自分のためにやったこと

 校舎に戻ってきて、息を整える。

 途中で生徒会の人とすれ違ったときは驚いて隠れてしまった。見つかってはいないと思うけど、追いかけられていないだろうか。

 教室に戻って鞄を取る。もう残る必要はないし、今日はさっさと帰ろう。


「ちょっと待って」


 教室の入り口に神田君が現れる。その横に先ほどすれ違った女の子も控えている。やっぱりあの廃工場に向かっていたんだ。せっかく隠れたのに、私の所にきたということはばれていたのかな。

「良かった、まだいてくれて。ちょっと話いいかな。桐谷さん」

 神田君が優しく話しかける。きっと私と話すときはいつも気を遣ってくれている。私はいつもそれに甘えている。分かっているけど、その気遣いが心地良くて私は甘え続けている。

「うん、あの、どうしたの。神田君」

 どうしても人とうまく話せない。一々まごついてしまって、そのせいで入学してすぐにいじめられた。そんな私を救ってくれた神田君をずっと見てきた。私なんかが話しかけたら悪いと思っていつも影から見ていたけど、彼は私に気づくと話しかけてくれた。

「さっき、廃工場にいたのって、桐谷さんだよね」

「うん、そうだよ」

 私がすぐに肯定すると、横にいた女の子が意外そうな顔をする。嘘をつくと思っていたのかもしれない。実際、その子や別の誰かに言われても、知らないと言って押し通していただろう。でも神田君にだけは嘘をつくつもりはない。

「ついでに一応聞いておきたいんだけど、文化祭の出し物の申請書って出したりした?」

「うん、出したよ。ごめんなさい」

 隠す必要もないので、先に謝る。

「弓道部って書いた申請書、あれを出したのは私です。会長さんの印は、勝手に押しました」

 私がやったことを告白するとその場に沈黙が訪れる。神田君はじっと私を見ているが、怒っているというより困っている様子だった。去年の一件のとき、神田君はもっと何事にも怒っているような、無関心のような印象だったが、今はずいぶん穏やかになったように見える。


 沈黙の間に余計なことを考えていたら、神田君ではなく横の女の子が話し始めた。

「生徒会の花井風香です。桐谷先輩、あなたの目的は果たせましたか」

 私の目的。彼女はそれが何か分かっているのだろうか。不思議とこの子にはばれているような気がする。

「は、はい」

 やっぱり神田君以外の人と話すのは緊張する。今回迷惑を被ったのは神田君だけでなく、生徒会の皆さんだ。忙しい時期に余計な問題を起こされて、さぞ怒っているだろう。

「あ、敬語じゃなくていいですよ。私、一年なので。あと怒ったりもしていないので安心してください。生徒会の皆さんも驚いてはいましたけど、誰も怒ってませんから」

 思っていたことを当てられてドキッとする。本当にこの子には心を読まれているみたいだ。

「あの、もしかして何でこんなことしたか分かってるの?」

「なんとなくですけど、たぶん」

 え、と隣にいる神田君が驚く。

「そうなの? だって、さっきまで誰かも分かってなかったのに、なんで」

 神田君には伝えてないようだが、この子のたぶん、はたぶん当たっている。

「それは内緒です。それより、ちょっと桐谷先輩と二人で話したいんですけど、いいですか」

 花井さんが私と神田君の両方に聞いてくる。神田君は私の様子を窺っている。

「だ、大丈夫。花井さんとは、ちゃんと話せる、と思う……」

 まだ心配そうにしているが、私の言葉を聞いて頷く。

「じゃあ、僕は先に生徒会室に戻ってるから、何かあったら呼んで」


 そして、私と花井さんの二人になった。

「桐谷先輩、目的って秋仁先輩と弓原先輩に勝負させることですよね」

 秋仁先輩。そう呼んでるんだ。羨ましいな。

「うん、あの、どうして分かったの?」

「まあ、まず桐谷先輩を見たら嫌がらせとかじゃないっていうのは分かりました。それと、私もあの廃工場に行ったんです」

「うん、知ってるよ。実は、戻るときに見かけたの。咄嗟に隠れちゃって、ごめんなさい」

 花井さんは少し驚いて、納得したような顔をする。

「私が着いたときはもう終わった後でしたけど。それでも、あなたがあの勝負をさせたかった理由はなんとなくわかりました」

 もしかして、花井さんも私と同じ気持ちになったのかな。そうだったら少しうれしい。

「秋仁先輩、すごく楽しそう、というか満足そうにしてましたよ」

 やっぱり、そうだったんだ。良かった。悪いことをしたけど、それならやった甲斐があった。

「これは、一種の恩返しなんですよね」

「違うよ。私が勝手にやったこと。神田君に、いや、生徒会に迷惑がかかるって分かってて、それでも神田君に、満足してほしかった。私のエゴなの」


 いじめっ子を倒したとき、ずっとイライラしている様子だった。喧嘩なんか嫌いなんだと思った。それでも私を助けてくれた。偶々目の前で起こったことで、自分にも火の粉が降りかかってきたから相手しただけなのかもしれないけど、それでも私は助かった。

 それからしばらく、神田君は弓原先輩とよく勝負するようになった。最初は面倒臭そうにしていたけど、回を重ねるごとに楽しそうにしていた。勝てば喜んで、負ければ悔しそうにして。でも勝っても負けてもどこか満足そうで。その顔を見て、私にとって恩人というだけでなく、好きな人になった。


「だから、私が、神田君にその顔をしてほしかった、それだけなの。本当にごめんなさい」

 改めて迷惑をかけたことを謝る。

「本当に、もういいんですよ。今回のことも、悪質な相手だったときのために調査しただけで、特に罰を与えようとかじゃないみたいですし。私は咲良さん、会長達に全て報告するつもりはないです」

「え、でも、それでいいの?」

「前に秋仁先輩もやったことです。それに、秋仁先輩もわざわざ桐谷先輩を罰しようなんてことは微塵も考えてないですよ、きっと」

 何の保証もない言葉だけど、この子が言うと本当に思える。人の善意や悪意が見えているかのように、人の心を見透かしているように。

「あ、一つだけ確認しておきたいんですけど。生徒会室に忍び込んだのは、この前のゲリラライブの時ですよね」

「うん。偶然、あのバンドの人達がその計画を話しているのを聞いちゃって。申請書は準備しておいて、あの時に忍び込んで会長印を押して、他の書類の束に混ぜたの」

「了解です。それだけ分かれば、何も問題ありません」

「え、でも、本当に、それでいいの?」

 実害はほとんどなかったとはいえ、悪いことをして、それがばれたのにお咎めなし。本当にそんなのでいいのだろうか。

 そう思って聞くと、花井さんは少し考えて、何かを閃いたように言った。

「それじゃあ、一つ、いや、やっぱり二つお願いがあるんですけど――」


「おお、お帰り。どうなった?」

 生徒会室に戻ると、秋仁先輩しかいなかった。

「大丈夫でした。咲良さん達はいないんですか」

「もう帰ったよ。一応解決したとは伝えてある。それより、もう少し詳しく」

 席に座って、さっきまでの話を簡単に説明する。

「……というわけで、祥子さんには特にお咎めなしにしました。それでいいですよね」

「ああ、いいんじゃないか。ていうか、祥子さんって、なんか仲良くなった……?」

 お願いのうちの一つ。それはお互い名前で呼び合いましょう、というものだった。やっぱりバスケ部時代の名残で、名前で呼ばれる方がしっくりくるし、自分も名前で呼びたい。

「もう秋仁先輩より仲良しです。連絡先も交換しました」

 お願い二つ目。

「それは、たしかに僕より仲良しだな」

 先輩は嬉しそうに笑っている。祥子さんのことはずっと気にしていたのだろう。別に先輩の落ち度は無いと思うけど。結果的になんとか出来てしまったからこそ、それまで何もしなかった、ということを強く感じているのかもしれない。

「それで、桐谷さんの目的って何だったんだ?」

 マジか。この人、全然気づいてない。鈍すぎるだろう。

 質問には答えず、ため息をついて鞄を持つ。

「そろそろ帰りましょうか」

「ねえ、ちょっと」

「もう暗いですし、家の近くまで送っていってください。先輩」

「それはいいけどさ……」

 いいんだ。ちょっと我が儘を言ってみたかっただけなのだが、言って良かった。

 ごめんなさい、祥子さん。心の中で謝って、帰り道の間だけ秋仁先輩を一人占めした。

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