待望の一戦、決着
アラームが鳴った。直後に二階から足音が聞こえる。
僕はグローブを握って静かにその時を待つ。
やがて階段を降りる音が近づく。弓原先輩は本当にすぐに一階へ降りてきた。待ち構えるのではなく、僕の作戦を受け止め、潰して、勝つ。そもそも先輩が僕との勝負に拘る理由はそのスリルと達成感を得るためだ。だからその隙を突くべく、僕は作戦を立てる。
「なあ。この建物の中にはおるんやろ?」
ルールを確認するように先輩が声を張る。居場所がばれたらほとんど終わりなので返事はしない。
代わりに、いくつか掴んでいたひものうち一つを手放す。ひもは頭上の鉄骨を経由して、反対側に軟球が取り付けられている。
ひもを放したことで軟球が落下する。
先輩はボールが落ちる時の微かな音に気づいて上を見た。落ちてきたボールを確認すると、特に慌てる様子もなく右手を上げて横へ払った。
「こんなもんでどないする気や」
再び先輩が挑発しながら僕を探して歩き出す。事前に物の配置を変え、隠れられそうな場所を増やしておいた。サッカーゴールに布を被せておいたり、小道具を入れていた複数のダンボール箱や放置されていた資材を動かしたり。
単純な力の差は工夫で埋めなければ、僕に勝利はない。だから僕の場合は始まるまでが勝負の時間であり、今この時は作戦通りに動いてどうなるか、結果を待つ時間のようなものだ。
先ほどと同じ仕掛けはまだいくつかある。先輩もそれに気づいて、頭上のひもを辿って僕を探している。そうなることを見越してダミーも配置している。先輩がダミーの一つを辿って、ダンボール地帯に入った。
持っていたひもを二つ放す。残りは一つ。
放した二つにも軟球が繋がっていて、重力のまま落下する。一つは直接先輩に向かっていくが、先ほどと同様に右手で弾かれた。
もう一つはダンボール箱に落下する。破裂音とともに、大量のトランプが舞い上がった。
「なんやこれ!」
さすがに先輩も少し驚いている。その背後、サッカーゴールに隠れていた僕は右手に持っていたボクシンググローブを投げつける。事前に決めたルールでは『グローブの一発』とだけ言ってある。姑息だが、直接手に装着して殴るのでは不意打ちに向かない。近づかずに当てるための方法として、グローブを投げることだけはルールの設定時に考えていた。
先輩がトランプに気を取られていたのは一瞬で、すぐに背後から飛んでくるグローブに気づいた。だが、避けるのは間に合わない。
これで勝った、と思った瞬間、先輩がニヤリと笑う。
「うらあ!」
弓原先輩は姿勢を低くして、グローブに頭突きをした。
「え」
しまった。頭はノーカウントだ。
「終いや」
考えた一瞬後には、先輩は僕の懐一歩手前まで迫っていた。
ビュンと腕が風を切る音がして、コツンと僕の腹に先輩の右手が当たる。
完全に僕の負けだった。
「いやー、勝った勝った。やっぱりおもろいなあ、狂犬くん」
「よく言う……。今回は完敗でしたよ」
ため息をついて、残っていたひもを放す。これだけは軟球ではなくバスケットボールを繋いで、ゴールに向かって落ちるように仕込んでいた。ボールはリングにぶつかってあらぬ方向へ飛んでいく。
「なんや、まだあったんか。なんで使わなかったん?」
「出番がなかっただけですよ。先輩がゴールの方に向かってたら使ってたかもしれないです」
先輩は、ふーん、と呟いてグローブを外す。
「あ、それとさっきの破裂音なんなん?軟球落ちただけでああはならんやろ」
「ああ、それはもうちょっと手が込んでまして。ダンボールの中に風船を入れて、その上に針を仕込んで、さらにその上にトランプって感じです。で、ボールが針を押して風船が破裂、その勢いで上に乗ってたトランプが飛ぶ」
「よう考えるなあ。せやけど、今回は俺の勝ちや」
そう、負けてしまった。一応今回は個人的なことではなく、生徒会のために話を聞かなくてはならなかったのだが。
「先輩、前より動き速くなってませんか」
「そらそうやろ。毎日重たい防具持って竹刀振ってんねんから。むしろ書類仕事ばっかしてるお前は衰えてきてるんちゃうか」
「僕はそもそも体力勝負じゃ勝てませんから、多少衰えてもいいんです」
僕の衰えを差し引いても先輩の反応の速さは想定外だった。あのグローブを飛ばした攻撃が避けられる可能性は考えていたが、避けきれない位置から頭突きで弾いたこと。その後の僕に一撃当てるまでの機敏さ。完全に相手の戦力を見誤った、僕の敗北だ。
意気消沈で片付けをしていると、突然僕と弓原先輩以外の声が響いた。
「秋仁先輩、いますか」
現れたのは風香だった。
「どうしたの。ていうかなんでここが分かった?」
おそるおそる、という感じで歩いてきた風香は僕の姿を見つけて安心したように寄ってきた。そういえばこの子はけっこう怖がりだった。一人で廃工場に来るのは中々勇気のいることだったのだろう。
「会長が、たぶんここにいるから迎えに行くようにって。それまでは秋仁先輩がメールしてくれたように、一年生を中心に調査をしてました」
この廃工場のことは会長にも言っていないはずなんだけど。なんで知っているんだ。
弓原先輩の方を見ると、
「俺もここのことは誰にも言うてへんで」
と首を振る。
「あ、あなたが弓原先輩ですか。すみません、挨拶が遅れました。生徒会の一年、花井風香です」
「おお、可愛らしいお嬢さんやな。お前の彼女か」
「違いますよ」
ニヤニヤと聞いてくるので否定すると、なぜか風香に睨まれる。
「それで、そっちは何か進展あった? 悪いけど、こっちは負けたから情報なし」
「私達の方も進展なしです。少なくとも私が抜けるまでは」
結局、疲れただけで何の成果もなかった。弓原先輩との勝負は正直僕も楽しんでいるので無駄とは言わないけど。
これで手がかりは無くなってしまった。
その時先輩が口を開く。
「まあ、俺も楽しかったから一つ教えたるわ」
「え? いいんですか?」
素直に驚く。先輩とはいつも何かを賭けたり、条件があって勝負している。それを曲げたことはなかった。
「いや、その代わり、怒らんで聞いてな」
珍しく申し訳なさそうにしている。余計に怪しい。
「武道場で、一人怪しいのがおる、言うたやろ。あれ、嘘やねん」
「は」
「え」
二人して言葉も出ずに固まる。この人、僕と勝負したいからってついに嘘までついたのか。
「いや、でも、さっき本当に怪しいの見つけたんや。準備時間の間、暇やったから二階の窓から外見とったらな。一人女の子がおったんや」
「女の子? それって、この子じゃなくて、ですよね」
念のため、風香を指差して確認する。
「ちゃうなあ。同じ制服は着とったけど、違う子や。花井さん、やっけ。ここに来る途中、誰かおらんかった?」
「私は本当に今来たばかりですけど、誰とも会いませんでしたよ。もっと早く戻ったのかも」
僕も先輩もここで勝負していることは誰にも言っていない。会長は知っていたようだが、今までギャラリーが現れなかったことを考えると言いふらしたりはしていない。そもそも人前で勝負しないようにしているのは会長の言いつけでもある。
つまり、全く想定外の第三者がここに来ていた、ということになる。
「そうや、思い出したわ」
弓原先輩がはっと顔を上げる。
「狂犬くん、前にその子と話しとったやろ」
「え?」
僕と話したことのある生徒。自慢じゃないが、そう多くはない。去年の一件からあまり人に話しかけられることはないし、怖がられていることは分かっているので、僕の方からも生徒会の用事でもない限りあまり女子とは話さない。
「でも、先輩最近よく女の子と話してますよね」
風香がジトっとした目で見てくる。そういえば最近はそうだったかもしれない。そうなると候補がかなり増えてしまった。
「ちなみに、いつのことですか」
もう少しヒントをもらおう。話していたのがいつ頃かだけでも分かればまだ探しやすくなる。
そう思っていたが、先輩からは予想以上に詳しい情報が得られた。
「球技大会の前に話しとった子や。俺と話す直前に、話しとったやろ。あの子や」
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