優しさの形
風香に引っ張られたまま廊下を歩く。着いた先は二年の教室。勇吾と柳さんのクラスだ。
「何でここなんだ?」
「葵さんの指示です」
と言って一枚の紙を見せる。ノートの切れ端だった。
『私のクラスの教室で待ってて』
「文章でもあんまり喋らないんだな」
僕は柳さんのことをほとんど知らない。絵を描くこともついさっき初めて知った。今までも、役割としては勇吾が書記なのに会議中に何かを書いていることがあった。てっきり議事録でもまとめてくれているんだと思っていた。
「葵さんは意外と分かりやすいですよ。それに、見た目通り可愛い人です」
風香と僕の印象はだいぶ違うようだ。それが男と女の違いなのか、先輩後輩の関係によるものなのかは僕には分からない。
確かに見た目は可愛いけど、何を考えているかは全く分からないし、中身が可愛いかどうか分かるほどの会話もしていない。
以前の肝試しのときは柳さんも風香も歩くので精一杯だったので、結局僕の話しかしていない。
「お待たせ」
五分ほど待つと柳さんが現れた。
「向こうは落ち着いた?」
「二人がいなくなったことに気づくまでは。今はさっきよりひどい」
マジか。今日はもう戻れなさそうだ。
「今朝の」
「あ、はい。そうです。秋仁先輩の指示です」
「いや、何が」
風香はたった三文字で柳さんの言いたいことが伝わったらしい。それならそのまま会話しないで通訳にまわってほしい。
「今朝、聞かれた」
「先輩の指示通りにしただけですよ」
僕が昨日風香に与えたミッション。それは生徒会のメンバーにあの依頼を入れたか聞くことだった。
だが、僕は会長か勇吾だと思っていた。会長には前科があるし、勇吾ならふざけてやっていてもおかしくない。でも風香の考えは違った。
「秋仁先輩の指示を聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのは葵さんでした」
「なんで? 他の二人の方が疑わしくないか」
「一番動機があるのは葵さんだからです」
こんなことをしたのなら当然動機がある。僕には思いつかないが。
「その前に、聞いていい?」
柳さんが割って入る。
「どうして生徒会の中に差出人がいると思ったの」
その質問に風香も僕の方を見る。そういえばそれは風香にも教えてなかった。
「そっちの班の考え方と同じだよ。意見箱に入れるなら、見て欲しい相手は生徒会だ。それならまず疑うべきは生徒会のメンバー、次にその周囲の人」
おそらく会長は自分以外の生徒会メンバーが意見箱を使うとは思っていなかっただろう。だから最も妥当な線として文化祭に焦点を当てて考えた。
「でも、正直柳さんだとは思わなかった。それで話を戻すけど、動機ってなんだ」
改めて聞くと風香は少し呆れた顔をする。
「先輩、本当に気づいてないんですか……。どうしてそんなに鋭いところと鈍いところが極端なんですか。私だってすぐ気づいたのに」
いいですか、と風香が柳さんに確認する。柳さんは無表情のまま頷く。
「葵さんが好きなのは森下先輩です」
え、いや、でも。
「全然気づかなかった……。ていうか、そんな素振りあった?」
今日一日で何度思ったか分からないが、本当に僕は、柳さんのことを全く分かっていなかった。
柳さんは恥ずかしそうに少し俯く。風香が僕の耳元に顔を寄せて小声で言う。
「葵さんはいつも森下先輩を見てますよ。今度よく見てみてください」
といってまた少し離れる。
「それで、これからどうするの」
柳さんが突然僕に尋ねる。
「これからって、もう差出人が分かったし、終わりでしょ。あ、勿論誰にも言わないけど」
さすがにこんなことを言いふらすつもりはない。
「でも先輩、明日には成果出すって言っちゃいましたよね」
「そう、それ」
二人が不安そうにする。でも、僕はもう完全に終わったつもりでいた。真相が分かれば、捏造も偽造もどうにでもなる。
「とりあえず、柳さんにはもう一仕事頼むことになるんだけど、いいかな」
「むしろ私が原因だから。丸く収まるならやる」
「じゃあ……」
と一つ頼み事をして、柳さんが了承する。これでこの件は僕の手を離れた。
「それじゃあ、そろそろ帰るか」
というと、
「秋仁先輩、私は葵さんと話があるので」
といって風香が柳さんの腕をつかむ。
「ごゆっくり。さっきの件だけよろしく」
と念を押して僕は教室を出た。
秋仁先輩が教室を離れたことを確認して、私は葵さんに向き合う。
「葵さん、今朝の話ですけど」
今朝、授業が始まるより早く私は葵さんを訪ねた。そこで二つの話をした。
一つは意見箱の依頼の話。そして葵さんからもう一つの話を聞かされた。
「私は納得できません。手伝いもできません」
私が拒絶の意思を伝えると、葵さんはなぜか微笑んだ。
「うん。そうだと思った」
「どうして笑うんですか」
中学時代からの大事な先輩のための頼みを断ったというのに。
「風香はそれでいい。私は風香のそういうところ好きだから」
そう言って私の頭を撫でる。バスケ部の頃は、私が練習の手伝いをしたり、差し入れを作ってきたりする度に撫でてくれた。
咲良さんは私が中学一年の頃の部長で、明るさと勢いで皆を引っ張る人だった。その咲良さんの指名で翌年の部長は葵さんになった。
葵さんは声出しが苦手なので練習や試合の最中の声出しは副部長の人に任せていたが、練習の合間や試合の前後で一人一人に声をかけ、褒めたり励ましたりしてくれていた。私も皆もそういう温かさを持った葵さんが好きだった。
「私も、葵さんも咲良さんも好きですよ。それでも……」
それでも、今回の話には乗れなかった。
「本当に、あんなことするんですか。そんなことしなくても」
「うん」
葵さんは頷いて、でも、と言葉を続ける。
「それでも咲良はやるって決めたから。それに、私は大丈夫だと思う。きっと最後はみんな笑顔になれる」
そしてもう一度私の頭を撫でる。葵さんはいつも通り、静かにみんなのことを考えていた。
翌日、僕が放課後に生徒会室へ行くと、例によって全員揃っていた。
「秋仁君、ちょっと」
一歩入ったところですぐ会長に呼ばれる。どうでもいいけど、昨日風香と僕が名前で呼び合ったことにすごい反応してたけど、この人も普通に名前で呼んでるよな。
「どんな手使ったの、これ」
意見箱を持って僕に尋ねる。前面には昨日柳さんが描いた猫の絵が貼られていた。
「いや、それ僕が貼ったんじゃないですけど」
「そうじゃなくて! 今大事なのは中身の方!」
会長が意見箱から一枚の紙を取り出す。
そこに書いてあったのは、
『とても助かりました。私の恋はもう大丈夫です。ありがとう』
という短い文だった。
「これ、昨日言ってた成果ってことだよね? 秋仁君は差出人が分かってたってこと? 誰だったの」
会長の質問責めを、
「もう大丈夫ならいいじゃないですか」
と受け流す。
本当は何も解決していないのだろう。柳さんが勇吾に告白したわけでもないし、何か進展があったわけでもない。
僕はこの件を早く終わらせる方法を取ったが、柳さんはどういう展開を期待してあの依頼をいれたのか。
ちらっと柳さんの様子を窺うが、またノートに絵を描いている。僕の視線を追って、会長もそれに気づく。
「あ、葵。今度は何描いてるの。見せて見せて」
「おお、俺も見たい」
勇吾も会長に続いて絵を覗き込む。
「秋仁先輩」
質問責めから解放されて三人を眺めていると、風香が僕を呼ぶ。
「葵さん的にはこれで良かったのか、って考えてますか」
「心を読むな」
そんなに分かりやすい顔をしていたか。そもそも柳さんを分かりやすいという彼女を相手にするのが間違いか。
「良かったんですよ。葵さんの目的は果たされてますから」
「目的って?」
結局恋の応援なんかしていない。何か手伝えるなら手伝うが、具体的には何も頼まれてない。
「葵さんは咲良さんのためにあれを入れたんです」
「どういうことだ」
「今週分の作業は終わっちゃってたじゃないですか。でも、来週からも仕事があって、気が抜けない日々が続くわけです」
「それで?」
「でも、二、三日空いちゃうとエンジンがかかりにくい人もいるんです」
風香の視線の先には会長。そういうことか。でも、そんなことのために?
「会長の気が抜けないように、仕事を与えた?」
「言い方はあれですけど、まあそういうことです。咲良さん、バスケ部の時も、大会中に一日空くと本領発揮できないタイプだったんで」
自分の秘密がばれる可能性があるのに、会長のやる気を継続させることを選んだ。あまり理解できない。
「ほら、見てください」
下を向いて考えていたが、風香の指す方を見る。柳さんの描いた絵を見てはしゃぐ会長と勇吾。
そして、その二人を見て微笑む柳さん。
「分かりやすいでしょう?」
真面目で生意気な後輩が得意気にそう言った。
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