その2 わたしが本屋の店員になった理由

 わたし――綴野つむぎは、小さな本屋の店員を務めている。

 個人経営の本屋「ぽっぷぽっぷ書店」――それが、わたしが勤める書店の名前。


 本屋の店員になる三年前。

 高校生になっても本の虫となっていたわたしは、自分で欲しい本を買うためにアルバイトをするこを決意した。勿論、アルバイトをするなら本屋さんだ。それ以外に選択肢はない。というよりも、そもそもその発想がなかった。

 スマホで近くの本屋さんを検索し、そして――

「ぽっぷぽっぷ書店……」

 その名前に、私は釘付けになった。

 家から高校までの道行きからは少し外れているが、遠回りと思える程度で、通えないほどではない。一度、客として行ってみよう思い、次の日の帰り、わたしは「ぽっぷぽっぷ書店」なる本屋へ赴くことにした。

 そこは個人経営で、とても小さな書店だった。

 それでも、わたしは胸がドキドキして、気持ちのワクワクが止まらなかった。

 スキップで向かうわたしの三つ編みにしたポニーテールが揺れる。

 これは、小学生のころ、図書室の司書さんと同じ髪型なのだ。

 そして、これも司書さんとお揃いのラベンダー色のリボンで、三つ編みの根元を結び、ワンポイントのアクセントをつけている。

 中学生になると、文学少女なるもの三つ編みのおさげだと、これもまた本の影響を受けてそうしようと思っていたわたしだったが、司書さんの、ゆるめに編んだ三つ編みのポニーテールが忘れられなくて、それでいて憧れで、最後には迷いに迷い、司書さんと同じ髪型にするようにしたのだ。

 お店に入ると、向かって右手にレジがあり、そこに二人の女性店員がいた。一人は店長だろうか、三、四十代の女性と、もう一人はアルバイトに見える、自分よりも少し年上の若い女性だった。

 正面と左手には、週刊誌や月刊誌が並び、その奥にあたる店の中央には、漫画と小説の平積みスペースと新刊スペースが設けられており、さらに奥には漫画と小説の既刊が本棚に並べられていた。

 わたしは迷わず、小説の平積みスペースに向かった。

 中学に上がってからは、文学に限らず、ライトノベルも読むようになった。司書さんのおかげで、食わず嫌いというか、どんなジャンルも楽しめるようになっていた。

 現代はミステリーから青春まで、ファンタジーだっていける。ライトノベルなら多少エッチでも大丈夫――むしろ、表現なら昔の文学の方が……きゃっ。

 わたしが本屋さんを訪れた際、一番最初のチェックするのが、新刊と平積みコーナーだ。目当ては勿論、ポップだ。

 本屋さん、そしてそこに勤める店員によるお薦め。

 四角に丸、ふきだしやハート型など、本の雰囲気にあった型に切られた色紙いろがみ。そして、手書きによる紹介文。細めのボールペンの文字からの、太字のマジックの大文字。そのアクセントと色使いに目を奪われ、足を止めさせる。そして、その目を釘付けにさせ、最後にはその本を手に取らせる。そうして手に取った本をレジに持って行かせれば、ポップを書いた店員の勝利であり、それ以上に店員冥利に尽きるというものなのだ。

 そんな気迫さえ感じさせるポップ。手書きによる親近感もそうだが、何よりも愛を感じるのだ。すべてが手作りで、一冊の本を紹介するのに、どれだけの時間を使っているのか。ぱっと思いつくこともあれば、うんうん唸って捻って出したものが次の日に見てみれば消し去りたくなることもある。

 それは、わたしにも経験のあることで、楽しかったが、辛くもあった。

 中学生になったわたしは、三年間を図書委員として過ごした。ただ言われるままに本の整理や貸し借りの手続きをするだけでなく、中学校の司書さんの許可を貰い、レイアウトを変えて、ポップを書き、お薦めの本を紹介した。

 だけど、その効果はほとんどなかった。

 それでも、たまにポップを見て借りてくれる人もいた。

 ポップを書くのは楽しかったが、それでも誰も借りてくれない時は、悲しかった。小学生の頃の司書さんも、こんな気持ちだったのだろうか。そう思うたびに、わたしは何度も自分を奮い立たせ、気に入った本のポップを書いた。

 中学校の司書さんは、小学校のころの司書さんのように、根っからの本好きではなかった。

 わたしが遅くまで残って、時には家で書いてきたポップを見せると、あまり無理しなくていいのよ、とやんわりと言われた。

 無理? とんでもない。

 やるなと言われても書きたいくらい、大好きなのだ。

 図書委員だからとか、それすらも関係ない。

 これは、もはや趣味なのだ。うん。

 わたしが書いたポップで誰かが笑顔になってくれるなら。その本を好きになってくれるなら――そんなことを想像するだけで、書く手が止まらなくなる。

 そんな三年間の経験が、わたしのポップづくりの原点だ。

 それと同時に書店を巡っては見る目を肥やし、時には吸収、時には(心のなかで)駄目出し、そうしてポップづくりに磨きをかけていった。

 そして、この「ぽっぷぽっぷ書店」は、名前からしてわたしの琴線に触れ、そしてその名に恥じない素晴らしいポップに、わたしは胸を撃ち抜かれた。

 そのポップに魅入られ、じっと見つめていたわたしの横で、アルバイトと思わしき若い女性店員が横切り、わたしは思わず呼び止めた。

 そのポップについて聞くと、若い女性店員は、照れながら自分が書いたのだと言った。わたしはそれを聞くと、前のめりになって褒めちぎった。

 買うか買うまいか考える余地すら与えず、気がつけば本を手に取っていた。

 これがポップの魔法。

 気がつけば話が弾み、もう一人の女性店員に呼び止められるまで止まらなかった。

 恥ずかしさに思わず手に持っていた本で赤くなった顔を隠し、そのまま本をレジに持っていくと、女性店員がレジに入った。

 店員が会計をしている間、視線を落としていたわたしは、カウンターに貼られたアルバイトの広告を見つけ、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 お世辞にも広いとは言えない――狭いとも言っていない――この店で、アルバイトを募集しているなど、奇跡だ。

 会計後、待っている客がいないことを確認すると、わたしはアルバイトに関する質問をぶつけた。

 ちなみに、女性店員は、この本屋の店長だった。

 店長の話では、このアルバイト募集も、今し方ポップで熱いトークをかわしていたアルバイト店員が、大学四回生になり、研究で忙しくなるためアルバイトを辞めるためのものらしい。

 わたしは、話を聞き終えると同時に、その募集に名乗りを上げた。

 そこからすかさず、本を読むこと、何よりポップを書くことが大好きなことを告げると、店長は目の色を変え、むしろ是非と採用を検討してくれた。

 お店の名前――「ぽっぷぽっぷ書店」が表すように、この本屋のコンセプトは、店員が、読者にお薦めできる本をラインナップするという素晴らしいものだった。

 月いちで、地元のこどもたち向けに、朗読会を開いたりもしているらしい。

 店が広すぎない――狭いのではなく――のも、そういった理由のひとつらしい。

 これまで、アルバイトの女性店員がポップを書いていたが、代わりが中々見つからなくて困っている真っ最中だったようだ。

 ちなみに、店長の方は、経営はばっちりなのだが、ポップづくりは苦手らしい。

 アルバイトの女性店員と気が合ったこともあり、わたしはすぐに採用された。

 数日後には早速シフトに入り、アルバイトの女性店員から学び、ポップづくりに関しても学んだ。

 自分がお薦めする本のポップを書き、お互いに意見を言い合う。同じ本がかぶったときは、二つ置いたこともあった。自分がこれはお薦めできると思ったものは、店員同士で話し合い、仕入れたりもしている。

 一ヶ月後にはアルバイトの女性店員が辞めた。

 寂しくなったが、それからも客としてよく顔を出しては、わたしが作ったポップを見て、本を買ってくれた。

 それからの高校三年間を、わたしは「ぽっぷぽっぷ書店」でのアルバイトと、お店で買った本――店員価格で買えるのは僥倖だった――を読むという、本だけの生活で終わりを迎えた。

 控えめに言っても、とても充実した三年間だった。

 高校に通うのはついでで、わたしにとっては「ぽっぷぽっぷ書店」でのアルバイトが、高校生活そのものだった。

 一生懸命に、時にはパッと閃いた文章で書き上げたポップ。

 それを、お客さんが目にとめ、その本を手にとってくれるたびに、わたしはレジで会計をするときに、心の中でありがとうございますと頭を下げた。

 三年間アルバイトをしていると、常連客も分かるようになり、新刊発売日に店に来てくれると、それだけで嬉しくなる。

 ポップを書いて、それを見て買ってくれるお客さんに喜びつつ、その一方で、まったく注目していなかった本を買うお客さんに、刺激を受けることもある。その本を読み、やられた、と夜のベッドの上でもんどりをうち、次の日にはその気持ちをポップにぶつけて他のお客さんにも薦めた。

 朗読会で知り合った、お孫さんを連れてきた年配の方に本を薦めた際、数日後にその方だけが来店し、わたしに他にお薦めの本がないか訊ねてきた。わたしがいくつか本を選ぶと、その方は「じゃあ、全部いただくわ」と戸惑いなく言った。

 薦めておきながら、わたしは「いいんですか?」と聞くと、「あなたが薦めてくれるんだから、きっと面白いわよね?」と少しだけ意地悪で、だけど愛嬌のある笑顔で訊かれ、わたしは「はい!」と自信を持って答えた。

 「また来るわね」と言って店を出たその方を見送り、その日は家で思わず嬉し涙を流してしまった。

 そうして三年間が過ぎ、就職活動が始まったとき、わたしはお母さんに就職したい先を告げた。反対されるのを覚悟でいたが、お母さんは応援してくれた。

 むしろ、それ以外の仕事をしている姿が想像できないと苦笑された。

 それが背中を押してくれたということもあり、わたしは「ぽっぷぽっぷ書店」の店長に、正社員として雇ってくださいとお願いした。

 これまでに感じたことのない緊張感に、本を読むときに感じていたのとは違うドキドキがわたしを襲った。

 そして、店長の返事は、イエスだった。

 むしろ、お願いしたいくらいだと思っていたとも言われた。

 だが、望んで本屋の正社員になりたがる人は稀で、正直迷っていたらしい。

 そこに、わたしからの正社員の希望――断る理由はないと言われた。

 アルバイトと正社員の違い。

 仕事のキツさ。給料うんぬん――色々言われたが、わたしの気持ちは揺るがなかった。

 かつては、小学生のころの司書さんにも憧れた。

 だけど、わたしが司書さんから与えられた、本を紹介する楽しさ、喜び――そういったものを感じることができるのは、常に新しい本と触れ、色んなお客さんと出会える本屋でなければならないと思った。

 司書さんのように、歳を重ねたら、それも検討してみたい。

 だけど、今はとにかく本屋で働きたい気持ちでいっぱいなのだ。

 だから、正社員として来年からよろしくと言われた時、わたしは嬉しくて、この気持ちを、司書さんに伝えたくて堪らなかった。

 その気持ちは、意外な形で叶った。


 いつものあの、やわらかくて優しい笑みを浮かべる司書さん。

 わたしは、中学、高校、そして「ぽっぷぽっぷ書店」でのアルバイトのことを、一時間経っても話し続けた。

 司書さんはずっと笑顔を浮かべ続けている。

 「ぽっぷぽっぷ書店」という店名の名付け親。

 三年前の移転の際、店名を今風に変えようと考えていた店長に、その母親である司書さんが提案したのだという。

 店長も驚いていた。

 母親が定年前に働いていた図書室に足繁く通ってきてくれた、ひとりの少女。

 店長は、毎日、夕食の場でその子の話を母親から聞かされていたのだという。

 そして、本を紹介する楽しさ、素晴らしさを語り、店長が祖母から店を受け継いだ際、移転を機に規模を縮小し、その分、厳選した本を取り扱うようにした。

 だけど、司書さん――店長にとっての母親が、新しくなった看板を見ることはなかった。

 わたしは、司書さんの遺影を前に、はなむけの言葉を送った。

「わたし、本が大好きです。これまでも……これからも、ずっと……」

 頬をひと筋の涙が伝う。

 だけど、その表情は、司書さんと同じように微笑みを浮かべていた。

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