急変

 MACT内の私室に戻ると、小さな人影がベッドの上にちょこんと腰かけていた。

 祐樹だ。

 祐樹はこの近所に住んでいる子供で、以前会った時に懐かれ、以後ちょくちょく俺の部屋に来ては入り浸っている。


「あっ!お兄……ちゃん?」

「おう、来てたのか」

 戻ってきた俺に向けられた明るい声が、どんどん尻すぼみになる。

 まずいな、子供から見て分かるほど疲れた顔をしていたか?


 よろしくない。

 これは大変よろしくない、とは思うのだが。

 どうも今は、無理に元気を出すような余裕も無い。

 俺は大きめの絆創膏を張った額を撫でながら、なんとか喉の奥から声を絞り出した。


「ごめんな、今日は遊べないんだ」

「え、あ、うん……」

 子供なりに何かを察したのだろうか。

 駄々を捏ねることもなく素直に応じた祐樹は、ガッカリしたような心配するような顔をしてベッドから飛び降りた。

 とぼとぼと部屋を出ていく小さな背中を見送り、今日一日の出来事を思い出しながら、さっきまで祐樹が座っていたベッドに腰掛ける。

 俺は三時間ほど前に沢渡さんに連れられ、怪人の親玉だと思っていた最初のヒール、ゼロイチに会ってきた。

 そこであった出来事をMACTで報告し、いましがた自分の部屋に戻ってきたところだが。


 問題は、ゼロイチと話していた最中に起こった出来事。

 ここに戻り、全ての事の顛末を自分の口から説明した後でも実感が湧かない。

 到底現実の事とは思えない。

 信じられない。信じたくない。


 ゼロイチが、自身が怪人となったいきさつを話し。

 俺がMACTで彼を普通の人間に戻すと提案したその時。

 突如、俺達がいたビジネスホテルの部屋の窓ガラスが割れ、外から怪人が侵入し、


 ゼロイチが、連れ去られた。



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 一瞬の出来事だった。

 俺と沢渡さんが気付いた時には既にゼロイチの小さな体が抱えられ、頭上から瓦礫が降ってきた。

 一秒ほどして怪人の剛腕が天井に叩きつけられ、その破片が降ってきたのだと気が付くが、時すでに遅く視界が遮られる。


 落下してくるコンクリートの塊から身を守っていると、その間に何かが窓へと遠ざかっている音がした。あの侵入者だ。

 その瞬間、身を守ることも忘れて駆けだしたが、こぶし大の破片が丁度額にかち当たった。

 一瞬の間を置いて窓の方を見た時には既に怪人の姿は無く、ただ割られた窓ガラスの残骸と、建物の外の風景が視界に移るだけだった。


 俺と沢渡さんが変身する暇も無く、人一人が攫われた。

 更に恐ろしいことに、俺はその怪人の姿に見覚えがある。

 二メートルを超す巨体に、全身から生えた太いトゲ。

 今現在MACTと協力関係にある怪人、ゼロフォーにそっくりなあの姿。


 しかし、纏っている空気が全く違う。

 一瞬だけ見えたあの冷たい目。

 おそらくあいつが以前から話に聞いていた。

 ゼロフォーにそっくりで、最初の七人のヒールの中の一人。

 残酷で目的のためなら人を殺すこともためらわない、大谷の家族の仇。


 直接見るのは初めてだが、それでもわかる。

 あいつが、ゼロサンだ。


「……まさかこうなるとはな」

「沢渡さん、あいつは」

「あいつはゼロサン。今出現しているヒールは全てアイツが作ったもの。怪人の親玉だ」

 やっぱりだ。これですべてがつながった。

 ということは、ゼロイチが連れ去られたのは。


「あいつは、MACTに復讐をするつもりなんですね。その象徴として、ゼロイチを……」

「いや、それは違う」

 違う?

 違うって、一体どういうことだ?


「後のことは俺が処理しておく。お前はMACTに戻ってここで起きたことを報告してくれ」

「いやでも、」

 淡々と放たれる沢渡さんの言葉はいやに冷たい響きで、言葉がつっかえてしまう。

 なんだ?何か様子がおかしい。


「それから、MACTは、いやヒーロイド個人もだ。この件には一切関わるな、ヒールが現れても一切出動するなと伝えろ」

 関わるな?出動するな?

 なんでそんなことを?

 じゃあ、街に現れたヒールから誰が人々を守るんだ?

 ヒーロイドは一体何のために存在しているんだ?


「ちょっと待ってくださいよ!じゃあ、誰が……」

 あまりに急なことで思考の整理が追い付かない。

 言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えする中で。

 ふとこちらを見る沢渡さんの視線に気が付いた。

 その覚悟を決めたような、冷酷なような目を見て、俺はあることに気が付いた。


「まさか、沢渡さん一人で怪人と戦うつもりですか?すべて、一人で決着をつけるつもりで」

「俺はもう行く。一刻も早くゼロイチを助けないと」

 そのまま部屋の出口に向かって歩き出す背中に、怒声をぶつける。

 情けないことだがこの時、俺はその場から一歩も動けなくなっていた。


「なんでですか!!これは、MACTや、脇坂も!ヒーロイドも……俺も向き合わなきゃいけないことでしょう!!沢渡さん!!」

 見慣れた青い上着を羽織ったその後ろ姿は、見たことが無いほど寂しく。

 遠のいていく背中に、俺の声は届かなかった。


 パタンと緩く扉が閉まった瞬間、体から力が抜けてその場にへたりと座り込む。


「どういうつもりなんだよ。てか、どうしろってんだ……」

 ぽつりと呟いた後、俺は身動き一つとれなくなった。

 立ち上がるのはもちろん、倒れこんでしまう気力も湧かずに、ただただその場に座り込む。


 結局、俺がMACTに帰るため歩き始めたのはそれから三十分後の事だった。





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