第4話 道摩満と白狐の館ーーー④
「すんまっせーん…………誰も居ねぇの?」
館に入って先ず目に入ったのは、奥へと続く左右廊下を二分するようにホールのド真ん中に設置された
これで家主が留守なら俺は不法侵入者確定なのだが、これほど大きな館なら使用人なり家政婦なり、誰かしら居るだろう。それに先ほど灯りも見えたわけだし。大丈夫、大丈夫。この前の授業で習った言葉を使うならば、希望的観測ってやつだ。それに京都に来てまで通報されるのも補導されるのも、もう懲り懲りだ。
さて、
「コンッ!」
ふと、聞こえたのは鳴き声だった。見下ろすと足元に一匹の小犬がいた。雪のような純白の毛皮で身を包んだその小犬は手の平ほどの小ささで、気付かなければうっかり踏み潰していたところだ。じっと俺を見上げるその顔には
「なぁチビ犬、表の看板見て入ったんだけど此処の主人は留守なのか?」
尋ねて、何て馬鹿らしいことをしているんだと恥ずかしくなる。動物に話し掛けてどうする。答えが返ってくるわけでもない俺の質問は、ただの独り言になる筈だった。
「この
「………………ん?」
鼓膜を揺らしたのは
「
首を右に
「だから狐じゃと言うておろうが。聞こえておるのじゃろ?無視するでないわ小僧」
ポム、と愛らしい効果音をさせて肉球の付いた小さな手が俺の
「見た目チビなのに、声がすっげぇジジイ……!」
「ギャップ萌えというやつじゃ。
「ギャップ通り越してアンバランスさが気味悪ぃわ」
「失礼な小僧めが」
ずり落ちた片眼鏡を直しながら小狐改めジジイ狐がフンと鼻を鳴らす。小さな体のわりに態度は随分でかいやつだな。生意気なチビめ、嫌いじゃねぇけど。つられて笑みを
我に返り、慌ててジジイ狐を払い落とす。くるんと一回転したソイツが見事な着地を披露するのを見届ける前に、俺もくるんと回れ右して
「これ小僧、何処へ行くのじゃ?」
返事はしない。してやる義理もない。そんな暇があるのならもっと足を動かすべきだ。何処へ行く?そんなもの、此処を出て行くに決まっている。矢っ張りこんな得体の知れない場所にのこのこ入るんじゃなかった。まだ外は霧に満ちているだろうか?家までの道は分かるだろうか?結局知りたい事は知れず仕舞いだけれど、此処に居るよりは幾分かマシだろう。今まで他人に見えないものはたくさん見てきたけれど、言葉を交わしたのはこれが初めてだった。…………ああいう化け物って、意思の疎通が出来るんだ。なんて、気付くだけ無駄な意味のない発見だ。あのジジイ狐とは二度と会うつもりはないし、此処にはもう絶対来ないのだから。大きな玄関扉のドアノブを掴み、胸を撫で下ろす。こんな場所、もうおさらばだ。
「とんだ化け物館だぜ…………見た目可愛いとか反則だろ」
「化け物ってなにがー?」
「そりゃさっきのジジイ狐だ、……」
最後まで、言葉を続けることは出来なかった。ぬっと、音もなく横から伸びてきた小さな掌に腕を掴まれていたからだ。
道に迷ってからというものの、困ったことに俺には奇妙な事ばかり起きている。奇妙な館に辿り着き、奇妙な化け物と言葉を交わし、奇妙なガキに絡まれている。
背が俺の腰の高さほどしかないその子どもは、白い
「ねぇお兄ちゃん、もう帰るのー?」
「ぅおぉお!お前、
「ボク?ボクはねー、ボクだよ!」
「……意味分かんねぇガキだな。この家の子か?」
「そうだよー!ボクはねー、ボクなの!」
「あ、そう……」
会話になりゃしねぇ。
俺の腕を掴んだままその場で跳び跳ねるガキは、きゃっきゃとはしゃぐばかりで人の話を聞いちゃいない。聞く気もなさそうだが。俺は一人っ子だから見当もつかないが、小さな子どもってのは皆こんなものなんだろうか。さりげなく振りほどいてみようと試みるも、腕を掴むその力は小さな体からは想像もつかないほど強い。
それにしても、薄暗いせいでガキの顔がよく見えない。頼りの灯りもランプのみだから仕方ないが、ガキの大きな金色の眼だけがいやに光って目立ち、不気味さに
「…………ん?お前なんか尻に付いてんぞ」
跳び跳ねる度にガキの後ろで何かが動くのが視界に入った。払ってやろうと掴まれていない方の手を伸ばすと、肌触りの良い何かが腕を撫でた。右へ、左へ、右へ、左へ。逃げるように揺れるそれをむんずと掴むと、ガキが甲高い声をあげて笑った。
「きゃはは!捕まっちゃったー!くすぐったいよー!」
「はぁ?何言ってんだお前」
未だに手のなかで動くそれの正体を確認しようと目を凝らす。薄暗さに慣れた両目に映ったのは、ふわふわとした、雪のように純白の尻尾だった。
「……………………………………何だこれ」
「それはねー、ボクのっ!」
言って、悪戯に笑うガキが俺を真似てしゃがみ込む。近くなったことでよく見えるようになったソイツの頭には、尻に生えた尾と同じ、真っ白な三角形の獣耳が生えていた。立ちあがり
「ってお前も化け物かよ!」
「ムムムッ!ちがうもーん、ボクはきつねだよー!」
「ムムムッ、じゃねぇ!可愛くねぇんだよクソガキ!」
「可愛いもーん!ボクは可愛いきつねだもーん!」
「自分を可愛いって言うヤツは大概ろくなヤツじゃねーんだよ!」
ぷっくりと頬を膨らませるガキのあざとさったらない。相手をするのも面倒くせぇ、嫌いなタイプだ。しかし、いくら化け物といえどガキを殴るのは不本意なので、突き飛ばす程度に
「ッ痛ぇ!ガキのくせに何て馬鹿力してやがる!?離せ!」
「えー?そんなに力は入れてないけどなー」
「俺の上に座んじゃねぇ!ぶっ飛ばすぞ!」
「やだよー、退いたら逃げちゃうでしょー?あそぼー?お兄ちゃんっ」
「クソッ!本当に何なんだよ此処は!?」
「貴様の
ただでさえ薄暗いなかで、さらに顔に影が掛かり視界が悪くなる。
「げっ、さっきのジジイ狐……!」
「ねぇねぇ、このお兄ちゃんはお客さんでよかったー?」
「
「お前
「細かい事は気にするでない。それよりも此処の主人に会いたいのじゃろ?案内してやろうぞ。
「いいよー!」
「えっ…………お前が兄貴なのか」
「そうだよー!可愛い上にしっかりもので優しいお兄さんだなんて…………えへへ!ほめすぎだよー!」
「言ってねぇよ、耳おかしいんじゃねぇの」
「えへへ!照れちゃうなー!」
「聞けよ」
話になりゃしねぇ。背中の上でひと跳ねしてからガキが飛び退き、ゴキュッと背骨が変な悲鳴をあげる。痛ぇよバカ。
「それじゃあ
「うわッ!?止めろ、降ろせ!!これすっげー恥ずい!!」
「えー?ダメだよ、そんなこと言って逃げる気でしょー?ダメだよ、お兄ちゃんは大事なおきゃ……金づるだもーん!」
「やっぱり
「全く……口の悪い小僧じゃの。目上の者には敬意を払わぬか」
脇腹をガッツリ掴んで離さないガキから逃れようと
「テメェら……いつか絶対毛剥いでマフラーにしてやる……!」
「おお
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