Act20.沙絢のマンション Part2

 東雲の言葉に刹那はうなずいた。


「昨日、バスに乗る前にいなくなり、『夏祭り』の時に戻ってきた人物、それはあなたです」


 刹那は小岸に顔を向けた。


 彼の隣にいた優風が、眼を見はって彼を見つめる。


「ナニ言い出すんだ御堂、オレを犯人扱いか?」


 呆れた声を小岸は上げる。


「犯人だなんて思ってません、むしろ被害者だと思っています」


「おまえ、いったい何なんだよッ?」


「まぁ、御堂君の話しを最後まで聞こうじゃないか」


 色めき立つ小岸を東雲がなだめた。


「ありがとうございます。なぜ小岸さんが被害者かというと、あなたは二人の人物に利用されたからです」


「え……?」


「監督、先生が亡くなられた時点で『鬼霊戦記』のシナリオは完結していたんですか?」


「いいや、鮎瀬が担当する十話が執筆途中で十一話が手つかずだった」


「どうするおつもりでした?」


「自分で書くしかないと思ったよ。しかし、ギリギリだったからね、間に合わないかも知れないと、かなり焦っていた」


「そこに現れたんですね、芦屋満留が」


 初めて東雲は驚いた顔をした。そして、小岸も同じ様な顔をしている。刹那は自分の推理が間違っていないことを確信した。


「どうしてその名を?」


「彼女が、あたしを恨んでいる呪術師だからですよ」


「そんな、それじゃ……」


「ええ、あたしがこの作品に参加した事が影響しているかも知れません。

 彼女は『シナリオの続きを先生に執筆させる事が出来る』と言ってきたんじゃありませんか?」


「ああ、葬儀の時に言われた。彼女には一度インタビューをされていて、面識があった。ただ、いくら切羽詰まっていても、そんな話は信じられない」


「満留は『費用はシナリオが完成しない限りいただきません、その代わり鮎瀬千尋に強い情念を持っている人間の協力がいります』というような事を言った」


「ああ、そうだよ」


「なぜ沙絢さんを紹介しなかったんですか?」


「鮎瀬が倒れた時の彼女の取り乱した様子が頭をよぎった、それに……」


 そこで東雲は言葉を詰まらせた。


「私が千尋の葬儀にすら招かれなかったからですか?」


 静かに沙絢が尋ねると、東雲は無言でうなずいた。


 恐らく、沙絢との関係を千尋の家族は快く思っていないのだ。沙絢の性格考えると、遺族と揉めるのを千尋は喜ばないと考えて、初めから行くつもりが無かったのだろう。


「これ以上、君の心を掻き乱したくなかった」


「監督……」


「そこで、以前先生と交際していた、小岸さんを紹介したんですね?」


「あぁ……」


 刹那の問いに、東雲はうな垂れた。


 小岸は瞬きもせずに監督を見つめている。


「ホントなの?」


 呟くように優風が言った。


「ホントに、先生の魂を手に入れようとしたの?」


「……………………」


 小岸が優風の顔に視線を移す。


「答えてよッ、ひろ!」


「すまない、優風……」


 視線を逸らして答えた。


「どうして……」


「忘れられなかったんだ、千尋のことを……」


「ナンでッ、アタシがいるでしょッ?」


 永遠が驚いた顔をしている。


 刹那は前から気になっていたが、ファミレスで確信した。優風は黙って小岸のコーヒーに砂糖を入れた。


 いくら親しくても、普通なら一言かけるだろう。つまり、二人はそれが当たり前の関係なのだ。


 普段は隠していても、今日は色々な事があったせいで二人とも疲れている。うっかり習慣が出てしまったのだ。


 刹那が気付いたくらいだ、東雲と沙絢は当然感づいている。本人たちが一緒にいたので、永遠には前もって教えることが出来なかった。


「千尋はずっと面倒を見てくれた、まだ売れる前の、どう仕様もないオレの。

 大口を叩いているクセに、受けるオーディション、オーディション、片っ端から落ちてた。あの時期は役者って言うより、ただのフリーターだった。

 友達やバイト先の連中には、直ぐに大きな役が決まるって大口叩いているクセに、発声練習も満足にしていなかった。オーディションに受かるわけがない。

 そんなオレを、たしなめ、叱り、そして励まして、厳しく優しく支えてくれたのが千尋なんだ……


 忘れる事なんてできねぇよ……


 オレが辛い時、千尋はずっと側にいてくれたんだから……」


 刹那は同じ台詞を数時間前に聞いている、鮎瀬千尋という人物の献身的な一面を知った気がした。


 パンッ、と音がした。優風が小岸の頬を叩いたのだ。


「先生はもう居ないんだよッ。毅博の眼の前にいる、アタシを見てッ!」


 優風の悲痛な叫び声が部屋に響く。


 永遠が口に両手を当てて眼を見張る。


 一三歳の少女に見せる物ではない。早紀と一緒にマンションの外に待たせるなど、もっと配慮すべきだったと刹那は反省した。


「わかってる、わかってるよッ、オレにだってわかってるんだ!

 優風の気持ちだって解っているさッ。

 でも……でも……どう仕様もないんだよッ!」


 沙絢は視線を落とし、東雲は痛々しげに二人を見ている。


「小岸さん、未練を断つには、まず鮎瀬先生の呪縛を解かなければなりません。先生の『霊』がこの世に留まる限り、小岸さんも先生への想いから解き放たれることはありません」


「だから、解ってるってッ。でも……」


「千尋をこれ以上苦しめないで!」


 堪りかねたように沙絢が言った。


「キヒロくんも見たでしょ? 彼女、辛そうだった……亡くなっても苦しませるような事はもうやめて」


 小岸は眼をギュッと瞑った。


「オレだって苦しいさ。アンタには解らないんだ、千尋に選ばれたアンタには……」


「そうね、私にはあなたの気持ちは解らない。でも、あなたも私の気持ちが解る?

 眼の前で千尋が苦しんでいるのに、救急車を呼ぶことしか出来ず、待っている間、少しも役に立てなかった私の気持ちが」


 刹那は少しだけ解る気がした、助けたい人がいるのに、何も出来ない無力感。これなら何度も経験したことがある。


「…………………………」


「気付くと考えてるの、千尋を助ける方法があったんじゃないかって。例えそれが見つかっても、過去は変えられないのに。

 そして毎晩夢に見るの、千尋の苦しむ姿を。

 夢の中ぐらい、笑っていて欲しいのに」


「小岸君、俺が言えた義理じゃないが、鮎瀬を解放してくれ、この通りだ」


 東雲が頭を下げる。


 小岸はズボンのポケットから財布を出した。さらにその中から、お守りのような小袋を取り出す。


 白檀に似た香りがする、郡山駅で嗅いだ匂いだ。

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