綴野つむぎの本好きメモワール

天瀬智

その1 わたしが本を読むようになった理由

 わたし――綴野つむぎは本が大好きだ。

 小学生のころから、お気に入りの場所と言えば図書室で、司書さんには顔と名前を覚えられるほどだった。

 タイトルや表紙の絵を見ては気に入った本を借りて、学校では休み時間に読み耽っては移動教室に行き忘れたり、家に帰って晩ご飯の席に着けば、箸よりも本を片手にご飯を忘れて没頭してしまうこともある。お風呂はさすがに図書室の借り物だけあって我慢したが、その分、夜更かしは日常茶飯事だった。

 ある日、司書さんがわたしに一冊の本を薦めてくれた。

 その本を開いて、わたしは気がつけば没頭し、家で読み終えた瞬間、すぐにでも司書さんに会いたい衝動に駆られた。

 ベッドで横になっても、物語の展開が頭のなかで勝手に再生され、興奮して眠れず、大好きな場面をもう一度読み返したりした。

 翌朝、登校してすぐに図書室へと走った。

 司書さんに本を返し、まくし立てるように読んで思ったことや感じたことを話した。

 それを、司書さんは笑顔で何度も相槌を打ち、聞き入ってくれた。

 時間が全然足りなくなって、朝のホームルームが始まる予鈴が鳴ると、司書さんは一冊の本をまた貸してくれた。

 わたしはそれが嬉しくて、それからも毎日まいにち図書室に通った。

 司書さんが貸してくれた本のなかには、図書室の本ではなく、司書さん自身の本もあった。司書さんは唇に人差し指を当て、二人だけの秘密よ、と微笑んでくれた。

 それに、一冊読み終えるごとに、飴も貰った。

 次の本と一緒に、他の生徒には見つからないように、こっそりと。そうして無事に渡し終えると、いつも二人で見つめ合って笑い合った。

 毎日が楽しくて、こんな日がずっと続くんだと思っていた。

 だけど、小学六年生になり、卒業式の前日になり、わたしはもう司書さんに会えないのだと初めて理解した。

 そして、司書さんも定年で、学校を辞めるのだと聞かされた。

 卒業式が終わって、わたしは司書さんを探した。

 司書さんは図書室にいた。

 卒業式の日に限っては誰も寄り付かない。

 だけど、わたしと司書さんにとっては、いつもの場所。

 司書さんは、まるでいつもと変わらないといった様子で、一冊の本を差し出してきた。そして、これは貸し出し用ではなく、プレゼントだと言ってくれた。

 司書さんは、本を手渡す際、「ありがとう」とわたしに言った。

 それは、本来ならわたしが言うべき――言おうとしていた言葉だったのに、どうして司書さんが言うのか、それが不思議だった。

 そのことを訊ねると、司書さんはやわらかく微笑み、話してくれた。

 司書さんは、本が大好きだった。

 だけど、本を借りにくる生徒が少なく、借りてもすぐに返しにくるか、読んでも次を借りて帰る子はいない。

 そんな現状に、少しだけ寂しく感じていたと。

 そんなときに司書さんの前にあらわれたのが、わたしだった。

 本棚を前に背表紙を見ては瞳を輝かせ、手にとっては表紙を見て、口元ににんまりと笑みを浮かべるその表情を、司書さんに見られていたらしい。

 そうして本を何冊、何十冊を貸し出すうちに、司書さんはわたしの好きな本の傾倒を把握し、思わず薦めてみたくなったのだという。

 そして、その本を読み、目の前で感想を語るわたしに、司書さんは嬉しくなったのだと。

 本を薦めることの楽しさに目覚めた司書さんは、それからわたしのために次の本を図書室から探してくれていたらしい。図書室になければ、自分の家の本棚に並ぶ本から選び、なんと手元にもなければ書店まで足を運び、自分が読むのも兼ねて買っていたのだという。

 どうしてそこまでしてくれたのか聞くと、司書さんは優しい笑顔で、「つむぎちゃんが、本を大好きでいてくれるからよ」と言ってくれた。

 それからの司書さんは、毎日が楽しく、わたしが本を返しにくるのをまだかまだかと待ちわび、走る足音が近づけば、年甲斐もなく気分が高まったと言って笑った。

 面白かった、楽しかった――小学生なら仕方ないが、そんな単純な感想でも、司書さんには嬉しかったのだと。

 だから、毎日図書室に通ってくれて、本を読んでくれて、感想を語ってくれて『ありがとう』――なのだと。

 司書さんから手渡された本を受け取ったわたしは、手に持っていた一枚の紙を司書さんに手渡した。

 それは、今日までわたしに本を薦めてくれた司書さんに対する感謝状だった。

 楽しい本をありがとう。

 面白い本をありがとう。

 ワクワクする本をありがとう。

 ドキドキする本をありがとう。

 思わず泣いちゃって、涙で本をシワにしてしまってごめんなさい。

 どんな本も、司書さんが選んでくれたものは、面白かったです。

 だから、「ありがとうございました」とわたしも告げた。

 司書さんは受け取った手書きの感謝状を読み、涙を流していた。

 ありがとう、ありがとう――と何度も言葉にし、涙を拭った。

 廊下から、お母さんの呼ぶ声が聞こえ、わたしは別れの時が来たことを悟った。

 司書さんは、何とか泣き止み、最後にいつもの優しい笑みを浮かべ、

「これからも、本を好きでいてね」

 とわたしの頭を撫で、最後に飴をくれた。


 それが、わたし――綴野つむぎの原点。

 本を読むこと、そしてそれと同じくらい、本を紹介するのが大好きな私の――

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