胃加物絵糸の優雅な食生活

PURIN

食べる前に「いただきます」と言いましょう。

 わたくしが幼稚園生だった時のことです。

 他の園児を迎えに来た保護者がミニブタを連れていました。

 園児達はみな、そのミニブタを「かわいい」と称していました。わたくしも、「かわいい」と思いました。

 やがて、その保護者が「ブタさんだからって食べないでね?」と発言しました。冗談のような口調でした。

 「食べないよ」園児達は皆笑い転げました。


 わたくしだけが「え?」と思いました。




 左を向いても右を向いても人、人、人、人………………

 絶滅危惧の動物を保護する団体のサイト。そこに数万円を寄付。朝の電車内で四方から押しつぶされそうになりつつも、毎週恒例となっているそれを済ませた。

 スマホをバッグにしまうと、胃加物いかもの絵糸えいとは人混みからどうにかこうにか顔を出した。

 いつもの習慣で、乗車ドアの上部に位置する小さな液晶ディスプレイに目をやる。

 ちょうどニュースが始まったところだった。トップニュースは、外国人の子ども達が通う小学校を爆破すると脅迫状を送った人物が逮捕されたという内容だった。

 まったくもって理解不能ですね、と思った。


 続いてのニュースは、一人暮らしの人物の遺体がバラバラの状態で発見されたというものだった。

 なんて残酷なことをするのでしょうね、と思った。


 会社に到着するや否や、同僚に声をかけられた。

「おはよう。来週の金曜、また合コンやろうと思うんだけど…… どうかな?」

 数秒だけ考え込むふりをしてから首を横に振る。

「お誘いいただきありがたいのですが、ご遠慮させていただきます」

「だよねー」

 苦笑気味の同僚。

「いつも申し訳……」

「いいよいいよ! たまにはもしかしたらって思っただけだから」

「因みに…… もうお店は決まっているのですか?」

 謝罪のために丁寧に下げた頭をゆっくり上げつつ尋ねる胃加物。

「いくつか候補はあるけど悩んでて。ずうずうしいけど、もしいいところあったら教えてもらえたらなーって」

「お安い御用です! 最近そういうのに良さそうなお店を発見しましてね……」


 こんなに気が利くいい人なのに、どうしても恋愛に興味がないなんてもったいないなあ……

 生き生きとおすすめの飲食店について語りだす胃加物に相槌を打ちながら、同僚はそんなことを思った。

 一方の胃加物は、まったくもって理解不能ですね、と内心で思っていた。




「いただきます」

 その日も、特に何事もなく仕事を終え、帰宅した胃加物。PCで動画サイトを開き、動画を再生する。

 礼儀正しく手を合わせてから、自分の視界から少し離れたところに置いた皿に手を伸ばす。

 動画に目を釘づけたまま、手に取ったものを口に運ぶ。温かく、ほくほくと口内で崩れる素朴な味。

(ふむ、ポテトですね)

 先程レンジでチンしたそれを思い浮かべ、じっくりと味わいつつ、同じ手で次の動画を見るためにPCを操作する。人気も知名度も抜群だという配信者が、視聴者に向けてお決まりの挨拶をしている。


 再び手を更にやる。ポテトよりも幾分硬い触感。

(これは……)

 口に入れる。歯ごたえがあり、噛みしめれば噛みしめるほどじわりじわり、旨味のある液体が染み出してくる。

(ああ、やっぱり。カラスの脚ですね)

 先日近所の公園で捕らえ、冷蔵庫に保管しておいて少しずつ食していた濡れ羽色の鳥類。先程その両脚を食べやすいサイズに切り、鍋に塩を入れて茹でたのを思い出しつつ、ゆっくりと味わう。


 率直に言ってこんな動画には全く感心はない。だが、会社の人々と話を合わせ、極度に浮かないようにしなければ。

 三度みたび、皿の上のものを口に運ぶ。ポテトよりは固く、けれどカラスの脚よりは柔らかい。

 噛みしめれば、薄皮が破れ、どちゃっと口中に鉄にも似た香りの液体が満ちる。柔らかな肉の中心には、1本の軸。茹でられてやや硬度を失ってはいるものの、歯が砕けるのではないかというスリルを楽しませてくれるガリガリとした食感。

(ああ、いいですねえ……)

 胃加物は、カラスの脚と一緒に煮た「それ」をしっかりと享受した。

 画面の中では、配信者がゲームの話をしながら大声で笑っていた。




「ごちそうさまでした」

 動画を見終え、皿に載せたものも完食。食べ始めと同様に合掌してそう言って、椅子から立つ。

 

 ぐきゅるるる~


 間の抜けた音が響き、自分で苦笑する。

(食べ足りませんよね。そろそろ夕食にしましょう)

 片手で皿を持ち、もう一方の手で自身の腹部を撫で。キッチンへ歩む。シンクに皿を置き、入れ違いに流しの下の収納スペースから包丁を取り出す。

 

「さて、今夜わたくしがいただくのは」

 先程見た動画広告を真似ながら、今にもスキップでもしそうな様子で足を風呂場へと向ける。

 さっきの「あれ」の味からして、かなり期待できそうだ。


 すりガラスのドアをがちゃ、と開く。途端、玉手箱を連想させるほどに脱衣所に流れ出す大量の冷たい白煙。

 全く気に留めず、滑り止め加工の施された、水はけの良い樹脂の床に、一歩、足を出す。目線を下にやる。


 両の手の十本の指が切り落とされ。大の字に横たえられた。腹の大きく膨れた人間の女性。既に絶命している。


です」

 それはそれは嬉しそうに。出っ張った腹部に、深々と包丁を刺し込んだ。

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