第16話

夜明け前からのトレーニングによって満身創痍の体を何とか動かしながら、俺達は依頼を達成しようとする。

──今回の対象は『フォレストボア』と呼ばれる猪だ。大きさは乗用車に近く、とんでもない速度で突進してくるらしい。

そんな存在を誰の手も借りずに倒せというのがトレーニング内容の一つだ。……クマじゃ無いだけ優しいのかなぁ……?

因みに智也は智也で宿の庭を借りてトレーニングをしている。畜生がッ!


「おっ、いたいた。……大丈夫じゃないよな?多分俺全身複雑骨折するよな?」

「大丈夫よ。いざとなったら手助けするわ。」


目線の先で呑気に水を飲んでいるボアさん。……ベルファイアぐらいには大きいな。あれを1人で狩れと?その前に俺が狩られちまうッ!


「ほーら行ってらっしゃーい。」


うだうだ行きたくないということを雰囲気で示していると、背中から鈍い衝撃。突然現れたエモノを見つけ、完全に臨戦態勢に入っている。

後ろを振り向くが、見えるのは俺達が通ってきた獣道だけ。

──アイツっ!隠れやがった!


「ええいままよっ!」


ボアさんがいた方向を向くと、先程まで水辺にいたはずなのにいつの間にか俺の目の前にいた。


「どあっ!?」


そのまま不格好ながらも剣を振り──鼻を少しだけ掠めて吹き飛ばされた。

──ウッソだろお前っ……10メートルはあったぞ……!

そのままゴムボールの如く吹き飛ばされる──という訳もなく木に激突し、ボロ雑巾のように倒れ込む。口の中に鉄の味が広がっていくのを感じる。呼吸を整えようとしても息を吐く度に血と胃酸の混合物が口から溢れ出る。

それを見た奴は嘲りの目で俺を見ながら、悠然とこちらに歩いてくる。


「……ははっ、楽しくなってきたッ!」


そうだ……!そうだろっ!?こんな事で、こんな奴につまづいていたらこれから先何も出来ねえよなあっ!アイツを、智也を、天才共をッ!超えるんだったらこんな事で挫けてられないわなッ!

──やってやろうじゃねえか。凡人の、人間の強さってのを見せてやるよッ!


「ァァァァァァアアアアアッッッッ!」


奴の鼻がすぐ近くまで迫った瞬間、俺は持っていた剣を奴の鼻の穴に突き立てる。

──それは肉を裂き、そこから温かい鮮血が噴き出す。

暴れる奴から剣を引き抜き、これまで我流で磨いてきた己の剣を腹目掛けて切りつける。

──肉を切り裂く。暴れる度にぶしゅりと鮮血が噴き出し、本来緑だった森林を赤く染め上げる。

広がる血と、動きが鈍くなるボア。未だ閉じられない目には激しい憎悪と憤怒が満ち満ちている。


「……悪いとは言わねえよ。これが世界の真理なんだからな。」


そのまま心臓目掛けて剣を突き立てる。

──終わった。俺は成し遂げたんだ。

目の前に降り立つ白い影。その表情は安堵が広がっていた。


「がふっ……あぁ、そろそろ俺限界かも……ごめん……あとは……まか……せ……」


意識が途切れて薄くなっていく中、俺の耳には聞いた事があるような無いような声が聞こえてきた。


──やはり君を選んで正解だったよ。『神凪拓哉』君。


───────────────────────


断片的に広がる過去の風景。

息子の1人を無くした両親と、それに擦り寄ってきたクソ野郎共。奴らの発言には『救い』の言葉がある。

──そうして壊れていった家庭。優しかった母親は狂い、傲慢になり、己の正義を他人に強要する。

頼もしかった父親は常に拝むようになり、あれほど父を大きく見せていた筋肉は全てこそげ落ちていった。

子供ながらにこの状況が異常だと感じた少年は、止めようと奮闘し──完膚なきまでに壊された。

これまでいた友人も、優しかった先生も、誰も、彼もが狂っていった。

そうして狂気によって壊された少年は、立ち向かう事を止めて逃げた。


「これは敗北じゃない。戦略的撤退だ。」


この言葉を呟きながら、逃げた先に見えたのは川。

思い出がフラッシュバックする中、絶望と諦観が心中を支配していた少年はなんの躊躇いも、後悔もなく飛び降りた。

意識が薄れ、肺の中に水が入り、自分と他人が入り交じる錯覚が少年を支配して──


──目が覚めた時に見えたのは白い天井だった。

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