた小さな天使のようにも見えてくる。



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 やがて山道は、切り立った崖ぞいを通る一本の細道になる。ずっと谷底の暗がりでゴウゴウ水音が聞えてくる。このゲームでは落下ダメージは事実上ほぼない仕様だとわかっていても、その高さに目がくらむ。いちど落ちてみて崖下がどうなっているか、確かめてみようなどという好奇心はこれっぽっちも湧かない。雨はまだ降りしきっている。空は少しずつ明るくなってきているけど、見えるのは灰色の雲だけ。

「着きましたよ」

 先頭をゆくシーマが、動きを止めて振りかえった。おそろしく古い石組の橋が一本、渓谷をまたいでいる。その細い橋を向こうに渡りきったところに、「ウデの洞窟」の入口が待っていた。

 洞窟というから、何か自然にできた洞穴のようなのを想像していたのだけど。予想外に、正面の岩壁を彫りぬいて作った巨大な両開きの扉のような構造物があり(おそろしく巨大な扉だ。凝った文様のレリーフがびっしりと表面を埋めている)、その半分が、こちら側にむけて開いている。中は暗くて見えないが―― でも、何か、坑道とかそういう、人間が掘ってつくった構造物のようだ。

「えっと。今からあそこに入る、わけよね?」

 橋を渡る手前のところで、わかりきった質問を、つい、投げてしまった。シーマも自分で言っていたけど、見るからに陰気くさいその暗い穴に、これから入っていくことを想像するのはあまり気分の良いものではない。

「ええ。まあでも、中は真っ暗というわけではありません。足元が見える程度には、明かりがありますよ」

 シーマが、その場の空気をなごませるみたいにニコッときれいに笑ってみせた。

「ほぉ。そんな凝った作りになってるの」

「ええ。ここはもちろん洞窟ですけど、避難路というか。緊急のための、非常通路みたいなものです。それなりにつくりはしっかりしています」

「あの、すいません、ここに入る前に、ちょっといいですか?」

 リリアがシーマにたずねた。

「はい。なんでしょう?」

「あの、ここから先に進む前に、いったん私、ログアウトをしたいのですが。少し、その―― 用事というか。リアル世界で、短時間ですけど、やることがあったりもしますので――」

「ああ、そうね。それ、わたしも忘れるところだった」

 わたしも思わずうなずいだ。ゲームに没入するあまり、リアル世界の時間のことをちょっぴり忘れてしまっていた。

「そう言われたら、わたしもちょっと、ログアウトしたいな。たぶん、時間的に、そろそろ延長料金払いますかって、ダイブカフェのヒトが訊いてくる時間だと思う」

 そう言ってわたしは、特にシーマの返事を待たずに―― もうすでにユーティリティーウィンドウをオープンにして、選択肢一覧を指で上方向にスライドさせ、その一番下の―― 「ログアウト」の項目を―― 

 って、あれ?

「なんで? ホワイト表示?」

 わたしは思わず声に出した。

 ログアウトの選択肢が―― なぜか、無効化されてる。選べない。 

「ああ、ごめんなさい。ちゃんと説明、してなかったですね」

 シーマが重さを感じさせない浮遊モーションでわたしの正面に移動してきて、申し訳なさそうに右手で頭をかいた。

「ここでは―― つまり、この島では、ということですが。ログアウトは、基本的にできないですよ」

「できない?」「え? それは、どういう――」

 わたしとリリアは絶句した。その次の言葉が、なかなか浮かんでこない。

「仕様、というのでしょうか。ゲームシステム上の制約、というのかな。いったん島から出ない限り、ログアウトの選択はできません。また逆に、外からここに直接ログインしてくることも、それも無理な仕様になっています」

「げげっ!」「そんな、まさか――」

「ちょっと! 冗談じゃないわよ!」

 わたしは全力で抗議する。その、自分の目の前に空中浮遊してる、その端正きわまりないお人形ビジュアルのシーマに向かって。

「じゃ、食事とか、トイレとかって、どうすればいいのよ! それに、ダイブカフェの利用時間や料金だってあるし――」

「えっと。そうですね―― でも、じっさい、」

 シーマが言いにくそうに、視線を下に下げた。それからまた、顔を上げた。何か少し申し訳なさそうに、ぱっちりした青の瞳でこっちを見つめる。

「でも。食事やトイレは、特には問題にならないかと思います」

「問題にならない?」「えっと。それは、どういうこと、ですか…?」

「実際おふたりは、いま、空腹でしょうか? トイレに行きたいですか?」

「えっと。それは――」

 わたしは口ごもる。じっさいのところ、今のこの時点では、特に空腹感もない。喉のかわきもない。トイレも特には―― 行きたくない。

「ね? 大丈夫でしょう?」

「で、でも! それは今、たまたまそうなだけであって――」

「たぶん、そういう生理現象は、ここでは起らないと思いますよ。お二人が島にいる間には。」

「何よそれ? 意味がよくわからないけれど?」

「理由はたしか―― 何か特殊な時間の処理が、ここでは使われていると聞きました」

「時間処理??」

 ますます意味がわからない。この子はいったい、何を言っているの?

「島に来てから、時刻表示がされなくなったことに、お二人はお気づきですか?」 

 シーマは言った。それから少し移動して、古い石橋の欄干の上にふわりと着地した。

「時間の流れが、ここでは違っています。おそらく、お二人のもといたリアル世界の一分間が、ここでは、えっと、何日だったかな。たぶん三日とか、それくらい。ビジターの方は、たぶんそれくらいの時間です。ですから、ここに10日、滞在したとしても―― もとのリアル世界では、ただ数分が経過したに過ぎない、ということになります」

「まさか。そんな技術、あるわけないじゃん!」

「でもまあ、現にいま、ここで運用されていますからね… まあとにかく、ひとまずトイレとか、空腹のことは、ここにいる間は忘れてください。特に問題ないですから。前にも外からビジターの方が来たけれど、その時も問題ありませんでした」

「で、でも。ログアウトできないのは、わたし、こまります!」

 リリアが必死で食い下がる。

「だいたい、いつ島を出られるかも、まだわからないでしょう。このままずっと、ログアウトできずにいたら――」

 言葉を一瞬とめて、それからリリアが、ハッと顔を上げた。リリアの端正な金の瞳が、とつぜん大きく見開かれた。

「あの。シーマさん、」

「はい。何でしょうか?」

「もし、もしもの話ですけど―― あくまで仮定の――」

「はい。どのような仮定でしょう?」

「この、今のログアウトできない状態で―― もしも、この島でダメージを受けて、HPがゼロになった場合――」

「あ! それってなんか、ヤバそうじゃん!」

 わたしも瞬時に理解した。

 離脱が不可能な、このフィールド。ここで、でも、強制離脱とも言っていい、ゲーム内の「死」を迎えたキャラクター。それはいったい、どうなってしまうのだろうか。なんだか嫌な予感が、むくむく心に広がっていく。


「そうですね―― それは僕にも、わかりません」


 シーマがあっさりそう言った。わかりません、と。

「ちょ、ちょっと。あんたそれ、ちょっと無責任すぎない??」

「ごめんなさい。でも、実際知らないんです。ここにはあまり、リアル世界のプレイヤーのヒトが来ること自体も多くありませんし。そして、やってきたプレイヤーの方が、この島の中で亡くなったという話も、僕はここまで聞いたことがありません。ですから。」

「あ、でもでも。ほらあれ。さっき浜で、戦闘で。あんたの仲間、ふたりほど、斬られてたでしょう。キャラビジュアルが消滅するとこ、わたしも見た。」

「ああ。リッフルタールとヴァーシ、ですね」

 シーマが視線を下げて、少しつらそうな表情をつくる。

「ふたりは本当に、残念でした。僕にもう少し、力があれば――」

「あの二人はどうなったの? HPゼロで―― リアル世界に、ちゃんと二人は戻れたの?」

「…いいえ。」

「ええッ!?」「も、戻れてないんですか??」

「えっと。そもそも、あれです。二人はとくに、今のリアル世界にいたわけでは、もともと、なかったわけですから。戻る場所が―― そもそも、ありません」

「…それって何?? ふたりはNPCだったってこと?」

「いえ―― 説明はちょっと、むずかしい、ですけど。二人にとっては、ここから消滅することは―― 彼らにとっては「死」そのもの、だったと思います。どこかきっと、次の世界に。行ったのだとは、思うのだけど――」

「えっと。冗談、よね? 死とか??」

「…いえ。僕もそれが、冗談であればと。どれだけそれを望んでも足りないところですが」

 シーマが言った。ひとことひとことに、なんだか妙な重みがある。まだ雨の降り続く明け方の空を見上げ、彼はしばらく、青の瞳を高い場所に固定していた。

「すいません。いまはまだ、僕にはうまく、説明できない部分です。また後ほど、誰かもっと説明のうまい誰かに、直接きいてもらえるとありがたいです」

 シーマが両目を閉じて笑顔の表情をつくる。でもそれは、本当に笑っている感じではなく―― どこかとても、悲しい、寂しい印象のあるきれいな笑顔だった。なんだかちょっと、心に響いた。心のどこか、深いところに。

「僕はただ、今おふたりを、ここより安全なウトマの街まで。この洞窟経由でお連れすると。そこまでの役割しか、今はちょっと、できませんね。本当にごめんなさい」

 シーマが洞窟へと続く橋の欄干を軽く蹴り、橋の中央、ちょうどわたしの顔の高さくらいの位置まで移動した。そこからこちらを振りかえり、静かな声でこう言った。

「では、お二人がよければ、そろそろ行きましょうか。僕が責任を持って、ここから先、お二人を安全なところまでご案内します」



###################


 入口の門を入ると、そこから下り階段がはじまっていた。灰色の岩を彫って作った無骨な作りの階段が、まっすぐひたすらに地下深くにのびている。シーマが最初に言った通り、中は完全な闇というわけじゃなく、壁のところに、ところどころ、オレンジ色の魔法の炎がともされている。現実世界だと燃料の油がどうとか、そういう話になるところだけど。ここはゲーム世界なので問題ない。魔法の炎のビジュアルが、足元の階段をほんのり黄色に染めている。とは言え、うす暗い階段だ。ずっと下の闇の部分からゴウゴウいう水音が聞えてくるのも、天井からときどき大きな水滴が落ちてくるのも。あまりこれは、気持ちの良いものではない。さっさとここを抜けたいと、その一心でシーマについて段をひたすら降りてゆく。

「ねえ、さっきの話、本当だと思いますか…?」

 わたしの後ろで、こっそりリリアがささやいた。基本的に幅の狭い階段だ。先頭をシーマ、少し遅れてわたし、その後ろがリリア。という順番でここまで降りてきた。

「どうかな。でも、ログアウトができないのはリアルよね」

 わたしは振りかえらずに、足も止めずにささやきかえした。

「まあでも、時間の処理がどうとか。HPゼロになると死ぬかもしれないとか。そのへんは今も、半信半疑ね」

「わたしなんだか、少し怖くなってきました」

 リリアがふうっと息を吐いた。心なしか、体感温度がさきほどまでより少し下がってきているようだ。まあ、寒いと言うほど寒くもないけど。ちょっぴり肌寒い、くらいの。だいぶ地底深くにおりてきた、それもちょっとは関係しているのかも。

「まあでも、とりあえず、どこか。島を出る、出ないは別にして。ログアウト可能なポイントまで、とにかく行くしかないわよね」

 わたしも深くため息を吐く。やれやれ。出だしからしてちょっぴり怪しい話しではあったけど―― まさかログアウト不可とか。そんなシビアな設定のフィールドたとかは、まったく想像もしなかった。とんでもない仕様のゲームだ、これは。

「でも。この島のどこかに、ほんとにいるのかな?」

 わたしはふと、そんな言葉をつぶやいた。リリアに言うわけでもなく、特に誰かに言うつもりでもなく。

「お姉さん、ですか?」

 階段を踏む足を止めずに、リリアが静かにささやいた。

「うん。わたしにとっては、ね。でも、」わたしは素直にうなずいた。「あなたにとっては、弟さん、よね?」

「…ですね。なんだか、だんだん、ここがほんとにゲームの中なのか、よくわからなくなってきました。なんだか妙な気分です。この階段―― なんだかどこか、別の世界に、降りていくみたいで」

「…言えてる。なんか、時間の感覚とかもぜんぜんわかんないし―― あ、見て!」

 わたしは小さく叫んだ。

 長かった階段が、少し先で終わりになっている。

 階段を下りきったその場所は――  


「湖、なの…?」

 わたしは息をのんだ。大きい。先の方が見えない。

 地底湖。おそろしく広い、地下の水たまり。

 いま、リリアとわたしは方形に岩を削ってつくった小さな石の広場のような場所にいる。そしてその四角形の二辺は―― 深い水と、直接接していた。地下の岸壁、というのか。そこに五、六艘の朽ちかけた小さなボートが、紐でつないであった。地下の水がわずかに上下し、ボートをかすかに揺り動かしている。

「ここからは舟で行きます」

 シーマがそう言って、器用な手つきで小舟を石の岸壁につなぎとめている古いロープをするするとほどいた。そしてそのまま60センチほど石の足場から浮上し、そのままきれいに平行移動、ロープを解かれた小舟のへさきの位置に移動した。

「まあ、じっさい僕はとくに舟は必要ないのですが。お二人は、モーション的に水上歩行はムリ、ですよね?」

「あたりまえでしょ! 歩行どころか。水泳アビリティとかも、わたしぜんぜん身に着けてないし! だいたいこんな地底湖で水泳とか! 考えるだけでも鳥肌立つわ!」

「では、乗ってください。ここからウトマまで、まっすぐ水路がつながっています」



###################


 水は恐ろしく澄んでいて、その透明さに息をのむ。湖の底はそれこそ百メートルとかもっとさらに深いと思うのだが。その、いちばん底の底の部分までがここからクリアに見える。船のへさきにともされた小さく輝く魔法の炎が、はるか水底までを光の色に染めている。あきれた透明度だ。じっと水をのぞいていると、なんだかまるで自分が空を浮遊しているかのような。平行感覚が、なんだかおかしくなってくる。

 ここでは特に誰もオールをこいだりとか、ボートを進める動作はしていない。それなのにボートはひとりでにするすると水の中を進む。オートパイロットという感じ? まあ、ゲームの世界でこういう演出はそれほど珍しくもないけど。まあでも、実際体験すると、やっぱりちょっと妙な気分。リアル世界の物理の法則が、こっちではあんまり当てにならない。人形キャラのシーマ君も、さっきからずっと、舟のへさきの上、20センチぐらいの位置に浮遊したまま。見た目の印象では、なんだか彼の発する見えない浮力が、この小さな舟を前へ前へと引きよせているように見えなくもない。

 ちゃぷちゃぷした水音が、ここにある唯一の音。なんだかちょっと気分がしんみりしてきたから、何か景気良いBGMとかないのかな? と思ってユーティリティーウィンドウをひらく。でも、「背景音楽」の項目が、ホワイト表示になっている。選べない。音楽オプションが、どうもここでは、もともと用意されていないらしい。あきらめてわたしはウィンドウを閉じ、ボートの底に、ずしりと深く座りなおした。

「まったく。島に来る時も船で、またここでボートとか。こんなにも水上尽くしにななんて、ゲーム始める前には、想像すらしてなかったよ――」

 わたしがそういう無駄なひとりごとを言いかけたとき――

「ア、アリーさん!」

 リリアが、いきなり横からわたしの肩をつかんだ。かなりの力で。

「なによ? どうしたのリリア?」

「下を! 今、ボートの下を、何か大きなものが横切りました!」

「ええ??」

 わたしはボートのへりから身をのりだして、水の下をのぞきこむ。

 影が。見えた。

 おそろしく大きい。おそろしく長い。

 それも、ひとつやふたつじゃない。すごい数。水底の岩の割れ目から、どんどん湧き出るように、次々にこっちにむかってせり出して――

 あれは、何――

 そのうちひとつを、ターゲット、してみた。そしたら表示が出た。



 シー サーペント  

 LV 98  HP 24200


 

 レベルが、98! HPが――

「ちょッ! なんでこんな、地下の湖に、海系のモンスターが、いきなりいたりするわけよ??」

 わたしはなかば絶叫していた。その声は地下の空洞に大きく反響してわんわんと鳴り響いた。まるでその音に反応するように、水の下でうごめく影が、つぎつぎと体をくねらせて反転、そいつらが立てる波が、ボートを底から揺り動かした。

「ちょ、ちょっと。アリーさん。サーペントを刺激しないでくださいよ。もともと、特には好戦的なモンスターじゃないわけで――」

「だから! なんでシーサーペントが、海でもないこんな地下湖にうようよいるのかって、わたしは聞いてんのよ!」

「あッ! また数が増えました! もうこれ、二十とか、そんな数ではないですよ!」

 リリアがわたしにしがみつく。ブルブル、身体がふるえている。まあでも、ムリない。こっちはレベルが3とか、13とかだ。相手はレベル90超で、しかもビジュアルはあんな、巨大なウミヘビ系―― しかもこれ、数、多すぎ!!

「この洞窟は、深い部分で海とつながっているのですよ。だから、海のイキモノも、自由に出入りをしています」

 あくまで冷静にシーマが言った。

「ちょっと! それ、早く言いなさいよ!」

 ザバッ!

 揺れた。いま、巨大なサーペントの一匹が、ボートの底をかすめるように水中を横切った。ボートが大きく揺らぐ。波のしぶきが降りかかる。

「大丈夫。このあたりは、ウミヘビたちの巣になっているんです。でも、特にこちらから手を出さなければ―― って、あ、もう、アリーさん! ターゲットとか、やめてください。間違えて魔法攻撃とかしちゃったら、それ、タイヘンなことになりますから!」

「って、攻撃なんかしないわよ! ただ、HPとかのステータス見てるだけで」

「それも、リスクあるからやめてください! ターゲットの動作自体、間違えのもとです!」

「もう! だったら、最初からこういう危ないところ通りますから、とか。ちゃんとあなた、警告しといてくれたら――」



###################


【 メ・リフェ島 東部海岸 

        ラダー村 南郊 】


 前方に蹴り。

 ターンして、肘。

 それから左に大きく跳躍、

 着地と同時にローを狙って蹴り。

 バランスを崩した敵の胴部に、渾身の突きを沈める。

 敵兵士のHPバーが一気にゼロまで下降、

 ドッ、と派手な音をたてて砂の地面に崩れた。


「ふう。これで百二十四体、か。けっこう多い。きりがないな」

 

 ヤンカ・ヤンカの赤くひらめくバトルドレスが、

 いま一瞬、そこで動きを止める。

 ヤンカが、口元についた砂を腕でぬぐった。

 グレートソードと黒系のメタルアーマーで重武装したグマ帝国の親衛騎士団が、ぐるりとヤンカを包囲する。その数は、数百以上。もうすでに数十分は戦い続けているが、敵の数が減る気配はまったく感じられない。降りしきる雨の中、ギシギシと、金属のアーマーのきしり、濡れた砂を踏む無数の軍靴が、ひどく耳ざわりな不響和音を響かせる。

「まあ。とは言え。相手も無限ではない、からね。必ず終わりは、そこにある」

 他でもない自分自身に、ヤンカは語りかける。自分の心を、その言葉によって鼓舞するように。口もとには、いつもの微笑。状況が悪くなればなるほど、自然と顔に笑みが浮かんでくるのだが、ヤンカ自身はそのことを意識していない。ただ、シンプルにこう思う。「ふん。おもしろいじゃない。難易度上がるほど、逆にあたし、やる気出てくるのよね」と。


 ジャッ、ジャッ、

 砂を踏んで、最前列の兵たちが距離をつめてくる。

 包囲の輪が、少し、少しずつ、狭くなる。

「ふん。あんたらもあれね。NPCだけど。その、いかなる相手にビビらない、ぜったい退かないその姿勢だけは、ちょっぴりあたし、褒めてあげるわよ」

 ヤンカが言って、それから左腕を高くあげ、右上は前方、水平にのばして突きの形をつくる。両足は、あらゆる跳躍も全方向への移動も可能な、万全の歩幅で。

「じゃ、いっちょやろうか。どっちが先に壊れるか。最後まで、決着つけよう」

 ヤンカの微笑が、ひときわ大きく広がった。ざわざわと、髪が、風を受けたように波立ち、逆立つ。二つの瞳が、強い金色の光を放った。

「まあ言っとくけど、あたしはこの程度で壊れるほどヤワじゃない。壊れるのは、そっち。さあ、あんたたち。消えたいやつから、かかってきなさい。遠慮はいらないわ!」


 オオオオオオッ!!


 ときの声をあげて、帝国兵たちが殺到する。

 ヤンカはしかし、彼らの接近を待つこともなく――

 自ら地を蹴って、兵士らの海を割り、

 その、もっとも敵戦力の層の厚い、敵陣中の最も強固なその場所をめがけて。わずかな視線のぶれもなく、体ひとつで、金色の光を放つひとつの弾丸となってひたすらに飛びこんでゆく。光がはじけ、砕け、金属が散り、兵たちがつくる黒一色の兵装の海が、いま、大きく波打ち―― その金の輝きが、うごめく闇を、いま凌駕しはじめていた。 (エピソード3につづく)


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