Act2.録音スタジオ Part2

 刹那は現在、アニメ声優をしている。と言っても娑羯羅の他は、チョイ役で数本出演しただけだ。


 きっかけは昨年の夏、マネージャーの荒木早紀が知り合いの伝手つてで、オーディションを取ってきたことだ。


 彼女が所属している『プロダクションブレーブ』は、女性アイドル中心で声優の仕事はほとんどしていない。


 このオーディションも、社長で刹那の叔母でもある中川好恵は余り乗り気ではなく、取りあえずスケジュールがスカスカの姪に受けさせたのだ。


 ところが刹那は予想を裏切り見事合格、大手事務所とちょっとしたトラブルを起こした直後だったため、好恵はちゆうちよなくアイドルから声優に転身させた。


 元々アイドルとして華々しい活躍をしていたわけではない。キャラ作りのために海外SF・ファンタジー小説の感想をブログやSNSで発信したり、時どき握手会兼トークイベントや、事務所主催のウェブ番組に出演したりしていたくらいだ。


 刹那自身もそれほどアイドルに執着はなかった。就活に失敗し続け、心が折れそうになっていたところを叔母に拾ってもらったのだ。


 しかも、好恵はアイドルとしての才能を評価していたのではない、別の能力に期待して刹那をスカウトしていた。


 その能力とはいわゆる霊感だ。刹那は見えないはずの存在を視ることができ、声も聴け、話しをすることもできる。そして芸能業界はその手の話に事欠かない。


 彼女は副業として、拝み屋の真似事をさせられていた。


 なまじ本物であるため、霊感アイドルとして売られるのが嫌で拒否したところ、代わりに与えられたのが、海外のSF・ファンタジー小説マニアという設定だ。


 だが、霊能者に比べればこっちの方がまだマシだ、マニアは途中でやめられる。


 声優に転身した際に副業も辞めたかったが、そう甘くはなかった。


 刹那は生まれて初めてもらった台本を何度も読み返し、チェックを入れ、期待に胸を膨らまして初の収録へ向かった。


 ところが彼女を迎えたのは、スタッフと出演者だけではなかった。スタジオの中に老人がいた、もちろん視えているのは刹那だけだ。


 自分の霊感を知られたくないので、何ごとも無ければ放置しておくつもりだった。


 残念な事に録音が始まると機器にトラブルが起き始めて、刹那が演技を始めると、とうとう停電になってしまった。


 やむなく事情を監督の東雲智浩に話すと、彼は霊感の事を知っており浄霊を頼まれた。好恵が先回りして売り込んでいたらしい。


 ちなみに本業は早紀が担当しているが、副業は叔母が受け持っている。しかし、完全に分業されているわけではなく、刹那に内緒で本業に副業がオプションで付けられている場合がある。


 副業があるのを知ると刹那が嫌がるので、叔母は内緒にすることが多い。


 内心、好恵を毒突きつつ、刹那は老人に話しかけた。


「おじいさん、ここで何をしているんですか?」


 彼は厳めしい顔で、何かをブツブツと呟いていた。


『霊』とのコミュニケーションはスムーズに行かない事が多い。死ねば誰もが『霊』となるわけではない、怨みや後悔などの強い念いがある場合のみ存在する。


 この老人もブツブツと独り言を続けている、どうやら演技について呟いているようだ。


「あたしに話してくれませんか?」


『まったく芝居になっとらんッ!』


 いきなり一喝された。


「す、すみません……」


『君は会話をしているんじゃない、台詞を朗読しているんだ』


「は、はい……」


『演じる役について、どれくらい考えた?

 返事一つでも、相手との距離や、その時の感情で言い方が変わる。

 君の言い方はそれが全く伝わってこない。

 それにだ……』


『霊』に演技指導を受けるとは思わなかった。


    

 実はこのスタジオ、十数年前に大御所がアフレコ中に心臓麻痺を起こして亡くなっており、それから怪現象が起こるようになっていた。


 初めこそコミュニケーションが難しいと思ったが、これだけ雄弁に語る『霊』はレアだ。ましてや一〇年以上前の『霊』となると、念いも薄れ、会話がほとんど成り立たないのが普通だ。


 ただし、会話が出来ても簡単に浄霊できるわけではない。刹那は呪術を使うのではなく、あくまで説得して去ってもらう。


 この声優の老人は刹那の演技に不満を持って出てきた。正確には、自分が納得出来る芝居をしない役者に不満を持ってここに留まっているのだ。


 となると、刹那が彼の納得できる演技をし、さらに老人がすでに亡くなっていることを理解してもらうのがベストだ。


 だが、一朝一夕に演技が上手くなれば苦労はない、こんなケースは初めてだ。


 周りの視線が痛い。刹那が浄霊を行うことになったので、監督を含めたスタッフと声優陣がジッと見守っている。


 老人の姿も見えなければ声も聞こえないので、彼らには、刹那が誰もいない空間に恐縮しながら返事をしたり、謝ったりしている姿だけが見えているのだ。


 一秒ごとに信頼を失っていくような気がしてならない。


「刹那ちゃん、大丈夫?」


 手こずる刹那を見かねて、おきが声をかけてくれた。彼女は声優歴二〇年のベテランで『鬼霊戦記』ではもう一人の主人公、あやを演じている。


「ええ……実は……」


 副業で嫌々やっているとは言え、一応この場では専門家だ。相談するのははばかれるが、演技については素人の刹那である。恥を忍んで事情を話した。


 すると、沙絢の頬に涙が伝った。


「え? え? あの、あたし……」


「ごめんなさい……ちょっと、懐かしくって。上杉さん、ここにいるんだ。私ね、新人の頃、とてもお世話になったの」


 このスタジオで亡くなったのは、うえすぎろうという役者だった。


「上杉さんに私の言葉は伝わる?」


「あたしにバッチリ演技指導してくれているので、だいじょうぶだと思います」


 沙絢は刹那が話しかけていた空間に視線を向けた。


「上杉さん、お久しぶりです、沙絢です。私のこと、覚えていますか?

 私の演技もまだまだですが、上杉さんのお陰で少しは見られるようになったと思います。

 刹那ちゃんは、今日が初めてのアフレコなんです。上杉さんが私に教えてくれた事を、一つでも多く伝えます。

 だから、ゆっくり休んでください。私たちは、まだまだ力不足でしょうけど、上杉さんに納得していただけるよう、全力で演じていきますから」


『沙絢ちゃん……?』


「沖田さんも、上杉さんが指導していたんですね」


『ああ……』


「上杉さん、あなたはもう亡くなっています」


『………………』


「きっと沖田さんが、上杉さんがあたしに伝えようとしている事を教えてくれます」


『………………私もそう思うよ』


 しばらく戸惑ったように当たりを見回していたが、やがて沙絢を見つめてうなずいた。


『あの沙絢ちゃんがなぁ。NGを何度も出して、音響監督に叱られて、べそをかいていたあの娘が……

 そりゃ、私も死んでいるわな』


 上杉はおどけて笑った。


「少しだけですが、上杉さんから直接御指導いただけて光栄でした」


『私も君に出会えてよかったよ。そうだ名前を聞いていなかったな……』


 上杉が薄くなり始めた。刹那にこう視えると言うことは、彼が自分の死を受け容れた証だ。


「御堂刹那です」


『そうか……刹那ちゃん……いい役者に……なるんだぞ……』


 言い終えると、完全に上杉の姿が視えなくなった。


「はい、精一杯がんばります」


 もう、スタジオに上杉太朗はいない。


 彼がいわゆるあの世へ旅立ったのか、それとも単なる消滅か、それは刹那にも判らない。


 その後、アフレコは順調に進んだ。

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