そして雪が解けるころ

トマト

第1話

 私が暮らす町にはあまり雪が降らない。


 山が雪雲を阻むとかそういう話だ。


 積もったところで数センチ、翌日には消えてしまう。


 でも、子供の頃一度だけかなり積もったことがあった。


 真っ白な世界に興奮したのを覚えている。

 見慣れぬ世界。

 世界が違って見てた。


 それに、あの雪の日には、私には雪だけじゃない思い出もあった。


 

 私はひどく内気な少女だった。


 人とは口が利けない。 


 家族以外とは話すことが出来なかった。


 言葉は私の中から出て行かない。


 何故、言葉が出ないのかもわからなかった。


 話さなきゃと思うのに、開いた口から言葉は出なかった。


 言葉が出なければ、友人はできず、私は本だけを友人とし、教室の片隅で本を読んでいた。  


  本を良く読むと言うことで、「賢い」と変な勘違いをされたことで、話せなくてもいじめられることはなかったけれど、孤独であることには変わりなかった。


 でも、本があった。


 その世界だけが私の世界だった。

 悪くはなかった。

 誰にも邪魔されなかった。


 その年までは。


 


 5年生になった時、その子が転校してきた。  

 乱暴な男の子。


 来たその日にクラスの男の子複数と殴り合いをしていた。

 私は怖いと思った。

 嫌だとおもった。



 その男の子は初日から私に関心を持った。


 誰とも話さず本を読んでいるのが珍しかったのだろう。


 「何読んでんねん?なぁ、なぁ」

 その日から話かけてきた。 


 私は怯えて男の子を見つめる。


 さっきこの子は、鼻血がでるまで殴ってた。

 血が怖かった。


 震えた。


 ただでさえ、家族以外は怖いのだ。

 男の子は私の本を取り上げた。


 ただ単に何を読んでいるのか興味があっただけだと今は思うけれど、幼い私には恐ろしく。


 私は泣いてしまった。


 びっくりして。


 「あ~あ、泣かせてんで、女子泣かせてんで~!」

 男の子達がはやし立てる。


 その声に怯えて私はさらに泣く。


 男の子は困った顔をした。


 そんなつもりじゃなかったからだ。

 苛立ちは声に出る。


 「何で泣くねん!」


 怒鳴られて私はさらに泣いた。


 先生が走って来て、私は保健室で保護された。


 男の子はその後、怒られたらしい。


 私が勝手にびっくりしただけなのに。


 私は少し男の子に悪いと思ったけれど、先生にそれを伝えることも出来なかった。


 男の子はそれから私に話しかけて来なかった


 ホッとした。  


 でも、時折こちらを見ているのに気付くことはあった。

 怒ったような顔でじっと見ている。


 私は少し怖かった。


 でも、それ以上は何もなく、いつしか私は気にしなくなった。


 男の子は乱暴だけど、明るく、それなりにクラスに溶け込んでいた。  


 私は相変わらず誰とも話さず本を読んでいた。


 そして、その雪の日が来た。

 朝起きて外をみたら真っ白。


 私でさえ、興奮した。


 朝仕事前のお父さんと雪だるまをつくったりした。

 そして、学校にいった。


 みんな大騒ぎだった。


 浮かれていた。


 午前中は雪で列車が止まり、先生達の何人かが遅れて自習になった。


 班ごとに集まり、ドリルをしていく。


 「騒いだらその班全員外に立たせるからな」

 先生が言った。


 担任の先生は来れなかったから、隣のクラスの先生だった。


 同じ班にあの男の子がいた。


 でも、もう見られることになれていたので別に構わなかった。


 私は大人しくドリルをしていたけれど、男の子達、班の他のメンバーは違った。


 雪で興奮していたのだ。


 窓枠にある雪を集めて、雪うさぎをつくったり、先生がいないことをいいことに騒いでいた。


 とうとう、隣のクラスの先生が騒がしさに飛びこんできた。


 「この班全員、昼休みの間グラウンドの朝礼台に立ってろ!」


 連帯責任でその中には私も入っていた。

 私は真っ青になった。


 私はつらかった。


 私は人に注目されたくなくて、人前から消えてしまいたいといつも思っているのに。


 朝礼台にたたされた私達を、雪で遊ぶため昼休みのグラウンドに出てきた生徒達は無遠慮に眺めた。


 「お前ら立たされとんや、恥ずかしいなぁ」

 そんな声さえ飛んだ。


 視線が、声が、耐えられなかった。

 屈辱だった。


 私は何もしていないのに。

 私は泣いていた。


 「アホ 、騒いどったのはオレらや!コイツはなんもしとらんわ!」

 突然、男の子が怒鳴った。


 男の子は私の隣にたっていた。 


 「・・・ゴメン、ホンマゴメン」

 男の子は泣きながら私に言った。


 私は男の子の涙に驚いた。


 誰かがまた、笑った。


 「うるさい、お前殺すからな!」

 男の子は叫んだ。


 そして 、震える指で私にハンカチを渡した。


 「ホンマに・・・ゴメン」

 私は嬉しいと思った。  


 私の名誉を守ろうとしてくれる人がいたことが。  

 私は男の子を初めてちゃんとみつめた。 


 でも言葉はやはり出なかった。

 私は渡されたハンカチを握りしめた。


 男の子は困ったような顔をした。


 そして、また私達を笑う奴らを怒鳴りつけていた。


 昼からは担任の先生が来て、激怒してくれた。


 見せしめみたいに晒すなんてどういうつもりだ、と。


 特に私のことを心配してくれたけれど、私は思ったよりも元気だった。


 誰かが私の名誉を守ろうとしてくれたことは、すごく優しい気持ちになれた。


 家に帰ってお母さんにそれを言った。


 お母さんも喜んでくれた。

 ハンカチを洗濯して、アイロンで乾かしてくれた。


 私が返しに行きたいと言ったから。

 私がそんなことを言うのは珍しかったから。


 「もう遅いから、すぐ帰りなさいね」

 お母さんは言った。


 その子の家は近くだった。

 学校に行く時、出てくるところを見ていたから知っていた。


 真っ白な夜。

 また雪が降っていて、足跡も消えた真っ白な道。

 街灯の光さえ真っ白に感じられた。


 私はハンカチを握りしめて踊るように歩く。


 嬉しかったのだ。

 誰が私のために怒って泣いてくれた。

 思い出せば笑顔になった。


 男の子はこの寒いのに家の外にいた。 

 不機嫌な顔をしていた。


 私は呼びかける言葉をもたず、恐る恐る近づいていく。 


 雪は音を消す。


 だから、私が目の前にいることに気づいた時、男の子は目を丸くした。


 「・・・お前」

 男の子が呟く。


 私はそっと男の子にハンカチを差し出した。

 男の子は私を見つめたまま受け取ろうとしない。


 私は男の子の手を掴んだ。

 そしてその手にハンカチを握らせた。 


 冷たい。

 何時間外にいたんだろ。


 私はお礼を言いたかったけど、言葉はでて来なかった。


 私はまた、嬉しかったことを思い出して笑顔になってしまった。


 男の子は何故かそんな私を見て、固まった。

 私は冷たい男の子の手を握りしめ、頭を下げた。


 ありがとう、のつもりだった。

 言えないから。


 これで伝わるといい。


 男の子は、ぼんやりと私をみつめる。


 わかってくれたのだろうか。 


 男の子の家の開いたままのドアから怒鳴り声が聞こえた。


 男の人と女の人が争うような声だった。


 すごく大きな声だったので、私は怖くなった。

 私は男の子の手を離し逃げ出した。


 伝わっただろうか。


 伝わっていたらいい、そう思いながら。


 それから別に何も変わらなかった。   


 男の子が私を見るのはいつも通りだったし、私も相変わらず話はしなかった。  


 でも 、朝、学校に行く男の子と会えば「おはよう」とは言われたし、私も頭を下げた。


 そんな感じだった。 


 でも、数週間後、男の子はまた転校していった。


 サヨナラも言わず、いきなりいなくなった。


 両親が離婚したんだ、って話だった。


 何故かひどく寂しいと思った。








 そして今年、私は高校生になった。


 さすがに言葉が出ないことはなくなったけれど、内気だったし、相変わらず一人で本を読んでいた。


 でも、それなりには人と交われるようにはなっていた。


 そして、また転入生が来た。


 私は驚いた。


 あの男の子だった。

 すぐに分かった。

 面影はあった。


 でも、小学生でも乱暴者だったけれど、男の子は髪を染め 、制服を着崩し、立派な不良になっていた。 


 男の子も私に気付いたらしい。

 また、昔のように怒ったような顔で見つめられた。


 話かけられるかと思ってドキドキした。


 何を言えばいいのだろう。

 今なら、少しは話せる。  


 あの日のお礼が言えるかな。

 私は思った。


 でも男の子の格好はいかにも不良で怖かったし、良くわからないけど、なんだか子どもの頃とは違った意味で怖かった。


 男の子は話しかけては来なかった。 

 昔みたいに、私を見るだけの毎日で。  


 それでも、なんだか昔に戻ったみたいで嬉しかった。

 

 数ヶ月後、とうとう冬が来た。

 その日、真っ白な雪が積もった。


 小学生の頃と同じ位に積もった。

 真っ白な世界。


 私は真っ白な世界を歩きながら学校へ向かった。


 その家の前から男の子が出てきた。

 昔、男の子が住んでいた家だ。


 またここに戻っていたんだ。

 私は思った。


 雪は音を消す。


 男の子は私に気付かない。


 「うるさいねん、黙れやおかん!ちゃんと起きたやろ」

 男の子はめんどくさそうに開いたドアに向かって言っていた。


 そして、正面をむいた。


 私がそこにいた。

 男の子は目を丸くした。  

 あの日みたいに。


 私は少し笑った。

 なんだか嬉しかったのだ。


 「・・・おとんとおかんがヨリ戻してな、またここにすんどる」

 男の子は私から目を離さず、ボソボソ言った。


 「・・・そうか、ちゃんと時間通り登校してたら、こうやって会えてたんか・・・オレはアホや」

 男の子は頭をかいた。


 私はひどく悔しそうな男の子が、何を悔しがっているのかがわからなかった。

 

 そのまま二人で並んで学校に行った。


 誰かと一緒に学校に行ったことはなかったし、行きたいと思ったことはなかったけれど、男の子と行くのは嫌じゃなかった。


 喋らなくて良かったから。

 男の子も話さなかった。  

 沈黙は心地よかった。 


 学校につく寸前、男の子は言った。

 「今日、学校終わったら用事ある?」


 私は答えた。

 「予備校」 


 それが初めて交わした会話だった。


 男の子が固まっていた。 


 「どうした?」

 私は尋ねた。


 「・・・そんな声やってんな思ってな」 

 男の子が笑った。 


 それが何で嬉しいのか分からないけれど、嬉しそうだった。


 「今は少し喋る」  

 私はあまり嬉しそうにされて赤面した。


 「そっか・・・予備校か、まあ、ええ。また一緒に登校出来るやろし」

 男の子がブツブツ言った。


 私と男の子が一緒に教室に入ると、何故かクラスがどよめいた。 

 でも私は気にしなかった。



 予備校の帰り、まだ雪が降っていた。

 あの日を思い出した。

 あの日、ハンカチを持って男の子の家に行った日。


 街灯の光もあの日みたいに白かった。 

 あの日、嬉しかったことを思い出した。


 あそこで話ができていたら、もっと仲良くなれていたのだろうか。 


 私は気付く。 

 私は男の子と仲良しになりたかったのだ。

 ずっと。


 何故そうしたのか分からない。


 私は家に帰らず、何故かあの日と同じ道を辿った。 

 ただ、あの日の嬉さを思い出したかっただけなのかもしれない。


 どうのこうの言って、私が他人とかかわれた、たった一度のことだったからだ。


 白い雪を踏んで歩く足取りはあの日のように軽い。

 家の前まで行ったら帰ろう。

 それだけで良かった。


 私は踊るように歩く。


 家の前まできて私は立ち止まった。


 男の子があの日のように立っていたから。


 でも、あの日とは違って、まっすぐ私を見ていた。


 「・・・あの夜みたいやったから、つい待ってしもうた」

 男の子は微笑んだ。


 あの日とは違い男の子から手を伸ばす。

 冷たい手が私の手に触れる。

 また長いこと外にいたのだ。


 私は男の子の手を怖がらなかった。

 多分触ったことのある手だから。


 「ホンマに来るやなんて思わんかった」

 何故男の子が泣きそうなのか分からない。


 男の子は手はつめたい。

 手を握られ、困惑する。


 「オレが怖いか?」

 男の子が尋ねる。


 その目はいつものように、私を見ている。 

 少し怒ったように。


 「少し」

 私は答えた。


 男の子はため息をついた。

 「オレ、乱暴なとこあるけど、そんなに悪いヤツちゃうで」

 男の子が言う。


 「知ってる」

 私は答える。


 だから嬉しかったのだ、あの日。


 「・・・」

 男の子は私の言葉に黙った。


 そして、笑った。


 「・・・あのな、オレ、ずっと自分と仲良うしたかったんや・・・」

 男の子の言葉に私は頷いた。

 そうなのかと思って。


 「ずっと、あやまりたかってん。最初の日に泣かせたことも、あの日、オレらのせいで泣かせたことも・・・」

 男の子の冷えていた手が熱くなる。

 何で男の子の手は熱いのに男の子が震えているのかわからない。


 「気にしてない」

 私は答える。


 私の言葉は少ない。

 私も伝えたいことがある。


 「ハンカチ、ありがとう」

 私はやっと言った。


 長い間言えなかったこと。

 そして言えたことがうれしくて、笑った。


 何故か、男の子が固まった。

 私を見つめたまま、目を見開き固まっている。


 あの日みたいだった。


 「帰る」

 私はそっと男の子の手を私の手からはなした。


 痛いくらいにぎられていたからだ。

 男の子は何故か泣きそうな顔をした。


 「一緒に明日から学校行ってええか」

 男の子が言った。


 「行く時間はいつも同じだ」

 私は言った。


 「それはいいってこと?」

 男の子が震えながら聞く。


 寒いのだな、と思った。   


 「いい」 

 私は答えた。


 そして、私も尋ねる。

 「私は皆と少し違う」


 私といてもお喋りもできない。


 「私は人の気持ちがあまりわからない」

 私は普通の人達とはちがう。


 「それでも、私と行きたいか?」

 その理由が分からなかった。


 「行きたい」

 男の子は食い入るように私を見ながら言った。


 「話できへんくても、ずっと見てたんや。だからなんもかまわへん。一緒にいるだけて嬉しいわ」

 男の子はひどくうれしそうだった


 「そうか、私も嬉しい」 

 私は笑った。


 また、男の子が固まる。

 何故、私が笑う度に固まるのか、今度聞いてみよう。


 「帰る」

 私は言った。


 「また、明日」

 男の子が笑った。


 「明日」  

 私も言った。


 


 また、明日。


 


 そう言える相手がいるのが嬉しかった。

 くるりと背を向けて踊るような足取りで帰る。


 明日は多分雪は溶けている。


 この町では雪は長くはもたない。

 でも、明日の朝私の気分はいいはずだ。



 END






 








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そして雪が解けるころ トマト @kaaruseigan1973

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