Act21.次大夫堀公園 Part2

 自分が使った験力で、芦屋満留が燃えている。


 験力は人に使ってはならない、叔父と祖父から厳命されている。ただし、自分の生命いのちが危険にさらされた時は別だ。


 今、生命いのちが危険なのは自分ではなく刹那だ。しかし、迷わず永遠は験力を使った。


 二度と自分の大切な人を失わないために、験力の修行を始めた。今使わなくて何時使うのか。


 千尋の姿が再び消滅し、解放された刹那がよろめく。


「姉さん、だいじょうぶ?」


 永遠は駆けより、雨に濡れた彼女を支えた。


「ありがとう、助かったわ。みんなは?」


「もう逃げた」


「良かった」


「オン バロダヤ ソワカ!」


 満留の水天真言を唱える声が聞こえ、焔が一瞬で消えた。


  雨のせいもあるけど、それだけじゃない。この人、想像以上に強い……


 芦屋満留は永遠の手に負えない。刹那と共に生き残りたいのなら手段を選ばず、プライドを捨てどんな事でもやる覚悟がいる。


「まさか、こんなお嬢ちゃんに後れを取るとはね……

 自慢の黒髪が台無し、それにこれも高かったのに」


 自分の髪や服を見回す。


 たしかに焦げて、長髪はちぢれ、身に付けている物はボロボロだが、火傷をした所も見当たらず、ダメージは無いようだ。


「傘も無くなってずぶ濡れね。大人を怒らせると、怖いわよ」


 冷たい視線を向けるが、永遠は必死に受け止めた。


「永遠、逃げて!」


「イヤッ、逃げるなら姉さんが先!」


「何言ってるのッ? コイツの狙いはあたしなのよッ」


「もう、わたしもターゲットになっている」


 パチ、パチ、パチと白けたような拍手がした。


「美しい姉妹愛ね。心配しなくても、二人とも逃がさない」


 一瞬にして間合いを詰めた満留が、脚を振り上げ永遠の側頭部を蹴りつける。


 とっさに腕で防ぐが、威力が強くて身体からだが吹っ飛ぶ。


「永遠ッ」


 刹那が悲痛な叫びを上げる。


 永遠はゴロゴロ転がり、間合いを取って立ち上がる。


「多少は武術の心得もあるようね……。でも、私には及ばない!」


 再び間合いを詰め、何発も蹴りを繰り出す。満留はキックボクシングでもやっているのだろう、格闘技も永遠よりうわだ。


 永遠は手で必死に防ぐが、何発も何発も受けていると腕にダメージが溜まり、感覚が無くなっていく。


「どうしたの? 動きが鈍くなっているわよ」


 ネズミをいたぶる猫のように永遠を追い詰めていく。


 奥の手は最後まで取っておけ、叔父がよく言っていた。


  まだだ、まだダメだ。


「キャッ」


 腕を上げることが出来なくなり、横顔を蹴られた。今度は受け身を取れず倒れる。


「やめて!」


 刹那が満留をめにしようとするが、簡単に交わされ腹部に拳を叩き込まれる。


「グッ」


 うめき声を上げ、身体からだをくの字に曲げる。


 満留の膝蹴りを顔面に受け、刹那は地面に転がった。


「ねえ……さん……」


 永遠はヨロヨロと立ち上がり、満留を睨み付ける。


「フン、まだそんな眼をするの?」


 満留が無造作に近づき、永遠の顔面を蹴ろうと脚を振り上げた。


  今だ!


 体勢を低くし蹴りをかわす。


 油断していた満留は体勢を崩す。


「ヒートブレイドッ!」


 永遠の両脚が焔に包まれる。


 満留の脚を払い、倒れたところに渾身の蹴りを連続で入れる。


「ヤァッ、タァッ、タァッ、トォー!」


 満留が倒れて動かなくなった。


 真言とは神や仏のイメージと結びつけ、験力の作用を変化させるために使う。と言う事は、真言でなくても、験力の作用を変化させるイメージを強く持てれば何でも構わないのだ。


「姉さん!」


 永遠は刹那に近寄った。


 腕が痛くて支えることが出来ない。それに服も転げ回ったせいで、ドロまみれで所どころ破けている。


「永遠、だいじょうぶ?」


 刹那が鼻血を滴らせながら、苦しそうに顔を上げる。


「わたしより、姉さんがだいじょうぶじゃないよ!」


 誰かを呼んでこよう。


「待ってて……」


 その時、背後に殺気を感じ振り向いた。


 幽鬼のように芦屋満留が立っていた。


「このガキ……二度も私を傷つけるなんて……」


 食いしばった歯の隙間から、怒りを込めた声が漏れる。


「鬼多見法眼の孫だから手加減をしていれば、いい気になってッ」


  わたしの正体を知っている……


 背筋がゾクゾクする。もう奥の手まで使ってしまった、永遠に切り札は残っていない。


「やめて、永遠には手を出さないで!」


 刹那が懇願こんがんする。


りん ぴよう とう しや かい ちん れつ ぜん ぎよう!」


 唱えながら、右の人差し指と中指で、横に五本、縦に四本の線を宙に引き、最後に右から左にかけてけに切る。


 指先から力のやいばが解き放たれる。


  もう、ダメ!


 永遠は思わず眼を閉じた。


 だが、何も起きない、痛みも衝撃も無い。


 その代わり、今まで感じた事のない強大な験力が、自分と満留の間に溢れ出しているのを感じた。


 眼を開くと、空間が歪んで障壁のようになっていた。力の刃もこれに阻まれたのだ。


 次の瞬間、歪んだ空間から何かが飛び出し、障壁は消えた。


「キャッ」


 飛び出したモノがぶつかり、芦屋満留の身体からだが後ろへ吹っ飛んだ。



  間に合った!



 永遠はホッと胸をなで下ろした。


 沙絢たちを逃がした時、電話をして助けを求めた。時間が無く「助けてッ」としか言えなかったが、それで伝わっていた。


 眼の前に、鬼多見悠輝がいる。


 自分の力だけでは誰も守れなかった、出来たのは助けを求める事だけだ。


 また、無力感にさいなまれる。


「朱理、御堂、大丈夫か?」


 悠輝も痣だらけでボロボロだ。


「うん……」


 本当は大丈夫ではない、身体からだより心の方が。でも、それで良いと己に言い聞かせる。


 意地を張って、刹那に万が一の事があったら元も子もない。そして、自分に何かあれば、今度は叔父が無力感に苦しむ。


「おじさん、ありがとう」


「ってが、おぢざん、いばのだに? だにをしたの?」


 刹那が血だらけの鼻と腹部を押さえながら尋ねた。


「時空をちょっと歪めただけだ。そのお陰で新幹線より速く着けたし、交通費も節約出来た。

 それより、こっちは雨か」


 非常識極まりない事と天気を同等に扱いながら、悠輝は刹那を立たせ、腹部に手を添えて背中を押して直立させた。


「ぶばッ、胃ばよじれるようなおどがぢだ」


 痛そうだったが、刹那は楽になったみたいだ。まだ、鼻血は止まっていないが。


 叔父が無造作にハンカチを差し出したが、ボロボロで汚れていたため刹那は掌で断り、ティッシュをポケットから出して鼻に詰め始めた。


「朱理……」


 腫れた右頬と半袖から覗く両腕を見て、悠輝は息を飲んだ。


「こんなにされて……

 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ。

 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」


 叔父が薬師如来真言を唱えると、頬と腕の痛みが楽になった。


「心配かけて、ごめんなさい」


「こっちこそ、遅くなって本当にごめん」


 頭をなでようとしたので、永遠はいつもの癖で避けてしまった。


「あ……」


 叔父が情けない顔をしている。

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