『悪夢』イール

 レアの項で書いた通り、毒杯のシーンを持ち出したせいで迦陵頻伽カラヴィンカの物語は当初とまったく別物になり始めました。ついにはカラヴィンカの少女視点ではなくなり、代わって視点を取ったのが殺し屋の、

 いや、ていうか、あんた誰? まじで。急に生首ぶら下げて出てきたけど。


 イール(最初はその名前もなかった)は急に発生しました。

 予定もしていなかったキャラクターが突然語り手として現れる。その理由のひとつは私の書き方の癖にあります。

 拙作『月とリリアのひとしずく』『青と白 ―巡航船第九天菱号のクリスマス―』などでもそうなのですが、一般にそれほどおすすめされていない一人称の複数人切り替えをやってしまうんですよね。

 わざとではないです。敢えてやってやるぜという狙いでもない。ただ、無意識にばんばんカメラを切り替えてしまう。だったら三人称の寄りで全部書けばぁ? となりそうなものですがなんか書きにくくってさぁ! 理由は分からない!!!!! たすけて!!!

 いや、あんまり困ってないから別にいいんだった。


 そんなわけで、冬山生首のくだりを書き始めた時にはまだ全編この人の一人称になるとは思ってなかったんですよね。だから冒頭の毒杯のシーンは逆に三人称で書いてありましたし。逆にって何? ちょっと分かんない。


 ともかく、書きながら思ってたことはこうです。


・え、あんた誰?

・その王子、話の本筋に関係ある人? また急に発生したけど。

・皇女……あーじゃあそんな人数も増やせないしその皇女のとこにカラヴィンカがいますねつまりこの生首持ってる人がカラヴィンカに会うのか。はぁ? 生首の人が? まじか。


 王子も急に現れたんですよね~。いつものことだから驚きませんよ。各々の名前と国名とか決めるのにちょっと手間取ってる間に皇女も発生しましたね。なんか政略結婚的なやつよ、そうそう、でもこの王子はね、駄目。駄目を撒き散らかしたのでゴツい恨みを買って殺される段取りです。なるほどね。なるほど。


 という感じで、作り出しているというより受信してる状態です。

 まだ話の骨格もできていません。

 まだ部分的にはカラヴィンカの少女の一人称に戻る部分もあるつもりで考えています。


 この時点では、メモにこんなことが書いてあります。


 ◇◇◇


「世界の音はそんなに辛いか。

 なら、おれがすべて殺して消してやろうか」

 イールに恐らくそんな気はない。嘘を与えられているが、嘘でも何かを与えられている。生まれて初めてのことだ。初めてレアは、この優しい悪夢のためになら焼け落ちても構わないと思う。


 ◇◇◇


 完成時の感じよりもう少し殺し屋っぽかったんですよね……なんかいつの間にかそうでもなくなりましたけど……例によってさしたる理由はないです。


 話は錯綜しますが悪夢イールという名前についてです。

 最初は、ちょっとどうかしている賞金稼ぎの殺し屋の仕事ぶりから生まれた通称みたいな感じでつけた名前でした。魔除けのために不吉な名をつけられたという設定はかなり後になってからの付け足しです。姉の落ち雛レアの名もちょうどよかったですしね。

 文字数の都合もあってイールの殺し屋としての側面はほとんど描写できていません。とにかく身体を引き裂かれても死なないもんだからかえって所々迂闊が出るというのは『無限の住人』の卍さんがそうで好きな描写だったので、というか私むげにん好きすぎるな? そのわりに最後まで読んでないけど。映画化した時のキムタク思ったより良かったんですよ。あの人、もっと時代劇やってほしいんですよね。今の人にしては体型が和装に合うし。

 ……まあともかくイールです。悪夢呼ばわりされる殺し方ってどんなんだろうね。多分、後で見つかる死骸に噛み千切られた痕とかあるんだとは思うのですが。


 さて。

 レアの項で書いた通り当初は毒杯のシーンが冒頭にあり、その時点でもう、本来毒杯を与えられる者(レアが守ろうとした者、つまりイール)は毒では死なないのに、という描写がありました。

 イールがはっきり発生する前にそれはもう決まってしまっていたので、じゃあ何でこの人はそんなスペックなんですか? 毒耐性訓練でもしてんの? えっ、そんな描写も理由付けもめんどくさいな、体質にしちゃお。でも毒が効かない体質って何よ? 生理学薬理学に反するだろ??? となり「再生しちゃうことにしよう」となりました。再生する、つまり一度はダメージを受けるということで、別に楽ではないです。かなり苦しみの強いスペックだなと我ながら思います。

 この再生能力が殺し屋やるには便利でもあろうな、と後から思いました。で、そう思う前にこの人は生首を持って雪山に突っ立っていました。何なんだよ。くそ寒いとこで人の身体千切ると多分血が温かいうちは湯気が見えるかもしれないですよね。書かなかったけど。


 あと髪が赤いのは前述の "Good Omens" のせいで、髪がめちゃくちゃ伸びるのは再生能力の絡みです。目に見えて伸びてく髪、気持ち悪がられるだろうなと思って。


 というようにイールのスペックは大体全部後から追いかけてきていて、当初はそんなつもりなかったのに皇族出身になったし、そんなつもりなかったのにシスコンです。なんか今回は姉がよかった。落ち雛のレアをイールの母親にする道もないではなかったんですけど今回は姉がよかった! 理由は分からない。子供同士にしたかった。


 姉と同じ名前で、同じように優しいことを言う余りものレアに出会い、恐らくイールは余りものレアの中に姉を見ることが多いはずです。レアもそのうち、イールは自分ではなく姉を求めているのじゃないか、自分は姉の代用品に過ぎないのではないかと考えて悩むことも出てくるでしょう。でも本編で書いた通りイールは生まれ変わりなんて信じていなくて(というより恐らくどんなものも信じていない)、目の前のレアが姉じゃないことは最初からよく分かっています。姉ではない別人なのに優しく心に触れてくれた、姉ではないのに、どうしてこんなことが起こるんだ、と思っているのですね。

 それは角度を変えて見るとイールが、自分は決して愛されることも受け入れられることもないと強く信じていたからです。姉は例外で。何故なら姉は、あの姉だけは力が普通じゃなかったから。でも他の人間はそうではない。自分を受け入れたりはしない。イールの心はそのように呪われていました。

 でも余りものレアは、姉が予言したカラヴィンカだから、、と本編の時点ではそういうトリガーで呪いが解れます。

 ところが、本当はそういうことでもないのですよね。

 余りものレアが自分をカラヴィンカだと自覚しないうちに、本当にただイールが魔法みたいに自分の世界から邪悪な声を消し去ってくれたことが奇跡のように嬉しく、そのイールの真っ赤な髪を美しいと思ったこと、膝に座るのも怖くなかったこと、この優しい人にも苦しみがあるのなら助けてあげたいと思ったことを、イールは後からじわじわ知ることになるでしょう。レアはカラヴィンカだから平気だったのではなく、呪いと祝福の極端同士の組み合わせだからちょうどいいと思ったのではなく、そんなこと知る前から、他でもない心を許したのだと、後からゆっくり知っていくことになるでしょう。今だってそれを知ってはいるんですけどまだ信じきれていないんです、レアを信じていないのではなく自分を信じきれていない。自分にそんな価値があると思えずに生きてきたから。

 それでもレアと過ごすうちに気付くはずです。種族と運命のスペックではなく、イール自身がレアにしてやったことが、この結果を呼び寄せたのだと。受け入れられる理由がイール自身にあるのだと。

 いつか自分をもっと信じられるようになった時に、心に掛かった呪いは解けていくでしょう。

 レアは、それを信じて祝福の言葉を遺しました。


 理屈から言えば余りものレアうろがイールの過剰な祝福を吸い込むことによって、イールの特異体質はやがてもっと弱まるのかもしれません。苦しいほどの飢えが消えるのに続き、髪の伸びるのがもっと遅くなり人並みになり、そして恐らくは、これまでならぶちぶちに千切られても再生した身体の治りも遅くなり、いつか老いて病を得たり死んだりするかもしれません。まるで普通の人間みたいに。

 けれどもそれがイールにとって不幸であるかどうかは、イール自身が決めることです。


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